23 労働をしてみた

 単調な労働を続けるうち、周囲を見回す余裕も出てきた。

 労働者は圧倒的に年上の男が多いが、ちらほらと女子どもも混じっている。一度に運ぶ個数が二個や一個の者は、昨夜も聞いたようにそうした少ない個数のとり決めをしているのだろう。

 かなり離れたところに青髪の男が見えるのは、ダグマーではないかと思う。

 運搬者十数人に対して一人というくらいに監視人が立って、皆の動きを見回している。

 こちらの近くには監視人がいないので、不思議仕様を見咎められる心配がなさそうで幸いだ。


「少し疲れた……かな」


 運搬往復が十回を超え、遠くから八時の鐘が聞こえてきた。

 それを合図に、ちらほらと小休止をとる者が出てきている。だいたい皆、自分が積み上げた土嚢に凭れて座り込むという格好をとっている。

 そちらに倣って、地面に腰を下ろした。

 革袋の水を用意していて、それを口に運んでいる者もいるようだ。

 ここでの常識で、運動中の給水はどうすべきということになっているか、知らない。昔の日本では「水を飲むとよけいに疲れる」と言われていたが、近年では「給水は奨励される」に変わったとか、聞いた気がする。

 頭上にはそろそろ太陽が高くなり、夏の勢いを見せてきている。このままなら今日も、それこそ熱中症を心配すべき陽気になりそうだ。

 とにかくもこの辺りは、近年の日本常識に従っておいた方がいいだろう。そっと一口分の水を『収納』から直接口内に取り出し、ゆっくり飲み下す。


――冷たい――旨い。


 十分くらいの見当で、また立ち上がる。

 そんな調子の労働と小休憩をくり返し、十一時の鐘が聞こえてきた。

 当然個人差はあるが、少し長い休憩をとる者が多いようだ。

 この世界ではあまり昼食をとる習慣はないはずだが、やはり肉体労働の合間には本能が求めるのか、何か口に運んでいる者も見えている。

 壁建設場所の外、ちょっとした林になっている方へ、用足しに行く者も多い。これも大勢たいせいに倣って、腰を上げることにした。

 戻ってくる途中、少し離れた場所から出てきた男に声をかけられた。ダグマーだ。


「よう、やっぱりハックも来てたんだな。調子はどうだい」

「はい、どうも。お陰様で問題なく仕事できています。二百個、大丈夫そうです」

「へええ、華奢に見えるが、そうでもないんか」

「ええ。そろそろ百五十近いと思いますが、まだへばるほどじゃないんで」

「へええ、そりゃ、俺よりペース速いじゃないか」

「若さの差ですかね」

「畜生、そうかもしんねえな」


 はは、と笑って、肩を叩いてくる。やはり、気持ちのいい小父さんだ。


「まあ、無理しないようにな。初めてで頑張りすぎると、後で筋肉痛になるかもしれんぞ」

「はは、気をつけます。ダグマーさんも年を考えて、無理しないように」

「分かってら、畜生め」


 笑い合い、手を振って別れた。

 自分の積み上げ場所に戻る。改めて腰を下ろそうとしていると、横手から体格のいい金髪の男が通りかかった。

 壮年から中年に差しかかったかという年回りだが、かなりがっしりした筋肉質の体格だ。

 少し気になったのは。その様子が、労働者とも職員ともとれない印象なのだった。

 服装は、監視人のような職員たちほどきっちりしてなく、むしろ労働者寄りの動きやすい形だ。しかしそうかと思うと肉体労働で薄汚れたところはなく、腕組みで歩くその目配りの様は、監視人のように隙がなく見える。

 その男が、ふと足を止めた。積み上げた土嚢と、こちらの全身を見比べ、何度か視線を往復し。


「こいつは、お前さんが運んだのかい」

「そうですよ」


 いきなりの問いかけは、いちゃもんをつけてくるのかと思ったが。

 男の口調はそのまま少し柔らかくなった。


「見た目より、力があるんだな。よくやっている」

「あ――どうも。初めてなんで、ちょっと張り切りすぎました。へばらないように、この後はもう少しゆっくりやろうと思います」

「それがいい。若い力は貴重だ。潰れないようにな」

「あ、はい」


 妙な貫禄を滲ませて笑ってみせる、金の頬髯に覆われた横顔に大きな古傷の跡が見えた。

 そのまま歩き去る後ろ姿を目で追っていると、さらにあちこちで休憩する働き手に声をかけているようだ。

 やはり、職員の側の人間なのだろう。

 と思っていると、受付近くへ戻ったその男は両手に二個ずつの土嚢を持ち上げて、こちらへ運び始めた。なんと、労働者の側だったらしい。

 見た目に違わず、四個の土嚢を軽々と抱えて歩いてくる。

 こちらから少し離れた空き場所にそれを積み上げて、近くの監視人と親しげに話している。

 どうにも、正体の掴みにくい御仁だ。


――まあ、どうでもいいけど。


 人目を惹かないように気をつけながら、焼肉と果物で簡単な昼食をとる。

 しばらく休みながら、辺りの様子を観察する。

 今のところ積んだ土嚢の山は、他と比べて飛び抜けて大きいというわけではない。ただ、こちらより大きい山は一日三百個コースの人のもの、という気がする。さっきダグマーが言っていたように、二百個コースの中ではかなりペースが速い方になっているのではないか。

 あまり目立つのは得策ではないので、午後からはやはり少しペースを落とそうかと思う。


――後から筋肉痛、というのも避けたいし。


 腹の落ち着きを確かめて、労働に戻る。

 間もなく、十二時の鐘が聞こえてきた。

 手で運ぶのは二個、『収納』で一個、という運搬を続けて、それでも十四時の鐘の前に運び終えた。監視人に確認をしてもらって、この日の作業を終了する。

 受付に戻って、日当を受け取る。銀貨六枚だ。


「さて、と」


 両手足や腰を回してみるが、それほど疲労が溜まった感覚はない。

 やはり前世の身体に比べると、肉体労働に耐える作りになっているようだ。

 ただ他の人から見るとまだ成人男子としては華奢な方に分類されるようなので、過信は禁物かもしれない。

 それでもまだ、歩く体力は残っている。

 一度町中に戻る道を見通してから、その右手に向かう小道に足を向けた。

 少し進んだその先が昨日も通った森へ至る小さな門で、衛兵が一人立っているのが見える。

 時間に余裕があるので、肉屋への義理を果たそうかと思うのだ。

 近づくと、立っているのは昨日と同じ衛兵だった。


「おう、昨日の少年か。あっちから来たってことは、工事の仕事帰りか?」

「ええ、そうです」

「また今日も、森へ行くのか」

「ええ、またノウサギを狩れないかと」

「力仕事の後で、また狩りかい。元気なものだな。まあ、気をつけろよ」

「はい、どうも」


 森の中で、この日も一時足らずで三羽のノウサギを狩ることができた。

 ついでに、歩く途中で見つけたハルクの葉を十枚ほど採取。口入れ屋に持ち込めば、薬草として買い取ってくれるはずだ。

 そこそこ足に疲れを覚え出したので、帰途につく。


――まあ、こんなものかな。


 歩きながら、思う。

 これからしばらく、こんな生活スタイルでいいのではないか。

 壁工事での肉体労働は、朝から十四時くらい見当で土嚢二百個運搬ができることが分かった。

 その後でノウサギ狩り、毎日三~四羽は見込んでよさそうだ。

 土嚢運搬を三百個に増やしても可能だが、あまり意味がないと思う。

 三百個にすると、時間を三時程度増やして日当が銀貨四枚プラスということになるが、ノウサギ狩りだと一時程度でそれくらいの収入になるのだ。時給換算だと、こちらの方が能率的だということになる。これで、朝から十五時までの労働で締めて銀貨十枚あまりということにできそうだ。

 しかしかと言って、工事をやめて狩りだけにするのも考えものだ。

 前にも考えたように、狩りだけの生活はどうにも当てにならない部分が残る。加えて、毎日十羽以上のノウサギを持ち込むなどしたら、そのうち肉屋に買い取り拒否されるか、価格を下げられる恐れがある。

 その辺を考慮すると、この工事と狩りを並行していく生活が、しばらくは無難なのではないかと思えるのだ。


――これで収入が十分なのか、しばらく生活してみなければ何とも言えないけど。


 一日で銀貨十枚程度の収入。前世に換算して、銀貨一枚で千円と考えると、日給一万円だ。月に二十五日労働したとして、月給二十五万円相当。だいたいの見当として、それで大きな差異はないと思う。

 出稼ぎに来ている男たちが、一日銀貨六枚の収入で家に稼ぎを持ち帰ることができるようなので、それを思うと一人の生活に不自由はなさそうだ。

 おおよそそんな方向で考えをまとめて。

 門では、衛兵にまた大きな猟果を感心された。

 料理屋に内臓を、肉屋に肉を売ると、ひとしきり感激された。

 その後、口入れ屋まで足を伸ばす。昨日今日の依頼達成を届け、薬草を売るのだ。

 昨日のラザルスとは違う受付だったが、問題なく処理してくれた。

 ハルクの葉は、十枚を銅貨五十枚で買い取ってもらえた。

 今日の収入、工事の日当で銀貨六枚、ノウサギ肉で銀貨五枚と銅貨四十枚、内臓で銅貨三十六枚を合わせて、銀貨十一枚、銅貨百二十六枚ということになる。


――こんなものだろうな。


 改めて、思う。

 少なくとも、宿代や食費には十分ということになる。

 あと、衣類や日用品をもう少し揃えておくべきか。

 まだ日没まで余裕があるので、この日は町の中を歩いてみることにした。

 昨日も思ったが、口入れ屋から東側、街道に面したわずかな長さの間にいくつか商店が集中しているが、一業種一店舗程度で数はそれほど多くない。

 肉屋のヤニスの話によると、この辺にあるのは一般町民向けの商店で、少し上流階級向けの店はもっと西の方にあるのだそうだ。しかも町民と言ってもこの辺は農家が多く、食料についてもかなり自給自足に近い生活をしている。肉などは贅沢品で、たまにしか買いに来ないものらしい。

 衣類や生活用品も、かなりのところ自作のもので賄っている。つまり、商売というのはあまり成立していないのだ。

 出稼ぎ者に対する宿や食堂が少し賑わう程度。それ以外、観光地でもなければ小説ノベルなどのように冒険者が集まるわけでもない。国の中でも北端に近いのだから、行商人が通過するわけでもない。

 というわけで、商業に関しては地元民対象に細々と続けられている現状なのだ。これも小説ノベルなどのように広場の露店で物が売られているなどという状況は、まず成立のしようもない。ヤニスの肉屋のような古くからの商店で、ほぼ事足りてしまっている。

 これもヤニスの話によると、こちら東側地区でやや大きな店を構えているのはイザーク商会というところだけだとか。東方近郊の村から農作物を買い入れて西方面に売りに出したり、他の町村から仕入れてきた品を地元町民に販売したりしているらしい。町の西地区には上流階級向けの別な商会があるが、一般町民を相手にしているのはこのイザーク商会だけということになるようだ。

 そのイザーク商会の店舗は口入れ屋の斜め向かいに大きく見えていて、盛んに人が出入りしている。


 とりあえず近くの小間物屋のような店に入って、日用品を求めた。

 手拭いや歯ブラシの類いのものを買い揃えておく。

 竹のような植物を簡単に加工した歯ブラシに該当する道具は、前にヨルクの家で一つもらってそれを使っていたが、それほど一つの物を長期間使用し続けられるわけではないから。

 ついでに。少し話は逸れて、やや尾籠な方向に行ってしまうが。

 この世界、というかこの地域を見ただけの結果で言うと。

 タオルとか紙とかのような製品は存在しないようだ。

 歯ブラシは、前述した通り。

 当然風呂などはなく、数日に一度、井戸か川かで身体や髪を洗う程度。その際にもあまり吸水性に優れない粗末な布が使われる。

 トイレ(大)の後は、草の葉を使うのが標準らしい。上流階級については知らないが。ちなみにトイレは、汲み取り式だ。

 この辺のこと、また小説ノベルの類いではそんな描写は避けたいらしく、ほとんど説明されていないわけだけど。一応(誰に対してか知らないけど)断っておきたい。

 自分については、ほぼこの辺、必要がないのだ。

 山の中を歩きながら早いうちから気がついて、試してきたのだけれど。身体の汚れなどについてはすべて、『収納』してしかるべきところへ捨ててしまえば、すっきり消えてしまうのだ。

 トイレのときはさすがに気になるので、その後で一応水を取り出して洗っていたけれど、それもまず気分的なものだけで、あえていちいちする必要もなさそうだ。

 歯磨きや洗顔もそれで済んでしまうのだけれど、他の人の目もあるので、格好だけはして見せている。

 あと、幸か不幸かまだ若いせいでほとんど髭が生えてこないので、剃る必要もない。

 そんな状況なので、日用品を買うといっても、あまり切実なものではなかったりする。


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