22 今後の生活を考えてみた

 少し話した後、若い二人は「ごっそさん」と断って立っていった。

 まだ宵闇のうちに、あのデルツの料理屋で一杯引っかけるのだそうだ。倹約のために文字通り「安酒を一杯だけ」ということらしいが、日の終わりのせめてもの気晴らしに欠かせないのだという。

 残ったダグマーはただただ暇らしく、そのまま村の生活などを話してくれた。

 ここらの近隣農村の実態は、あのグルック村とほぼ変わりがないようだ。

 ダグマーの住む西方面の村は、まだ魔物の危険に曝されていない。

 主な産物は、秋蒔きで春に収穫する小麦。夏場は豆類と青物野菜を育てているが、たいした実入りにならない。小麦の収穫分では税に充てた残りでほぼ最低限の生活しかできないので、体力のある男が出稼ぎに出るのは必須なのだそうだ。

 それでも、豆と青物がちゃんと収穫できる分には、家族が飢えることもない。出稼ぎ分を持ち帰れば、贅沢を言わない限りそこそこ冬を越えることはできるのだという。

 からから笑って話すダグマーに、悲壮な様子はない。これがふつうの生活、という受け止めなのだろう。

 とにかく秋の収穫期前にそこそこの収入と土産を抱えて家に戻り、妻子の喜ぶ顔を見るのを目標に、今は辛抱するのだそうだ。


「この暑い季節にゃ堪ったもんじゃないがな。秋から冬場になりゃ、ガキどもと抱き合って寝るのも乙なもんさ」

「そんなものですか」

「やあ、今日は贅沢させてもらった。ありがとよ」


 焼いた肉が綺麗に消え失せた皿を前に、満足げに笑っている。

 明日から工事現場に来るのなら現地で相談に乗るぞ、という申し出に「よろしくお願いします」と応えながら、部屋に戻る。

 照明のない部屋はもうほとんど闇に沈みかけていて、足を向け合ってそれぞれの寝台に横たわった後は会話もなくなった。窓側からは間もなく、軽いいびき混じりの寝息が聞こえてきた。


 そちらに比べるとそれほど眠気が訪れないのは、暗くなったとはいえまだ時刻的には早いせいだろう。前世の感覚なら、まだ午後八時かそこらといったところではないだろうか。

 こんな時刻に寝つくなど、「幼児か!」と反駁したくなるところだ。と言っても、こちらの世界では珍しいことではないのだろう。グルック村のヨルク一家も、就寝はこんな見当だった。

 日も暮れたこんな頃合いに眠りにつき、ほぼ夜明けとともに起き出す。照明も不十分な暮らしで、当たり前のことなのだろう。

 明日の予定としても、工事に従事するのなら口入れ屋に朝六時集合と聞いた。陽が昇る頃に目覚めて行動開始でちょうどいいくらいだ。このまま眠りについて、八時間程度の睡眠ということになる。余裕のスケジュールだ。

 固い木の板に薄い布一枚を敷いただけ、お世辞にも寝心地がいいと言える環境ではないが、この世界に来てずっとほとんど変わらない、そろそろ慣れてきた境遇だ。

 むしろ、初めての寝場所とはいえ、何となく落ち着いた気分さえ覚えている自分に気がつく。

 森の中での野宿、村での居候暮らしに比べて、正真正銘自分の稼ぎで得た宿、誰に恥じることもない居場所だ、という感覚と言ったらいいか。

 ようやく第一目標としていた町に落ち着いた、という達成感のようなものもある。

 一つ落ち着いた。ここで冷静に、今後のことを考えるべきだろう、と思う。


――今後、どう生活を作り上げていくべきか。


 相部屋の人たちと違って、出稼ぎの身分ではないのだ。

 この町に落ち着くつもりなら、こういう宿ではなく部屋を借りるなり拠点を持つべきだろう。また、ノウサギ狩りや日雇い工事仕事よりも、もっと安定した就労の当てを見つけることが望ましい。

 ただそれも、この町が身を落ち着けるにふさわしい場所か、ということを見極めてからの話だ。

 さしあたってしばらくは、この町の様子を見て判断していくべきと思われる。

 そのために、やはり当面は壁工事の仕事に就いて、人と交流していくのがいいだろう。

 それが最も確実で、誠実な選択と言える。

 しかし。


――いいのか? こんな地味な発想で。


 数多の小説ノベルでの異世界転生、転移の類いの話で、こんな地味でつまらない先行きを見通すなど、読んだ記憶がない。

 たいていは、冒険者として派手な成功を目指すとか、貴族として成り上がるとか、商人として大繁盛するとか、そんな未来を目論むものではないのか。そしてだいたい、第一巻の半ばまでであっさり、何の障害もなくそれをなし遂げるのだ。


『何それ、美味しいの?』


 頭の中に、誰かさん神様の声がリフレインするけど。

 楽して金と地位が手に入るって、まあ理想であることはまちがいない。

 しかしその辺、数多の小説ノベルとは前提がまったく違うのだ。

 冒険者などという存在、この世界にはいないようだ。もしいたとしても、そこで成功を収めるような戦闘力を、こちらは持ち合わせていない。

 貴族――は、いるらしいが。今のところそちらと知り合う当てはない。町に来るまでの街道で貴族令嬢が盗賊に襲われている場面に『偶然』出くわす、などという機会もなかったし。

 最も可能性がありそうなのは、商人としての成功、だろうか。

 たいていの小説ノベルでは、特殊スキルで地球の物資を持ち込むか、地球の現代知識を利用してこちらにはない製品を作り出すか、するわけだ。

 しかし。

 物資持ち込み――不可能。

 現代知識利用――思い当たらぬ。

 何しろこちとら、元は平凡な男子高校生に過ぎないのだ。

 便利な物が溢れた世界にいたわけだが、それらの製法など、ほぼ何一つ知らない。

 前にも考えたけど、紙の製法も知らない。

 小説ノベルの定番(?らしい)ハンバーグやプリンやマヨネーズなどといったものさえ、作った経験もなければ作り方も情けないほど朧げにしか知らない。そもそも料理の経験が、まったくない。小中学校の家庭科でも、料理実習は人任せで切り抜けてきたのだ。

 パンを作る天然酵母だっけか、そんなものの作り方も知らない。

 もしそんなものがこの世界にまだ知れ渡ってなかったとしても、木綿や絹の糸を取り出す方法も、知らない。

 軍事兵器の知識、まったくない。

 農業知識、あるわけない。

 だいたいそんなこと、精通している男子高校生がどれだけいるか、教えてもらいたいくらいだ。

 そんなうちのどれかの知識を持っていることが異世界転移できる必須資格なのだとしたら、あの人たち神様が人選を誤ったというしかない。


――とにもかくにも、ないない尽くしやねん。


 使えるものは『収納』『鑑定』だけ。

 言葉の聞く話すはできるけど、読み書きはできない。この点、多くの小説ノベルの設定に負けているほどだ。


――あのヤロ神様、『最頻値の最大公約数』とか何とか、言ってなかったか? 読み書きはそっちに入りそうなもんだろうが。


 とにかくも、そういう現状だ。

「冒険者」「貴族」「商人」の中なら、「商人」の可能性が最も高そうなのは確かだろう。

 少なくとも『収納』を利用した行商人のような職業なら、かなり現実的にあり得るか。『収納』の存在を知られないための工夫を考えなければならないし、各所から信用を得るための地道な努力がまずは必要になるだろうが。

 あるいは、さっきからないない否定ばかりしているけど、そのうち何か一発当てられるうまい知識を思いつくかもしれない。

 しかしそんなご都合主義的期待だけしているわけにはいかないのだから、ここは最初の思索に戻るしかない。

 さしあたってしばらくは、壁工事の仕事などをして金を貯めながら、この町が身を落ち着けるにふさわしい場所かということを、様子を見て判断していく。

 そういうことだろう。

 しばらくすると飲みに出かけていた二人も戻ってきて、暗い中無言で寝台に横たわったようだ。


 翌朝は無理なく、日の出直後と思われる頃合いに目覚めた。

 工事労働参加初日としては、相部屋の人たちより早い時間から動き出して、まず口入れ屋に行かなければならない。もぞもぞと起き出して炊事場へ行くと、もう二人の男が顔を洗っていた。そこに仲間入りさせてもらう。

 干し肉と果物で朝食を済ませ、宿を出る。予想していたが炊事場で一緒になった二人も目的は同じだったようで、付かず離れず同道することになった。

 口入れ屋の前にはさらに二人の男と、口入れ屋の職員が一人集まっていた。壁建設作業への参加希望を聞いて登録証を確認、木の板に職員が名前を記入したらしい横へ墨を塗った親指で拇印を押させられる。

 順番にそんな手続きをしているうちに六時の鐘が鳴り、この日の新規受付はこの五人で締め切りということになった。他の四人はやはり出稼ぎのようで、農民らしいそこそこ年かさの男ばかりだ。

 工事作業の概略の説明が職員からあったが、おおよそ昨日ダグマーたちから聞いた通りだった。現地でそれぞれの者の希望を聞いて目標とする作業量を決め、就労開始となるらしい。

 それから職員の先導で、壁工事現場へ移動した。


「作業量の希望は?」

「二百個で」


 一緒に登録した五人全員、同じ希望だった。

 その中で一人だけ若い小僧なので、係員から「大丈夫か?」とばかり全身を眺め回された。農民らしいがっしりした体格の男たちに混じって一人だけ細めの若僧なのだから、無理ないのかもしれない。

 ノルマを果たさないと日当が減額になるのだぞ、と念を押されてしまった。

 それでも係の説明を聞き、すでに先輩たちが始めている作業の様子を見る限り、心配はないと思われた。

 かなり広々とした作業場、この受付場所の近くに大量の土嚢が積まれ、数百メートル先のまだ低く石が積まれ始めている壁建設場所へ向けて、けっこうな人数の人力で運搬が続いている。

 それほど監督者たちの人数が多いわけもない。基本的にはそれぞれの作業員に対して運ぶ土嚢を持ち出す場所が示され、運び先が指定される。作業途中の監視はほとんどなく、運搬結果を確認する人員が向こうにいるだけのようだ。

 つまり――


――楽勝、だ。


 ということになる。

 そもそもこの作業、『収納』の存在を人に知られることを恐れないとしたら、ノルマ分など一回の移動で済ませることができる。

 もっと言えば、ここにある土嚢全部を一回で運ぶことさえ、可能だ。他の人の仕事を奪うわけにはいかないから、やらないけど。

 だからともかくも、気を遣うのは『収納』を人に意識させない、それだけということになる。

 土嚢を一度に三個ずつ運んで、一日がかりで二百個相当になるという。

 それを、手では二個ずつ運びながら一個を『収納』で運ぶことにして続けていけば、他の人より体力を消費せずにノルマを果たすことができる。手で三個が可能なら、時間短縮で終わらせることができるわけだ。

 手で二個か三個か、体力を見ながら決めていこうと思う。その都度身体と相談しながら、併用でもいいだろう。

 七時になろうとしている今から作業を始めて、十六時までにノルマを終わらせればいいという。それまではどう動いても休んでも、周りに迷惑でない限り自由だそうだ。もちろんその辺目につくところであからさまに休んでいたら目障りなので、注意されるらしいが。

 とにかく体力だけの勝負なので、邪魔にならないように適宜休憩を入れることはむしろ奨励されているということだ。

 なお手荷物は、受付の奥の決められた場所にまとめて置くらしい。当然、貴重品は入れておかない方がいいだろう。


「よし、じゃあ始めろ」


 係員の号令を受けて、新入りの五人も先輩たちの動きに加わっていく。

 とりあえず試しに、土嚢三個を持ち上げてみる。


――よっこら、と――まあ持てる、か。


 体感、合わせて十キロ程度といったところだろうか。今の体力でそれほど無理なく運ぶことはできそうだ。

 両手で抱えて、えっちらおっちらと運ぶ。

 でこぼこ地面を三分ほど歩いて、壁建設中の現場に着く。

 そこにいた監視人らしい係員に指定された場所に、荷物を下ろす。

 作業員ごとに積み上げ場所を離して、個数を確認できるようにしてあるようだ。当然、他人の積み上げから自分の方へこっそり移動するなど、不正のないように監視人が目を光らせているのだろう。

 まあ、ちょっと隙を狙えば『収納』ならそんな不正もあっさりできてしまいそうではある。


――やらないけど。


 他人からくすねるくらいなら、正規の分の『収納』運搬を増やす方がよほどまともで安全だ。置き場所での不可解な増量を怪しまれないように『取り出し』瞬間の人目を忍ぶ、という意味では変わらないし。

 最初の一回は監視人の目の前で指定場所に下ろすことになったので、『収納』からは出さないことにする。明らかに三個置いたのを確認したのに、少し後に見たら四個になっていたということになったら、さすがに変に思われるだろう。


――二回目からならおそらく大丈夫だろう、と思う。


 置いた瞬間を見ていられなければ、六個のはずが七個になったように思えても気のせいと、別に咎められるということはないはずだ。ただ隣の積み上げには近寄らないように、ひときわ気をつけておこう。

 二回目からはしばらく、手で運ぶのは三個だが置き場所では四個になるという不思議仕様を、周りに気がつかれないように続けた。

 三個の重さで、以前母親につき合わされていた買い物で抱えた米十キロ袋とほぼ同等という気がする。当時は帰りの片道だけで腕が悲鳴を上げそうだったものだが、今の身体ではそこそこの時間この運搬を続けることができそうだ。


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