30 人を助けてみた

 角を曲がり、路地を抜け。

 走る前方に、やはり東のものと同じ木の柵が見えてくる。

 まだ人の姿がはっきり見えないところで、横道に逸れる。

 門番とやりとりをしている時間が惜しい。

 壁建設が進んでいない地域なので、ある程度何処からでも町の外に出られるのだ。

 草原に出て、森の木立を目指す。

 足を踏み入れた木陰は、鳥や獣の声もなく、異様な静寂に包まれていた。


「トーシャ、いるか?」


 大声で呼びかけ、少しの間応えを待ってみた。

 しかし何処からも、獣の声さえない。

 がさがさと草をかき分け、奥へと進み出す。

 獣や鳥の気配がないのは、魔物の存在から逃げ出したということなのではないか。

 先日のあのお化けゴリラの魔物なら、かなり離れても見つけられるはずだ。いるのだとしたら、まずそれを視認すべきと思う。

 もしその近くにトーシャがいないなら、まだ心配はないということになる。

 がさがさと草木をかき分ける。

 危険な獣や魔物を報せるように『鑑定』に指示をして、辺りを見回す。

 そうしながら、奥へ、奥へ。


「トーシャ、いたら返事しろ!」


 呼びかけに、応えはない。

 がさがさと。

 奥へ、奥へ。

 数十分も、経っただろうか。

 突然、大木の陰に『鑑定』の光が見えた。


――いた!


 毛むくじゃらの、異様に大きな立ち姿。

 忘れもしない、あのゴリラの魔物だ。一匹、らしい。

 用心して、大回り。すると、奴が向こうむきに立っているのは、崖っ縁らしい。どうも下に気になるものがあって、覗き下ろしているという様子だ。

 こちらもかなり離れて崖に近づき、下を覗いてみる。

 高度差四~五メートルといったところだろうか。草に覆われたかなりの急勾配が続き、その先が河原になっている。

 その河原の砂地が始まる手前、まだ草が茂る中に、何かが見えた。

 茶色のような、赤のような。目を凝らすと、金色も見える。

 茶色の革製品を身につけた、金髪の人間だ。倒れて、動かない状態か。


「トーシャ!」


 大声をかけても、動く気配もない。

 代わりに、こちらの横に反応があった。

 声を聞きつけて、魔物がこちらを振り返っている。


 ぐおおおおーー。


 と、唸り声が上がる。

 こちらを餌認識したのだろう、どすどすと勢いよく駆け寄ってくる。

 足の速さでは、敵わない。

 片手にでも捕まえられたら、もう逃げようもない。

 たちまちがぶり頭から食いつかれて、お終いだろう。

 もう、逃げようもない。

 逃げるわけにも、いかない。


 ぐおおおおーー。


 その距離、約二十メートル――十五メートル――。

 ――十メートル、を、切った――。

 見極めて、出現させた。

 その巨大な頭の真上に、二回りほど大きい岩の固まりを。


 ガシャ――。


 ぐあああーー。


 野太い雄叫びとともに、巨体が傾き。

 側頭を打った岩もろとも、崖下へと転げ落ちていく。

 何度も転げ、回り、草地の途中に岩と並んで停止する。そのまま、動かないようだ。

 そちらの観察を続ける間も惜しく、もう一度こちらの下へ呼びかけた。


「トーシャ!」


 やはり、金髪の人型にひくとも動きはない。

 逸る気を抑えられないまま、辺りを見回した。

 あそこまで降りていく道は――見当たらない。

 数メートル横手の坂なら、わずかに足がかりになりそうな出っ張りを伝えば降りていけるかもしれない。十分安全とも言い難いが、時間が惜しい。やるしかない。

 と意を決して、そろそろ坂面を足で探りながら下り出す。

 命の危険がある冒険を好んでしたいとも思わないが、ここではまだ奥の手があるから思いきれるところだ。もし足を踏み外して滑降する羽目になったら、『収納』から斜面沿いに高さ四メートル見当の岩を取り出してやればいい。今の高さからでも、一メートル弱の岩面への墜落で済むはずだ。

 そんな安心があるためか、無事足を滑らせることもなく砂利地まで降りることができた。


「トーシャ!」


 さらに呼びかけ、駆け寄る。

 半ば草に埋もれて横たわっているのは、まちがいなく剣士姿の友人だった。額と左腕から出血しているのが見える。とりあえず、呼吸と心臓の鼓動は確かめられた。

 額は、たいしたことがなさそうだ。墜落してきて、傍にある岩に打ちつけたというところだろうか。それも一応斜面滑落だから、激しい衝突ではなかったようだ。

 放っておけないのは、左腕の方だ。

 肩のすぐ下から肘近くまで、ざっくりと切り裂かれて激しく出血している。

 魔物の爪でも受けた、ということだろうか。

 こうしている今も、流れ出す血液が草を染めている。


「くそ、止血――」


 救急医療の知識など、まるでない。何処かの本で読んだような、本当に正確なものか何の保証もない、といったものを必死に頭の中に思い浮かべる。

 たぶん、傷よりも心臓に近い部分をきつく縛ればいいはずだ。

 取り出した布紐で、腕の付け根を縛り上げる。

 心なしか、出血量は減ったようだ。

 続いて『収納』の水を取り出して、傷口を洗う。消毒などの当てはないが、できるだけ菌などの侵入を防ぐべきだろう。

 あとは、それ以上に効果の自信のない処置になった。

 殺菌、消炎の効用があるというハルクの葉を二枚取り出して、傷を覆う。その上から手拭いをぐるぐる巻きつける。

 そこまで処置をしてから、改めて相手の顔を覗き込んだ。


「トーシャ、おい、トーシャ!」


 ぺしぺしと頬を叩く。

 何度かくり返すと、ううん、と口元に唸りが漏れた。

 ごく薄く、瞼が開いた。


「おいトーシャ、分かるか?」

「う……」

「分かるか、おい!」

「……お前……」

「意識はあるな? 起こすぞ、歩けるか?」

「あ、あ……」


 背中に手を当てて、上体を起こしてやる。

 この先どうするのが正解なのか、まるで分からない。

 まちがいなさそうなのは、このままにしておくと出血多量で取り返しがつかなくなりそうだ、ということだ。

 町へ助けを呼びに行って戻ってくるより、このまま怪我人に肩を貸して運んでいく方が、助かる確率は高そうに思える。


「立てるか?」

「お……おう」


 傷めていないと思われる右腕をとって、腋に肩を差し入れる。

 励ましながら立ち上がると、すぐに呻いて、トーシャは左足を浮かせた。


「う、いて――」

「足、傷めているのか?」

「う、らしい……」

「右足だけで、歩けそうか? 行ってみるぞ」


 さらに持ち上げ気味にすると、怪我人はほとんど全体重をこちらに預けてくる格好になった。

 それを支えて、そろそろと歩き出す。

 前に口入れ屋で見た地図を思い出す。

 目の前の川があれに描かれていたものだったとしたら、少し下流に進めば町に続く道に行き当たるはずだ。

 この斜面を登って元来た径路を辿るのは不可能そうだから、その地図の記憶に賭けるしかないだろう。

 大きな石や砂利やが転がる河原を、できるだけ障害の少ない箇所を辿って歩いていく。

 しばらく、数十分も歩いただろうか。

 頭の上から、人声が落ちてきた。


「おおい、お前らあ!」

「大丈夫かあ!」


 見上げると、崖の上から衛兵らしい数人の顔が覗いていた。

 一人は、さっき話した人らしい。


「怪我しているのかあ?」

「はい、あっちで魔物に遭って、崖から落ちたようです」

「魔物だって?」

「はい、そいつも一匹、一緒に落ちて動かなくなっています。ここから半時くらい上流に歩いた辺りです」

「そうか!」


 数人が指示されて、上流方向へ向かったようだ。

 会話をしていた衛兵が二人で、草の斜面を滑り降りてきた。

 身体能力のせいか、さっきの場所より傾斜が緩いのか、軽々とした身の動きだ。


「そいつ、出血しているのか?」

「はい、一応傷口は縛ったんですが、かなり血は流れた後のようです」


 もうトーシャは意識も朧げらしく、さっきから機械的に足を動かす程度で声も出てこないのだ。

 ざっと様子を観察して、衛兵は背負っていた袋を開いた。

 中から大きな厚い布地らしいものを取り出す。広げたそれは四隅に持ち手らしいものがついた、簡易の担架の類いのようだ。

 一人が、先に町に連絡する、と駆け出していく。

 半分意識のないトーシャを担架に乗せ、残った顔見知りの衛兵と前後を持って、運搬の足を進める。


「魔物って、話に聞いた例のでかい奴か?」

「ええ。僕はどちらも下に落ちた後で見つけたんですが、岩に頭を打ったかで動かなくなってるの、人をかなり大きくしたような感じでした。こっちの手当が先なんで、近くに寄って見たわけじゃないんですが」

「この男、そんなのと遭遇したわけか。運が悪いのか、好きで近寄っていったのか知らんが」

「分かりませんが。昨夜話したとき、魔物に興味を持っていたみたいなんで」

「物好きで近寄ったかもしれんのか。何とも……。こいつ、この顔色だとかなり危ないぞ。傷口だって、どんな悪いものが入ったかも分からんのだろう?」

「ですよね」


 衛兵とそんな会話をしながら進むうち、橋の架かった道が見えてきた。

 そちらへ向けて緩い斜面を登る。

 道なりに町を目指していくと間もなく、さっき報告に戻っていった衛兵が男を一人連れて引き返してくるのに出会った。

 同行しているのは、医者だという。

 アドルフと名乗った中年手前くらいの年齢に見える医者は、トーシャを覗き込んで低く唸った。


「かなり血が出てしまったみたいだな。危ない顔色だ」


 道端に下ろした担架の上で、手早く診察を進める。

 傷口に巻いた布は、少し開いただけですぐ元に戻された。

 左足首を動かすと、トーシャの口に呻きが漏れた。


「止血はまあ、最低限されているな。足は捻挫のようだが、たいしたものではない。問題はやはり、左腕の出血だ。このままじゃ血が足りなくなって死んじまうだろうし、傷口からどんなものが入ったものか分かったものじゃない」

「はい」

「このまま急いで、私の医院に担ぎ込んでくれ。できることはあまりないが、とにかく消毒の上安静にして回復を祈るしかない」

「分かった。おい、急ごう」


 衛兵のかけ声でまた担架を持ち上げ、足を急がせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る