10 オオカミから逃げてみた
そこでもう一つ、改めて分かったことがある。
槍刃の首の根元をやや太くなるように成形したのだが、これは棒の穴をめきめき押し広げながら中まで押し入ったわけではない。いきなり内部に出現して、周りを押し広げる形で収まったということになるはずだ。
同じようなことは、初日の森の中で土に埋もれた石を『収納』『取り出し』する試みでも確かめた。半分以上埋もれていた石でも土を崩すことなく消滅、出現させられる。
そういう意味で『収納』の機能は、自然摂理を無視した形で実行されているということになるようだ。
そう考えると、さらに疑問が浮かぶ。
――まったくこちらの目に見えない、物体の内部のものとかをターゲットにすることはできないか?
実証は、簡単にできる。
目の前のそこそこ大きな岩に向って。
「天辺より一センチ下から、一辺十センチの立方体を『収納』」と念じてみると。
岩の見た目は変わらないが、『収納』が実行された手応えが頭に返ってきた。
取り出してみると、確かに一辺十センチの立方体ができている。
その立方体を元の岩の上から落下させてみると、衝突音とともにぽっかり穴が開いた。覗くと、確かに一センチほど奥に立方体の空洞ができている。
つまり、物体の内部のものを『収納』することは可能というわけだ。
これならおそらく、隣の部屋のものなど隔絶したところにある物体の『収納』ができる、ということになりそうだ。
「これもしかして、もの凄いことなんじゃないか?」
あるいは、数多の
もしかするといくつかの作品の中では実現していたのかもしれないが、大半のものではこんなこと不可能、あるいはできるか試してもいない、ということのはずだ。
何だかわくわくを抑えられない気分で、さらに実験を進める。
もう一度別の岩に「天辺より一センチ下から、一辺十センチの立方体を『収納』」を実行。
内部にできているはずの空洞に向けて、水を『取り出し』注入してみる。
何事もなく、実現した。水を一リットルほど入れたところで、これ以上は無理、という手応えが返ってくる。
また岩の上部を割ってみると、まちがいなく空洞が水で満たされていた。
つまり、隔絶したところへの『取り出し』も問題なく可能、というわけだ。
しかしここで、素朴な疑問。
「内部のものを『収納』した後の空洞は、どうなっているんだろう」
――真空状態か、替わりに外の空気が入れられているのか?
単なる物体の移動ということだけなら、あとは真空、というのが理屈に適っている気がする。
しかし言わば「神の力」による作用なのだ。何となくだけど、その辺なるべくおかしなことが起きないように帳尻合わせがされていて不思議がない気がする。
ぶっちゃけた話、そんなひっきりなしに真空ができてしまったら、危なっかしくて仕方ないではないか。
こんな内部の話でなくても、外で大きな岩を『収納』したとき、そのあった場所が一瞬でも真空状態になるなら風が吹き込むくらいの現象が起きてしまう。今までの体験で、そんな感覚はなかった。
おそらく『収納』で物体が消えると同時に、その空間は空気で置き換わっていると思っていいだろう。
検証として、また岩の内部、天辺より五ミリほど下から立方体を『収納』してみた。
そこへ「置き換えではなく、追加」と念じながら、空気を注入してみる。かなり抵抗の手応えはあるものの、入れることはできる。例えてみれば、自転車のタイヤに空気入れをする感覚だ。
少しずつ追加した分、通常の環境だと合計一リットルに満たない量で、もう無理かという手応えが返ってきた。
それでも無理矢理、もう少し追加すると。
パカーーン。
「わあ!」
小気味よい破裂音とともに、岩の上部が砕け上がった。
細かい破片が辺りに飛び散る。あらかじめ警戒してその岩と距離をとっていて、正解だった。
容量一リットルの空洞に一リットルに満たない空気を追加して破裂できたのだから、もともと空気で満たされていたと考えてまちがいない。
ついでに、こんな方法で岩の破壊ができることが分かった。何か応用が考えられそうだ。
一日移動を続けながらこのようにして、十分すぎるほどの狩猟と、機能の実験で新発見という結果を得ることができた。
夜は焼き魚と果実で食事。
イノシシの味も確かめてみたいところだが、解体の自信がない。そもそもあの大きさ、一人で解体が可能なのかという疑問も消えないほどだ。
人里を見つけて助けを頼むか、いっそそのまま売り払うか、だろう。
睡眠のために、また「家」を取り出す。昼間にイノシシの衝突の威力を見て不安になったので、さらに外側に石ブロックを追加し、壁を二重にしておいた。
内部はさらに暗く、「監獄よりも殺風景でないのか?」と思える見てくれになったが。気にしないことにする。
幸い、夜中に突進をかけてくる襲撃者はいなかったようだ。
翌日も、同様に移動を続ける。
川の果ては、まだ見えてこない。
移動は原則、森に近い辺りを辿ることにした。何か獣の襲撃があることを警戒しなければならないが、その反面、食用になるものを見つけることができる期待もある。
ただしノウサギについては、十五羽程度『収納』できたところで積極的に狩ることはやめにした。前日検証したように、こちらが木刀を手にしていればほぼ向こうから襲ってくることはない。
ひっきりなしに森の方へ目を向け、何か危険な動物と食用になる植物があったら光で報せてくれるように『鑑定』に念じておくと、それを実現してくれた。
これにより、ノウサギの接近はだいたい足音か光で知ることができる。
また、目新しい食用になる果実をいくつか採取することができた。
時々、大岩が大量に密集して通り抜けが困難な場所に遭遇した。
大きく迂回しなければならないかとげんなりしたが、考えてみるとその必要がないことに思い当たった。
試してみると、当然ながらうまくいく。大岩群を丸ごと、通り抜けができる範囲で『収納』してしまうのだ。通った後で『取り出し』戻しておけば、何事もなかったかのように元通りになっていた。
――反則的に便利だよな、この『収納』ってやつ。
最初の頃の不満たらたらを棚に上げて、思ってしまう。
へたをするともっと凄いことまで実現可能なのではないかと思えて、恐ろしくなってくるほどだ。
――あまり危険なことは考えないようにしよう。
また一度、そこそこ離れた森の奥の方に『鑑定』の光がちらつくのを見つけた。
距離を考慮すると、かなり大きいものという気がする。
見失わないうちに『鑑定』してみると、
【オオクロクマ。雑食の大型動物。食用にならないこともない。】
「ついに、クマかよ」
【大型】という記述を見ただけで、お近づきになりたくない思いでいっぱいになる。ここからでは正確な大きさは分からないが、確かめる気も起きない。
そういうものが森の中にいるんだという情報だけで、腹一杯だ。
向こうに気づかれないうちにと岩の陰に回り、こそこそと足を急がせた。
川の流れは、まだ森の中に続く。
河原の様子も微妙に変わりながら、やはり決定的な変化は見られない。人里が近づくという希望は何処にも見つけられない。
何となく気持ち、川幅が狭くなってきた気がする。平地に近づいたら逆に、流れは緩まり幅が広がるものではないか。そう思うと、やはり焦燥だけが積み上がってくる。
まあ救いは、水と食料が十分にあり、休息の方法も確保できていることか。
やや広い場所を見つけ、昼食休憩をとることにした。
焚き火を熾し、新しいノウサギを一羽丸焼きできる形を作った。
果実を囓りながら、のんびり焼き上がりを待つ。
肉の焼ける芳ばしい香りが立ち昇る。
腹の虫の歓喜の合唱を聴きながら、砂の上にソルドンの種を捨てた。
そのとき、だった。
目の端に、細かな光の点滅のちらつきが刺し込んできた。
用心のため正面を向けていた森の方向、木陰のあちらこちらに、見え、隠れ。それが見る見る大きさを増してくる。
「何だ?」
訝る間もなく、茶色の陰が一つ木の陰から躍り出してきた。
慌てて、『鑑定』。
【モリオオカミ。肉食の中型動物。食用にならないこともない。】
正直、【食用】の部分は、今はどうでもいい。【肉食】【中型】の記述に背筋が冷たくなる。
昨日のイノシシと同程度の大きさだということだ。遠目にも、前世の狼の印象より大きい、いわゆる大型犬サイズ以上に思える。
それが、他にも次々と姿を現し、たちまち十頭以上の群れになっていた。
しかも仲間の整列を待つでもなく、砂地に降り立つやただちに、先を争うようにこちらに向けて疾走を始める。
――
焼きウサギの匂いが、奴らを呼び寄せてしまったのだろう。
あの数が到底一羽のウサギで満足するはずもなく、他の弱い動物も共に餌食になる結果しか想像できない。
しかもあの身のこなし、逃げ足が敵いそうもないし、接近戦でこちらの
――機先を制する、しかない。
十頭以上の疾走が、岩の間を抜けて縦二列ほどになる。
その鼻先へ、石ブロックを二段積みで出現させる。
「どうだ?」
期待は、一瞬で裏切られた。
先頭の一頭は跳躍してそれを跳び越し、続く数頭は横手の岩の上へと進路を変えている。
今までに比べてタイミングが遅れたという感触ではなかったが、明らかにウサギやイノシシより敏捷性が高いらしい。
――などと、暢気に考察している暇もない。
見る見るうちにこちらへ肉薄、先頭はもう五メートルほど先に迫っている。
もう一度石ブロックを使っても、それを
恥も外聞も、あったものではない。必死に、下流方向へ逃走を図る。
しかし、走る速度は明らかに相手の方が上だ。
時間の問題、というよりあっという間に追いつかれる予想しか立たない。
わずかに数歩、少し広い砂地へ駆け出して、跳躍。
足が数十センチ地面を離れたところで、自分を中に取り込むように「家」を出現させた。
無事、石の床に着地。次の瞬間、続けざまに壁への衝突音が響き渡った。
「危機一髪」
危ないタイミングだったが、追い縋る追跡者を閉め出して要塞を据えることができた。
何とか安堵して、へなへなと石床の上にへたり込んでしまう。
がりがりと壁を引っ掻く音が伝わってくるが。それ以上、衝突などの攻撃音は聞こえてこない。見た目の体格からして、昨日のイノシシより体当たりの破壊力があるとは思えない。
とにかくもこの中にいる限り、身の安全は保障されていると思っていいだろう。
問題は、どれだけ辛抱すれば奴らが諦めて立ち去ってくれるかだ。
火にかざしてあるノウサギ一羽にありついたとして、それだけであの数のオオカミが満足するとは思えない。
こんな石の要塞が突如出現したことにどれだけ理解が及ぶかは不明だが、周囲に残る人間の匂いを嗅ぎ回って、しばらくは捜索を諦めないのではないか。
――とりあえずは、我慢競べかな。
幸いこちらには、当分の籠城に困らない準備がある。
一息ついて、食べ損ねた焼きウサギの代わりにすでに焼けている腿肉を取り出した。噛みつくと、まだ焼き立ての熱さとたっぷりの汁気だ。
一応満足して、口を拭う。
まだ外からは、壁をがりがり掻く音が聞こえてくる。
前から、後ろから、右から、左から。方向を変えながら重なり聞こえてきたりするところを見ると、まだ複数で探索を続けているということだ。
様子を見るため、壁に窓を開けようかと考え。しかしオオカミと正面から目が合うかもしれないことには、御免蒙りたい気がしてくる。
思案して、内側の二メートルほどの高さから外側一メートルの高さへ、斜めに穴を開けてみた。大きさも内側で直径十センチ、外側で二十センチ、と広げてみる。
石ブロックを踏み台にして、覗き下ろすと。
やはり、数頭のオオカミがうろうろ歩いているのが見えた。
辛うじて視界に入る、さっきの焚き火の地点。まだ火は燻っているが、ウサギの姿は消えている。
つまりこいつら、それほど火を怖がることなく獲物は手に入れたということらしい。
思案。
ここから外へ向けて、『収納』『取り出し』はできるはずだ。
収納してある十数羽のウサギを振る舞ってやれば、こいつらも満足して去っていくかもしれない。
しかしそれも、どうにも癪に障る気がする。
――ノウサギならそこらにいるんだから、自分たちで探しに行けよ。
人間として、身を守るためならそうした手段も厭うべきではないのかもしれないが。どうにも負けっ放しのようで気に食わない。
今の状態で安全は確保できているのだから、血を見なければ気が済まないというほどではないにしても、何か一矢報いてやりたい、というような。
思案。
「試しに、やってみるか」
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