66 また大仕事をしてみた
仲間たちに東へ行くと断って、実際にはこうして北の山に入ってきた。
どう考えても、東の人々を避難させる余裕はないだろう。そうすると、直接この溶岩流に対処するしか、あちらの人々を救う手段はないと思われるのだ。
ふつうならそんな選択、思い浮かべることもしないだろう。
しかし、できるできないだけを言えば、できるはずなのだ。
単純な話、あの溶岩すべてを『収納』することは可能なはずだ。
生物以外、量は無制限、『収納』することができる。これまでの経験からも、目の前のものに対して不可能と判断する理由はない。
ただし、条件がある。『収納』は、距離二三メートル以内のものしか対象とできない。一度の大きさは無制限のはずだが、少なくともいちばん近い端が制限距離以内になければならない。
あの溶岩流に、二三メートル以内の距離まで接近することは可能だろうか。
生前、実際の溶岩に近づいた経験はない。図鑑などでそうした知識を得た覚えもない。しかし、岩も溶けるほどの高熱なのだ、数十メートルほどにも近づく前に、肉体が耐えられなくなるのではないかという気がする。
また実際問題、ここからあそこまで近づくだけでも一苦労だろう。目の前には深い谷、そこへ降りてまた登るのにどれだけ時間を要するか、またそもそも可能なのかさえ、見当もつかない。谷を迂回して進むルートがあるのかも、ここからでは判断がつかない。
――何か試行を検討するとしたら、今いるこの場所がベストポジション、かな。
推定数キロメートルの距離を挟みながら、とりあえずは溶岩流のかなりの姿を捉えることができている。
ここからどちら向きに移動しても、これほどターゲットを視野に収めることはできそうにない。
まずは、考えたいと思う。
――数キロ先のあれを、消すか押さえるか、進行の向きを変えるか、できないものか。
いちばん乱暴に考えれば、「できる」。
今いるこの場所から、足元二メートル先の地面から始めて、視界に入る谷もいくつかの山も一緒に、溶岩流のすべてが入るように全部ひっくるめて地中から掘り起こし、『収納』してしまえばいい。
これまでの経験からして、可能なはずだ。
ただ、さすがにためらわれる。
あまりに大規模な自然破壊、下手をすると地殻変動まで引き起こすことになってしまう。
地形の変化だけなら、『収納』した後すぐに溶岩以外のものを元通りに取り出し戻しておけば、かなりのところ防げるだろう。
しかし前から考察しているように、『収納』は生物をすべて置いてくることになる。つまり生き物はすべてそのまま落下し、山などを元に戻したらその下敷き、ほぼまちがいなく全滅という結果になるだろう。
また、活火山のすぐ傍の地面を掘り起こすことになるのだ。地質学者ならぬ身にとって、どんな結果が生じるものか、まったく予想がつかない。この溶岩流を起こした噴火よりさらに大規模なものが起きても、何ら不思議はない。
そういう諸々がなくても、生身の一人の人間として、どうしたってためらいが起きて当然の荒事だろう。
そこまでの荒事は本当に最後の手段として、他に案はないか。
――消すのが無理なら、押さえるか、向きを変えるか、ということになるか。
押さえる――。
あの火の川の上に、大量の土、山のいくつか分を落としてやれば、流れを止め、冷えて固まる結果に持っていけるのではないか。
大量の水、はどれだけ量が必要になるか見当もつかない。今『収納』してあるだけでは、とても覚束ない気がするので諦める。
しかし山をいくつかとなると、やはり自然破壊と地殻変動の危惧が出てくる。とりあえず、却下または保留だ。
流れの向きを変える――。
周囲の山の位置をいくつか変えてやれば、可能かもしれない。
しかし現実として、どれをどう動かしてやればいいかなど、まったく分からない。
加えてどちらの案にしても、山を一つ一つ選んで動かすとなると、その近くまで接近する必要がある。今の場所からそれが、制限時間内に可能か。
――試してみる気も、起きないなあ。
他に、案はあるか。
――――。
――思いつかない。
それにしても、考えていて自分で呆れてしまう。
出てくる思いつきが、何でまたこれほどことごとく、ダイナミックと言えばまだ聞こえがいいが、乱暴極まりなく荒唐無稽なものばかりなのか。
ふつうの人間なら空想の中で「こんなことできたらいいな」「しかしあり得ねえ」と即座に打ち捨てるようなことばかりだ。
しかしそれがまったくの荒唐無稽ではない、やろうと思えばできてしまう、という現状なのだから、仕方ない。
こんな、ふつうの人間には完全に手に余る大規模災害が迫っているところなのだからなおさら、そんな発想でもするしかない。
ふつうの人の手には負えない。
となるとここに実在する、人知を超えた『収納』という能力に頼る以外ないじゃないか。
――どう考えても、他の策は思いつきようもない。
改めて、整理してみたい。
制限距離内に近づくことさえできれば、あの溶岩流のすべてを『収納』することも可能なはずだ。
ただ現在地からあそこまで近づくことができるか、分からない。近づく道筋を見つけられるか、肉体が高熱への接近に耐えられるか。
『収納』の機能すべてを思い返してみる。
一度に『収納』できる量は、無限大。
可能なのは、本人から二三メートルの距離内に端が引っかかってさえいれば、連続している物体のすべて。
『切り取り』『選択』で『収納』することができる。
――考えてみれば。
対象となるのは、一種類の物質でできたものとは限らない。
頻繁に『収納』している岩にしたって、一辺数メートルの直方体ブロックが、一種類の物質でできているわけではない。岩の種類だけで考えても、中で砂岩とか泥岩とかが混在していても不思議はない。
また実際別のケースで、例えば「桶に入ったミソ」と指定してやれば、桶とミソは一緒に『収納』される。制限距離内に入っているのが桶だけであったとしても、その中に入っているミソもまとめて扱える。
つまり。制限距離内に引っかかっている物体と接触連続してさえいれば、どんな非生物物体もすべてまとめて『収納』可能、ということになるだろう。
――今までの経験に照らして、うん、まったく矛盾はない。
それなら、こんなこともできるのではないか。
久しぶりに思い浮かべる科白だが、
「試してみるだけなら、
足元すぐ先の地面に目を向け。
地表直下の地中に、土等を直径一センチの紐状に切り取ったものをイメージする。
その紐を、ずっと正面先まで繋げていく。
目の前に見えている地形に沿って、地表直下の地中、谷を下り、丘を登り、山腹を辿り、上下しながら一目散、遙か先の溶岩流に至るまで。
溶岩に触れたところで、そのすべてを、地面から二十センチ分を残して一括して指定する。
溶岩流を辿り辿って、火口の中に続く。
火口の中に溜まっているマグマ、その半分程度まで、まとめて指定する。
つまり、足元先からずっと連続している土製の紐と、それに繋がった溶岩、マグマ、それらを一括したものとして指定。
一気に『収納』する。
まちがいなく、『収納』成功した手応え。
――できて、しまった。
これがアニメの中の出来事なら、
ぐわわわわーーん
だだだだだーーん
といった、効果音や音楽が轟き渡っても、不思議はない気がする。
しかし実際には、音声などまるで響かない。
目の前の光景にしても、ほとんど変化はなかった。
土の紐は当然、ほぼ地形に目に見える形では影響しない。
また地表に出た溶岩流の高さ二十センチ分を残したので、まだ数キロメートル先に赤い輝きはそのまま残っているのだ。まちがいなく量は減っているはずだが、この遠さでその違いはあまり見てとれない。
――さて、どうなるか。
観察を、続ける。
何分、経っただろうか。
赤かった観察対象が、少しずつ黒みを帯び始め。
やがて、黒の中にちらちら赤みが残る程度まで変化を見せてきた。
つまりは、溶岩が冷えて固まったのだ。
しばらくは流れも続き、その高さを減らして冷却も早まったのではないかと思われる。
まずまちがいなくこれで、流れの動きも止まったはずだ。
――思った以上に、うまくいったかな。
高さ二十センチを残したのは、この変化を起こさせるためだ。
溶岩流のすべてが一瞬で消え失せてしまったら、あまりに奇跡が凄すぎる。
比べてこの顛末なら、町から見ていてもゆっくり火の川の赤が消えたことが確認されるだろう。
おそらくすぐに、偵察の領兵が派遣される。
その偵察隊に、冷えて固まった溶岩の流れの痕跡が見つけられるはずだ。
最初に偵察に来たときと比べて、あまりに量の違うことに驚かれるだろうが。まあ最初の見まちがいという辺りで結論づける他ないと思われる。
なお、火口の中にマグマを半分程度残しておいた。
それこそ地質学者ならぬ身にとって判断のしようもないのだが、何となくの感覚、マグマをすべて消滅させたら鍋の空焚きのような状態で、さらに大きな火山活動が起きてしまうのではないか、と不安になったのだ。
おそらくのところ、マグマ量を半減させておけば、しばらくは次の噴火を抑えられるのではないか。
まったくの素人考えだが、精一杯のところだ。
「さて」
何だかとんでもないことをしてしまった、という自覚はあるわけだが、この際深く考えないことにする。
腰かけていた岩から立ち上がり、元来た道筋を振り返る。
帰ることにしよう。
町からここまで、二時間程度かかったのだったか。
またその道のりを引き返すのもかなり大儀だが、仕方ない。
今の操作にはほとんど体力も使っていないのだが、ここまでの往きの行軍で疲労した足を奮い立たせて、山の下りを始めた。
山地を出て、町の灯りが遠く見えてきたところで。
何人かの人の集団が、こちらに近づいてくるのが分かった。
松明を消し、木の陰に隠れてやり過ごす。
領兵の身なりらしいところを見ると、消えた火の川に対する偵察隊だろう。
十分遠ざかったのを確かめて、また歩き出す。
いつもの北の森に入った頃には、遠い山際が明るみ出していた。
門に立つ衛兵に見つからないように大きく西方向へ迂回、防壁を越える。
町中では避難を中止したのか戻ってきたのか、それなりに人の行き交いが見えていた。やはりまだ落ち着かないのだろう、夜明け直前の頃合に似合わない、ざわざわとした賑わいだ。
住処に戻ると、仲間たちも一階に集まっていた。
ブルーノが顔を上げ、笑顔を返してくる。
「おおハック、戻ってきたのか」
「ああ。避難は中止になったのか?」
「そうだ。避難指示に従って、みんなで領主邸の近くまで移動してたんだけどな、山に見える火の川が消え始めている、と騒ぎになってさ。しばらくそこに止まれということになって、すっかり消えたらしいのを見て、家に戻ってよしということになった」
「そうか。俺も街道の途中で山を見たらあれが消えたみたいなんで、引き返してきた」
「何にせよ、助かったぜ。住むところがなくならなくて」
「だな」
小さな三人は路上で待っている間に眠り始めたので、ブルーノとサスキアとルーベンが背負ってきたそうだ。
残る面々は夜明け間近になっても落ち着かず、こうして集まって話していたのだという。
サスキアが顔をしかめて首を振っていた。
「いったい何だったのだろうな、この騒ぎは」
「火の川が流れてきたのはまちがいないわけだが、思ったより量が少なくて途中で立ち消えになった、ということだと思う」
「そんなことがあるのか」
「誰もこんなの以前経験したことがないんだから、何とも分からないよな」
「言ってみれば、空騒ぎだったわけか」
「しかし誰にも正確な予想はつかないんだから、万が一を考えての避難指示はまちがいではないと思うぞ」
「まあ、そういうことになるか」
そんなことを話してしばらく経つうち、外から衛兵の呼ぶ声が聞こえてきた。
近所の民衆を集めての説明では、火の川が消えたことが確認されたので、生活を戻してよし、という指示だった。
こちらでも二時間ほど仮眠をとって、この日の活動を決めようということにした。
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