9 石の家に籠もってみた
「さて、と」
まだ、陽は高い。
安心して身体を休める環境を作るため、もう少し作業を試しておこうと思う。
しばし下流方向へ進んで、また岩の崖のようになっている地形を見つけた。
その傍に、比較的岩よりも土と砂が多く広がっている地面を見繕う。
直径十メートルほど、邪魔物が少ない地面を指定して、水平で真っ平らになるようにすべてのものを『収納』で消し去る。
その上に、さっき作った一辺四・五メートルの岩の板を敷く。
四辺の隅の方を一周するように、厚さ一センチ程度に粘土を敷き詰める。
その上に、横幅二メートル、高さ一メートル、厚さ五十センチの石のブロックを敷いていく。八個を使ってちょうど一周する勘定だ。
それが終わるとまた上面に粘土を塗り、同じブロックを乗せていく。三段分、合計二十四個の石ブロックを使って、なかなかの威容を見せる高さになった。
最後にその上に、また一辺四・五メートルの岩の板を乗せて蓋にする。
結果、外観としては縦横四・五メートル、高さ四メートル弱の直方体の石箱ができあがったことになる。横壁は厚さ五十センチ、天井と床は三十センチなので、内部はおよそ縦横三・五メートル、高さ三メートルになっているはずだ。
「よし」
これなら、中で安心して休むことができるだろう。ノウサギはもちろん、オオカミやイノシシのような動物が突進してきてもびくともしないに違いない。
実物を見たことがないので断言はできないが、おそらく北海道のヒグマクラスの大形動物が来ても、はね除けるのではないか。ゴジラが出てきて踏み潰されたらひとたまりもないが、それはまあ諦めるしかない。
常識的に想像される襲撃者には耐えきると思われる、現状ではこれ以上考えようのない要塞と言えるだろう。
こんなものをほとんど体力も使わず作り上げることができるのだから、『収納』の能力に感謝の他はない。
――出入口がないんじゃないかって? その辺に抜かりはないのだよ。
回りを一周して出来上がりに満足し、川の方に面した壁に向かう。
その壁の中央下側、高さ二メートル、幅一メートルの分を、『切り取り収納』。出入りに十分な口が、ぽっかりと開く。
中に入って、今『収納』した分を元に戻す。ぴったりと隙間なく壁が塞がれ、そこに口が開いていたとは信じられないほどだ。鍵などの設備もいらない、完璧な防犯体制と言えるだろう。
むしろ換気不足で窒息や熱の籠もりの方が案じられるので、壁のブロックの継ぎ目にいくつか細い穴を開けておいた。あと明かり取りのため、天井近くに十センチ四方程度の窓を作っておく。
窓から、虫程度は侵入してくるかもしれない。壁や天井のどこかに脆弱なところがあって崩れてきたら、中にいる者は助からないだろう。何よりもこの瞬間もし『収納』の能力が失われたとしたら、二度と外に出ることはできない。
そんな危惧は否定できないが、
「もう腹を括るしかない」
この能力を信じて、ここに身を委ねようと思う。
毛布を取り出して、縦三つ折りにして床に敷く。一方の端を少し折り返して枕にし、その上に身を横たえる。
床の固さはどうしようもないが、贅沢言っていられない。
やはり睡眠不足はかなり溜まっていたようで、すぐに眠りは訪れた。
その仮眠からは、日没前に目覚めた。
外の様子はまったく分からないので、壁にまず直径二十センチ程度の覗き穴を作って様子を窺い、危険がないことを確かめてから出入口を開ける。
まだ明るい砂地の上に火を熾し、両足を切り取ったノウサギの全身の毛皮を苦労して剥がし、丸焼きの態勢を作った。『収納』の中に焼いた腿肉と魚の残りはまだあるが、ゆっくりできるときに調理済みのものを増やしておこうと思うのだ。
時間をかけてノウサギを焼きながら、いくつか実験をした。
採ってきた粘土で皿の形を作り、その完成品から水分だけを『収納』すると、瞬時に乾燥することが分かった。
これは、洗濯物の乾燥などにも使えそうだ、と意を強くする。
ただし、乾いた粘土製の皿はすぐに脆く崩れ、使い物にならない。やはりインスタント製法は当てにならないようだ。
「残念」
代わりに、皿は石から形を指定して『収納』する方法で作ってみた。土器ではなく石器ということになる。やや重たいが、実用に問題はなさそうだ。
焼く前にノウサギから剥がした毛皮は慣れない作業のためボロボロ、あちこち穴だらけだが、実験にはもってこいだった。つまり、失敗して使い物にならなくなっても惜しくない、という意味で。
付着した血や脂分だけを『収納』、川の水で洗ってから水分だけを『収納』。どちらも一度で百パーセント奪うのではなく、まず九十パーセント、次には残りの半分、と様子を見ながら処理をして、そこそこ毛皮として使用に堪えそうな状況を見極めることができた。
出来上がりは、長期保存にどうかは分からないが、とりあえず敷物として何とか使えないこともないか、というものに落ち着いた。
この成功に気を良くして、残りのノウサギについても同じ処理を行うことにする。
――待てよ。これはできないか?
思いつき、最初の毛皮剥がしの手順に『収納』を使えないか試してみたが、これは無理だった。
「毛皮だけ『収納』」と念じても、何も変化が起こらない。もしかすると「毛皮だけ」というのがどの範囲を指すのか不明、とか指示に不明瞭な部分があるのだろうか。
この辺の可否にどんな区別があるのか、まだまだ確かめていかなければ分からないところがあるようだ。
とりあえず残り三羽のノウサギの毛皮を、手作業で剥がす。脂と水分の除去は、さっきの要領で一気に行うことができた。
そんな作業をしているうちに、ウサギの丸焼きは仕上がっていた。
夕食分として適当と思われる量を皿の上に切り落とし、残りは『収納』しておく。自作の石ナイフと石フォークで、昼よりは少し人間らしい食事の形をとることができた。
日がとっぷりと暮れ、周囲に闇が降りてくる。
歩き回るとどんな危険があるか分からないので、しばらく焚き火の傍で過ごすことにする。
まだびくびくしながらの警戒は続けなければならないが、気分としては前夜と雲泥の差だ。
とにかく、火があるだけでまったく安心度が違う。一説には人間と他の獣の差を決定づけたと言われる、とにかく「火」というのは偉大なものだと思う。
それに加えて今は、すぐ背後に心強い「家」――まあこの呼称を用いるのも烏滸がましい貧相な造りの建造物だけど、すったもんだの末に自作できた満足を込めて、自分ではこう呼んでおく――がある。
この「家」に入ってしまえばほとんど警戒の必要もなくなると思われるのだが、こいつのいちばんの不満点は、照明だ。明かり取りの窓は申し訳程度の小ささなので、夜間はほとんど真っ暗になり、中では何の作業もできなくなる。中で火を燃やすのは、一酸化炭素中毒など何が起こるか分からないので、避けるべきだろう。
――本当に。
そちらを考えると不満たらたらになるが、それでも『収納』がなければこうして火も家も手に入れることができなかったのだから、十分な恩恵を受けているとも言えるわけで、複雑な気分だ。
しばらくいろいろそんな考え事を続け、かなり夜中になって「家」の中で眠りについた。獣たちへの警戒として、焚き火はそのまま朝まで保つように残しておく。
四枚の毛皮で、敷き布団代わりとして広さは十分になった。寝心地は、まあ、石床に直に触れているよりはまし、贅沢は言わない、ということで。
それでも疲労は溜まっていたようで、熟睡できたらしい。
目を覚ますと、もう小さな窓から光が射していた。
この世界に出現して、三日目。
朝食の後、とりあえず下流に向けて移動することにした。
「家」はもちろんそのまま『収納』しておく。五メートル四方程度の空き地があれば、何処でも出して休むことができるわけだ。
頻繁に森の方向に観察の目を向けながら河原を移動し、疲れたら日陰で休憩して『収納』や『鑑定』の実験を試みる。
そうして一日歩き続けても、川とその周辺の見た目はあまり変わらない。
何だかんだで、もう二日程度移動を続けている。これが日本ならそろそろ平野や海が見えてきても不思議はないわけで、何とも山深い中で第二の生を始めさせられたものだと、改めて誰やらに恨み言を零したくなる気分だ。
この間に分かってきたこと。
やはり森と河原の境目付近で遭遇する動物は、圧倒的にノウサギが多い。
そして、絶対確実というわけではないがある程度の傾向として、奴らはこちらが手ぶらなら突進をしかけてくる、木刀などを手にしていたら回避していく、という性質のようだ。つまり、その程度の知恵は持ち合わせているということだろう。
それを確認する実験として、わざと手ぶらで森近くを進んでいると、何度か突進に出くわした。
このスピードに乗った奴には、タイミングよく鼻先に「岩壁」を出現させて、ほぼ確実に仕留めることができる。タイミングがずばり決まったときには、止めを刺すまでもなくもう息のないのが何羽かいたほどだ。
この要領により、半日ほどで十羽を超える猟果を得た。
ウサギ猟の方法としては、これでほぼ確定したと思ってよさそうだ。
「うん、この猟法を『マチボーケ作戦』と呼ぼう」
――「
それでもとにかく、有名な童謡が連想されてしまったものだから、仕方ない。童謡作詞家の巨匠ハクシュー先生に、敬意を表しておこうと思う。
そんな猟をくり返しているうち、もっと大きな動物にも遭遇した。
「お?」
いきなりのっそりと、木陰から現れた毛むくじゃらのずんぐり丸い体型。
小形の牛ほどの大きさのようだが、体高は低い。口脇に上向きの牙が二本覗き、額に短いながら角を持っているように見える。
角を持つということで異なるが、前世の知識でいちばん近いのは、イノシシだろうか。
【ヤマイノシシ。雑食の中型動物。食用になる。】
と、ほぼ予想通りの回答が『鑑定』から得られる。
しかしそんな、暢気に考えている暇はなかった。
手ぶらのこちらを認めると、即座にそいつは突進を開始していたのだ。
――ここの動物、突進マニアばっかりかよ!
まあ「猪突猛進」という意味では、こいつの方が元祖なのかもしれないが。
ドドドドド、と足音高く、見る見る肉薄してくる。
傍らの岩に飛び乗りながら、その鼻先に、石ブロックを念のため二段重ねで出現させた。
グワシャ、ガッシャーン、とばかりのけたたましい衝突音。
もんどり打って、そいつはその「岩壁」の前に横倒しになっていた。
ばたばたと、のた打ち回りが止まらない。その頭の上に、両手でようやく持てる大きさの石を出現させて、落とす。もっと大きな岩で確実に息の根を止めることができそうだが、結果が直視できないほど悲惨になるのは避けたいから。
それでようやく大きな動きが収まり、びくびく痙攣する程度になった。
恐る恐るながら近づき、首筋に石ナイフを突き立てて止めを刺す。
絶命を確かめて、『収納』する。
「ふうう」
思わず、大きな溜息が口をついた。
冷や汗ものではあったけど、なんとかこの猟法で【中型(?)】の動物を仕留めることはできるのが分かった。
――しかし、これで中型かい。
体高はともかく、重さなら成人男性の五倍以上ありそうだ。
見ると、衝突を食らった二段重ねの石ブロック、上段のものが厚さ五十センチの半分くらいまでずれてしまっている。相当の衝撃があったことになるのだろう。
同じブロックで作られている「家」も、こんな衝突を何度も受けたら崩壊する可能性があるということか。のんびり安心しているわけにはいかないようだ。
しかも、これが【中型】なら、この上に森には【大型】の動物がいることになるのだろうか。
前世からの連想では、クマのようなものしか思い浮かばないが。
それにしても今のヤマイノシシにしても、前世にテレビで観たイノシシに比べて一回りから二回り大きいように思われる。もしかするとヒグマより二回り程度大きいものが棲息しているのかも、と思うと肝が冷えきってくる。
――まあ、怯えてばかりいても仕方ない。
大切なのは、警戒を絶やさないこと。あとはやはり、早くこんな森中を出て安全な人里を見つけること、だろう。
もう一つ。
昼食後に腹ごなしの休憩をとりながら、『収納』の実験をまたいろいろ試みてみた。
その中で、なかなかに有用な発見があった。
いろいろなパターンで確かめて、『切り取り収納』『位置指定取り出し』はかなり細かく正確な精度で実現できる。
気を良くして、石斧や石鍋を作ったり、木の棒の先に石の刃を埋め込んだ槍を工夫したり、さまざまに熱中してしまった。
槍の先を石から切り出す形で作り、根元の首の部分を先が少し太くなるようにする。太めで真っ直ぐな木の棒を用意し、その先に槍の首よりやや小さめの穴を彫る。『収納』した槍先をそこに合わせて取り出すと、ぎりぎり穴を破壊しそうな密着ぶりで固定することができた。
試しに棒を振ってみると、石の刃は揺らぐ様子もない。乱暴に使ったら分離してしまうこともあるかも知れないが、当座の役には立ちそうだ。
この過程で浮かんだ疑問を確かめるため、さらにいくつか実験をしてみた。
その物が収まるかどうか怪しいところに『取り出し』を試みると、どうなるのか?
二つの石の置かれた隙間に別の石や木を『取り出し』することで、検証してみる。
結果をまとめると。
元あるものか取り出したもののどちらかが圧縮や変形できる範囲で押し込めるなら、『取り出し』が実現できる。
ふつうの物理法則レベルで押し込みが無理なら、『取り出し不可能』という手応えがあって、実現しない。
という感じのようだ。
今作成した槍の場合、刃の首の部分が棒の穴より少し大きいわけだが、木の方を圧縮変形して収めることができた。その木の方の反発の弾力でそこそこしっかり固定されている、ということになるのだろう。
また、これもほぼ当然として納得できるが、すでに物があるところへ『取り出し』はできない。
岩の内部に直接何かを埋め込むなどはもちろん無理だし、木の棒の途中に石の板を出現させて切断、などということもできない。相手が気体や液体なら圧縮変形できる限りで実現するし、草の葉程度のものなら折り曲げ押し退けて場所を確保することはできるようだ。
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