75 駆け抜けてみた
そこまでは半分与太話の口調で、肩の力を抜いていたのだが。
木箱に腰を下ろした姿勢で、トーシャは腕組みをした。
「それにしてもだな、お前らの隣の領への移動の件だが、本気で早めに考えた方がいいと思うぞ」
「それに異論はないけど。トーシャは何をもってそう思った?」
「今朝の拝謁での印象でさ。どうもこの領の体制、心許ない気がするんだが」
「まあ、同感だな」
「武官と文官の間に何か壁がある感じだよな。それに武官というか、領兵組織の中も一枚岩じゃない感じじゃないか」
「ああ。今日並んでいた武官の上位の人たちはおそらく、昔からの領主の子飼いで、この領を侵奪するときに付き従ってきたんじゃないかと思う。彼らが近衛兵とか領兵の上層部を管轄しているんだろう。今日見た中では中隊長がそれこそ中間管理職で、小隊長以下の衛兵たちは現地から取り立てた兵力ということになるんだろうな」
「その上層部と下の一般兵卒の間に、意識の差というか差別みたいなのがあるようだな。何しろ話の様子ではここらの衛兵組織の上に近衛兵とか他の兵の組織があるようだが、これまでの数回の魔物征伐の場に、一切そいつらの姿は見かけなかったわけで。あれだけ必死な、ここを突破されたら町が壊滅しかねないという事態だったのにさ。俺はてっきり、あの衛兵数十名の派兵がこの領の精一杯なんだと思ってしまってたぞ」
「今日のあのハイン何とかって人の口ぶりだとまるで、魔物相手なんていう下等な仕事は衛兵任せで、自分たちはもっと領主に近い重要な部分だけを担うんだ、とでも言いたいみたいだったな」
「だな」
「もしかするとこの町を護るなどということにそれほど関心はなく、機会を狙って南方に攻め込む、といったところに頭が向いているのかもしれない」
「ありそうなところだな。しかしもしそうだとすると、また魔物が攻め込んできたとき、どうなるかの保障はまったくないぞ。傲慢な言い方かもしれんが、俺がここを出た後で前回のようなオオカミモドキ数十頭規模が襲撃してきたとして、あの衛兵の人数では防ぎきれないんじゃないか。またお前が大きな落し穴を作るとか、石の雨を降らすとかしたなら別だが。後ろで上層部の兵たちが胡座をかいているのを知った上で、お前がそんな仕事をする義理は感じられないだろう」
「まったくだね」
「何だか気楽に、町に入ってこられても近衛兵たちが領主邸の前で撃退するなんてことを言っていたが、魔物に町への侵入を許した時点で町民たちに大被害が出る、へたするとそこら中地獄絵図状態になりかねないってこと、理解しているのか」
「そういうことだよな」
二人腕組みで、溜息をつき合ってしまった。
「十年くらい前に領地を奪取してそれから統治を始めたと聞いたけど、まだ内部の体制は十分整ったとは言えないんだろうね」
「それ以前は今の領主さんも貴族とかじゃなかったっていうし、そんな統治の経験もなかったんだろうからな。こんな辺境で、誰かに教えを請うなんてのも難しいだろうし、テレビやインターネットなどははもちろん、本程度も情報を得るには十分なものがないだろうし、か」
「まあ今朝のあそこでのやりとりを見聞きしただけでも、ここの領主周辺が貴族のそれらしくないことは、かなりはっきりしていたしな」
「それを否定するつもりもないが」トーシャは、くいと片眉を上げて見返してきた。「かなりはっきりって、断言できるものがあったのか?」
「彼らの言葉遣いが、異世界の貴族周辺のものとして、必要条件を満たしていないんだ」
「どういうことだ?」
「知らないか? 異世界の貴族周辺の言葉遣いには決まりがあるんだ。領主の発言に『大儀であった』とか『真に僥倖』とかいう言い回しがあっただろう。それから武官から『造作もないわ』とか」
「ああ。いかにもな古めかしいというか、時代劇にしか出てこないような言い回しだな。もちろんこっちの言葉でどうなっているのかは知らんが、『言語』スキルの翻訳でそうなったということだろうな」
「そう。少なくとも『言語』スキルの何処かの仕様によるとか、
「そうだな。それがどうした?」
「そこは当然いいとして、一方で文官や武官が『魔物の牙でございます』とか『侵入は阻めそうになかった』とかいう言い方をしていた」
「………」
眉を寄せて、トーシャはゆっくり首を傾げた。
「それの、何処かおかしいのか?」
「異世界の貴族周辺の言葉遣いとして、あり得ないんだ。こういうときは『魔物の牙となります』、『侵入は阻めなそうだった』と言う」
「はあ?」
「例えば『こちらが証拠の品です』『証拠の品でございます』とかいう言い方が成立して、この方がよほど簡潔で丁寧だろうという場面でも、必ず『証拠の品〈となります〉』と言わなければならないことになっているんだ。『失敗しそうにない』とか『失敗せずにやり遂げそうだ』とかの言い方ができたとしても、絶対『失敗〈しなそうだ〉』と言うことになっているんだ。
つまり一方で時代劇や時代小説にしか出てこないような『大儀であった』とか『恐悦至極にございます』などという言い回しをしながら、そんな小説には絶対出てこない、プロの時代小説作家なら恥ずかしくて使わないだろうという『~となります』『~になります』、『~なそうだ』『~なさそうだ』なんていう表現がそこに同時成立するのが、決まりなんだな」
「………」
「いやさ、生前読んだその類いの
「………」
「とにかく、異世界の貴族周辺の言葉遣いは、必ずそうなると決まっているんだ。ここが異世界であることは疑いないんだから、『大儀であった』などという言い方はしても『~となります』『~なそうだ』という言い方をしていなかったあの人たちは、貴族周辺らしくない、と結論するしかない。QED」
「……お前さあ」
「え?」
「いや、やっぱりお前はお前なんだな、安心した」
「それはどうも」
「さて、寝るか」
「おお」
欠伸をしながら二人、立ち上がる。
なかなか、充実した会話だった――か?
――何しろこんなやりとり、トーシャ相手以外にはできないからなあ。
翌朝には旅立つという友人の背中を眺めながら階段を登り、男子部屋の寝床に潜り込んだ。
次の日には朝早く起き出した。月が変わって、十の月の一の日だ。
旅装束のトーシャとサスキア、ナジャと四人で他の面子に見送られて家を出た。
デルツの料理屋にナジャを送り届け、焼き立てのパンを売ってもらう。それとひと壷のミソをトーシャに預け、隣村のダグマーに届けてもらうのだ。
「じゃあ頼んだ。道中気をつけて」
「おう。お前らも、いろいろ気をつけてな」
西方面へ力強く歩き出す友を、サスキアと二人で見送った。
その長身の背が交叉点を過ぎて領主邸の方へ小さくなるまで見届けて、帰宅すべく歩き出した。
まだかなり早朝のうちだが、
その列の最後尾を離れて、北向きの道に入る。
住宅地の中、住居のある一角に入った、ところで。
「ブルーノ、たいへんだ! こっちこっち!」
叫びながら、ルーベンが駆け出してくるのが見えた。
こちらとは逆側、北の防壁方向へ曲がりかけているところへ、声をかける。
「ルーベンどうした、何かあったのか?」
「あ、ハック」
サスキアと二人、駆け寄っていくと、家の中からブルーノも出てきたところだ。
「何だ、どうした?」
「チビたち三人とニールが、走って出ていっちゃったの。四人が庭で遊んでいて、俺、離れて家の中にいたんだけだけど、急にマティアスが外へ向かって駆け出して、ニールたちはそれを追っかけていったみたい」
「何だと?」
サスキアの顔色が変わる。
小さな三人とニールには特に言い聞かせて、年長者がついていない状態で外に出ないように注意していたはずだ。
「壁の方へ行ったのか?」
「うん、道路に出て、そっちに曲がっていった」
今そちらの方角には、子どもの姿はかけらも見当たらない。
二百メートルほど先で防壁に突き当たるが、それまでの間に二箇所十字路のようになっていて、それぞれ東と西に向かう細い道と交わっている。
ルーベンがすぐ追って出てきたのだとしたら、子どもの足でまだ壁までは辿り着かない。あの十字路の何処かで曲がっていったと考えるべきだろう。もちろん、何処かの家の庭に潜り込んだ可能性も捨てられない。
考えている暇はない、と声を張り上げた。
「俺とサスキアで探しに行く! ブルーノは家を頼む!」
「おう!」
「サスキアは東側を! 俺は西へ行く!」
「分かった!」
一声吠えて、サスキアは一目散に走り出した。
遅れず、併走して。すぐ差しかかった十字路で、右と左に別れる。
左折した西方向に、やはり子どもの姿はない。両側の家の庭にも目を配りながら、駆け抜ける。
次の十字路から先は、家の数が少なくなっている。特に右側、壁に突き当たる辺りまでは草地が広がる。
その方向、百メートル少し先、といった道端に、若い男二人の姿が見えた。何やら深い草地に向けて身を屈め、作業でもしているような。
急ぎ右折して、覗き込む、と。
いた。
草地の中に小さな子どもたちが倒れ込んでいて、男たちはそれを抱え込もうとしているのだ。
前後左右、見渡す限り他に人の姿はない。
通り過ぎかけた家の門傍に、水の入った桶が置かれているのが見えた。咄嗟に、それを無断借用で抱え上げる。
そのまま駆け寄り、声をかける。
「何をしている!」
「何だ、お前」
「お――」
少し近づいて、子どもたちの様子が見えた。
小さな三人が固まって俯せになっている上から、庇う恰好でニールが両手を回しているのだ。
一人一人なら抱え上げるのに造作もないが、四人が固まってしまっているので、男二人は難渋していたようだ。
その二人が、こちらを認めて顔を見合わせた。
「おい、こいつがハックって奴じゃねえか?」
「こりゃ、好都合だ」
にやり笑って、二人ともに地面に置いていた棒切れを拾い上げ、近づいてくる。
やはり、目的を持った誘拐犯に思える。
揃って体格はいいし、棒切れだけというものの武器を持っている。それが二人がかりなのだから、戦闘力に誇るもののない身で、対峙したらまず勝ち目はなさそうだ。
「お前に用があんだ」
「大人しく来てもらおうか」
***
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・創作物とは一切関係ありません。
また、意見には個人差があります。
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