118 呼び寄せしてみた

 観察していると、目の前の穴から突き出ていた槍状の土は、ぽろぽろと崩れ出した。見る見るうちに、穴が凹んだ他はとりたてて異状の見られない地面の外観に落ち着く。


「動物の腹を突き破る硬さと鋭さはあるんすけどね、それも一瞬だけで、すぐ元の土に戻ってしまうんす」

「なるほど、そういうもんなのか」


 窪みから土を掌ですくって、トーシャは頷いた。

 そこに残っているのは、明らかに変哲のない土だけのようだ。

 一同がしゃがんだ姿勢から腰を伸ばすと、レオナがぽんと両手を打ち合わせた。


「じゃあじゃあ、次はうちの番っすね」

「おう、見せてくれ。水と風だったか?」

「そうっす。でもでも、ここじゃちょっと見せにくいかもお」

「ああ、そうか。風で撫で斬りにできるようなもんは、ここにはないか」

「そうそう。やっぱしうちの魔法は、動く動物相手が映えるしい」

「ふうん。じゃあとりあえず、森の中に入ってみるか」

「はあい」


 喜々とした様子で、少女は長身の剣士の後に続いた。

 慌てた顔で、ジョウも跡を追う。

 縦列の格好で木立の中に入ると、少し前に確認した通り地面はかなりぬかるんで、歩くのに難儀を覚える。

「あっちの森に比べて、やっぱ北に来るといかにも雪解け最中って感じすねえ」と、ジョウがぼやくように言った。

 それに、レオナも頷き返す。


「だよねえ。あっちでも苦労したけど、ウサギとか見つけるの大変そうだしい」

「だなあ」


 二人できょろきょろ周囲を見回している。

 確かに、近場の草陰には何の生体反応も見られないが。

 当てが外れた様子の二人に、声をかける。


「あっちの先、木の陰にノウサギがいるの、見えるかい?」

「ああ、はい」ジョウが頷いた。「『鑑定』の反応はあるっす。でもあれだけ遠いと魔法は届かないし、こっちが近づくと逃げちまうんす」

「向こうが油断してうっかり近づいたみたいんじゃないと、ダメなんでえ」

「なるほど。ちょっと三人とも、しゃがんで気配を消していてくれるか。できるだけ、殺気とかまき散らさないように」

「え? はい」

「射程距離に届いたらその魔法を打てるように、準備していてくれ」


 連れ三人の身を低くさせて、数メートル前に出る。

 かなり先の木陰から明らかにこちらを窺っている様子の相手に、肩の高さに両掌を開いてみせる。

 数呼吸の沈黙。の、後。

 がさがさ、と草の踏み荒らされる音が立ち、明らかな薄茶色のノウサギが姿を現した。かと思うと瞬く間に一直線、こちらへ向けて疾走を始める。

 少し横に身をけながら、背後に声をかけた。


「来たぞ!」

「は、はい――偉大なる水の霊よ! 鋭利なやじりにて敵を穿うがて!」


 狼狽を隠せないまま、レオナの低い詠唱が始まった。

 その場に身を起こし、伸ばした両手の先に、細長い水らしきものが浮かび出す。


水矢ウォーターアロー! 行けえ!」


 声の張り上げと共に、水の矢は一筋の光と化した。

 ひゅんという風音が幻聴される勢いで飛び抜け、草原から跳ね出した動物の頭部に弾ける。

 キュア、とその口に甲高い鳴き声が突き出す。

 両前足を浮かせて、急停止。しかし、はっきり傷は負わせていないようだ。

 それを見届ける前に、レオナは次の詠唱を始めていた。


「勇猛たる風の神に請う! 尖鋭なやいばにて総てを切り刻め!」


 今度は、手の先に何も見えないが。

 指二本を伸ばした右手を左肘の辺りに構え、それから勢いをつけて水平に腕を振り抜いていった。


風刃ウインドエッジ!」


 変わらず、何も見えないのだが。

 今度は確かに、びゅんという空気を切る音が聞こえた。

 次の瞬間。

 足を止めて硬直していたノウサギの、首から血が噴き出した。

 白い毛皮にはっきり切り口が開き、おそらく頸動脈が斬り裂かれたものと思われる。

 びくびくという痙攣が収まり、白い動物の動きがなくなったのを見届けて、残り二人も腰を伸ばした。


「ふうん、たいしたものじゃないか」

「そうすよね、あのウインドエッジ、キレ味半端ねえっす」

「ジョウのアースランサーのやつより、毛皮が使えるって高く売れたしい」


 自慢げに、少女はローブの腰に両手を構えてみせる。

 目測、術者と獲物の間の距離は二十メートル弱か。

 事前の自慢の通り、この距離だとかなりの命中率が見込めるらしい。

 今のところ、それぞれの魔法で一回の出力はこの程度が限界、ただし魔力切れなどの心配はなく回数は無制限のようだ、という。

 トーシャがそちらへ大股で歩み寄り、死骸を覗き込んだ。


「確かに、見事な切り口だな。これだけじゃよく分からんが、切れ味は剣と同等ぐらいか?」

「そうっすねえ。今持っているこの剣より、よく切れるかもって感じ?」


 レオナの返答に、剣士は頷く。

 二人の腰に帯びた剣も神様謹製なのだから、そこらのものよりかなり切れ味はいいのだろう。ただトーシャのものよりは華奢なようだし、腕力や剣の腕前を比べると及びつかないと思ってよさそうだ。

 ということからすると、この風の魔法とトーシャの剣を比較して、どちらだろうという程度か。

 威力が同等だとしたらもちろん、遠距離攻撃のできる魔法の方がかなり有用だということになる。


「ノウサギやオオカミなんかを仕留めるには十分。魔物にしても、ネズミやイタチ、オオカミに似た辺りのやつには対処できそうだな。あのガブリンってやつには微妙、こないだのトカゲモドキには難しそうってところか」

「そうだな」


 トーシャの考察に、頷いて同意する。

「何すか、そのトカゲモドキって?」というジョウの問いに、トーシャは先日の経緯を簡単に説明した。とりあえずは公式な、衛兵たちにも披露したテコ利用の対処法だ。


「俺の剣で、まったく傷もつけられなかったからな。このウインドエッジでも、難しいと思う。同じ箇所に何度も当てられるなら別だが、そういうわけにもいかんだろう?」

「そうっすね」渋々という顔で、レオナは頷く。「接近できない状況なら、そこまで細かい狙いはできないからあ」

「しかし」少し考えて、少年の顔を見た。「あのトカゲに対してなら、アースランサーってやつの方が効くかもしれないぞ。下から突き上げて仰向けにひっくり返すことならできるかもしれない。うまくすれば、首元の弱いところに命中させることも考えられる」

「ああ、そうすね」


 俄然、ジョウは瞳を輝かせた。

 レオナも、何度も頷きを見せる。


「つまりつまり、二人協力してなら、たいていの魔物を仕留めれるってことっすねえ?」

「可能性はそこそこあるってことだ。まだ見ない魔物なんかについてはまったく何も言えんし、楽観はまるでできないけどな」


 トーシャの言葉に、二人とも上機嫌の食いつきを見せている。

 両掌をすり合わせる仕草で、ジョウは頭を下げた。


「トーシャパイセンには、もっと教えを賜りたい、す。実際の魔物征伐を見せてもらって、勉強したい」

「うちもうちも」

「まだ今年になって、魔物の噂は聞かないからなあ」トーシャは、遠く山の方へ目を向けて唸った。「もし冬眠みたいなことをしてるなら、山の中を捜し回ればそろそろ動き出すやつと出会えるかもしれんが」

「行きたい、す。連れていってほしい、す」

「まあ、もう少しお前らの腕前を確認してから、だな。場合によっちゃ、咄嗟の事態にも対処しなきゃならんかもしれんし。そう言えばさっきのお前らの魔法、あの詠唱は決まったものなのか? どうやって決まったもんなんだ」

「あれは、俺たちがゲームなんかの知識でそれらしくやってみたもの、す。なんか最初にやってみたらそれで登録されたみたいで、あれ以外の言い方じゃ発動しないみたい」

「ちょっと長くて、毎回あれは面倒なんじゃないか?」

「だけどだけど、詠唱はカッコよくて荘厳じゃなきゃあり得ないしい」

「まあ前段部分は早口で済ませてもいいんすけど、肝心の魔法名は綺麗にはっきり発音するほど威力が増すみたいなんす」

「そんなものなのか」

「そうっすよお」

「なあ」


 若手二人は、にこにこと顔を見合わせている。

 そうしてから、レオナはこちらに目を移した。


「そう言えばあ、さっきのハックパイセンのあれは、何なんすかあ? ノウサギの呼び寄せ?」

「ああ、あれね。ここのノウサギは結構賢くて、相手が武器を持っていたり強いと思うと寄ってこないみたいなんだ。逆に、弱いと思うと何故か、ほぼ確実に突進してくる」

「ああだから、何も持っていないってアピールしたわけえ」

「そういうこと」

「弱いってアピールも、結構難しい、すねえ」


 ジョウはしたり顔で頷いている。

「じゃああれ、ハックパイセンの特技なんだあ」と、レオナは手を叩いて笑う。

 それにしても、とトーシャは口元を掌で撫でた。


「お前らの魔法、もっと早く発動できるように訓練した方がいいと思うな。ジョウももう一度、ノウサギ相手に見せてくれるか」

「いい、すよ」

「じゃあもう一丁。特技で呼び寄せしてやるか」


 腰を伸ばして、森の奥へ向き直る。

 やがて草陰にノウサギの『光』が見えた。

 突進を誘導して、位置を交替。ジョウがそちらへ両手を伸ばす。


に炎の加護あらん! ここに輝き燃える力となれ! 火球ファイアボール!」


 高速で前方に飛び出した火の球が、十メートルあまり先で疾走するノウサギの額に弾けた。

 甲高い悲鳴とともに両前足が浮き、前進が止まる。


朧朧ろうろうたる神よ! 我が声に答え、母なる大地より天をけ! 土槍アースランサー!」


 続く詠唱と共に、ノウサギの小さな身体が跳ね上がった。

 地面から突き上がった槍が毛皮を貫通し、背中の上まで頭を出す。

 数呼吸程度の間を置いて、ほろほろと槍は形を失い、死骸が枯れ草の上に横たわるだけになっていた。


「ふうん」トーシャが唸った。「やはり、命中度はたいしたものだな」

「この距離なら、楽勝す」


 自慢げに、ジョウが笑う。


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