15 イノシシを捕ってみた

 もう話し合いで意見は一致していることらしく、ゲルトとヨルクも真顔で頷く。

 もしもの際、馬で逃げる算段に招かれざる臨時客は当然含まれていないだろうから、こちらは自分で身を守る予定を立てておかなければならない。

 それにしてもと思い、ヨルクに訊ねる。


「魔物の真偽は不明にしても、この村にしても町にしても、凶暴な獣への対策はされていないんですか。イノシシとかクマとか、森から出てくることはあるんでしょう?」

「その辺は、滅多にないからな。たぶん森の中で餌に困っていないんだろうから、奴らは滅多にここまで降りてこねえ」

「そうなんですか」

「それでもまったくないこっちゃないし、安心していらんねえかもしれんぞ」ベサルが腕組みして唸る。「何だかこのところ、森の中に落ち着きがない気がする。ノウサギやノネズミも、今までになく忙しく走り回っている。そんなのも、魔物が近づいてきているしるしかもしんねえからな。用心しておかなくちゃなんねえ」

「村の周りを石壁で囲むとかしたら、少しは安心できるかもしんねえけどな」ゲルトが首を捻った。「裏の岩山から材料を切り出してくるだけでも一苦労っちゅうか、事実上ここの人手だけじゃ無理だ。町の方でもそんな話は持ち上がっていて、壁作る工事が始まったというこったがな。ああそうだ兄ちゃん、今なら町でそんな仕事にありつけるかもしんねえぞ」

「ああ、力仕事の需要はあるわけですね。足が治って僕にもできる仕事なら、当面の資金稼ぎになるかもしれませんね」

「そういうこったな」


「用心しなければ」と言いながらも、男たちの口ぶりにはまだ暢気なものが混じっている感覚だ。少なくとも魔物についてはやはり、実際に見たことがないため実感が伴わないのだろう。

 そのままみんな、午後の昼寝に戻っていく。

 最初は親たちの話しぶりに怯えた様子だった娘二人もすぐに陽気に戻って、遊びを再開する。

 ひとしり草の茎を絡めて引っ張り合う遊戯につき合っていると、そのうち二人とも疲れて親の脇で寝入っていた。


 休憩を終えて男たちが農作業に戻ったところで、ユリアを連れて家に戻った。

 家ではお婆ちゃんが竈で、なかなか凄い臭気の煮物を掻き混ぜていた。昨夜採れたノウサギの、傷みやすい内臓の煮込みをまず作っているのだそうだ。

 ヨルクも戻ってきて、まだ陽が沈みきらないうちに夕食にする。この日は、家族に交じって食卓に着かせてもらった。

 献立は、固い黒麦パンと、ノウサギの内臓と野菜の煮込みだけだ。

 煮込みは塩味だけで、かなり内臓の独特の匂いが残っている。前世でモツ煮はそこそこ好物だったので抵抗なく口に入れられるが、相当の野趣が鼻を突く感じだ。


「だいぶん癖のあるもんだけど、あんたは食べられるかね」

「ええ、大丈夫です。身体にいいはずですよね、これ」

「血が足りないときにもいいって言うさね。あんた、川の中でずいぶん血を出してたから、いっぱい食べるといいさ」

「はい、ありがとうございます」


 さすがに子どもの味覚には厳しいようで、ユリアは幼い顔をしかめて匙を口に運んでいる。それでも娘の皿には、ふつうのノウサギ肉を半分程度増量してあるのだそうだ。

 ヨルクも苦笑顔でそんな娘の様子を見ている。


「内臓をもっと旨く食う料理法もあると、聞いたこともあるがな。町の食堂でちょっと試したのも、これとそう変わんなかったさ」

「身体にいいのはまちがいないんだからねえ。ユリア、頑張って食べるんだよお」

「うん、がんばる」


 現代日本のような食に贅沢を言っていられる生活でないのは子どもにも十分に身に染みているようで、我儘も出てこないらしい。

 今日内臓を消費したら明日からはふつうの肉料理になるから、と祖母に慰められて、ユリアは気を奮っているようだ。


 次の朝目覚めると、右足首の状態はかなりよくなっている感覚だった。

 左肩の傷も前日で塞がったようなので、あとは自然治癒に任せて薬草も貼っていない。

 前世の常識からすると回復が早すぎる気もするが、こちらの人間の体質か、もしかすると管理者神様の与えてくれた温情かもしれない。

 もうヨルクにもらった杖がなくても歩くことはできそうだが、一応念のため補助に使って部屋を出る。

 朝食の後は、皿洗いなどお婆ちゃんの手伝いをし、前日と同様に昼過ぎまで子どもたちの遊びにつき合った。

 午後の休憩をしている父親の元に娘たちを届け、ヨルクに断りを入れた。


「この後ちょっと、足慣らしついでに森へ行ってみたいと思います」

「おう、それは構わんが。昨日言ったように、獣たちの動きが怪しくなっている。気をつけろよ」

「はい、無理はしませんので」


 ばいばい、とユリアに手を振って、形ばかり杖をつきながら歩き出す。

 村人たちが山菜採りや狩りに行く森への径路は、あらかじめ訊いてあった。川へ行き当たって五百メートルばかり上流へ進むと、丸太を二本並べた橋が架けられている。それを渡ると、すぐ森の入口だ。

 橋の手前も対岸も、大きな岩がごろごろと転がる河原だ。

 こちら岸をもう少し上がった丘陵地に、前日ゲルトが言っていた岩を切り出せそうな小山があるらしい。

 この日はそのまま、橋を渡る。やや危なっかしいものの、覚束ない足でも渡りきることができた。


 森に入ると、数日前の要領を思い出して『鑑定』の目を巡らせる。危険な動物と、今回は薬草『ハルクの葉』があったら光で報せてくれるようにという指示だ。

 今のところ、動物は見えない。

 少し進むと、光が薬草を教えてくれた。

 話の通り、一株だけ他の雑草に紛れているという、なかなか見つけにくそうな生え方だ。

 掌より大きい葉だけを採取するのだというお婆ちゃんの教えに従って、条件に合う一枚のみちぎり取る。

 お婆ちゃんに借りてきた布袋に収納。

 しばらく草むらを歩き回り、また見つけることができた。

 結局一時間ほどの探索の末、十枚の薬草を収穫した。ヨルクとゲルトの家への補填として、十分だろう。他の家へのお裾分けもできるかもしれない。

 その間、木陰の向こうにノウサギが数度行き交うのが見えた。また一度、遠くにヤマイノシシの個体が垣間見えた。

 これが正常なのかどうかは、分からない。もしかすると昨日からの話のように、森の獣の動きが怪しくなっている状態なのかもしれない。

 少なくともまだ即座に危険を覚えるようではないし、今日考えてきた計画に無理はないという気がする。


 河原に戻り、少し考えて。

 橋を渡り戻っても、大丈夫だろうと判断する。

 村側へ戻り、河原に転がった大岩をいくつか見比べる。

 比較的上流側に草地と砂地が開けた位置の一個を見定め、周囲を確認する。

 一・五メートルくらいの高さがある岩だ。少し助走をつけて支障のない左足で踏み切ると、手を使いながら天辺によじ登ることができた。何とか怪しまれない程度に話を作ることができそうだ。

 確認して、下に降り。

 草と砂が半々の地面に、『収納』していたヤマイノシシを取り出す。数日前の収獲物だが、まだ死んだばかりの状態で温かい。

 額には岩に衝突の痕、側頭に石を打ちつけた傷、首に石ナイフによる切り口。まだ血が流れ出している。

 最初期に岩を割って作った石庖丁を取り出し、その血をつけて地面に放り出す。周囲から手でようやく持てる大きさの石を拾い、側頭に打ちつける。

 これで何とか、不自然はないだろう。


 村の男たちが働く畑まで、五百メートルほど。杖を使いながら息切らせて駆けた。

 その姿が見えたところで足を止め、膝に手をつき息を整える。

 それから背を伸ばし、大きく両手を振った。


「済みませーーん、ヨルクさーーん」

「お、どうしたあ?」

「ちょっと、来てもらえませんかあ?」


 どうした、どうした、とヨルクだけでなく他の男三人、娘二人も次々駆け寄ってきた。

 いちばんに寄ってきたヨルクに、説明する。


「そこの河原で、イノシシに襲われたんです」

「イノシシ? 大丈夫だったんか?」

「ええ。慌てて岩によじ登ったら、そいつそのまま岩に衝突してのびてしまったんで、頭に石ぶつけて、ナイフみたいな石で首を斬って――」

「トドメを刺せたってことか?」

「うまくいったか分かりませんが、とりあえず動かなくなりました」

「そりゃ凄い」

「行ってみるさ」


 話を聞いたゲルトとマレイが駆け出した。わあ、と歓声を上げて娘二人がそれに続く。

 ヨルクとベサルはこちらの足に合わせてくれた。


「こりゃ凄い、大きなヤマイノシシさね」

「よく仕留められたもんだなあ」


 ゲルトとマレイが感心の声を上げ、娘たちは「凄い凄い」と踊り回っている。

 近づくと、ゲルトが満面の笑みを向けてきた。


「兄ちゃん、こりゃ年に一度あるかどうかっていう大物だ。肉も毛皮も、町で高く売れるぞ」

「そうですか、幸運でした。村でこういうの狩ることができたら、どうするんですか。町へ売りに行く?」

「まあたいていは、村のみんなで分けて食っちまうな。毛皮は自分家じぶんちで使うか売るか、そのとき次第だ」

「じゃあこれ、村の皆さんで分けてもらえますか。毛皮はヨルクさんにもらっていただければ」

「おい、いいのかい。兄ちゃんの獲物だぞ」

「どうせ僕じゃ、解体も革の鞣しもできないですし、町に運ぶのも自信ないです。何より、お世話になってるお礼になれば嬉しいです」

「おう、じゃあ遠慮なくいただこうぜ、なあヨルク」

「ああ。ハック、ありがとうな」

「いえ、こんなのでは助けていただいたお礼にもなりませんけど」

「いや、十分すぎると思うぞ。村にとっちゃ大助かりだ」

「それなら、よかったです」


 男四人で協力して後ろ脚を持ち上げ、血抜きをする。

 その後、ゲルトが家へ走り、木の台車を引いて戻ってきた。

 イノシシは五百キロくらいの重さがありそうだが、何とかそれで運搬できるらしい。


「今夜はみんなで、イノシシ祭りだ」

「久しぶりさね。いつもの、ベサルの家の前でいいか?」

「おう、ユリアとカミラは、女衆を呼んできてくれ」

「はあい」


 まずは川べりに運んで解体を始めていると、女性や年寄りたちも集まってきて、総出の作業になった。

 皮をはいで、身体に矢の傷などがないから価値の高い毛皮になるぞ、と興奮の声が飛び交う。

 食用にならない一部の内臓を除いてほとんど捨てるところがないと、手早く解体結果がまとめられていった。

 本来なら肉は何日か熟成させた方がいいのだそうだが、今夜はこの勢いで、みんなで後ろ脚を焼いて食おう、という話になっている。


 村でいちばん大きなベサルの家の前の空き地に火が焚かれ、肉を焼く準備が進められた。一緒に焼くためのズッキーニのような野菜や、スープや酒やらがそれぞれの家から持ち寄られる。

 ただ、酒といっても豊富にあるわけではない。麦を発酵させて自家醸造したものがいざというときのために保存されているという程度で、男たちにコップ一杯ずつようやく行き渡るくらいの量らしい。

 本日の立役者ということで一杯勧められたが、「未成年なので」と断った。

 実際この世界で十七歳が未成年扱いなのかも知らないし、「酒は成人してから」などという決まりもなさそうだ。それでも、記憶喪失で実年齢は不明ということになっているし、やはり見た目も成年に見えないらしく、簡単に納得された。

 そもそも前世でも飲酒の経験はないので、興味惹かれることもない。


 後ろ脚一本分だけとはいえ十分に巨大な肉が、丸ごと火にかけられる。表面が焼けてくるとそこから刃物で削りとり、さらに裏面から火を通す。

 軽く塩を振っただけの味付けだが、脂が乗った肉は素晴らしい味わいだった。

 子どもたちだけでなく、大人の口からも一斉に歓声が立ち上がる。


「こりゃ最高だ」

「ここ数年の獲物の中でも、飛び切りかもしんねえ」

「凄いね、おいしいね、お兄ちゃん」


 ユリアとカミラが脇に寄ってきて、見事な笑顔を咲かせていた。

 カミラが「母さんの自慢のスープだよ」と勧めてくれ、ありがたくいただく。野菜の溶け込む薄味が、肉の脂でいっぱいの口を和ませてくれるようだ。

 男たちが歌い出し、女子どもが踊り出す。賑やかに楽しい宴は、日が暮れていつもは眠りにつく頃合いを過ぎるまで続いた。

 疑いなく、この世に生を受けて最も充実した一夜だった。


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