43 別れを告げてみた

 翌朝は、前日よりさらに早く目を覚ますことになった。

 遠くを見やると、山の端がかすかに白みかけてきたところだ。

 簡単に食事をとって、辺りを片づける。

 続いて、川で全身を洗った。さすがに真夏の石室籠りはなかなかの暑さで、寝汗を『収納』で消しただけでは気分的に今イチだったのだ。布で身体を拭い、髪は『収納』で乾かすと、爽快に行動開始できる心持ちになった。

 東の村方面へ遠出をしていたことを衛兵に知られるわけにいかないので、町には夕闇に紛れて入ることにしたい。そのために逆算すると、もう数時間潰す余裕がある。

 そういうことで、もう少し東の方まで様子を見ていくことにする。


 林の中も草原も、おかしな気配は感じられない。『鑑定』でノウサギやノネズミは引っかかるが、魔物は一切かすりもしない。

 ゆっくり観察しながら歩き、確実なタイミングで出遭ったノウサギだけ狩って『収納』した。

 やがて、例のガブリンの群れを惨殺した草原に出る。

 岩山の落下で荒れた地面はそのまま。衛兵に聞いた話では、夥しい魔物の死体は調査隊の人たちが苦労して土に埋めたということで、脇の林の前に一面地面が掘り返されたように見えるのが、その跡だろう。


――ご苦労様。申し訳ない。


 初めて草原を横断して向かいの林の中まで覗いてみたが、やはり魔物がいる様子はなかった。

 確実とは言えないが、とりあえず今のところこの周辺は安全と思っていいようだ。

 警戒するとしたら、もっと山の方だろうか。

 思いながら、そろそろ東進はやめにして引き返すことにする。

 再び林の中を戻り、村へ向かう分かれ道を通り過ぎる。

 やはり、街道に人の姿はなかった。

 

 予定通り日が暮れ掛かる頃に、プラッツの町が見えてきた。

 おそらく、十九時前後といった頃合いだろう。

 門番に見つかる前に、北の森方向へ道を外れる。

 草地や森の端を辿りながら、東と北の門の中間辺りで壁に寄っていく。

 自分で建設したのだから、だいたい中の様子は分かっている。畑と木立が接近して家屋は遠かったと記憶する辺りで、壁に登ってみた。

 周囲に人目がないのを確認して、中へ降りる。


――任務終了、無事帰還、と。


 しばらく壁に沿って歩き、門に至る前に左に折れて、町中に続く小路に入った。まだこの辺はひと気がないが、間もなく民家が増えてくるところだ。

 壊れかけの小屋のようなところを通り過ぎかけたとき、がさりとものが動く気配がして、思わず足を止めた。

 思い返すと、先日近づいてみた空き地の脇だ。

 道で会った男が「ガキどもが住みついている」と言っていたが。

 小屋の壁に寄って耳を澄ますと、人声が聞こえてきた。


「――で、落ち着いたようだ。チビどもは寝た。他の連中も、寝かせた」

「そうか、ニールは大丈夫か?」

「元気はないが、何とか今は落ち着いたようだ」

「そうか。しゃあねえな」


 最初のが女の声。答えているのが男。かなり若い声で、二人が会話しているようだ。

 何処かで聞いた声音、という記憶がある。


「食いもんも節約しなきゃ、だからな。大人しく寝てくれるだけで、ありがたい」

「何とかしなきゃいけないな」

「ああ。とにかく、あの壁工事が終わっちまったのが、痛いよなあ」

「それは今さら、言っても仕方ない」

「そうなんだけどさあ」

「まあとにかく、今日はそういうことだ。じゃあまた、一時に交代、起こしてくれ」

「ああ」


 少年らしい承諾の声を最後に、がさがさと動く気配の後、静まり返った。

 つまりはこの時間、少年が見張りに立ち、話していた少女が夜中に交代するということらしい。

 他の子どもたちを寝かして、それを護っているという構図だろう。

 少し思案したが、こうして聞き耳を立てていたというのは怪しまれて仕方ない行為だ。騒ぎを起こしても何も益はない。

 一方、この道を通行することだけなら、何の遠慮も要らないことだ。

 ということで。

 足音をひそめて、数メートル分後方に戻った。

 そこから逆に、そこそこあからさまな足音を立てて歩き出す。


「ん――!」


 小屋の中で、身構えを正す気配。

 それでも気にせず通り過ぎると、何も干渉してくるものはなかった。

 宿に戻ると、トーシャはもう寝台に寝そべっていた。


「どうだ、予定通りうまくいったか?」

「お陰様で。こっちと同じ壁一周分を完成させてきた」

「ご苦労さん、だな」


 町の方では、やはり三日間魔物が接近する気配もない、ということだ。

 トーシャの臨時雇用も終了、明日からは壁外の見張りも縮小される。近村の避難指示も解除されるらしい。


「そういうことなんで予定通り俺も、そっちへ魔物捜しに行こうと思う」

「そうか」

「そっち方面で分かっていること、教えてもらえるか」

「分かった」


 トーシャが用意していた筆記用途の木の皮に木炭ペンで、簡単な付近の地図を描く。

 この領都プラッツから街道を東へ徒歩半日ほどでグルック村、さらに東に二つほど村があるらしい。その途中に、大量の魔物が同士討をしていたらしい草原がある。

 ツェヒリン川の上流がイムカンプ山地の中になっている。その川沿いに岩塩が見つかって、調査採掘が入っているかもしれない。

 今日の午前はその草原まで足を伸ばしてみたが、そこも含めてずっと魔物の気配はまったく感じなかった。

 そんな説明を、トーシャは頷いて聞いていた。


「そうか。じゃあやっぱり、街道沿いに果ての村まで何もないのを確認して、その後は山の方を辿ることにするか」

「それがいいだろうね」

「分かった、サンキュ」


 トーシャの旅立ちは特に人目を避ける必要もないので、東の門が開いてから出て行くことになる。明日はいつも通り起床して出発しよう、と確認する。

 こっちの予定は、また口入れ屋で仕事探しからだ。


「じゃあな。縁があれば、また会おう」

「ああ。気をつけて」


 早朝、数日間共に生活していた友人と、呆気ないほどあっさり別れを告げた。

 東から北の山中を捜索して、その後は西へ戻っていく行路をとる予定だ。その途中、北と南から張り出す山に挟まれたプラッツの町はまた必ず通ることになるが、何もなければそのまま顔を合わせず通過することになる。

 こちらもこの宿の二人部屋は出て、その後の身の振り方は決めていないので、今から連絡方法もとり交わしようがない。

 簡単に手を振って友人を見送り、口入れ屋に向かう。


「うーん、今日も少し遅かったねえ」

「そうですか」


 他の求職者ほど躍起になって早朝の早い者勝ちを狙った動きをしなかったので、この日も主立った求人はなくなっていた。

 やはりまた、残っているのはイザーク商会の積荷運び程度だという。

 三日前に「また行きたいとは思えない」と結論した先へ、また向かうことになった。

 九時少し前に商会に着くと、また子ども五人が路地にしゃがみ込んでいた。


「あれ、ハック」

「やあ、またよろしく、先輩」

「うん、どうも」


 ルーベンが挨拶を返してきたが、何処か先日の陽気さが感じられない。

 傍にいる女の子四人もほぼ無表情のまま、軽く会釈を返すだけだった。

 何かあったのかと訝しみながら、すぐにアムシェルと小僧二人が現れて作業が始まり、黙々と身体を動かすことになった。

 この日は他に日雇い要員がいなかったので少し時間がかかり、一時間あまりで運び出しは終了した。

 陽が高くなって気温が上がっているので、みんな汗だくだ。

 しかし子どもたちは先日のように土間で涼もうとはせず、すぐにその場を離れていった。

 首を傾げて奥を覗くと、事務机にやはり若い男が向かっている。が、その向かいにこの間の子どもの姿はなかった。

 アムシェルが通りがかったので、尋ねてみた。


「子どもたちの様子がおかしいようですが、何かあったんですか」

「ああ……ちょっとね」


 言葉を濁そうとしていたが。

 こちらが見ていた方向を知って、黙秘はやめたようだ。


「事務の手伝いをしていた子にちょっとトラブルがあってね、今日は来ていないんだ」

「そうなんですか」

「こっちの子たちも仲間なんで、まあ少し、引っかかっているようだ」

「はあ」

「まあ、そういうことだ」


 それ以上説明する気はないようで、そそくさと中に入っていく。

 見送って、そのままここを離れることにした。

 午後は十四時集合なので、三時間と少し、やはり中途半端な空き時間だ。

 いろいろ考えながら、東方面へ歩いた。

 ヨルクたちが寄宿していた農家に寄ると、朝早く村に戻っていった、と主婦が教えてくれた。予想通り、無事に避難解除されたようだ。

 せっかくなのでそのまま足を伸ばし、森へ向かう門を出た。門番によると、やはり三人ほど狩りに入っている先客がいるらしい。

 森の中に入っても、残念ながらすぐにはノウサギが見つからない。時間がないので、以前狩ってすぐ『収納』していた三羽を取り出し、川べりで解体だけすることにした。

 二羽を袋で担いで戻ると、門番に感心された。


「ずいぶん今日は、早かったな」

「ええ、うまいこと二羽を狩ることができたので」

「たいしたものだ」


 笑って、まだでき立ての木の門をくぐる。

 内臓を売りに料理屋に寄ると、「工事が終わって客が減った」とぼやきながらデルツは買い取ってくれた。

 肉屋のヤニスは、何処か不機嫌な面持ちで迎えてくれた。


「久しぶりだな。今日は、二羽分か」

「済みません、他に用事があったので」

「それなら仕方ないが、できればお前さんにもっと持ってきてほしい」


 他の狩人たちのは数もまちまちで、肉の傷みも大きいのだそうだ。

 この三日間、ノウサギ肉の入荷は二羽分ずつに留まっていたらしい。


「お前さんとあの友だちで毎日六羽ぐらい狩ってきてくれると、助かるんだが」

「あの友人は、もう町を出たんですよ」

「そうなのか」

「毎日六羽――一日がかりなら一人でも可能かもしれませんけど、ちょっと他の予定と合わせて、確約はできないと思います」

「そうか。毎日絶対とは言わない。できるだけ、ということで頼む」

「ええ。少し落ち着くまで、数日待ってもらえますか」

「分かった」


 商会へ戻ると、また子ども五人は路地脇にしゃがみ込んでいた。

 午後は数時間待機の覚悟だが、涼しい土間に入らず道端の日陰に潜り込んでいるつもりらしい。

 五人の間に会話はなく、揃って口を尖らせた表情で、膝を抱えていたり棒で地面に落書きしたりしている。

「いいかい?」と断って少年の横に腰を屈めると、横目で頷きが返ってきた。

 子どもたちの沈黙は不機嫌のせいだけでなく中の者に話を聞かれたくないという思いがあるようなので、声をひそめて訊ねかけた。


「ニールって子に、何かあったのかい」


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