16 村を出てみた

 遅く床に着いた、その眠りはけたたましく破られた。

 戸口の板が、激しく叩かれている。窓の外は薄く明るみが射してきた程度の頃合いだ。


「ヨルク、起きろ! 大急ぎだ!」


 戸を叩きながらの怒鳴り声は、ゲルトだろうか。

 間もなく奥から誰かが起き出し、閂を外したようだ。

 こちらも戸を開いて覗くと、開いた扉を挟んでヨルクとゲルトが向き合っている。


「何だ、こんな早く」

「グズグズしてらんねえ、すぐに避難だ! 魔物がこっちに近づいてきてる」

「何だと?」

「隣村の奴が、町へ逃げる途中で報せに寄ってくれた。隣の隣の村じゃ夜中に魔物に襲われて、五人が食われた。七人が這々の体で逃げ出して、報せてくれたんだと」


 その隣村の人の話を、外でベサルが聞いているところだという。

 男二人がそちらに向かうのを、何とか杖をついて追いかけた。

 隣村の男はすぐにも逃亡を続けたいという様子で、馬に乗ったままベサルとマレイを相手にがなり立てていた。

 それによると。

 魔物は人を大きくしたような外見で、おそらく百匹以上が群れをなしている。

 東から順に村を襲い、人を食っている。ウサギやイノシシも食っているようだが、村に集まっている人を襲うのが手っ取り早いと学習しているようだ。

 真っ直ぐ西に向けて移動しているのは、途中の村を襲いながら町を目指しているのではないか。

 魔物たちの足は人より速いが、馬よりは遅いと思われる。すぐにもみんな、馬に乗って東を目指して逃げろ。

 隣村の生き残りと自分たちの村の者は、もう馬で町に向かって走らせている。町に報せれば兵を出してもらえるかもしれないが、魔物がここに着くまでには間に合わない。

 おそらくもう、一時程度も余裕はないだろう。とにかく急いで逃げろ。

 それだけ告げて、その男はもう馬を走らせ出していた。


 そのときにはもう、村中の者が宴の跡が残るベサルの家の前に集まっていた。

 険しい顔のベサルが、一同を見渡した。


「聞いたな、みんな。すぐに馬に乗って避難だ。どうしてもという貴重品以外は持たず、一頭に二人乗り。こないだ打ち合わせた通りだ」

「分かった」


 頷いて、男たちは動き出す。

 ヨルクの顔が、ちらりとこちらを向く。察して、大きく頷き返した。


「僕は、自分の足で西を目指します」

「ああ、済まんな。そうしてもらうしかねえ」


 ヨルクがユリアの身支度を調えてやっている傍らで、ズボンの紐や革靴やを締め直す。

 持ち物は、ヨルクにもらった木の杖だけで十分だ。

 そうしていると、エディ婆ちゃんがやや大きな布袋を差し出してきた。


「これをもって行きな。干し肉を入れておいたからねえ。それから、昨日採ってきてくれた薬草も二枚入れておいた」

「どうも、ありがとうございます」


 袋はリュックくらいの大きさで、口を紐で綴じ、実際背負うことができるように作られているようだ。

 馬で逃げるみんなと違って、徒歩逃亡は魔物に追いつかれる危険が高い。身を守るためには、森の中に身を潜めるなどの判断が必要になる。それを見越した食料と薬ということだろう。

 婆ちゃんの心遣いを素直に受けとって、頭を下げる。


「ほら早く、魔物に追いつかれないように急ぐんだよ」

「はい、分かりました」

「ヨルクとユリアもね。無事に町に着くよう祈っているからね」

「うむ」


 男たちがそれぞれ、四頭の馬を引き出してきている。

 ヨルク母子の会話に妙なものを感じてそちらを見直し、衝撃を受けた。

 考えてみれば、当然なのだ。

 十二人が住む村に、馬は四頭。一頭に二人ずつしか乗せられない。つまり、馬で逃げられるのは八人だ。

 ヨルクとユリア、ゲルト夫婦、ベサル夫婦、独り者のマレイがカミラを同乗していくらしい。

 結果、エディ婆ちゃんを始めとする老人たち四人は、騎馬からあぶれることになるのだ。

 こちらの視線を受けて、エディ婆ちゃんが笑い返してきた。


「年寄りたちはもう十分生きたからねえ。若い者が生き延びる助けができれば本望さあ」

「んだ。俺たちが餌になれば、少しは魔物たちの足を遅くしてやれるだろう」

「小さい頃から一緒の仲間だからねえ。最期は一緒に集まって過ごそうねえ」

「約束だからね。爺さん、魔物が村に入ってきたら、儂らの首を斬っておくれよ。生きたまま食われるのは御免だよ」

「おう。お前らを成仏させて、すぐに俺も後を追うさ」

「頼んだよお」


 からからと、四人で笑い合う。

 その間に、騎馬組は準備を終えていた。

 ヨルクがエディ婆ちゃんに頷きかけ、ユリアを背に掴まらせて走り出す。他の三頭も次々とそれに並び、姿を現した朝日を背に街道を目指す。

 娘たちが爺ちゃん婆ちゃんとお兄ちゃんが残されることに頭を回す暇もないだろう、それは慌ただしい出立だった。


「ほらあんたも、早く行きなさい」

「分かりました。お世話になりました、この御恩は一生忘れません」


 ここで逡巡して、年寄りたちに気を遣わせても仕方ない。

 深く一礼して、馬の去った方角へ駆け出した。

 すぐに道は林の中に入り、村の家々は見えなくなった。行く手に、四頭の馬ももう姿は見えない。

 見回して、右手の林方向に足を踏み入れた。


 実を言うと、このまま逃げる気は毛頭なかった。

 人の足、しかもまだ挫いた後が全治していない状態で、逃げ延びられそうにも思われない。

 森の中に身を潜めてやり過ごすなどということが可能なら、他の人もそれを試みているだろう。まず魔物の鼻を逃れることは難しく、誰もしようとしていないのではないか。

 それでなくとも、あの年寄りたちを見捨てる気もないのだ。

 それが無謀な望みというなら彼らの意志に反して何かをしようという気にもなれないが、こちらとしてはおそらく、自分を含めた五人揃って身を守れるだろう手段を持ち合わせている。

 単純な話だ。過日製作した石の「家」を取り出して、要塞よろしくそれに籠もればいい。五人用で狭いようなら、即座に作り直すことも可能だ。

 こちらの『収納』能力は知られたくないという思いがあるが、この非常事態、そんなことは言っていられない。

 たぶん、石の壁で襲撃を防ぐことができる。

 ただ念のため、あらかじめ魔物の姿を確認しておきたいと思うのだ。

 今のままの壁の厚みで十分か、もっと補強すべきか、相手の外見を確かめればもう少しは判断の材料になるだろう。

 というわけでまず、村人たちには知られないように東へ移動して、遠くから魔物の実物を観察したいと思う。


 石切場らしい岩山を横に見て抜け、川を渡り、しばらく進むと広い草原に出た。

 幅五百メートル、奥行き三百メートル程度に渡って、ほぼ丈の低いすすきのような草ばかりが繁る平地が広がっている。

 林の中からその草地に足を踏み入れかけて、考えた。

 隣の村民の話す通りなら、魔物たちはこの草原の向こうに見える林の奥手からこちらへ向けて進軍してきているはずだ。

 でかい図体、百匹以上の群れ、というのが事実なら、狭い林の中よりこの広い草原を突っ切る進路を選びそうだ。

 もしこの平地の中央付近に立ったところで向こう側の林からそいつらが出てくるのに遭遇したら、隠れようもない。

 すぐさま餌認定されて追いかけられ、林に逃げ戻る前に襲撃されることが十分に予想できそうだ。

 かといって、五百メートルほどの幅の脇の木立に隠れて近づくのでは、村に戻るのに間に合わなくなる恐れがある。

 ここは、この辺に隠れて魔物の群れが現れるのを待つ一手だろう。

 話の通りなら、何十分も待つ必要はないはずだ。

 見回すと。左手は大きく草原を迂回したように林が続く。右手少し先には、裸の岩が盛り上がったような小さな丘状の地形が見える。

 その、岩の丘をよくよく観察。草原の片隅から右手林の奥へ向けて、縦横百メートルあまり、高さ十メートル程度の円錐台といった外観だ。ほとんど表面に草も生えず、表面ががたがたの岩の固まりらしい。

 何とかそのがたがたを足がかりに、登ることができそうだ。

 当然ながら、多少高いところに登れば、遠景の観察がしやすいのではないか。そういう判断で、岩に足をかけることにした。


 何とか、十メートルあまりと思われる高さの天辺に登り。正面から目立たないように腹這いの姿勢で、向かいの林に目を凝らす。

 待つこと、数分。やはりのんびり構えている暇もないほど、間を置かずに異変が見えてきた。

 数百メートル離れた先だというのに、はっきりバリバリという破壊音が耳に届き出す。林の縁付近、低い木々がなぎ倒されるのが見える。

 すぐに、その破壊主の姿が見えてきた。

 近くに比べるものはないので正確に分からないが、まずまちがいなくふつうの人間よりかなり大きい。全身濃い茶色の体毛に覆われているらしい、二足歩行の動物だ。

 一見すると「ゴリラか?」という印象を受けるが、おそらく前世の記憶から手繰り寄せるそれより、はるかに大きいだろう。

 それでもその印象に違和感がないのは、見るからに強靱に発達しているらしい上半身の外観だ。今しも、そこそこしっかり生えていると覚しき低木を草を分けるかのように片手でなぎ払い倒している様子からして、かなりの腕力を有していると思わざるを得ない。

 しかもそんな「獰猛そう」と形容するだけでも言葉足りそうにない個体が、次々と引きも切らず姿を現してくる。

 少しの間呆然と見続けてしまったが、はたと思い出し、慌てて『鑑定』を試みた。


【二足歩行の魔物。決まった名称はない。身長二・五メートル前後、体重二百~三百キロ程度。一匹の戦闘力だけで、この森周辺で最強。雑食で、獣や人を食う。特に人肉を好む。】


――何とも、「最悪」としか感想の浮かばない情報が出てきたよ。


 見る見るうちに木立の間をぬけて、草原へと逞しい足を踏み入れてくる。見た目にそぐわないほど敏捷な動きで、足を止めずにどんどん進軍を続ける。人間で言うとマラソンランナー程度の速度はありそうだ。

 その数――十匹、二十匹、と数えていて、すぐに諦めた。

 まちがいなく、百匹は下らない。多少の大きさの違いはあれどすべて例外なくゴリラを凌駕する獣の群れが、たちまち草原を埋め尽くす勢いで進み出てくる。

 とはいえ、そのまま草原の幅まで横に広がることはないようだ。ある程度周りと距離をとったまま群れの形態は崩さず、真っ直ぐ平地を突っ切る勢いで進んでくる。行く手に人間の村の存在を確信して、一心に先を目指しているのかもしれない。

 どうも最後尾らしい個体が林から出て、群れは縦横百メートル弱かという範囲に固まり、移動を続けている。

 中には、太い棒のようなものを握っている奴もいる。類人猿に近い外見に相応しく、ある程度道具を使う知恵があるようだ。さらには、もしかするとあれ、鉄の棒じゃないか、というものを肩に担いでいる奴もいる。

 不意に、先頭に近い一匹が足どりを緩めたかと思うと、すぐ手前に鎮座していた大きな岩を抱え上げた。自分の頭よりかなり大きいだろうそれを、行く手の邪魔とばかり無造作に横手へ放り出す。どしんと地響きが鳴り、近くのノウサギが逃げ出していくのが見えた。

 やはり、もの凄い腕力だ。


――こりゃ、まずい。


 即座に、作戦変更の必要を噛みしめるしかなかった。

 こいつらに、石の要塞への籠城は効果がない可能性が高い。

 一匹の腕力だけで石壁を破れないとしても、数を頼んで攻撃してきたり、鉄の棒や別の岩を持ち出してしつこく破壊を試みられたら、崩壊は時間の問題と思われる。

 餌になる人間の匂いを嗅ぎつけて、中にそいつがいると確信したら、飽きずに破壊を試みるのではないか。そうなったらもう、こちらに逃げるすべはない。確かこういうの、『雪隠せっちん詰め』と言うんじゃなかったか。


――しかし、だとすると――。


 あのお年寄りたちを守るすべが、これではなくなってしまうことになる。

 こいつらの足の速さから、年寄りが逃れきることは無理筋だ。

 おそらく嗅覚が発達していると思われる相手を、隠れてやり過ごせるという希望も持てない。

 そもそももう自分自身、これから踵を返して走り出したとしても、村に戻るのがやっと。それ以上はたぶん、追いつかれるまで時間の問題でしかない。『長距離走で県大会に出場できるレベル』でも、あれと差を広げられるとは思えない。しかもこちらは足が完治していないわけだし。

 すでに、群れの先頭は草原の中央付近に達しようとしている。

 このままではこの魔物たち、津波のような勢いで村を蹂躙し、今日中にも町まで雪崩れ込んでいく未来しか見えない。

 考える暇も、もうない。

 慌ただしく、岩の丘を滑るように下りる。

 地面に達するや、傍にあったものを『収納』する。

 そうして。

 惑う暇も何も、あったものではない。そのまま草原の中へ、悪鬼のような軍勢へ向けて、駆け入っていた。


――何で、こうなった?


 この新しい世界に生まれ変わって、まだほんの数日だ。

 だというのに、これまでの数回に比べてもはるかに分の悪い、絶体絶命の危機に襲われている。


――くそ。


 これも、あのクソヤロ神様の采配か?

 声に出す余裕もなく、心中呪詛を吐き。

 駆ける。駆ける。

 もう、思い直すことはできようもない。

 先頭の魔物は、こちらの存在に気づいたようだ。

 餌を見つけたとばかり明らかに目の色が変わり、運び足が速くなる。

 群れの半ばも、草原の中央付近に達したか。

 こちらとの距離も、最初の百メートルあまりが見る見る縮まり。約五十メートル、三十メートル、二十メートル――。

 怯え竦みそうな足を励まし、さらに肉薄。


 ぐわあああーー。


 先頭の数匹が雄叫びを上げ、棒を持つ奴はそれを振りかぶる。

 毛むくじゃらの顔、大きく開いた口に、上向きの大きな牙が覗く。

 涎らしき液体が、醜怪に糸を引く。

 ぐわあ、ともう一度、数えきれない咆哮がのしかかる。


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