88 頭を下げてみた

 感慨がない、というだけではない。

 この流れを予想していた。

 というよりも、この流れに向かうように、事を起こした。

 領主邸のすべてを奪うという荒事、別にその前の仕打ちに対する腹いせ、というだけで実行したわけではない。


――いや、遺恨がまったく含まれていなかったわけでもない、けどね。


 それ以上に、確たる目的があった。

 イーストの取り引きを支障なくマックロートに移動させる方法、一つ可能性としては思い浮かんでいた。大っぴらに口にするのが憚られていたわけだが。

 簡単なことだ。

 イザーク商会の本店と支店の所在が、同じ領内にあればよい。

 ジョルジョ会長個人にはプラークの町に拘りがあるということだが、それは単にこの故郷にというだけで、男爵領の領都としてというわけではない。

 会長とその件について話した時点でも、そこそこ可能性としては浮上してきていた。

 ハイステル侯爵領の兵が領界に増えてきている。シュナーベル男爵領としては、早晩持ち堪えられなくなるのではないか、という可能性だ。

 男爵としてはその事情があるから、軍資金の調達に手段を選ばず邁進したのだろう。

 こちらとしては、そこの勝敗にたいして関心はない。

 ただ気になるのは、地元の衛兵や普通の領民たちに被害が及ぶのではないか、という点だけだ。

 今回の荒事の主目的は、ただ一つだった。

 領の武器と軍資金のほとんどを奪い、侯爵領との戦闘を即時降服で終わらせること、だ。

 領主邸の武器庫が建物として続きにあることを知って、今回の手段に及んだ。

 どんな形でも牢の中で夜を明かす格好に持ち込めば、闇に紛れて人知れず今回のような事態を起こす機会は得られる、という確信があった。だから、あの決闘などという茶番の成り行きも、こちらとしては「侮辱罪で投獄」されることだけを目指して乗り切ったわけだ。

 残る危惧は、侯爵領兵がこの混乱中に間に合うように進軍してくるかどうかだったのだが、何とか期待通りに事は進んでくれたようだ。

 これで本当に、後の憂いなくマックロートへの移動に臨むことができる。


 夜半を過ぎた頃、街道の両側は森のようになってきた。

 好都合だ、ということで、木々の間に踏み込む。

 ある程度街道から離れた平地を見つけ、石の家を取り出して野宿することにした。

 想定通り侯爵領兵の侵攻を確認したので、もうあまり急ぐ必要はない、むしろ少し時間を潰しておこうと思うのだ。

 周囲の安全を確認して石の家に入り、毛布を敷いて横になる。

 やはりかなり疲労を覚えていたようで、目を閉じるとすぐに眠りに落ちていた。


 日の出を確認してから、再び歩き出した。しばらく森の中を進み、途中でノウサギを三羽狩ることができた。

 猟果に満足して、街道に戻る。

 しばらく進み、午を過ぎた頃合い、道脇に畑が見えるようになってきた。

 さらに進むと、右手少し奥にサッカー場より一回り小さいかという程度の空き地が見えた。人の姿はないが、竈を設えた跡らしきものが見える。大きめの石が転がっていたり地面にいくつも小さな穴が開いていたりするのは、テントの類いの跡ではないか。

 要するにまちがいなく、野営用の空き地らしい。

 道標みちしるべのようなものはないが、事前に聞いたところではムンドリー村の入口になっているはずだ。

 野営地を抜けて右奥へ進む道を辿る。

 少し木の間を進んで、ぽつりぽつり間隔を置いた民家が見えてきた。

 さて、ダグマーの家はあるか。

『収納』から背負い鞄の中へ、ノウサギ肉二羽分を取り出しておく。

 きょろきょろ窺いながら進むと、やや奥の家の前に蹲る子ども数人の姿が見えた。

 足音を聞きつけて、顔を上げる。


「ハック!」

「ほんとだ、ハックだ」

「ハックだ」

「よお。無事着いていたか」

「ハック!」


 思いがけず真っ先に駆け寄ってきたのは、ニールだった。

 いつになく感情露わな表情で、腕を掴んでくる。


「ハック、大丈夫、怪我ない?」

「おお、平気だ。怪我はない」

「よかった」

「ハック」

「ハック」


 続いて二人の女の子、シュテフィとカロリーネが腰の両側に縋りついてくる。

 マティアスは家の中に駆け込んでいった。仲間たちへの報告だろう。

 玄関先からすぐ立ち上がってきた大男は、アルトゥルだった。


「アルトゥルさんも一緒に来てくれてたんですか」

「おう。商会長さんに指示されて、こいつらの護衛としてな」

「それは、済みません」


 続いてルーベンとブルーノ、サスキアと女の子たちも飛び出してきた。

 もう一人の護衛、ディルクも後ろについている。


「ハック、大丈夫だったんか」

「おお、大丈夫だ」

「よかった、心配したぞ」


 ルーベンとブルーノに、頷き返す。

 子どもたちの後ろから出てきたダグマーに、頭を下げる。


「お久しぶりです。子どもたちがお世話になって、済みません」

「いや、別にたいしたことはしてないさ。今朝になって訪ねてきたんで、土間を貸して休ませていただけだ」


 二ヶ月あまりぶりに再会したダグマーは、変わらず人のいい笑顔を返してきた。


「それにしてもハック、領主様のところで揉め事になったんじゃないかと聞いたが、無事だったんかい」

「ええ、話すと長くなりますが」

「まあとにかく、こっちに座れ。狭い家だが」


 そんな会話を交わす頃にはニールは離れてサスキアの陰に移動していたので、小さな女の子二人をまとわりつかせたまま、家の中に入れてもらう。

 木造の平屋で、確かに住居部分は広くないようだ。

 ただいかにも農家の家らしく、入ってすぐの土間がそこそこに広い。農作絡みのいろいろな作業に使うのだろう。

 その隅の方に、子どもたちの荷物と荷車が置かれていた。

 傍に夜具が広げられているのは、今朝到着してから横にならせてもらったのだろう。

 そんな土間から住居に上がるところに腰かけさせてもらい、主人と話をすることになった。

 まずはダグマーに「お土産です」とノウサギ肉二羽分を渡して。

 隣りにブルーノとルーベン、他の子どもたちと護衛は土間に腰を下ろした。


「何よりダグマーさん、隣の侯爵領兵がプラッツに攻め込んだという話、聞いていますか」

「何、それは本当かい」

「ええ?」


 ダグマーだけでなく、ブルーノや他の子どもたちも護衛たちも驚きの声を上げている。


「ブルーノたちは、街道で出会わなかったのか? 大勢の兵が行軍してきたはずだが」

「俺たちは追っ手に見つからないように、できるだけ森の中を進んできたんだ」

「なるほど、それで行き違いか」


 頷いて、家の主人に向き直る。


「いや僕は何だかの疑いで裁きにかけるとかで、領主邸で投獄されていたんですけどね。夜中に侯爵領兵が攻め込んできたということで大騒ぎになって、そのどさくさで逃げ出してきたんです」

「や――何だか何処をツッコんで訊いたらいいんだか分からんのだが。とにかくそしたら、プラッツというかシュナーベル男爵領が、ハイステル侯爵領に攻め滅ぼされたってことになるんか」

「じゃないかと思います。僕は夢中で逃げてきたんで、その後の詳しいことは分からないんですが。どうも男爵領の方は迎撃の準備をする暇もなく攻め込まれたという感じでしたね」

「ふうん。じゃあ、保たないか。もともと侯爵領の方が増兵したら、こちらはもう怪しいんじゃないかって噂だったからなあ」

「かもしれませんね」

「しかし、すると」アルトゥルが身を乗り出してきた。「町は戦乱に包まれたというわけなのか」

「暗い中で周りはよく分からなかったんですが、あちらは直接領主邸に攻め込んできたようにも見えましたね」

「うーむ、領主様たちが抵抗できないほどなら、せめて町の者たちに被害が広がっていなければいいんだが」

「何とも、分かりませんが」


 大人たちを中心に、うーん、と唸り。

 しかしこれ以上は確かな情報が伝わるのを待つしかない、と納得する。


「もしそうなったとして、二十年以上前の状態に戻るってだけだろうからな。俺が子どもの頃は、ここも侯爵領だったんだ」

「そういうことでしょうね」


 ダグマーの納得に、頷き返す。

 護衛二人は家族を残している町の様子が気になるようだが、戦乱になっているというわけではないだろうという予想から、このまま務めを果たしてマックロートに同行しようという話になっていた。

 隣の領都に行けば、この辺の詳細も伝わっているだろうと思われる。

 ダグマーの小さな息子二人が母親との外出から帰ってきたので、こちらの幼い三人と一緒に玄関先で遊ばせる。

 ディルクが戸口近くに座って、こちらの会話に耳を傾けながら外を見張る形になった。

 そちらの落ち着きを確かめて、ダグマーは質問を再開した。


「そっちはまあ情報を待つことにして。もう一つ、何だハック、領主邸で牢屋に入れられた?」

「ええ。さっぱり訳分からないんですが、領主様を侮辱したとか何とかで」

「何だ、お前さん何をした?」

「何もしてないですよ。危険な目に遭っていたお嬢様を送り届けて、いろいろ話をしているうちにいきなり兵士たちに取り押さえられて。別に領主様やお嬢様に無礼なことを言った覚えもない」

「何だ、そりゃ。そんなことあるのか?」

「兵士たちの話では、翌日裁きにかけてきっと全財産召し上げになるだろうなんてことでした」

「全財産召し上げだって?」

「それで想像されるところですとね」


 やれやれと顔をしかめて、隣のブルーノやサスキアの顔も見回す。


「お聞きになっているかもしれませんけど、僕の発案でこの仲間たちと一緒に、柔らかいパンを作るイーストってものを製造しているんです。それが今、王都辺りまで販売を広げて売り上げが増えてきている。軍資金なんかに窮してきていた領主様が、それを丸ごと僕から取り上げようとしたんじゃないかと」

「何と、なあ」

「話の通りならその翌日、つまりは今日ですね、すぐにもこいつらの住む家に差し押さえが入る。その兵士たちに捕らえられる前に、館の中で逃げ回ることになりましてね。そのどさくさで、鞄に入れていたノウサギの毛をそこらの箱に詰めて、屋上から遠くに放り投げてやったんです。あらかじめ決めていた合図で、それでこいつらを避難させたわけで」

「なるほどな」

「ちゃんと合図が届くか心配だったんだが、伝わったみたいだな」


 隣を見て訊くと、ブルーノは大きく頷いた。


「領兵詰所の裏の家の屋根がいきなり何かの毛で真っ白になってるって騒ぎになってさ、こりゃハックからの合図だってすぐに準備を始めた。アルトゥルさんにイザーク商会へ走ってもらったら、会長さんから、マックロートの支店に連絡を送っておく、護衛二人を一緒に連れてすぐに町を出ろ、と返事が来た」

「そうか、うまく動きがとれて助かった」

「二人に一緒に来てもらって、本当に助かったぜ。荷車を持ったまま壁を越えるとか、夜中に森の中を歩きながら眠ったチビたちを背負わなきゃなんないとか、俺たちだけじゃ無理だったと思う」


 事前の打ち合わせでは、家から最も近い北の壁を門番から見えないようにして乗り越える、岩山の隙間を抜けて西側の街道に出る、ということにしていた。

 荷車を持っていけないようなら夜具などの嵩張る荷物を諦めよう、ということになっていたのだが。力持ち二人がいたお陰で、壁に登った一人を仲介に荷物を手渡しリレーするという方法で何とか乗り越えられたらしい。

「本当にありがとうございました」と頭を下げると、大男二人は笑っている。


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