129 誓ってみた

 しきりと首筋を擦り、サスキアは唸り続けている。


「しかし、そこまで……ずっとニールのためだけに活動してきただと……」

「信じられないだろうな」

「当たり前だ、そんなこと――」

「しかし、信じざるを得ない気になってきている」

「な、むう――」

「そこは一つ踏ん張って、眉に唾をつけてみなきゃ駄目だぞ」

「な、何――?」

「相手が誰であろうと、一人の人間の話を丸ごと信じるなど碌なこっちゃない。特にある程度結果が出た事柄に対して、過去に遡って実はあの時こうだった、などという発言はな。何とでも本人に都合のいいように言い繕えるし、へたをすると本人が無意識のうちに都合よく記憶を捩じ曲げていることだってあり得る」

「はあ?」

「今の俺の話にしたって、最初からニールのためだったなど、何の証拠もないだろう。イースト製造が一人でできたことだとは言っても、助力がある方が楽に決まっている。ただそのために、困っているニールを安い賃金で使い出しただけかもしれない」

「お、おい――」


 バシ、と拳で膝を叩き。

 女剣士は整った顔に目を吊り上げて、こちらを睨みつけてきた。


「貴様、出任せでわたしを言いくるめようとしたのか?」

「相手の話は慎重に聞け、と言っているんだ。自分だけでなく、ニールの命と将来を背負っているんだろう? いくら慎重になってもなりすぎということはない」

「あ、ああ……」

「俺の言ったことについて言えば、この際、最初にどう考えていたかなどたいした問題じゃない。大事なのは、今の時点だろう。今後二人の生活に関して、俺がどの程度必要か、何処まで俺を信用するかだ」

「……ああ」

「お前がしっかり判断してくれなければ、ニールの生命に関わることにもなりかねないんだろう。腹を据えて考えてくれ」

「……好き勝手言ってくれるな」

「俺にとっても、これは一生を左右するかもしれない重要事だ」

「まあ、そうか」


 睨みつけのまま、膝の拳がぎゅうと握り締められる。

 ややしばらく、瞬きもせず睨みを続け。

 そうしてから目を閉じ、大きく息が吐かれた。


「くそ――人を騙したり言いくるめるつもりだったら、そのような忠言は口にしないだろうな」

「お前がそう考えるだろうと見越して、あえて今のようなことを言ったのかもしれないぞ」

「そこまで考えたら、何を信じていいか分からないではないか!」

「だから、慎重に考えろ」

「ああ――結局は、ずっと見てきたお前の言動から、何処まで信じられるか判断するしかない」

「だろうな」

「それにしても、商人だろうが貴族だろうが言いくるめてきたお前の口のうまさも、まちがいのないところだしな」

「どうも、お褒めにあずかり」

「くそ、こいつ――」


 一瞬、目の前の映像がぶれていた。

 ガチャ、と剣が握られる音声。

 次の瞬間、喉元の上衣の襟をきつく絞り上げられていた。

 見慣れてはいるものの白く端正な若い女の顔が溢れんばかりの殺気を湛え、すれすれ触れそうなほどに近寄せられて。

 見ると、サスキアの左手が襟を握り、自分の背に回した右手は剣を握っているようだ。


――おい、まったく目が追いつかなかったぞ。


 咄嗟に『収納バリア』を試みてはいたが、当然素手には効果がない。剣で斬りつけられたのだとしても、間に合ったかどうか。

 現実には剣を背に回していた分、それを消す事態にならず済んでよかったとは言えるかもしれない。

 しかし、喜んでいいのやら。ぐい、と腕力に任せて首が締め上げられてくる。


「誓え。今後絶対、ニールに仇なすことはしないと」

「口で誓えば、信じられるのか?」

「それ以外、しようもない。わたしは最終的に、剣しか信じられぬ。お前の口が信用できないと感じられれば、ここで首を撥ねる」

「それはやめてくれ。お前がここで殺人の罪で捕縛されたら、困るのはニールだ」

「――誓え」

「誓うよ。今後何事も、ニールのためになることを考えて行動する」

「――く……」


 ひと息、力を込め。

 続いて、襟から手が離された。


「分かった――ニールのために、協力してくれ」

「ああ」


 人にものを頼む態度じゃないぞ、などと冗談でも口にできそうにない空気だ。

 この少女にとって、実際ぎりぎり精一杯の判断なのだろう。


「一度誓わせてさらに念を押すのは、剣士のことわりに反するのだが。それでも、問う。お前、何を知っても今の誓いにたがうことはないな?」

「ああ」

「分かった」


 表情を変えないまま、サスキアは膝立ちの姿勢から立ち上がった。

 今組みついていたすぐ横の戸を開き、階下を覗き込む。


「ニール、いるか? 来てくれ」

「うん」


 すぐに返事があった。ところを見ると、ニールも成り行きが気がかりで階段下を離れずにいたのだろう。

 とことこと、すぐに小さな足音が昇ってきた。

 戸口から覗いて二人を見比べ、元の寝台脇に戻っていたサスキアの隣に腰を下ろす。


「ハックに一切を打ち明けるぞ。いいか」

「うん」


 ほとんど無表情のまま。大きな薄い鳶色の瞳がもたげられ、すぐに落ちた。

 それから一呼吸置いて、静かに首が縦に振られる。

 確かめて、サスキアは改めて一往復呼吸を整えたようだ。


「ある程度予想しているかもしれんが、覚悟して聞いてくれ。これを聞いたら後戻りできんぞ。わたしたちとともに、生命を賭してもらわなければならんかもしれぬ」

「分かった」

「ハックは隣国、クラインシュミット王国について、何か知っているか」

「隣国ということ以外、知らないな。――いや、何処かで聞いたか。わりと最近、政変があったとか。その程度だ」

「うむ。昨年の二の月、王位が替わった」

「そうなのか」

「二の月の十三の日の夜だ。国王と三人の王妃、三人の王子、二人の王女、王宮にいた全員が死亡し、前王の王弟の嫡男、バルヒエット公爵が新国王の座についた」

「王族が全員か? とんでもない話だな」

「ああ、あり得べからざる事態だ。わたしも、その場にいたわけでも、いた者に直接聞いたわけでもないのだが――」


 そこまで聞いただけでも大事件だが、詳細はさらに酸鼻を極めたものだという。

 その夜半、王城の中から予想もしない悲鳴や騒音が響き上がり、外に詰めていた警備の者たちが城内に殺到した。

 その十名ほどの衛兵たちが見たものは。

 今しも侍女の一人を斬り伏せ、全身返り血に染まって狂ったように剣を振り回す王太子の姿だったという。

 唖然と立ちすくむ兵たちの前で、奥から走り出た男が『殿下、ご免蒙ります』と叫ぶや、止める間もなく王太子を斬り倒した。

 それが国軍を率いる国防大臣、バルヒエット公爵だった。

 公爵の説明によると、夜中に王太子が錯乱し、王宮に住まう国王を始め王族一同、使用人のすべてを次々と斬り殺して回ったらしい。

 近くに来ていた公爵と側近の護衛が異状を知って窓を破って入り、状況を確認した。ほとんど手遅れだったが、ようやく狂乱した王太子に追いつき、他にすべもなく斬り収めたのだという。

 王太子は少し前に妃を病死で失い、その後気鬱を募らせていたことが周囲に知られていた。

 あまりに例えようもない悲劇ではあるが、この期に到っては他に選択の余地もない。前王王弟の嫡男たるバルヒエット公爵が王位を継承する他、しようもない。

 そういう公爵の宣言が、直ちに全国に普及された。

 王都に戒厳令が敷かれ、主だった貴族たちはすべて国軍の監視下に置かれることになった。

 そこまで聞いて、


――マッチポンプ。


 という単語が、頭をよぎった。


「かなりの高確率で、張本人の正体は指摘できそうな気がするが」

「誰が考えても、そうだろうな。王太子殿下の狂乱は、薬を盛るなどで実現できる。実際に殿下がすべて斬り殺したなど、見た者はいない」

「だよな」

「しかも、バルヒエット公爵は王位継承権を持つとはいえ、亡くなった方々のすぐ次というわけではない。その時点で前国王陛下の次の弟君の嫡男がヘンネフェルト公爵、バルヒエット公爵はその下の弟君の嫡男だ」

「そうなのか」

「さらに、継承順としてはその上がいる」

「そう?」

「亡くなった国王陛下には王女が四人いらして、長女殿下は国外に嫁がれて継承権を失っている。そうするとこの事態に到って、残った四女殿下が継承権一位となる」

「そうか」

「その四女殿下が、ニールだ。本来の名は、コルネーリア・クラインシュミット王女ということになる」

「うお」


 喉の詰まったような、異音を口にしてしまう。

 貴族階級ではないかと予想はしていたが。


――まさか、王女とまでは思わなかった。


「しかし、おい」

「何だ」

「さっきサスキアは、王宮にいた全員が死亡したと言ったな」

「ああ。紛れもなく、王宮に住まう者全員ということになる」

「ということは?」

「もともとコルネーリア王女、ニールは、敷地としては王城内だが、生後ずっと別の建物に住んでいたからな」

「そう――なのか」


 どうも、さらに込み入った事情があるらしい。

 自分の家族の話のはずだが、さっきからニールは表情も変えず、無感動としか思えない様子で黙り込んでいる。

 こちらとしても、小説でさえほぼ見たことのないレベルで強引極まりない展開の悲劇としか思えないのだが。

 語っているサスキアも、何処か無感動に見える表情を続けている。


「ニールのご母堂は、亡き国王陛下の第四妃殿下でな。それまでに三男三女を設けて、跡継ぎとしては十分、三王妃への義理も果たしたということで、陛下が身分は低くても好みに合った貴族令嬢を娶ったと言われている」

「ほう」

「その溺愛ぶりは、王宮内や貴族たちに知れ渡るほどだったそうだ。しかしその第四王妃殿下は、第一子をお産みになって直後亡くられた」

「そう……」

「国王陛下の悲嘆は大きく、その後一切、お生まれになった第四王女殿下への関心も失われてしまった」

「な……」


 それが、ニールがずっと別邸に住まわされていた理由、ということになるのか。

 しかし、と思う。

 それだけで、紛れもない王女が他と別扱いされる事態に到るものか。

 関心を失うのと、遠く隔離せよというのは、別物だと思うのだが。


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