77 投げつけてみた
「正直、イーストの開発がこんな大問題にまで発展するとは、思ってもいませんでした」
「その点では、私も同様だがね。今さら後に引くことはできない。言わばうちの商会とハックくんたちは一蓮托生なわけだからね。警護などにはできうる限り協力するから、よろしく頼むよ」
「はい」
実を言うと、イーストの取り引きを支障なくマックロートに移動させる方法、もう一つ可能性としては思い浮かぶ。ただ、大っぴらに口にするのが憚られるだけだ。
ジョルジョ会長がそれを頭の片隅にでも置いているのか、問い糾すのもためらわれて、話は打ち切ることになった。
その日の午後から、用心棒役の大男が二人派遣されてきて、作業場の出入口を警護することになった。二人とも帯剣をしていて、兵役上がりで腕に覚えがあるということだ。
夕方のナジャの迎えにも、ブルーノに用心棒の一人が同行することになった。
夜も交代で、不寝番をする。
「専門の護衛付きの生活なんて、何だか落ち着かないぜ」
「ああ、早いとこ問題解決して、のんびりしたいものだがな」
夜が更ける中、小さな三人を寝かしつけた残りで集まって、ブルーノが苦笑いでぼやいた。
こちらも苦笑いで応じて、サスキアに話を振る。
「あの用心棒二人、腕は確かそうか?」
「うむ。剣技だけならわたしも対抗できそうだが、取っ組み合いになればまず敵わない、といったところだろうな」
「あの図体で、腕力もありそうだものなあ」
逆に、もし彼ら二人に裏切られたら、こちらは全滅しかねないわけだが。長くイザーク商会に勤めていて会長からの信頼も厚いという話なので、信用しておくことにする。
アルトゥルとディルクという二人は三十絡みの既婚者で、どちらも子持ちだという。
それだけになかなか気さくで子ども好きらしく、翌日も朝から小さい子たちの遊びにつき合ったり、ルーベンの剣の稽古の相手をしたりしている。
ナジャの出勤には、やはりブルーノとアルトゥルが送っていく。
朝食後にはいつものように商会職員の三人も加わって、作業が始まった。治安の件を除けば製産作業は順調で、最近はドライイーストの質も安定してきている。
午前のうちに、職員の二人が本日出荷分を運び出していった。
午後からのノウサギ狩りには、サスキアとディルクが同行してくれた。
そのように、一通り警護を厚くした新生活が始まっていた。
「うーん、やはり森はかなり無防備になるな。大勢で囲まれたら、一溜まりもないぞ」
「うむ。常に警戒を怠らず、異状は早めに察知することだな」
二日後、この日の狩りにはサスキアとアルトゥルが同行してきた。
初参加の用心棒は、木立の茂みに踏み込むにつれ、周囲に警戒を強めているようだ。
「ハックはわたしなどよりもっと、ノウサギなどを見つける気配の察知に優れているようだ。ニールにも、採集中も辺りの様子に気を配るように言い聞かせている」
「そうか。とにかく全員で、警戒を怠らないことだな」
「それは確かですが」二日前のディルクにも与えた注意をくり返す。「森の中で殺気は抑えるように頼みますよ。ノウサギが警戒して近寄らないようでは、狩りに来た意味がない」
「なるほどな。難しいものだが、気をつけよう」
いかつい髭面を大真面目にしかめて、アルトゥルは頷いた。
護衛が増えたことで、サスキアはこれまで以上に薬草採集のニールの近くを離れないようにしている。
アルトゥルはかなりこちら寄りに位置どるが、狩りに使う岩の裏側でくれぐれもノウサギに気がつかれないように身を潜めてくれ、とあらかじめ指示をしておく。
そうした態勢で一羽の狩りを終えると、やはりこちらの用心棒も目を丸くして感心していた。
「話には聞いていたが、何とも鮮やかなものだな。こんな狩りの方法、見たこともない」
「はあ、どうも」
こちらとしては、同行者が増えるとそれだけ、岩の出し入れに気づかれないよう神経を使ってしまう。
二日前もそうだったが、収獲が十羽を数える頃にはかなり気疲れを覚えていた。
一方で、獲物の解体は四人で協力して当たれるので、楽ができる。
それもこれも慣れなのだろうが、やはりこうした状況は早く落ち着いて元の態勢に戻れるように、と願ってしまう。
「ん?」
あと二羽は狩りたいと周囲を見回していて、妙な動くものが『光』で見えた、気がした。
人間を含むノウサギ以上の大きさの動物や魔物を探知するよう『鑑定』に指示しているのだから、そのうちの何かでまちがいないはずだ。
しかしその中でも、ノウサギとは異なる感覚だった。
西側の木立の間、かなり遠い。あるいは森の外だろうか。
遠くを見やる様子に気がついて、アルトゥルが首を伸ばした。
「どうした。何かあったか?」
「遠くに何か見えた、気がしたんですが――」
ちら、と木の間を横切っただけで、もう見えなくなっている。
目を凝らしても、もう同じ『光』は捉えられないが。
代わりに、遠い声が耳に入ってきた。
「きゃああーー」という、悲鳴のような。
アルトゥルも聞きとったようで、眉をひそめた。
「何だ、
「女性の声、のような――」
顔を見合わせていると、わずかにもう少し大きく、声が続いた。
「助けてーー」と聞こえる。
女性が何かの難に遭っているというなら、捨てておけないだろう。
アルトゥルと、頷き合う。
「見てくる。サスキアは、ニールの傍を離れるな」
「分かった」
下草の深い中を、駆け出す。
二百メートルほど駆けて、木立を抜けた。
森の中を走る経験の差か、元の足の違いか、アルトゥルはかなり遅れてついてくる。
広がる丈の高い草地に出て、辺りを見回したところ。すぐに目に入った。
五十メートルほど右手、森に入ろうかという木の下に、二人の男の後ろ姿。木に凭れるような姿勢の、小柄な白い服装。
男二人が白い人物を追い詰め、襲おうとしている格好だ。
今しも、一人の男が大きなナイフのようなものを振りかぶっている。
考える間もなく、地面を蹴った。
「何をしている!」
「ぬ――」
男二人が、振り返る。
その隙間に見えたのは、長い金髪、小柄な白いワンピース――追い詰められているのは、まだ若い女性のようだ。
「何だ、お前!」
「邪魔するな!」
髭面大柄な男二人が、こちらに向いてナイフを構える。
それへ向けて。
続けざまに二個、拳大の石を投げつけた。
一個は一人の側頭に、一個はもう一人の胸に、命中した。
獣や魔物相手に投石の経験を積んで、いくらかコントロールもついてきたようだ。
「ぐわ!」
「何しやがる、こいつ!」
一人はその場に蹲り、もう一人は
しかし、すぐにその動きが止まる。
「くそ、逃げるぞ!」
「う――おお」
蹲った仲間を引き起こし、すぐに背を向けて走り出した。
いきなりの態度変化に困惑していると、横に大柄な男が追いついてきた。
なるほど、剣を帯びたアルトゥルの登場に、敵わないと即断したということらしい。
北の山の方向へ、見る見る二人の背は小さくなっていった。
アルトゥルが顔を見てきたが、首を振り返す。
「追うのはやめましょう。こちらも警戒しなきゃならない立場なんだから」
「そうだな」
向きを変えて、木の根元に蹲る女性の方に寄っていった。
顔つきはまだ若い、少女のようにも見える。
白い衣服に、見た限り出血の様子などは見られない。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……」
「お怪我は?」
「大丈夫です……ありがとうございます」
ふらふらと立ち上がろうとするところ、手を貸して介助した。
乱れてはいるものの鮮やかな金髪、碧眼。立った様子ではやはり小柄だが、純白のワンピースがあまり町で見ない高価そうな服装、という気がする。
外見からは成人女性という印象も受けるが、顔つきにはまだ幼さがあるようだ。前世に西洋女性から受けていたイメージに鑑みて、実際よりは年長に見えてしまう、つまり実年齢は見た目より低い、ということかもしれない。
「何があったんですか?」
「あ、その――」
女性は。慌てて周囲を見回した。
それからやや遠くを見やり、深い草地の方向を指さす。
「その、あの辺――護衛の者が倒されて――」
「見てこよう」
アルトゥルが大股に歩き出した。
目で追って、女性は大きく息をつき、両手を握り合わせてこちらを見上げてきた。
「その、本当に危ないところをありがとうございます。わたくしはマルゴット・シュナーベルと申します」
「ああ、僕はハックといいます」
名乗りを返して、相手の言葉を反芻し。
そこそこの衝撃が胸に落ちてきた。
「え、シュナーベル――?」
「あ、はい。シュナーベル男爵家の長女です」
「じゃあ――領主様のお嬢様」
「まあ、そうなります」
「これは――」
「あ、そのままでいいですよ」
慌てて膝をつこうとして、押し留められた。
そうしているうち、アルトゥルが戻ってきた。同じほどの体格の男に、肩を貸している。
「殴り倒されたということらしい。頭と臑を打たれたようだが、怪我は深刻なものでなさそうだ」
「済まない」
寄ってきて、男はアルトゥルの肩に回した腕を下ろした。
即座に、マルゴットに向けて深く頭を下げる。
「申し訳ありませんお嬢様、不覚をとりました」
「大事なくてよかったです」
頷き、男爵令嬢は向き直って、事情を話してくれた。
この護衛が倒れていたという、二、三百メートル向こうの平地。馬車で通りかかったところ、いきなり草の中から飛び出してきた男二人に襲われた。
護衛が棒で殴り倒され、令嬢は馬車から引きずり下ろされた。
賊の一人が馬の尻を斬りつけ、狂乱して走り出した馬車に乗った侍女と御者は遠ざかっていった。
マルゴットは夢中で駆け出し、森の手前で男たちに追いつかれた、ということらしい。
「賊たちに、心当たりはあるのですか」
「一向に。ただ、父はどこで恨みを買っていても不思議はありませんので」
「そうなんですか」
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