17 大仕事をしてみた

 次の瞬間。


 大きな地響きとともに、折り重なる雄叫びがぶち切れ。

 十メートルを切った眼前、魔物の群れが消え去った。

 正確には、奴らがいたはずの地面の上に、別のものが出現していた。

 高さ約十メートル、下部の幅約百メートルあまりの、岩の丘。

 当然、さっきまで登っていたそれを、地面に降りるなり『収納』して運んできたものだ。

『収納』できたからにはまちがいなく十メートル程度先、高さ数メートルの空中に『取り出し』できるはずと確信していたものの、一歩目途が違ったらそれまでの命だったわけで。


――狙い通りうまくいって、よかった……。


 腹の底から、安堵の息をついてしまう。

 見回す限り、生き残った魔物はいない。

 まあ、推定数十万トンを超えるだろう岩の固まりをすぐ頭上から落とされて、マンガの大魔王でもない限り生き延びることはできないだろう。

 両横にも、岩山からはみ出した個体は見られない。

 一応そっと、丘の縁を回って裏側を覗く。と、向こうの林に一散に駆け込む二匹の後ろ姿が見えた。

 最後尾には、幸運に難を逃れた奴がいたらしい。

 しかし思いもかけない一瞬の出来事に、訳分からず逃げ帰っていったということだろう。


――とりあえずは一安心、か。


 もう一度周囲を見回し、はああ、とようやく腰が抜けたような感覚で草の上に座り込んでしまった。

 生き延びた個体も東方面に逃げ戻ったということなら、しばらくは西への侵攻はないと思われる。

 町に向けて避難した村人たちの報告を受けて、おそらくは兵士などの調査部隊がこちらに向かうだろう。報告が確かに上に伝わったとしたら、そのまま町が全滅にされることを座して待つ判断を下すはずもない。

 その調査部隊が調べて侵攻がないことが判断されれば、それで村の年寄りたちも救助されるはずだ。こちらはもう、そのままにしておいていいだろう。

 問題は。

 この移動した岩山と、下敷きになっている魔物の死体を、どうすべきかだ。

 このまま放置していたら、岩山の位置が変わってしまった、原因不明の地殻変動、と大騒ぎになってしまう。

 それよりも切実な問題として、魔物たちの死体が一つも見つからなければ、町や村の人々にとってその侵攻が終了したという安心が得られない。最悪、被害に遭ったという村人たちが嘘の情報で大騒ぎを起こしたと疑われても仕方ないことになる。


――嫌でも、後始末をするしかないよなあ。


 遙か見上げる大きな岩山に、思わず深い溜息をついてしまう。

 いや、この岩には感謝しかないのだけど。

 こんな荒技が成立できてしまったことに、不本意ながらかの神様にも感謝しなければならないのかもしれない。

 そもそもこんな行為を咄嗟に思いついて実行してしまったこと自体、自分でも信じられないくらいなのだ。

 前からのくり返しになるが、生前かなりのその手の小説ノベルを読んでいた中で、こんな突拍子もない『収納』の利用法、お目にかかった記憶がない。まあ例によって、数多の作品の中の何処かにはあるのかもしれないけど。

 容量無限大の『収納』、家一軒でも収納できる、という設定が至るところで成立しているのだから、冷静に考えれば、山一つを収納して相手の頭上に落とすという行為、試してみるだけなら何処にでもあっていいとは思うわけだが。

 思い返してみれば、こんな思いつきの源泉はもしかすると、かの偉大なる奇書「西遊記」だったかもしれない。山一つを相手の上から落として動きを封じるなどという行為、子どもの頃に読んで憧れた記憶があるような、ないような。まあとにかく、咄嗟に思いつく程度に記憶に残っていたとして、何の不思議もない。あれだけ有名な前例がありながら、数多の小説ノベルの主人公が思いつかないことの方が不自然に思えるほどだ。

 これももしかすると、実際にできるかどうかの分かれ目は『切り取り収納』の有無かもしれない。こちらでの実現がそうした特殊事情によるのだとしたら、やはりかの神様様に感謝しなければならないのか。

 しかしこれもとにかく、こちらでは「できる」こととして認識しておく、それだけのことだろう。


――うーーむ……。


 そんなさほど緊急でもない思索をだらだらと続けてしまったのは、この先に逃れようのない、しかしどうにも気の進まない作業から目を背けたいという、現実逃避の思いだった。

 岩山を元に戻す。

 魔物の実在を目につくように曝す。

 そのためには、どう考えても正視に耐えない状態だろう数多のぺしゃんこ死体との対面は、避けられようもないのだ。

 できればこのまま、爽快さを取り戻した夏の朝方の風に身を任せて、草原に寝そべっていたいところなのだが。


――先延ばしにする、わけにはいかないよなあ。


 おそらく今日中には、町からの調査隊が到着する可能性が高い。

 その人たちに、この移動した岩山だけを目撃させるわけにはいかないだろう。

 一度大きく息をつき、両足に力を戻して立ち上がる。

 さらに数度深呼吸、目の前に展開されるだろう惨状への覚悟を固める。

 下腹に力を込めて、『収納』指示。

 もうかなり慣れたとはいえ、やはり感嘆の思いを抑えきれない。すぐ目の先の大きな岩山が、一瞬で消え失せた。


 わずかに間をおいて、むわあ、と生臭い臭気が一面に広がってきた。

 できれば直視したくない、言葉で表現する気も起きない、ほとんど原形を留めない夥しい数の肉塊が折り重なって出現した。

 魔物の血も赤いんだなあ、と、何処か遠いところで考える。

 やはりこれも、このままにしておくわけにはいかないと思う。

 何よりも大前提として、これを自分がやりました、と触れ回る気は一切ない。

 前にも考えたように、化物扱いで拘束されるのがせいぜいだろうし、それでなくとも今後の生活の平安を考えて、目立つような生き方はしたくない。

 しかしそうすると、推定百匹超の魔物をまとめて押し潰した超常現象など、ただ結果を観察しても人の理解に余るしかないだろう。

 これで魔物の実在は確認できたにしても、それを全滅させた原因は想像しようもない。

 凶暴な魔物を蹂躙するさらに強力な存在がいた、と解釈されるか。

 人間の危機を救う神の力がここに働いた、と都合よく受け止められるか。

 どちらにしても、村や町の人々の今後にとって、ろくなことにならないだろう。

 前者だとしたら、人々はさらに得体の知れない恐怖に怯え続けなければならなくなる。

 後者だとしたら、完全に消え去ったわけではない魔物の襲来の懸念に、「また神様が助けてくれる」という楽観が生まれてきかねない。

 と考えると、これらの死体をこのままにしておくわけにはいかない。

 しかしこれらをすべて消し去ってしまうのは、村人たちの避難が「狼少年」扱いになって、魔物への警戒が宙に浮いてしまいかねないことを考えると、選択しかねる。


――いったい、どうしたらいいのか。


 このまま放置も、完全証拠隠滅も、どうにも望ましくない。

 しかし仕出かしてしまったことを今さらなかったことにもできないわけで、どうにかするしかない。

 何とも、判断がつかない。

 と、すると――結局の落とし所は、もしかすると日本人の悪癖なのかもしれないが、どっちつかず、曖昧、中庸に、という辺りにしか見出しようがなかった。

 見たくもないが、折り重なる肉塊を見渡し。

 ある程度損壊の少ないものだけを残して、推定半分強程度、『収納』で消し去る。血液体液の類いもかなり消して、陰惨な印象は何とか半減程度にすることができた。

 残った死体の上や周囲に、奴らが何とか持ち上げられるかという見当の大きさの岩をちりばめる。

 まあつまりはこれで、この魔物たちの同士討ちで全滅に至った、と解釈できないでもない見た目を作れるかと思うのだ。

 地面が陥没したりほとんど地形が変わった有様なわけだが、その辺は以前と比べるなどできるやらどうやら、まあとにかく勝手に解釈してもらう他ない。

 さっき考察した「さらに強力な存在」や「神の力」の可能性を消し去れるものでないにしても、とりあえず死骸全部をそのままにしておくよりはそれらへの畏怖も抑えられるだろう。

 加えて言えば、実際襲撃を受けた村人の証言よりここの死体が少ないと解釈されるなら、まだ魔物襲来の危険は消えていないと警戒を続けさせることもできるのではないか。実状、数匹は逃げ延びているのだから、完全に危険が去ったとは言い切れないのだ。

 とにかく何にせよ、これ以上何とかする手立てが思いつかない。


――この辺で、勘弁してもらうしかないよな。


 誰にともなく言い訳して、ここでの作業を切り上げることにする。

 しかし、これですべて終了、というわけではない。

 気の進まない足どりながら、数百メートル元に戻る。

 ぽっかり開いた広い空き地は、さっきあの岩山を『収納』で消し去った跡だ。

 見渡し。

 つくづくも、とんでもないことができてしまったものだと、改めて感嘆してしまう。

 いや、山中を歩いていた間にも、こんなことができるのではないか程度には考えていたのだけれど。まず絶対、試してみるだけでもやってはいけない、と自らを戒めていたのだ。

 何がって――つまり、自然破壊のレベル、半端ないことになってしまうしかない予想が立つから、だ。


 丘や山を一つ丸ごと、『収納』してしまう。

 その『収納』したもの自体は元の位置にまた取り出すことが可能なのだから、その意味では破壊を食い止められることになる。

 しかし問題は、『収納』は非生物しかできない、という点だ。

 山一つを『収納』した瞬間、そこに生えていた木や草、上に棲息していた動物や虫の類い、すべてがそのまま残され、跡地に墜落してしまうことになる。

 それだけでもうほとんど、生存を続けることはできないだろう。さらにその跡地に山を『取り出し』戻したら、すべてがその下に潰され、残るのは生物が完全に消え失せた禿山だけ、ということになる。

 地球の自然保護団体の皆さんが、泡吹いて卒倒してしまいそうな惨状だ。

 そこまで予想が立ってしまうので、実験だけでもご遠慮していた次第だ。


 それを、今回はやってしまった。

 背に腹をかえられない事情があった、という言い訳はある。

 あとわずかな慰めは、この丘の地肌がほとんど岩ばかりで木は一本も生えていなかった、ということだろう。小動物などもほぼ乗っていなかったはずだ。『収納』の後で墜落したのは、わずかな草や虫類がいたか、という程度だったと思われる。

 こうして見渡しても、跡地に少し緑が転がっているかという眺望だ。虫は、調べる気も起きない。

 これ以上思い悩んでも意味がないので、ここへ岩山を元通り鎮座させることにする。

 その前に、一度『収納』した魔物の死体を、この跡地に並べておくことにした。

『収納』の中身は直接見えないし中のものは互いに干渉しないことが分かっているとはいえ、やはりこいつらをこのまま持ち運ぶのは気分がよくない。

 小説ノベルなどの例では、魔物が魔石などというものを所有していたり、肉が食用になるので高く売れたり、ということがあるようだが、確かめてみる気も起きない。

 少なくともこれまではっきりした魔物の目撃情報が限られているという現状では、たとえ魔石があったとしてもその利用法も売買実績も望みようがないだろうと思われる。

 これだけの魔物を成敗しましたよ、と名乗り出るための証拠とするつもりなら別だが、くり返すがそんな気は全くない。

 とにかくも気分的に、すべて地の中に埋葬させていただくというのが最良と判断されるのだ。


 直視したくもない大量の肉塊を、地面に並べ。その上に、岩山を再出現させる。

 めでたく、こちらは元通り、一切何事もなかったかのような外見に落ち着いた。

 少し離れた草原の中央付近には、それでもまだ数十匹単位の魔物の死体が転がっているわけだが。もうそちらには目を向けないことにして。

 ここでやるべきことは、終えた。もう長居は無用、と立ち去ることにする。


――疲れた……。


 まだ午前中早い頃合いだが、数日分の労働を済ませたような疲労感だった。

 肉体的にはそれほどでもないにせよ、主に精神的な疲労の面で。

 これは山中でもかなり気をつけて確認してきたところだが、『収納』『鑑定』能力を使うに当たって、体力の消耗はほぼないと結論づけていいようだ。あるかどうか分からない魔力のようなものの消費も、おそらくないと思われる。

 現実問題、今さっきのようにこれまでで最大規模の岩山や何十匹の魔物の死体を出し入れしても、まだまだ平気で『収納』は使えそうだ。

 つまりこの時間の体力消費は、ここまでの徒歩移動と岩の丘への上り下り、魔物へ向かって駆けたこと、せいぜいそれくらいの要因によるものだろう。

 山中移動でも実感したことだが、この身体、やはり前世のものより体力向上しているようで、一日中歩いてもまだへばるということはない。今日この後も、肉体的には徒歩を続けて問題なさそうな感覚だ。

 だとしたらかねてからの予定通り、町を目指して移動を開始しようと思う。

 村の年寄りたちは、もう大丈夫だろう。さっきの様子なら、実際に魔物たちの姿を見る前に自害を選ぶということはなさそうだ。

 自分の中の満足的には、村人たちへの恩返しはかなり実現できたと思う。この後は、改めて町を目標としようと考える。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る