44 要望してみた

 こちらの問いかけに、子どもたちはしばし互いに目配せを交わしていた。

 そうして口を開いたのは、思いがけずルーベンではなく年長の女の子だった。

 やはり、ほとんど聞こえるかどうかの小声だ。


「昨日、あの店員に怒鳴られて、追い返されたの」

「何かやったのかい」

「ニールは何も悪くない。帳簿のここまちがってますよねって訊いたら、うるさいって怒鳴られたんだって」

「それは酷い」

「酷いでしょ」

「帳簿記入のまちがいないかを見るのも、仕事のうちなんだろう? それを指摘して怒鳴られたんじゃ、仕事にならない」

「だよね。そんなのいちいち言うなって言われたって」

「まちがい見つけて、勝手に直すわけにいかない。正職員に伺いを立てるのは当然だろう」

「だよね、だよね」


 頷きながら、女の子は身を乗り出してきた。

 それにしてもあの店員、何を考えているんだろう、と思う。

 三日前にも同じような叱責の光景を見たわけだが。「いちいち言うな」と言われたって、チェックを任されているアルバイトとしては正職員に判断を委ねるために陳上するしかないはずだ。

 あの気の弱そうな子どもが、相手を貶めるような言い方をしたとも思えない。


「それでその子、今日は休んでいるわけか」

「うん。気が弱い子だから、もう怖くて行けないって」

「ほんとはニールだって、みんなの役に立ちたいから仕事したいって言ってるの。でも今朝はぶるぶる震えて動けなくなっちゃってたくらいだから、みんなで休ませることにしたの」

「それ言ったらあの店員、勝手な奴だって怒ってるし」


 もう一人の年長少女とルーベンが、言い加えてきた。

 ぷんぷん怒りながら、やはり声はひそめている。


「それはほんと、酷いよな。えーと――みんなは、一緒に住んでいるのかい」

「うん」ルーベンが即座に頷く。「あっちの空き地の小屋で、みんな一緒に」

「何人で?」

「えーと、この五人にニールと、あと年上がブルーノとサスキアの二人、他にチビが三人」


 昨夜見張りに立っていた少年がブルーノ、少女がサスキアというらしい。壁工事の人足に来ていたのも、この二人だろう。


「全部で十一人か。それでみんなで仕事して、生活しているわけか」

「うん。ブルーノとサスキア以外はあまりちゃんとした仕事がなくて、たいへんなんだけどね。チビたちは仕事できないし。だから僕たちも、ニールのことで腹立つけど、ここ休むわけにいかないの」

「ブルーノとサスキアも壁工事がなくなって、お給金少なくなっているしね」


 最初の女の子が、溜息をつくようにつけ加えた。

 おそらくその二人は、口入れ屋で早朝の早い者勝ちレースに加わっているのだろう。

 工事現場で働いていたとき二人で日当は銀貨十二枚、ここの仕事が五人で銀貨六枚。これにニールの分を加えても、確かに十一人の生活費として楽ではないだろう。

 無断宿泊で宿代がかからないにしても、食費以外にほとんど金を使えない現状と思われる。

 それよりも年長二人の収入が減って、ニールの分がなくなったとしたら、ますますお手上げだ。

 今は真夏だから何とかなるにしても、これから秋冬に向けて、衣類や暖房をどうしたらよいというのか。


「こういうこと訊くの申し訳ないけど、みんな親はいないわけか」

「そう」

「いつからそんな暮らししているんだ」

「あそこに集まるようになったの、今年の春からだね。前はブルーノとマリヤナと僕で、あちこち移りながら生活してたの。そこへナジャとビルギットが近くの村から出てきて一緒になって、サスキアとニールのきょうだいが加わって――」


 聞いていても、加わった順序と名前はよく分からなくなってきた。

 周りの相鎚の様子からすると、最初に話していた年長少女がナジャ、もう一人の年長がマリヤナ、少し年下の少女がビルギットとレナーテというらしい。

 サスキアとニールがメンバーに加わった春頃から、あの空き地に住み始めた。それを知ってかつい最近、どうも魔物に殺された村人の子どもらしい小さい二人が小屋の近くに置き去りにされていて、それが加わって今に至るという。

 ルーベンの言う「チビたち」というのはそれを含めて、五歳か六歳くらいの子どもが三人ということのようだ。

 はああ、と思わず溜息が出てしまう。

 そのブルーノとサスキアにしても、自分の弟妹というわけでない者を養う義理などないだろうに受け入れて、最近は近隣の村でできた孤児を押しつけられるまでになっているらしい。

 前世の世界ならまちがいなく「政治のせいだ」と皆が熱り立つところだろうが、前に口入れ屋で聞いた限りでは、そんな常識は存在しないようだ。

 本来なら糊口を凌ぐすべのない子どもなど自然に淘汰されるはずのところ、この子たちは互いに助け合って必死に生き延びているということになるのか。

 暗澹たる思いで考えるうち、アムシェルの声がかかった。


「荷物が着いた。始めよう」


 号令に合わせて、荷物運びを始める。

 仕事が終了すると、子どもたちは「ニールが心配だ」と言って早々に引き上げていった。


――さて、どうするか。


 いろいろ思い巡らせながら、大通りに出る。

 口入れ屋の前に来たところで、向かいから声をかけられた。


「おお、小僧じゃないか」


 振り返ると、領兵詰所の中に座って手を振る大柄な姿があった。

 もったいなくも、領主様ご本人だ。

 工事現場のときと同様に気さくな外見で領兵たちと歓談している様子なので、こちらも頭を下げるだけにする。

 

「あ、どうも」

「ハック、だったな。礼金は受け取ったか」

「はい、ありがとうございました」

「礼を言うのはこっちだ。話の通り十分量が見つかって、大助かりだ」

「そうですか、よかったです」


 通りを挟んで声高にやりとりしていたのだが、すぐに領主は立って大股にこちらに寄ってきた。

 やたらと親しげな仕草で、肩に手を回してくる。


「やあ、礼金は用意したが、あまりに些少で気が引けていたんだ。領の実状としちゃ、精一杯なんだがな」

「そ、そうなんですか」

「それと、少し話をしたかったんだ。お前、今回の魔物退治の立役者の片割れだそうじゃないか」

「いや、あれは――」

「それもあるから、ちょっと話そうじゃないか。飯を奢らせてくれ」

「は、はあ……」


 そのまま強引に、デルツの料理屋へ引っ張っていかれた。

 まだ開店準備中のデルツは目を丸くしていたが、領主の顔は見知っていたらしい。

「看板料理を二人前、用意してくれ」と言われて、「はい、只今」と厨房に駆け込んでいく。

 何とも強引に、粗末なテーブルを挟んで領主と二人きり向き合うことになってしまった。

 まあ一応、店の外には護衛の者が控えているようだ。


「お前ともう一人の友人、トーシャと言ったか、二人でかなりの魔物を始末してくれたということだな」

「あ、はい。そのトーシャが剣の腕が立つもので」

「だそうだな。衛兵の報告では、先日のオオカミの魔物なら、一刀で斬り伏せていたということだ。しかしその前の大きい魔物は、そう簡単にいかなかったのではないか」

「あれは、僕が石を投げて気を惹いたところへ、トーシャが後ろから首を狙って攻撃した、という感じですね」

「そうか」

「あちらは一匹ずつだったので、何とか助かりました」

「そうかそうか、たいしたものだ」


 大皿の内臓煮込みと麦の酒が運ばれてくる。

 勧められたが酒は断ったので、領主は一人で大きなコップを傾けた。

 料理の方はありがたくいただく。考えてみると、この店の料理を口にするのは初めてだ。材料を提供したり味付けの悩みを聞いたりはしていたのだが。

 確かに、以前ヨルクの家で食べた煮込みとそう違いはない。もしかするとこれはニンニクか、という風味が加わっている程度という気がする。


「いやあ本当に、お前たちがいてくれて助かった。領兵が当てにならないというわけではないが、どうも話を集めてみると、うまくお前たちが始末してくれていなかったら、兵が揃う前に何匹かの魔物を町に入れてしまっていたかもしれんようだ。そうなったらたいへんな被害だったかもしれぬ」

「はあ」

「偶然にと言うか、お前たち二人がこの町に滞在しているのと魔物の襲来が時を同じくしたのは、幸運だった。今もってどういうことか分からない、一晩で壁が完成していたことといい、この町は神に祝福されているのかもしれんな」

「ああ、そうですね」


 壁の件は――もしかして探りを入れられているのか、と警戒してみたが。この貴族は、本気で神の奇跡を信じているようだ。

 まあどうしたって、それ以外の解釈のしようはないだろう。

 領主の話は、その「幸運だった」という言い回しをくり返すだけになっていた。

 少し裏を疑ってかかってみたが、ただ今の話の確認と飯を奢るのが目的だったらしい。


「お前が見つけてくれた岩塩も、神の恵みみたいなものだしな」

「まあ――そうですか。そう言えばあの塩、見つけたときに掘った分を持っているんですが、これは問題ありますか」

「いや、自分で使う分ぐらいなら、構わんぞ。売って金にするというのはまずいが」

「これで料理を作って売るというのは」

「それぐらいは構わん」


 念のため確認してみたが、あっさりした返答だった。

 さらに塩の件と同様、魔物についての報奨も些少で気が引ける、何か希望があったらできることは優遇しよう、とほろ酔い口調でくり返す。


「その、お言葉に甘えて一つ、要望というか質問というか」

「うん、何だ」

「その――町で、孤児が数名集まって自活に苦しんでいるのは、ご存知でしょうか」

「う、む。聞いてはいる」コップを置いて、頬の傷が歪められる。「何だお前、そいつらを助けてやれと言いたいのか」

「いえ、そういう口出しをできる立場ではありません」

「気の毒とは思うがな」ぐい、とコップが傾けられる。「領民の福祉に回せる予算にも限りがあるのだ。こういう言い方をすると興醒めだが、領の発展に直結するところを優先せねばならぬ」

「それは、分かります」

「悪いな」

「あの、金銭的なものはともかく、彼らが今いる空き地なんですが。あそこから追い立てられるということはあるのでしょうか」

「ふむ……お前、そいつらを援助してやりたいという心積もりか」

「少し、関わってしまったもので。何ができるかできないか、分からないのですが」


 ふむ、と顎髭をさすって考え込んでいる。

 やがて、顔をしかめて。


「……黙認、ならできるか」

「黙認、ですか」

「少なくともあの土地の使い道が決まるまでは、追い立てることはないようにしておこう」

「はあ分かりました。ありがとうございます」

「お前は年のわりに話が分かりそうだからぶっちゃけるがな、土地などに関してはそうそう何処かに譲るとかできんのだ。前の戦のときの報奨についても、しばらく該当の者に我慢させている現状でな」

「そうなのですか」

「なので、そうそう公に動くことはできん。黙認がせいぜいのところなのだ」

「分かりました」

「しかしお前も、変わった奴だな」


 苦笑で首を傾げ、領主は大皿の煮込みをかっ込んだ。

 あまり貴族とは見えない所作で、ぐいと口髭を拳で拭う。


「何を要望するのかと思ったら、まったく自分の利益にならないことではないか」

「いえ、一応利益につながることも考えているんですけどね」

「そうなのか?」

「ああ、もう一つお伺いしたいんですが」

「何だ」

「先日魔物が暴れた森は、領の所有ですよね」

「そうだ」

「あの際に何本も木が倒されたはずですが、その木材を購入することはできるでしょうか」

「何だ、そんなことか。欲しければ持っていってもいいぞ」

「そうなのですか?」

「買い手を探しているが、なかなか見つからん。片づけるだけでも手間と金がかかりそうだ。特に奥の方のやつは邪魔でしかないからな。一本や二本、持っていけるものなら持っていっても構わんぞ。まあ、運び出すだけでもたいへんな手間だろうが」

「そういうことなら、都合がついたら二本ほどいただきます」

「おう、好きにしろ」


 話しているうち、人声がしてきた。

 店の外に、客が集まってきているようだ。

 領主が「商売始めて構わんぞ」と声をかけ、デルツが戸口を開ける。

 入ってきた客たちは領主とは気づかずに、銘々の注文を始めていた。


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