31 看病してみた
北門から町に入って、口入れ屋などの並ぶ通りの近くに、医院はあった。
あまりふつうの家と変わらない外観の平屋建物に入って、すぐ脇の小さな部屋に敷かれた布の上にトーシャを横たえる。
そのまま、衛兵たちはすぐ出ていった。
一人残されて、手当を始めた医者の手伝いをすることになった。
もちろんたいしたことができるわけではなく、言われたものを手渡したり、患者の身体を動かす手助けをしたり、といった程度だ。そういう手伝いの人手も、ここにはいないらしい。
「君は、この患者の家族か友人か、かね」
「昨日災難に遭ったところを助けてもらった、という知り合いなんですが、まあ友人ということになるんですかね。彼に家族や親しい知り合いはいないはずです。昨日この町に来たばかりと言っていました」
「ふうん。じゃあ君に説明しておくが。この患者、腕の傷は深さとしてはそれほど酷いものではない。何事もなければ数日で塞がることも期待できそうだ。問題は、すでにかなり血を失っていることと、こういう負傷で最も恐れられる
「土、痙攣?」
「こういう傷が土に触れるなどして、悪いものが入って起こると言われている。
「そうなんですか」
破傷風、のようなものだろうか。
生前そんなものに詳しい知識はなかったわけだが、知る限りでは似ているように思われる。
ただ似ているとは言っても、完全に同じとは限らないだろう。ウサギやオオカミだってあちらのものより大きかったり強かったりするのだから、破傷風菌も質が異なったり強かったりしても、何の不思議もない。
とにかくそれが発症したら、薬も治療法もないのだという。
「今はとりあえず患部を清潔にして傷が塞がるのを待つ、熱が出ているようなので解熱剤を与える、ということで様子を見ることになる。運よく治まればそれでよし、もし痙攣が始まるようなら諦めてくれ」
「分かりました」
「それで、言いにくいんだが……」
「あ、治療費ですか」
「うん。悪いが、無料奉仕というわけにはいかないんでね。見たところこの患者、服装や持ち物などは立派なようだし」
「ですよね」
防具と剣は外して傍らに置いているが、さすが神様謹製、どう見ても安物扱いはされそうにない。
無一文なので、と逃げることは到底無理だろう。
だが、トーシャはオオカミ狩りの礼金を相当額持っていると聞いたが、まちがいなく『収納』の中で、今取り出すことはできない。
――僕が立て替えるしかないだろうなあ。
と、結論するしかなかった。
まあ最悪の場合、そこの剣を売り払うので相当な金額にはなりそうだ。
「僕が立て替えて、支払います。どのくらいになるでしょうか」
「悪いね」
とりあえずはここまでの治療にかかった金額と、今後三日分の部屋代――つまりは入院費ということになるのだろう――そういう額を提示された。
幸い、現在の所持金で立て替えることはできる。
銀貨と銅貨で支払うと、数えながら医者は付け足した。
「これで三日間はここで預かることになる。君も付き添うならそうしてもらっても構わない。ただ、また薬代などがかかったなら、追加でもらうことになる」
「分かりました」
フィクション内の医者と言えば
ここまでの診断と治療を見ていても一応納得のいく印象で、今後もいきなり妙な投薬などをして高額の請求をされるということもないのではないか。そう思っておく。
ただやはり、前世の感覚からするとかなり、医療技術は古典的ということになりそうだ。
どうも傷を塞ぐのに糸で縫うなどの方法はとらないらしいし、もちろん注射も点滴もない。薬の類いも悲しいほど限られているようだ。薬の種類だけならもしかして、紀元前の中国よりも劣っているレベルじゃないか、という気がする。例によってはっきりした知識があるわけじゃないけど。
まあしかし、ここで無いものねだりをしても仕方ない。
いきなり悪魔祓い儀式などをされるのに比べたら、相当ましだと思うべきだろう。
アドルフ医師の診断を信じるなら、トーシャが助かるかどうかは、その土痙攣病なるものの発症があるかという一点にかかっているらしい。
――しばらく様子見、か。
医者は外来患者の診療に出ていき、一人残されて病状を見守ることになった。
トーシャは苦しそうに顔をしかめながら、こんこんと眠り続けている。
付き添い看病といっても、これは古今東西共通だろうか、発熱の対処として濡らした布を額に乗せるくらいしかできない。
――別に、かけがえのない大切な人、というわけではないのだけど。
思えば、知り合ってからまだ一日も経っていないのだ。
それでも、そんな時間の長さは関係ない。
同じ境遇の人間として、このまま見捨てることはできない気になっていた。
現実に、ここでほとんど隠し事をしないで会話ができる唯一の存在、ということがある。
それだけではなく、ここであっさり彼に死なれたら、同様の境遇の自分の今後も何の保障もないという思いが断ちきれない。
何よりも、とにかく、身近な命が失われることに身震いするような恐怖が募り、耐えられない思いだ。
――頼む。助かってくれ。
その病状が一変したのは、日も暮れた後だった。
いきなり、のように思われた。
「う、うううーー」
「どうした、トーシャ?」
眠っていると思っていた怪我人が、いきなり唸り、身を震わせ出したのだ。
慌てて部屋を飛び出し、医者を呼ぶ。
「先生、先生!」
「どうした?」
駆けつけたアドルフは、部屋の中を見るなり首を振った。
「まちがいない。土痙攣病だ」
「本当、ですか……」
「こうなったら、どうしようもない」
最終宣告に、全身から力が抜けていくのが分かった。
横たわった患者は、ぶるぶると震え続けている。
これが数日間酷くなり続け、抑えも効かない痙攣の末、絶命に至るのだという。
――土痙攣病――破傷風――。
確か前世の現代に至っても、全身に菌が回りきったら医者も匙を投げるしかないのではなかったか。
全身に回りきる前に、菌を抑えるしかない、ということか。
そんな方法、この世界、この医院にあるはずもない。
十分奇抜な『収納』でも、体内の菌だけを選択して消し去る、などできようもない。実際試してみても、無理だった。菌も生物だということだろう。
なお『鑑定』することはできた。
【土痙攣病。地球での破傷風に近い。土痙攣病菌が体内に回り始めている。】
と出た。
傷に巻いた布の隙間に『鑑定』のキラキラが見え、
【土痙攣病菌】
という表示もある。
菌が繁殖して増えているのだろう。
もしかすると負傷直後に『鑑定』したら、菌の存在も分かったのかもしれない。
あのときは、そんなことを思いつく余裕もなかった。
「本当に、どうしようもないんですか? 病状の進行を抑えるとか、体力をつけさせて回復の可能性を高めるとか」
「無理だな。昼間からいろいろやっても、固形物を口に入れることはできなかったし。確かに出血が多かったので体力を失っていて、それで抵抗力がなくなっていることは考えられるが、どうできるものでもない」
「血が増えるような、何か薬とか食材とか」
「あったとしても、気休め程度だろうな」
「ああ、何か!」
実りのない問答に居たたまれず、部屋を飛び出していた。
当てもなく走り回り、飛び込んだのは厨房だった。
――何か、何か――ないか。
見回しても、助けになりそうなものはない。
恐慌しきった頭に、とりとめなくいろいろな映像が流れ消える。
何か、掠めるものがあるような、ないような。
そこらのものをひっくり返し、覗き込み。
絶望のまま飛び出し、外に出る。
日が暮れ落ちた町中は、やはり闇に包まれ出している。
この時間帯、開いているのはデルツの料理屋くらいだったか。
考えまとまらないまま、そこへ飛び込んでいった。
店仕舞い作業をしていた店主に、とりとめない問いかけを投げつける。
わけ分からない様子のまま、それでもデルツは親切に応対してくれた。
問いかけ、駆け回り、かき回し。
店主に、狂人を見るような目を向けられ。
やがてまた、当てのないままそこを飛び出していた。
「う、ううううーー」
戻った医院では、トーシャの呻きが響き続けていた。
医者はその汗を拭ったり、水を飲ませたりしているようだ。
厨房に駆け込み。
水を汲み、カップを拝借し。
ほとんど自分でも狂気に取り憑かれたとしか思えない感情のまま、必死にその容器に液体を絞り溜めていた。
病室に戻ると、発作の合間なのかトーシャは少し静まっていた。
脇で、医師は疲れ果てた態で俯いている。
「済みません」
「うん?」
「こちらで用意したの、飲ませていいですか」
「ああ、水分は摂らせた方がいい」
医者に断りを入れて、患者の口にカップを運んだ。
意識のないまま、そこそこの量が飲み込まれる。
その後はしばらく、医者と交代で看病を続けた。震え暴れる身体を押さえつけ、鎮まったところで汗を拭い寝かせつける。カップの中身を飲ませる。
「先生は、休んでください」
「ああ、済まないが」
夜半過ぎには翌日も診療があるだろう医師を休ませ、一人で世話を続けることになった。
夜中過ぎようが構わず、発作は続く。
暴れ回るのを押さえ、宥めつける。
果てしなく思える格闘の末、小休止が訪れる。
眠る余裕もなく、ただ綿のように疲れ果てた身体で壁に凭れかかる。
――いつまで、これが続くのか。
そんなことを、何度かくり返し。
気がつくと、窓の隙間が白み出していた。
板を開いて覗くと、遠い山際が光を帯びてきたところだ。
思わず、というか。心ならずも、とでもいうべきか。
知らず、そちらへ向けて祈る心持ちになっていた。
――名も知らぬ神よ、お願いします。
生前、まったく信仰心はなかった。家に神棚さえなく、毎年恒例とは言えない気が向いたら程度の初詣に、神社を訪れたくらいだ。
この世界に来て、「教会」という言葉は聞いたが、そこで祀る神の名も知らない。
かの
どう考えても、前世も今世も神が願いを聞いてくれるという幸運など望むべくもなさそうだ。
それでも、祈るしかなかった。
信仰というのはこういうときに生まれるのかもしれない、とぼんやり思う。
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