142 闖入してみた

 見渡す限り長い廊下の上に、意識を失った者や腹を押さえて呻き動けなくなっている者ばかりが累々と転がっている。

 ちらりとだけそれらを振り返り、サスキアとともに大きな扉に向き直る。

 頷き合って、二枚の扉にそれぞれ手を当てる。

 ぎいい、とかなりの厚さにもかかわらず予想より軽い手応えで、扉板は内側へと動いた。

 一気に、華やかな光景が眼前に広がった。


――さすがは、国王の婚礼。


 広さは、前世の体育館程度か。およそ縦三十メートル、横二十メートルほどと思われる。

 その四方の壁が白と金を基調とした布で覆われ、荘厳な雰囲気を醸し出している。

 広間の中央が二メートルほどの幅に空けられ、その両側に正装めかした貴族らしい者たちがそれぞれ二~三十人ほど立ち並んでいる。

 正面最前には台と脚の長さでかなり高く設えられた豪奢な椅子が二脚据えられ、中年の男と若い少女がこちら向きに座っている。

 右の白い正装らしい口髭の男はまず疑いなく国王、左の少女はかつららしく長い金髪で白いドレス姿になっているが見まちがえようもない、ニールだ。

 こちらを認めて、鳶色の目を丸くしているのが分かる。

 その脇に、婚礼を司る役目なのだろう、神官らしいこれも白い服装の年輩の男が立っている。

 ただ、何処となく祝いの場と言うより会場内に緊張感が強く、まるで非情な通達を告げる場面であるかのような空気が感じられた。

 ほぼ女性の姿がなく男ばかりらしいのも、祝い事らしくない一因かもしれない。

 そんな感覚を受けたのも、一瞬だけのことだった。

 こちらが入室した途端、総勢五十人は超えるだろうそこそこ威厳のある貴族たちが振り返り、注視を向けてきた。

 いかにも今まで前を注目していたところに闖入者があって驚いた、という表情からして、厚い扉の外の騒動はやはりここまで届いていなかったようだ。


「何者だ、貴様ら」

「何処から入ってきた。この場に関係者以外の立入りは許されぬ」


 貴族の列の後ろに控えていた衛兵らしい十名程度が、両側から寄ってきた。

 剣に手をかけ、鋭く睨みを向けてくる。

 そちらに構わず、サスキアは一歩前に出た。

 右手に稽古用剣を提げたまま、仁王立ちで声を張り上げる。


「この婚儀、取り止めてもらいたい! これは第四王女殿下のご意思ではない!」

「な、な――」


 ざわざわと、貴族たちの間に唸るような声が広がった。

 驚きはおそらく、発言の内容ではない。

 王女の意思でないことは、まずまちがいなくここの全員が承知していると思われる。

 それよりも何よりもの驚駭きょうがいは、この荘厳な儀式の場に現れた身分不明の若い女が、国王の面前で紛れもない要求口調を突きつけたことだろう。

 貴族たちの右側最前列に立つ長身の中年男性が、目を零さんばかりに丸くしている。

 その口元が、『サスキア』と動いたような。

 あの人がサスキアの伯父、ヘンネフェルト公爵だろうか。


「何を言っておるか、無礼な――」


 正面の国王が、唸り吐き捨てた。

 口髭を湛えた丸顔を真っ赤に染めて、高座で半分腰を浮かせている。


「一同静まれ! 勝手な動きや発言をする者は、命がないと思え!」


 ざわざわが、少し低まったろうか。


「王女は余のもとに嫁ぎ、正当な王家の象徴としてこの血を繋いでいくのだ。クラインシュミット王国の発展永続のため、これは王家の義務でもある。誰であれ、これを妨げることは許されぬ。そうであろう、各々おのおの方」


 右側に並ぶ貴族たちが、騒めきをやめて身を固くしていた。何人かの目が泳ぎ、会場内を探り回しているような。

 王の隣で、当の王女は無表情で口を閉じている。

 見ると、立ち並ぶ貴族たちのうち左側最前列にいた白髪頭の年輩の男と、着飾った栗色髪の中年の女が、こちらを睨み殺しそうな目を向けてきていた。

 ニールを除くとただ一人と思われるこの女性、立ち位置から見て最高位の身分、おそらく国王の夫人なのだろう。男はその父親辺りか。

 その年輩男が、唾飛ばさんばかりに叫んだ。


「何をしておる、衛兵隊長、すぐその無礼者たちを捕らえよ!」

「は!」


 こちらのすぐ右側、近づいてきていた兵の中から大柄でやや年かさの男が一人、前に出てきた。

 頬に刀傷を刻んだ、なかなかの貫禄を思わせる兵士だ。


「貴様、サスキアだったな」

「はい隊長、訓練時にはお世話になりました」

「こんなとんでもない真似をするうつけとは思わなかったわ。そこに直って縛につけ」

「お断りいたします。わたしは第四王女殿下の護衛でありますれば、殿下をお救いするのが務めと心得ます」

「このれ者が。なれば俺が直々相手をしてやろう。あれから少しは腕を上げたか?」

「お確かめください」


 儀礼というのかもったいぶるというのか、そこそこ焦れったいやりとりを聞き流して、そっと室内を見回してみる。

 すると。

 両側の壁、布で飾られた上に前世で言うところのキャットウォークと呼べそうな足場があり、それぞれ数名の者が身を低めて潜んでいるのが見えた。

 どうも弓矢を構えているようで、それぞれ主に前方と右側貴族の並び、こちら侵入者にその先が向けられている。

 さっきの国王の発言にあったように、これで反対派貴族の命を握っているのだろう。

 前方に弓を向けているのは、新婦席が標的のように見える。ニールもこの脅しで従わせられているのかもしれない。


――四人、いるか。どさくさで射かけられるのも、面倒だ。


 手早く順に、空気紐で弓矢を奪う。

 次いでそいつらの足元の板を消してやると、「うわーー」と悲鳴を上げて床まで落下してきた。

 場内の全員が、何事か、と両側を忙しなく見回す。

 こちらの隊長とサスキアも、一瞬視線を動かしたが。すぐに関心を戻して、剣を構え直していた。


「行くぞ!」

「は!」


 ためらいなく踏み出し、隊長が剣を振りかぶる。

 過去に師弟関係があったらしく、久しぶりの邂逅のようだ。剣の修行の上では、邪魔せず見守るのが筋かもしれない。


――しかしこちらの現状、そんなぬるいことを言っていられる余裕はない。


 振り下ろす隊長の剣が、一瞬消え。

 次の瞬間、サスキアの稽古剣が相手の胴を打ち抜いていた。


「グハッ!」

「あ、隊長!」


 したたか鳩尾を打ち据えられて悶絶、意識を飛ばしたようだ。

 これまでと違うのは、消した剣をすぐ同じ位置に取り出し直していたことだ。カランカラン、と細長い金属が床に弾み転がっていく。

 たいした意味もないのだが、さっきまでの廊下に比べて他の衛兵たちの視線が近い。剣が消えるという現象に気がつかれたら、この後斬りかかってくる他の兵の闘い方が変わる恐れがあると思うのだ。剣を振る瞬間に消して不意をつく、というサスキアの有利を失いたくない。

 動体視力のいい兵士には消滅を気づかれたかもしれないが、直後に剣が転がっていれば、目の錯覚と思われるだろう。

 そしてサスキアにも、他の兵の参入を許す気はなかった。

 右手に稽古剣を構えたまま、左手で腰の愛剣を抜き、意識なく転がる隊長の首元に突きつける。


「隊長の命が惜しくば、皆、動くな」

「な、ぐ――」


 ためらい、兵たちの足がひととき止まる。

 その隙に、サスキアの横に顔を寄せて囁いた。


「貴族たちの敵味方は、分かるか?」

「おおよそのところ、左側が現国王派、右側にヘンネフェルト公爵派が多いと思う」

「よし、その見当で行くか。違っていたらご免、ということで」

「どうする?」


 答えず、正面方向に一歩踏み出した。

 すぐに念じて、王城の建物と中にあるものすべてを消す。ただしニールの座る椅子と台、そこからずっと後部まで続く幅二メートルの床、今自分たちの立つ室内最後部で横幅いっぱいに達する奥行一メートルの床を除く。


「わああーーー!」

「何だあーーー!」


 一瞬で、室内に阿鼻叫喚が響き渡った。

 全員の足元の床が消え、立っていたバランスを失って地面に倒れ重なり合う。

 国王に限っては、高さ二メートル近くあっただろう高座から直下に転げ落ち、腰を打って転げている。

 その他、城内にいた全員が同じ憂き目に遭って、何もなくなった広域のあちこちで大勢が呻いているのだった。もしかすると三階から転落して重症の者もいるかもしれない。

 一応、公爵派閥貴族の衣服は残した。一方で、他の面々も下着だけは残す指示にして、武器についてはこれら全員からもれなく奪っておく。

 直前までサスキアと対峙していた衛兵たちも、武器と衣服を失い床下に重なり転がって戦意喪失の様子だ。

 わずかに見回し確認して、前方に呼びかけた。


「ニール、来い!」

「うん!」


 一つ残った高椅子から、白いドレス姿が飛び降りた。

 邪魔だとばかりに鬘を脱ぎ捨て、全速で駆け寄ってくる。


「ハック、サスキア!」


 瞬く間に到着し、こちらの腕に抱きついてきた。

 かすかにサスキアの顔に失望がよぎったようにも見えたが、そこはそれ、本人の両手は剣二本で塞がっているので。


「何だ、何をしている、曲者を捕らえよ! 王女を取り戻せ!」


 最前部の床下に転がった国王が、腰を押さえて叫びつけてきた。


「早くせよ! 反逆の徒を許すな! 逆らう者は命がないぞ!」


 叫ぶ声が裏返り、金切り状態になってきている。

 何とも、耳に優しくない。

 ということで、さっきも外で使った床なし小型の石の家を、その上から被せてやった。

 キンキン声がくぐもりほとんど聞こえなくなって、これですっきりだ。

 広間のあった中では、公爵派閥貴族の一団が最も早く体勢を直して立ち上がってきている。

 そちらへ向けて、大声をかけた。


「ヘンネフェルト公爵派閥の方々は、できるだけ早く屋敷にお戻りください!」


 反応を確かめず、そのまま抱きついている小さな手を握る。


「行くぞ!」


 ニールの手を引きサスキアを促して、横に向かった。

 広間の最後部に残した床を伝って、床下に蠢くパンツ一丁の衛兵たちの傍らを抜ける。

 その先の地面に飛び降り、駆け出していく。

 外に出た先は、さっきまで潜んでいた裏手の藪より少し建物横に出てきた見当か。

 最も近い城壁に近づいたところで、振り返り。

 ここまで出たらもとの建物より外だろう、と判断する。

 念じて。

 王城の建物部分一式を、一階の床のみ除いて元に戻した。

 家具や装備品関係は、ざっと中を確かめて、国王や高位貴族の執務室にあったと思われるものを残して、他の大部分は戻すことにした。現金はほぼすべて国王のもとにあったことが分かるので、預かっておく。


「うわあ」

「おお」


 ニールとサスキアが、感嘆の声を上げた。

 ここ、外からだとまるで何事もなかったかのように、王城の威容が元通り現れそびえ立っているのだ。

 ただ、中では床がないままなので、皆まだ床下に転げた格好から立ち直れずにいるだろう。

 またすべての壁が戻ったので、追っ手はすぐに出てこられない。

 これで少しの間、時間が稼げることになる。


「ちょっと待っていてくれ」


 一度ニールの手を放して、庭の地面を見回した。


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