138 踏み出してみた

 ブルーノが家にいるということは、もう夕刻だ。

 すぐ脇の台所で女子たちが夕食の支度をする間、少しブルーノと話をした。


「サスキアが賊たちに追いつくのは、かなり難しいと思う」

「行く先は隣国の王都か? 山を越えて、馬を走らせてもかなり日数がかかると聞いたぜ」

「ああ。馬でも国境の関所まで五日、そこから王都まで二日はかかるという話だ。相手は貴族階級であちらでサスキアはお尋ね者扱いらしいから、関所を通してもらえないかもしれない」

「ということは、関所までの五日で追いつかなければならないわけか。最初に開いた差を山道で詰めるのは、難しいんじゃないか。体力はあると言ってもサスキアの女の足で、相手は鍛えた兵士らしいんだろう?」

「じゃないかと思われるな。ニールの方は向こうに生かしておきたい理由があるんだろうが、サスキア相手にはなさそうだ。命がけになったとして、サスキアのことだから無理するんじゃないかというのが心配だ」

「ありそうな話だぜ」

「俺も、できればすぐにも跡を追いたいんだが」

「無理するなよ。これから追っても追いつけるはずはないし、相手が兵士ならハックが敵うはずもないんだろう」

「それはそうだが」

「とにかく、動けるようになるまで無理をするな。こちらで協力は惜しまない」

「ああ、助かる」


 それから数日、寝床から起きられないまま熱が上がったり下がったりが続いた。

 看病は必要ないと全員仕事先に送り出して、ただ一人うつらうつらで日を過ごす。

 アドルフ医師は毎日見に来てくれて、傷はほぼ塞がったがまだ動くと開く危険がある、血は戻りきらないので長時間動くのは無理だ、という診断がくり返された。


 そうして、三日が過ぎた。

 屋内だけなら何とか、自力で歩くことができている。しかしどう考えても、まだ遠出は不可能だ。

 明日には、もう少しの回復を望めるだろうか。

 ニールが攫われて、五日。相手はそろそろ関所に着く頃か。

 攫った相手が隣国の新王の配下である以外の可能性を考える必要はないだろう。

 奴らはまちがいなく、サスキアの動きを封じて手早くニールを拉致することだけを念頭に、計画して事に当たったようだ。

 サスキアだけを対象に何らかの形で足に革紐を絡める罠を用意し、それが作動した後は一切誰も近づこうとしていなかった。相手の剣の腕を知っていて、よけいな危険を招かないように打ち合わせていたのだろう。

 またもう一人いた小僧に関しては、一太刀入れて動けなくすれば十分、息があろうが死のうがまったく関心も寄せていなかったようだ。

 そうして、とにかく逸早い帰還だけを目指していたのだろう。

 サスキアは、どうしただろうか。

 相手がとにかく速い移動を意図していると思われるので、この五日間で追いつく可能性は低いと思う。としたらこの先の追跡は、関所を通るのを避けるだろう。馬を捨て、山を抜ける選択をするのではないか。

 関所から王都まで、二日。

 山道の徒歩移動なら、さらに王都までに追いつける見込みはなくなるだろう。

 聞いた限りで、ニールを生かして連れ去る相手の目的は、新王の妃にすることらしい。到着次第、婚礼を挙げるつもりだろうか。

 としても仮にも国王なのだから、到着してその日にすぐ挙式を催す、という乱暴な真似はしないだろう。

 ある程度の数の貴族に披露しなければ意味ないはずで、早くてもその翌日、今から三日後、と思っていい。

 常識的に考えれば、それこそ仮にも国王の婚礼、準備や国民への告知などで数日から数ヶ月かけても不思議のないところだ。

 急がなければならない事情があるとして無理を押して三日後、本来ならさらに数日後、と思われる。

 こちらとしてはその辺、まったく情報は入ってこない。

 あちらの国民に事前告知がされたとしても、隣国まですぐには伝わらない。情報が入るのはせいぜい、挙式が終了してからのことだろう。

 情報がない以上、確実な奪還を目指すなら三日後に間に合わせるべきだ。

 それに、サスキアは間に合うか。

 向こうの地理的なことは分からないが何となく、サスキアなら不可能を可能にしてでも間に合わせそうな気がする。

 しかしもし時間的に間に合ったとして、問題はその先だ。

 もうその時点で、ニールは王城の中で厳重な警戒のもとに置かれているだろう。

 そこへサスキア一人で斬り込んで、奪還が果たせるか。

 仮にも王城の中としたら、警護の兵は数人や数十人できかないだろう。そこへ、一人で斬り込んで――。


――無理だ。


 しかし、サスキアなら決行しそうな気がする。

 おそらくのところ制度とか法律とかの上で、挙式が終わった暁にはもう取り返しがつかないのだろう。

 場合によっては、ニールが自ら命を絶つ、ということさえ考えられる。

 サスキアがそのような事態を傍観するとは思えない。

 最悪、三日後には二人の命が散ることになるかもしれない。


――何とか、できないものか。


 動かない身体が、もどかしい。

 何よりももどかしいことに、自分がその王城に手が届くところに間に合えば、何とでもしようがあるはずなのだ。

 この際、ニールを取り戻すことができるなら一切手段は選ばない。

 王城の一つや二つ、あちらの国王や貴族や兵士やの首多数を消し去ってでも、後悔はしない。


――三日後に、間に合いさえすれば。


 しかし。

 前にも考察したことだが、『収納』と『鑑定』ではできないことがある。

 遠距離を、短時間で移動すること。これだけは、どう頭を捻っても七転八倒しても、実現のしようがない。

 向こうの場所が正確に分かるなら、空気紐で手紙などを届けることは可能だが。自分を含め、生物を移動させることはできない。

 もし王城の場所が正確に分かったとしても、ニールが中にいる可能性が高いそれを消し去ったり破壊したりの暴挙もできない。

 とにかくもこちらが手の届くところまで達する、それが絶対条件だ。

 しかし例え『収納』と『鑑定』を駆使したとしても、人間業では不可能だ。


――人間業で、三日は不可能。


 否定できない事実として噛みしめる、しかない。

 その三日というのは、あちらの国でもかなり強引に予定を押し込んで、ということになるはず。

 ふつうに準備を急いで実施にこぎつけるとするなら、数日は見ると思われる。

 五日程度の準備を見込むとするなら、明日ここを出立してぎりぎり間に合うか。


――いや、七日で王都に到着というのは、馬を使ってのことだったか。


 乗馬経験のない身では、さらに数日かかると思わなければならない。

 明日、今よりもう少し体力が回復したとしても、ふつうの徒歩旅行の速度は望めないだろうし。


――それでも、可能性がある限りはやってみるべきだ。


 今まででも自分は、わずかな可能性に賭けてさまざまなことを実現してきたんじゃないか。

 現在の状況を整理して、すべての可能性を考察して、できうると思われることをためらわず実行するのが、自分の信条じゃないか。

 とにかくも、今日の実行は無理。

 明日の状況に、賭けてみようと思う。


「少し顔色はよくなったか。しかしまだ無理はするなよ。医師せんせいも、もう数日は安静にしろと言っているんだから」

「分かった。――ありがとうな、ブルーノ」

「おう」


 翌日にはまた熱が上がり、起き上がることができなかった。

 その次の日には熱も下がったが、ブルーノに釘を刺されてしまった。

 仲間たちが、仕事に出かける。

 一昨日から四の月が始まり、正式雇用に移行した者もいて、ますます張り切った様子が見られる。

 小さな三人も、見習い修行を始めたばかりのナジャも、新しい環境に慣れたようだ。

 こちらの生活に、もう心配はいらない。

 一方あちらにとって順調に旅程が進めば、今日にも攫われたニールが王都に到着するはずだ。

 これ以上は、待てない。

 静まった部屋で、ゆっくり身を起こす。

 とりあえず、目眩などはない。

 以前から感じていたように転生者ギフトでもあるのか、怪我の治りは医者が感嘆する速さだ。

 それでもやはり貧血は快復していないようで、全身にだるさが残っている。


――とにかくそれでも、歩くことはできる。


 自分を励まして、しっかり床に足をつけてみた。

 筆記用の板を一枚取り出し、簡単に書きつける。


【世話になった。ありがとう。】


 整えた寝台の枕に、それを置いておく。

 枕傍に置かれていた愛用の背負い袋を、『収納』する。

 二階に上がって、いくつか必要物をこれも『収納』する。

 以上で、準備は完了だ。

 迷いなく、手ぶらで外に足を踏み出した。

 足どりは、しっかりしている、はず――と、自分に言い聞かせ。

 西門の顔見知りの門番に、手を挙げて挨拶。


「よお、ハック。怪我をしたと聞いていたが、もう治ったのか?」

「ええ、治ってから今日が初めてなんですけどね。ちょっと山の中を見にいってみます」

「気をつけて行けよ」

「はい」


 いつもの森の方角でなく山に入る街道を辿るわけだが、門番は疑問の様子もなく見送ってくれた。

 山に入る。

 途中までは以前に植物採集や岩塩の細工などで通った道だが、ある程度先からは初めての景色になった。

 この先は一路、隣国との国境、関所まで続いているはずだ。

 ほとんどが山道で、人里などもないと聞く。

 歩く。

 ひたすら、歩く。

 今のところ肩から背中への刀傷が開く心配はなさそうだが、足に入る力はやはりいつもより心許こころもとない感覚だ。


――何処まで、つ、か……。


 登り。

 下り。

 登り。

 峠のような箇所をいくつか越えて、やがて陽が傾いてきた。

 どれだけ、踏破したことになるのか。

 初めての道だし、標識などもまるでないので、見当もつかない。

 確かなのは。

 両足と全身を巡る疲労が、予想以上に危機的な感覚だということだった。

 いつもの健康状態ならかなり夜を徹して歩き続けることもあり得るのだが、まず今は無理だろう。

 何処かで休息をとって、体力の回復を図るしかない。


――くそ――情けね……。


 大きく息をつき、道を逸れた。

 木立の中に、平らな土地を探す。

 ある程度条件に合った場所を見つけ、石の家を取り出した。

 入口を開いていつでも中に飛び込める形を作り、その前に焚火を点火する。

 獣などの気配を警戒しながら、ノウサギ肉を焼いて夕食にした。

 食後は家の中に入り、入口を閉じ。

 毛布を敷いて横たわると、たちまち泥のような眠りに引き込まれていた。


 目を覚ますと、外は明るくなっていた。

 それでもまだ、日の出直後、か。

 二日前に考察したように、あちらの国王が無理矢理婚礼を挙行しようとするならば、最速で今日と思われる。


――サスキアは、王都に着いているだろうか。


 その辺も、行ってみなければ分からない。

 水を取り出して、顔を洗い。

 また焼肉で朝食をとり。

 朝の準備を終えて、石の家を消す。

 改めて、自分の身体に相談を持ちかける。

 怪我の箇所に、悪化はなさそうだ。

 しかし、睡眠である程度回復したとはいっても、体力の消耗は完全に戻らない。

 昨日の出立時より落ちていると思って、まちがいなさそうだ。

 つまりは昨日と同様の行程を決行して、最後まで歩き通せるかの保証はない。

 さらに先を見て、隣国の王都まで五日以上、へたをしてその倍以上、歩き続けられるか甚だ疑問でしかない。


――最初から分かっていたこと、ではあるが。


 改めて、現実を身に沁みるほど突きつけられたことになる。

 最悪に間に合わせられる可能性はあるかもしれない、とほんのわずかな希望に賭けての出立だったわけだが。

 時間的に間に合うかどうかの問題以前に、体力的に向こうまで歩き抜ける見通しもほぼ立てられない状況だ。


――無理――これまで、か。


 まだ低い、昇り立ての鮮やかな陽を見つめて、大きく息をつく。


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