125 見回してみた
門へ向けて、足を急がせる。
レオナの『風通話』はこちらの位置が変わると続かないようで、切れぎれの声さえ消えていた。
やはり天気は好転せず、西の山上まで黒ずんだ雲が寒々と続いている。幸いにと言うか、風はほとんどなくさほど寒さを感じないようだ。
門番に挨拶して外に出る。隣国へ続くという細めの街道に差しかかった付近で見回していると、木立の陰から鮮やかな赤ワイン色のマントが姿を現した。
「あ、ああーーよかった、ハックパイセン」
「どういうことなんだ、SOSってのは」
急いで山中を抜けてきたらしく、剥き出しの両膝に手を置いて息を弾ませている。
そんな疲労の様子に構わず、説明を促した。
「はあ……ああ、山の中で、大量の魔物に出遭ったっす」
「魔物――今まで見たことのないやつか?」
「トーシャパイセンの話じゃ、前回のトカゲのやつをすばしこくした感じ、と言えばハックパイセンに通じるだろうって」
「すばしこく、か」
「身長二メートル半ぐらいで、二足で走り回っているっす。そんなのが数十匹、もしかすると百匹ぐらいになるかも」
「ふうん」
前回のトカゲモドキは、ともかくも動きが遅かったので対処できたことになる。
例えばあれに馬のような速度で疾走されたら、いくら神様補正が効いていても胃の中に溶岩球を命中させるどころか体表に当てるだけでも難しくなりそうだ。さらにそれが数十匹まとめて向かってくるようなら、とても相手しきれないだろう。
進んでお目にかかりたい対象とは到底思えないが、トーシャが協力を求めているということなら無下に断るのも気が引ける。
「とにかく案内してくれ。僕は十五メートル離れて続く」
「それもう、勘弁してほしいしい」
「ぐずぐずするな」
「はーーい」
後ろに向き直って、がさがさと藪の中を速歩で進み出す。
膝から臑にかけて生足で、傷ついたりしないのだろうかと疑問だが、まあ好きにさせておく。
「そいつら、今どんな状態なんだ? こっちに向かっているのか」
「まだそこまでじゃないっす。広い窪地みたいなとこに群がって、ただ走り回ってる感じ?」
「前回のトカゲと同じってことは、剣が通じないってことか。確かめてみたのか?」
「たまたま一匹、窪地から出てきてたのがいてえ、攻撃してみたっす。うちのウインドエッジでもトーシャパイセンの剣でも、ほとんど傷もつけれなかったんで」
「そうか」
「結局ウインドエッジやアースランサーで動きを止めておいて、トーシャパイセンが最後の手段、秘密の技ってんで倒したっす。くわしく教えてくれないっすけど、
やはり溶岩球でも難しい、というトーシャの判断らしい。
「一匹ずつこっそり倒していくなら何とかなるかもだけどお、あの数じゃキリがないし、怪しい気配感じたら群れ全部で一斉にこっちへ走り出してくるかもって。そうなったら抑える暇もなく街に向かっていっちゃうかもだからあ」
「そうなったら収拾がつかないな。領都がパニックに陥っても不思議じゃない」
「でしょでしょ。だから、トーシャパイセンも困ってしまってるっす。それで、ハックパイセンの知恵を借りたいってえ」
「そういうことで、レオナが伝言に来たわけか」
「そうっす。で、ハックパイセン、何か知恵があるっすかあ?」
「実際に見てみなきゃ、何とも言えないな」
「そりゃそうっしょうけどお」
「その現場まで、あとどれくらいだ」
「こんな速歩で、二十分ぐらいっす」
「よし、急げ」
「うち、もう息切れしてきてるっすけどお」
「前世より体力つけてもらってるんじゃないのか」
「それは、そう言ってたっす」
「なら大丈夫だ、急げ」
「か弱い乙女に、酷いっす」
そんな言い返しをしながらも、ショッキングピンクのミニスカートの下で軽快に足を運んでいる。ローブの前を閉じて手で押さえているのは、そうしていると木枝などに傷つけられることがないせいらしい。
登り坂がやや緩んだところで、レオナは右手の藪の中を覗いた。
「ああ、まだ残ってるう」
「何だ」
「少し前にそこで、オオカミの魔物を五匹倒したっす。けっこうでかかったけど、そいつらなら魔法も剣も効いたからあ」
「そうなのか」
「ウォーターアローやファイアボールで足止めをして、ウインドエッジとアースランサーで一丁上がりだったからあ。トーシャパイセンも一瞬で首を撥ねてたしい」
「そうなんだ」
首を伸ばして覗くと、確かにまだまばらな草の上、焦茶色の毛皮が血に染まり折り重なっていた。
以前プラッツの町に近づいていたのと同じ種類のものらしい。
「五匹なら、群れにしては少ないのかな」
「そうそう。トーシャパイセンも、群れからはぐれた奴らなんじゃないかって言ってたしい。
「なるほど。オオカミ魔物の群れは、見つからなかった?」
「もっと南へ行ってしまったみたいっす。冬の間山に隠れていたのが、雪が溶けて移動を始めたんじゃないかって」
「まあ、考えられるか」
木立を抜けると確かにところどころ、彼らの靴跡に重なって大きめの獣の足形がいくつも地面に印されていた。
このまま進むと山を越え、南の隣領に出る方向のようだ。
その途中に、新たな魔物の住処があると言うが。
「そこの高いとこ、越えたところっす」
「そうか」
岩の丘のようなところを越え、少し下るとまた木立、小さな林の様相になっている。
林の向こうから、妙な音声が聞こえてきているようだ。
その木に身を寄せ、正面方向から隠れるように立つ二人の男の姿があった。
足音を聞きつけ、金髪の剣士が振り向いた。
「おお、来てくれたか、ハック」
「トカゲの魔物だって?」
「ああ、あれだ」
寄っていくと、木立の向こうの眺望が開けた。
聞いた通り、百メートルほど緩く下った先が窪地になっているようだが。そんな地形を視認する前に、胸糞が悪くなる。
そこそこ大きな岩がごろごろした低地を埋めつくして、明らかな見た目爬虫類のものがかなりの勢いで駆け回っているのだ。
よく互いにぶつからないものだと感心するほど器用にすり抜け合いながら、目まぐるしく場所を入れ替え、二足で高速に動き続けている。
Tレックスだったか、そんな肉食恐竜を連想させる大きな頭部の口を半開きにし、赤い舌をしきりと伸縮させている。
意外と甲高いクエークエーという声が、耳をふさぎたくなる音量で行き交う。
すぐには視認で数えきれないが、確かに百匹を超えていて不思議はない群れだ。
「遠くて縮尺が曖昧だが、身長二メートル超えだって?」
「ああ、さっき一匹出てきたのに対敵したところじゃ、俺でも見上げる高さだった」
「まちがいないところで、肉食なんだろうな」
「ああ。数匹があの舌でイノシシを捕まえて、食らっているのが見えた。やはりあの舌、三メートル程度先まで届くようだ」
「今までの魔物の例なら、時を待たず人肉を求めて街に向かい出す可能性大、か。マックロートに向かうか、南に下るか?」
「そんなところだろうな。様子を見たところじゃ、冬眠というのか分からないがとにかく冬場大人しくしていたのが目覚めて、活動を活発にし始めているって感じだ」
「ゆっくり考えている暇はないか。表皮の頑丈さとかは、前回のトカゲモドキと同様と思っていいんだな?」
「俺の剣で傷つけられなかった。首の辺とかに弱点があるかは見つけられていない。一匹倒した死骸は、向こうに臭いを嗅ぎつけられても面倒なんで、すぐ『収納』したからな。上から大岩を落としたり火を点けてやったりしても平気なのかどうかは、まだ確かめていない。あの群れに下手にちょっかいを出して刺激したら、すぐに全軍街に向けて突進を始めることにもなりかねない」
「適切な判断だな」
「さっきの一匹はお前にもらった最後の手段で倒したが、こいつらの魔法で動きを止めとかないと狙いが定まらないんで、何とかやっと命中できたという感じだった。到底、あの大群を一匹ずつ相手にしてられない。何十匹が一斉に立ち向かってきたら逃げるのがやっと、そのまま街に向かっていくのを見送るだけってことになりそうだ」
「そうか」
改めて、眼前の窪地の喧噪を見回す。
落ち着きなく大量の醜怪な魔物が動き回り、今にもこちらに向かって方向を揃えそうで、気が気でない。
見回し、見上げると、曇天。辺りはほぼ無風状態。
「つまりは、ほぼ一遍にこいつらを全滅させるしかないわけか」
「そういうことになる」
「上から大岩を落とすのでは、効き目があるか不明、と。もし効いたとしても、すでに到るところ岩が鎮座しているから、あんなのに邪魔されて仕留め損なうのが相当数出そうだ」
「だな」
「窪地だから、大量の水を流し込んで湖状態にすることも考えられるが。あいつらが泳げたとしたら、やるだけ無駄になる」
「ああ」
「大量の油を流し込んで火を点けるって方法もあるか。しかし前回のトカゲじゃあまり火は効かなかった。現実の事情として、こちらはそれだけの量の油を所蔵していない」
「俺もだ」
「出てくる発想が、いちいちハンパないす」
「ほんとにい」
ずっと黙っていた二人が、呆れ顔を見合わせていた。
それにはとりあわず、トーシャとだけ相談を続ける。
「最後の手段のやつであの窪地を満たすって方法なら、息の根を止められるかもしれないが。やった後の情景の想像がつかないな。およそ人に見せられるものになりそうない、衛兵に報告もできないということになりそうだ」
「だなあ」
「他に思いつかないなら、そんなのでもやってみるしかないが――」
「ん?」
いきなり、トーシャは周囲を見回した。
がさがさ、と草木をかき分ける音が聞こえてきたのだ。
「何だ?」
「キャア!」
横手から突然、大きな爬虫類の頭部が突き出してきた。
大慌てで全員、後ろに跳び
相手の舌が届くまで距離を詰められるわけに行かない。
林を挟んで窪地とは逆側の平地に出ることにした。
いつの間にか窪地にいるのと同じ種類の魔物が這い上がって、この林に接近してきたらしい。見直すと、二匹だ。ずっと監視していて気がつかなかったところからすると、脇の方から上がって回り込んできたのか。
やはり他の個体が移動を始めるのも時間の問題、ここで騒ぎを大きくするとますますそれを早めてしまいそうに思われる。
立木をかき倒しながら、二匹が横並びに近くなる。まだ林の中では動きが緩慢だが、平地に出たら疾走を始めるのだろう。
トーシャが若い二人に呼びかけた。
「二人、あいつらが走り出す前に動きを止めろ!」
「はい!」
「了解っす!」
同時に詠唱が始まっている。
バキバキと木を倒し、二匹が草地に足を踏み出した。
そこへ、
「
「
二匹それぞれの鼻先に、水と火が炸裂した。
傷をつけたようではないが、爬虫類の大きな顔面がやや仰け反る。
「クエー!」
「クエー!」
その隙に、トーシャとともに敵との距離を縮める。
大騒ぎになる前に、一撃で仕留める必要があるのだ。
対敵距離十メートル以内まで迫り、それぞれの腹の中に溶岩球をぶち込む。
「クエー!」
「キエーーーー!」
二足の大型トカゲはとりどりに痙攣、横倒しになってのたうち始めた。
とりわけ一匹の悲鳴が音調高く、大きく、尾を引いて空に響き上がった。
数分を待たず、ひくつきながら巨体の動きが消えていく。
一件落着、だが。
トーシャが顔を合わせてきた。
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