141 走り抜けてみた

 改めて草叢に座り直すサスキアに、尋ねてみた。


「ところで今の国王について、貴族や民衆からの評判のようなものは分かるか」

「わたしは昨年国を出てから、何の情報もなかったわけだがな。今朝街の者数名にそれとなく訊いたところでは、微妙な感じだった。この一年で暮らしが良くなった悪くなったの大きな変化は特にないと言うが、国王の印象には口を濁す。これがよい印象なら喜んで口にしそうだから、少し邪推したくなるところだな」

「まあ、そうだな、それでは、箝口令が敷かれているということなのか」

「そこまでは分からん。ことさら特別、国民が行動や言論に制限を受けているという感じでもないが。何かそれとなくの力が働いているのかもしれん。一応一人からある程度はっきり出た意見は、他国との交流が減って経済が悪化しているということだった」

「他国との交流か。これも国王が替わって影響が出るのか」

「想像するしかないが。前王の時代に現王のバルヒエット公爵は主に軍事の担当、ヘンネフェルト公爵が外交の担当だったはずだからな。このヘンネフェルト公爵の協力が得られていないせいか、あえて動かないようにさせているか、といったところが想像できる」

「ふうん。外交をないがしろにしたままじゃ、国政に影響が出てくるんじゃないのか」

「そうだろうな。わたしも詳しくはないが、食糧関係のものだけでも輸入に頼っている品目がいくつもあるはずだ」

「その辺りの観点からすると、現国王よりヘンネフェルト公爵が国政を担った方が好転するということになるのか」

「かもしれん。まあわたしの心情としては国王より公爵寄りになるから、公平な判断にはならんかもしれんが」

「サスキアとしては、ニールの連れ去りだけで十分国王を見限る理由になるだろうな。前国王や王族の死に関する疑惑もあるか」

「そういうことだ。現国王を認める気には、どうしてもならない」

「成り行き次第だが、ヘンネフェルト公爵に王位が移ることになっても、国が滅びる大問題になることはないか」

「それは、ないはずだ。ヘンネフェルト公爵もある程度帝王学の教育を受けていると聞くし、外交面で経験を積んでいる」

「そうか。こんなこと、ここで検討するものでもないがな。本当にこれからの成り行き次第で、そんな事態に至る可能性もあり得る」

「そんな言葉、ただ聞いただけなられ言としか思えんが。ハックの魔法で王城を消せる、破壊できる、ということならあり得ないと笑うわけにもいかないな」


 顔をしかめて、サスキアは溜息をついている。

 やや遠くから鐘が聞こえてきたのは、十一時の報せのようだ。

 気がついて正面門の方に目を向けると、ほぼ引きも切らず貴族の入城が続くようになって見えている。

 そちらから目につかないようにと藪の中に身を低くして、しばらく時を待つ。

 改めてこの後の手順を確認しているうち、さらに半時以上が過ぎていた。

 もう少し正面の観察を続けると、もう入ってくる者の姿はなくなっていた。

 婚儀に出席する貴族たちの入城は済み、大広間に落ち着いたということだろう。

 少し奥へ移動するか、というサスキアの提案に、腰を上げる。


「や、何者だお前ら!」


 数十メートル程度裏方向へ進んだところで、不意に建物の角から人影が現れた。

 衛兵、らしい。その辺に裏出入口でもあったのか。

 叫ぶそちらに、声もなくサスキアは駆け寄っていった。

 離れないように、速度を合わせて続く。


「止まれ、曲者!」


 衛兵が、剣を抜く。

 サスキアが、稽古用剣を横に構える。

 衛兵の剣が、斜め袈裟に振り下ろされる。

 サスキアの剣が、横に払われる。

 瞬間、衛兵の剣が消え。

 その胸防具の下に、鮮やかな胴払いが決まっていた。


「ぐえっ!」


 そのまま声もなく、防具姿の衛兵は前のめりに倒れ落ちていた。

 連携成功、と安堵していると。

 さらに角から二名の衛兵が現れた。


「あ、何だ?」

「曲者!」

「誰か――」


 一人が、背後へ声を上げかけた。

 援軍を呼ばれては面倒、と判断。

 次の瞬間、二人の姿は消え、声も途切れた。

 代わりに、その場所に石の直方体が出現していた。小さめの石の家から床を除いたものを、人二人を覆うように被せたのだ。

 何だ何だ、という声と、石を叩く音がくぐもって聞こえてくる。

 念のためその後ろを覗き見ると、建物の壁に小さめの出入口が開いているが、続いて出てくる人間の姿はない。見回りにでも出てきたか、衛兵は三人で終わりのようだ。

 そこで続いて、直方体の中の空気から、酸素量を三分の一程度まで抜いた。

 少し待つと、中からの声が途絶えた。

 直方体を消し去ると、重なり合って意識を失っている二人の姿が残った。


「何だ、ハック、何をした?」

「石の箱を被せて、中の空気を薄くした」

「それで二人とも、気を失ったわけか」

「そういうことだ」


 よく分からん、という表情で首を傾げ、サスキアも建物の方を覗いた。

 出入口からはやはり、続く者は現れないようだ。

 そっと歩み寄って、サスキアはその戸を閉じた。


「ここから入ってもいいが、さっき打ち合わせたようにそちらの角の方が大広間に近いはずだ」

「それなら、そちらへ行こう。とにかく大広間に達するための最速を選びたい」

「そうだな。しかしそこから入って角を曲がると、まずそこそこの兵の数が廊下にいて不思議はない」

「ああ。すぐに臨戦態勢が必要、ということだな」

「今のが、ちょうどいい練習になったな。あの要領ならほぼまちがいなく一人一撃で済ませられる」

「今の呼吸を、忘れずにいこう」

「うむ」


 頷き合っていると、正午の鐘が聞こえてきた。

 さらに頷きを交わし、角の壁に寄る。

 振り返って、最終確認。


「覚悟はいいか、死地に赴くぞ」

「いいぞ」

「よし」


 ぽっかりと、二メートル四方の穴が開く。

 足速に入り、一応壁は元に戻す。

 さすがに王城の中、廊下には厚い派手な意匠の絨毯が敷かれていた。

 無言で、サスキアは左側を指さした。

 頷き返し、そちら向きに肩を並べる。


「行くぞ!」

「おお!」


 声をかけ合い、一気に走り出した。

 角を曲がると、長い廊下が続いていた。広い王城の、半分程度は横断することになりそうだ。

 その絨毯敷きの通路、両側にいくつも閉じられた扉があり、ところどころに番兵よろしく帯剣した兵士が立っている。こちら二人が姿を見せると、それらが一斉に顔を向けてきた。


「何者だ!」

「曲者、捕らえろ!」


 近い者から剣を抜き、駆け寄ってくる。

 速度を緩めず、手近な兵士に突進した。

 女剣士のためらいない足どりに驚いたか、目を丸くして衛兵は剣を振りかぶる。

 振り下ろしたそれが一瞬で消滅し、サスキアの剣が腹を打ち抜く。


「グハッ!」


 倒れ込む兵士に目もくれず、走る速度も緩めない。

 続いて、次の衛兵が斬り込んできた。

 それも同様、一蹴する。


「何だ何だ」

「曲者、乱入者だ」

「若僧二人だ、造作もない」


 行く手には、兵の数が増えてきた。かなり先、廊下の突き当たりの扉が開き、次々と姿を現す。衛兵の控室にでもなっているのか。

 事前の情報通り、廊下の幅は剣を持つ者二人が並ぶのが精一杯だ。サスキアはほとんど一人ずつ相手していけば済むことになる。

 ほぼ一振りごとに、衛兵一人が悶絶して倒れる。

 そのまま速度緩めず、並んで疾走していく。

 次々と、新しい兵が斬りかかってくる。

 おそらく新しい相手は、後方で倒れた仲間の剣が消えていることに気づいていない。

 当然のようにふだんの鍛錬のまま、サスキアの剣を受け止めるべく太刀筋を定めてくる。それが空中で消え、空振りに驚嘆する暇もなく、腹を打ち据えられて悶絶する。

 そのくり返しで次々兵士が倒れ込む間を抜けて、何もなかったかのような疾走が続く。


「何だ、どうしたことだ」

「なかなかの手練れだぞ、油断するな」


 声かけ合いながら、息もつかせず次々斬りかかってくる。

 それを、群がる羽虫を払うように、事もなく打ち倒していく。

 止まらず走り続け、新たな相手を払い除ける。

 すでに、二~三十名は倒しただろうか。


「何をしている、たかが二人だ、手間をかけるな」

「いや、しかし――」


 後方で叱咤するのは、上官か。

 連続して殺到する剣士たちが順に倒れ落ち、やがてその貫禄ある衛兵制服姿が見えてきた。

 周りの部下たちが瞬く間に倒れ、


「くそ!」


 その上官も剣を抜くが、即座に腹を打ち据えられた。

 ようやく廊下は行き当たりに来て、サスキアはそこで右折する。

 今来た行路よりはやや短いかという通路の果てに、大きな扉が見えている。その横に、槍を持つ兵士が二人。そこまでの間に、まだ数十名になるかという衛兵が出てきている。

 そちらへ向けて、速度緩めず駆け続ける。


「こいつ!」


 不意に、別方向から声がした。

 後ろに残っていた兵が、斬りかかってきたらしい。

 初撃が見えていなかったものの難なく剣が消え、衛兵は空振りに狼狽の顔を見せている。

 その顔へ、ぶちまけてやった。

 限界までアオアヒイを溶かし込んだ、コップ一杯程度の水を。


「ぎゃあーー!」


 目に染み込んだようで、絶叫して兵士は悶絶する。

 気に留めず前に向き直り、走り続ける。

 その間も次々、サスキアの剣は前方の障害を打ち倒していた。


「複数でかかって止めろ!」

「曲者を通すな!」


 手前の兵たちは声かけ合っているが、突き当たりの槍を持つ二人はそのまま動いていない。

 おそらくこの騒ぎはまだ、婚儀会場に届いていないだろう。

 前方からは初めて、二名が息を合わせて斬りかかってきた。

 二名だろうが問題なく、振り下ろされる剣は消滅する。

 サスキアの剣は向かって右の相手を打つはずだと判断して、即座に左の兵の顔にアオアヒイ水をお見舞いした。


「ぐあ!」

「ぎゃあ!」


 衛兵が倒れ、目の前の視界が開ける。

 大扉まで、あと約五十メートル。

 サスキアの脚にも衰えは見えず、さらに加速していった。

 斬りかかる兵を、打ち倒す。

 打ち倒す。

 さらに二名ほど、アオアヒイ水で悶絶させた。

 扉が、近づく。

 さらに五六名倒して、槍を持つ扉番が残るだけになった。


「無礼者、止まれ!」

「ここを何処と心得る!」


 二人口々に叫んで、槍を突きつけてきた。

 しかし突き出したその長物も、こちらの腹寸前で消え。

 駆け寄ったサスキアの剣が、順に二人を打ち据えていた。

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