124 決断を聞いてみた

 当初希望を聞いた際、三人は服飾、ナジャは料理関係ということだったのだが、世の実情に鑑みて方針変更していたものだ。

 この国で、女の料理人としての仕事先はほぼない。店を開いたり貴族などの家に雇われたりする料理の専門職は、まず男の仕事とされている。そのため、現役料理人が見習いとして受け入れるのも男に限られる。料理屋などへの女の就職は、まず女給か、料理をするとしても手伝い程度しか考えられない。

 そうしたことをここにいる全員で納得して、ナジャも仲間たちと一緒に裁縫見習いを目指すことになったという経緯があった。

 それを思い返す様子で、ブルーノは問い返した。


「女が料理人をするというのは難しいってことだったろう。実際どうしていくつもりなんだ」

「何処かの料理屋で手伝いで働いて、お金を貯めて自分で店を開きたい。料理の仕事が無理なら、給仕でもいい。とにかく働いて、お金を貯める」

「ふうん、現実的にうまくいくものかなあ」

「ずっとハックに教えてもらって工夫してきたお料理、採用してくれるお店があればって思うの。特に最近作っているニクマンや総菜パンは、今までこんなの見たことないから絶対売れると思うんだよね。ハックの思いつきを盗むみたいで悪いけど」

「そこは構わないが――うーん、そうだなあ――」

「うまくいくと思うか、ハック?」

「確かに、ニクマンや総菜パンは売れそうな気がするな。チーズがもっと安く広く普及すればピザがいちばん売り物になりそうだが、これは当分難しい。それでも最近ナジャが考案しているそんな料理類や、新しく作ったソースなんかを手土産に売り込めば、好待遇で雇ってくれる料理屋はあるかもしれない。手近なところで、俺がミソを売り込んでいるレオナルトの店なんか、乗り気になりそうな気がする」

「そうか」


 うーんと唸り、ブルーノは腕組みで頬を膨らませている。

 ナジャはもちろん、隣に座るマリヤナも縋るような表情でリーダーの返事を待っていた。いろいろ環境が変わっても、仲間たちの重要事についてはやはりこの年長者の意見が最も尊重されているのだ。


「俺たちの原則は、将来的に個個人の希望を叶えていきたいってことだからな。ナジャが本気でそれを望むなら、応援してやりてえ。しかしここしばらく、あちこちの世話を受けて修行をしてきたわけだからな。志望を変えるなら、そちらに筋を通す必要が出るだろうぜ」

「分かってる」

「その辺はハックに骨を折ってもらったわけだが、どうなんだ? 問題が起きるってことはないのか」

「優先されるのは、今見習いをさせてもらっている店に断りを入れることか。断るとしたら今のタイミングがいちばん迷惑がかからないということで、ナジャも悩んで心を決めたわけだろう?」

「うん」

「確かに最初の約束で、三の月の末に正式雇用を決める、どちらからでも一応事情を説明すれば取り止めの申し出はできる、ということになっているからな」

「あのね」マリヤナが口を開いた。「あのハイデ工房、最初に縫い子を増やすのは三人って考えていたみたいなの。こっちが四人だったから仕方ないそれでもいいかって感じみたいなんだけど、三人になっても経営としては大丈夫なんだと思う」

「そうか」ブルーノが頷く。「じゃあ、ちゃんと筋を通して話せば、納得してもらえるかもしれないわけだ」

「マリヤナたち三人に迷惑かけたら申し訳ないから、そこはちゃんと話して謝っておきたい。ずっと見習い修行させてもらって、そこは本当にありがたかったし」

「そうか。まあ裁縫の技術は身につけておけば、まず将来的に役に立つだろうしな」

「うん」

「じゃあ、その辺に問題が起きないなら、俺も反対はないぜ」

「ありがとう」


 ナジャが頭を下げ、マリヤナも隣で動きを合わせている。

 うむと呟いて、それまで黙っていたサスキアが一同を見回した。


「明後日が今後の打ち合わせということになっていたな。断りを入れるなら、その前の方がいいだろう。明日わたしがナジャに同行して、店主と話してこよう」

「そうしてくれるか」

「そちらの話がついたら、俺はレオナルトの料理屋に見習いで雇ってもらえるか打診を入れることにしようか。ナジャはそういうことでいいのか?」

「うん、お願いします。みんなに迷惑をかけて、ごめんなさい」


 もう一度、ナジャは深々と頭を下げた。

 横で、マリヤナが今度は笑顔を咲かせている。


「やっぱり、三人とも頼りになるなあ」

「軽くまとめるなよ、お前」ブルーノは、幼馴染を睨みつけた。「簡単な話じゃないんだぞ。そっちの裁縫店が気持ちよく受け入れてくれるとも限らねえ。こじれるようなら、俺たち三人揃って頭を下げに行くしかないかもしれん。何とか落着したとしても、ナジャのこれからは楽な道のりにならねえだろう。料理の道ってよく分からねえが、裁縫とは比べものにならないほど、女がやっていくのはたいへんなんだろう? 自分で店を持つなんて夢みたいな話、うまくいく保障は何処にもねえぜ」

「分かってるよ。ナジャともさんざん話し合ったもの」

「やはり、マリヤナはかなりナジャの相談に乗ってやっていたのだな」

「当たり前だよ。いちばんの親友だもん」サスキアの確認に、笑顔で応じている。「でも大丈夫、うまくいくよ。ナジャの料理の腕はプラッツのデルツさんも感心していたんだし、こっちの工房でもしょっちゅうかまどの手伝いをして、お店の人たちに大好評なんだから。ハックの見つけた料理はみんな、ナジャがいちばんうまく作れるんだし、今すぐからでも商売になるんじゃない?」

「そんな簡単にいくかよ、アホ」


 一蹴して、ブルーノは顔をしかめた。

 この兄貴分からのそんな扱いに慣れているマリヤナは、てへ、と首を横に傾けた。


「とにかく、そんな方針で行くことにしよう。問題がないならみんなでナジャを応援する。いいな?」

「ああ」

「了解だ」

「ありがとう、みんな」


 最後にはナジャが鼻を啜り出して、自称親友に支えられる格好で二階に上がっていった。

 ふうう、と息を吐き、三人残された部屋でブルーノは前に足を伸ばしていた。


「やっぱり、こういうことになったか」

「だな」

「ある程度、予想はしていたがな」

「俺もだ」サスキアの言葉に、顔をしかめて頷き返している。「まあ心配半分、期待半分ってところか。ナジャ一人だけ自分の希望と違う方に進み出していたのが、気にかかってはいたからな」

「わたしもだ。最近だと家の中のことは最もしっかり支えてくれているのに、あの子だけ気に染まない――まあそうではなくともいちばんの希望ではない道を選ばざるを得なかったというのは、気の毒だからな」

「まったくだ。しかしこれであいつ、なかなかたいへんな将来を選んだということになるぜ」

「その意味では、申し訳ないことをしたかな。このところ俺が持ってきた食材や調理で、迷いが生じることになったとしたら」

「よく言うぜ。ハックお前、こうなることを見越して最近いろいろナジャに話を持っていったんじゃないのか」

「別に、予想までしていたわけじゃないが。まあとりあえず、その気があるなら可能性は広げてやりたいからな」

「可能性はあると思うのか、本当に?」

「当然、本人の努力次第だろうがな。やろうと思えば今すぐからでも資金を援助して、さっき言ったニクマンとかで店を開かせてやることもできなくはない。今までにない商品だからおそらく、そこそこの商売になると思う。しかしやはり、今のうちは修行して腕を磨いた上で自分で道を開くことができたら、それに越したことはないだろう」

「まあ、そうだな」


 改めて全員が揃ったところで、ナジャの決断を告げた。翌日はマリヤナとレナーテが出勤の番だが、一緒にサスキアがナジャに付き添って店主に話をしに行くことにする。

 そうして出かけたサスキアとナジャは、昼前に戻ってきた。

 店主母子と話をして、了解を得てきたという。


「裁縫の腕も上がってきたところなのでもったいない、と言われたがな。ナジャについてはしょっちゅう竈を手伝ってもらったことがあるので、確かにそちらに進むのもアリかと納得してくれた。頑固そうに見えていた婆さんが、ナジャならやっていけるかもね、とあっさり許してくれたのが意外だったな」

「気を悪くした様子はなかったわけか」

「うむ。裁縫についてはマリヤナに次ぐ腕前だということで惜しまれたがな。昨日マリヤナも言っていた通り、今後の店の経営では縫い子三人の雇用でやっていけるということだ。レナーテとビルギットも十分お眼鏡に適っているということのようだな」

「なるほど、それならよかった」


 報告するサスキアの横でナジャは、「みんなに手間をかけさせて、ごめんなさい」ともう一度頭を下げていた。

 その目が赤く充血しているのは、店で謝罪と礼を述べていて感極まった結果だという。

 すぐにその後、最後の内職仕事を済ますためにビルギットが作業している場に下がっていった。

 ふうう、と息をついているサスキアに「ご苦労様」と声をかける。


「さてそれで、こちらはどうするかな」

「うむ。ニールと森に行く話だがな、最近にしては外の気温が低く冷たい風も吹いているので、少し考えものだな」

「そうか」

「ニールも楽しみにしているのだが。午後から暖かくなるということはないかな」

「少し様子を見ることにするか」

「うむ」


 ナジャと入れ替わるように寄ってきたニールにそういう話をすると、いかにも残念そうに顔をしかめている。

 それからしばらく天気を気にしながらミソとショウユの樽をチェックしていると、ニールも手伝いにやってきた。

 いくつか指示をして、状況の記録をさせる。

 少し離れて監視しているサスキアとも声を交わしていると。

 いきなり、妙な音声が加わってきた。


『……パイ……パイ……』

「ん、何だ?」

「どうしたんだ」


 低く声を漏らすと、サスキアか訝しげな顔を向けてくる。

 戸口に寄って外を見回し、振り返って二人に断りを入れた。


「済まない、少し待っていてくれ」

「何なのだ」


 小走りで外に出て、前の小道に曲がる。

 その間も、妙な音声は切れぎれに続いていた。


『……パイ……パイセン……』

「何だ、レオナか?」

『そっす。ハックパイセン……SOSっす……』

「何だ、SOSって」

『トーシャ……パイセン……ピンチっす』

「何だ?」

『や……すぐ……命かかわる……わけ……じゃないすけど……』


 明らかにレオナの『風通話』らしいのだが。

 どうにも切れぎれで聞きとりにくいのは、先日の説明にあった有効距離をぎりぎり超えたところなのだろう。確か、鮮明に聞こえるのは一キロ以内目安ということだったか。


「よく聞こえない。君は今、何処だ?」

『山から……西門……向かってるっす……もうすぐ……』

「分かった。すぐ行くから、門の外で待ってろ」

『了解……っす』


 すぐ踵を返し、庭に戻る。

 家の中からサスキアとニールが覗いていたので、そちらに声をかけた。


「悪い。トーシャから呼び出しがあったので、出かけてくる」

「そうか」

「ニールごめん、森に行くのは明日以降ということにしてくれ」

「分かった」


 それだけ言って、また振り返る。

 速歩で行けば、西門まで数分だ。


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