136 準備してみた

 出てきたところで蔵の横から手招きし、ジョウに板を二枚とペンとインクを渡した。

 手早くバーチャル空間の邸内を捜索して、筆記用具らしいと見つけたものだ。

 それをジョウは運んで、トーシャに手渡す。

 頷いて、トーシャは蹲ったままの商会長と兵の責任者――名前も肩書も不明だがどうでもいい、仮称「隊長」としておく――を見下ろした。


「大人しく言うことを聞けば、乱暴はしない。お前――」と、トーシャは隊長に筆記用具を差し出した。「こちらの領主邸に放火したのは自分たちだ、と書いて署名しろ」

「な――?」


 放火の件を知られているとは思わなかったのか、隊長は目を丸くした。

 それへ向けて、トーシャは軽く剣を持ち上げる。


「とっとと言う通りにしろ。グズグズしていたら、左手の指から順に斬り落としていく」

「う……」


 悔しそうに呻いて、隊長はペンを動かし始めた。

 すぐに続いて、トーシャはもう一枚の板を商会長に差し出した。


「お前は、この家にツァグロセク侯爵領の兵を匿っていたことを書いて、署名するんだ」

「は、はい――」

「二人とも、俺は名前も肩書も知らんから本名で署名しなくても分からんがな。そこはどうでもいい。その板をこちらの領兵に提出してあとの調べは任せるからな」


 書かせた内容を簡単に確かめて、トーシャは顎をしゃくった。

 改めて二人を立たせ、ジョウとレオナが地下牢に収監に連れていく。

 全員がいなくなったところで、住居が建っていた場所に寄り、元通り建物の一切を取り出した。


「一通り完了だな」

「ああ、ご苦労さん」


 一息ついて、夜闇の中を見回す。

 日没の後でいろいろ動き回ったことになるが、それでもまだ日付は変わっていない頃合いだ。

 今書かせた供述書をここの領兵に渡してさっさと三人が領を去ってしまえば、あとはこの地下牢に引き取りに来て取り調べをしてくれるだろう。いざこざの絶えない隣領から複数名の兵が忍んできて、領主邸放火など怪しい行為をしていたのだ。ただで済むはずもない。

 収監されている連中の口から、魔法だの住居が消失した怪奇現象などのことが出るかもしれないが、何の証拠も残っていない。当事者たちが立ち去っている以上、確かめることもできない。何の戯言たわごとを言っているか、と笑われるのが落ちだろう。

 戻ってきた二人とトーシャは頷き合って、門の方に向き直った。


「それじゃあ俺たちは、下宿を引き払ってこの街を出る。南西の門を出るときに、この板は門番に預けることにする」

「三人で魔物退治行脚か。頑張ってな」

「ああ、お前のお陰でかなりの魔物の対策はできそうだしな。いろいろ今後も工夫してみるよ」

「ああ。それじゃ、気をつけて行ってくれ」

「おう、お前も健勝でな」

「ハックパイセン、お世話になって、ありゃーとした」

「パイセンもお元気でっす」


 手を振って、別れた。おそらく今度こそ、ほぼながの別れということになるだろう。

 そこそこ大騒ぎになったが、近所の家々から人が出てくるほどではなかったようだ。大きな屋敷が多く庭が広いせいもあるだろう。

 ゆっくり歩いて、家に戻る。

 途中のイザーク商会の店中に灯りが点いていたので顔を出して、支店長に礼を言っておいた。

 その上で考えてみると仲間に連絡する余裕もなかったので、帰らないことを案じているだろうと思われる。

 寝静まった家に入り、二階の男子室に上がる。

 いつぞやと同じようにブルーノは起きて待っていて、すぐに隣室からサスキアも顔を出した。


「連絡せずに遅くなって、申し訳ない。トーシャの仲間に面倒が起きて、捜し回っていたんだ。急を要する事態で、連絡の暇もなかった」

「ハックに何かあったのかと、心配していたんだぜ」

「それでそのトーシャ殿の仲間か、解決したのか」

「ああ。商人の家に監禁されていたんだが、トーシャが殴り込んで救出した」

「そうか」

「明日辺りそこそこ騒ぎになるかもしれんが、俺が絡んでいたということは他言無用にしてくれ」

「分かった」

「了解だ」

「本当に、心配かけて申し訳なかった」


 改めて訊くと、ナジャは無事に料理屋との打ち合わせを終えて帰宅したという。今後もうまくやっていけそうだ、と張り切っているらしい。

 ブルーノとルーベンは、明日木工の修行が休みということになった。ちょうどいいのでブルーノは、ナジャの修業先と小さな子たちを預ける託児所を見てきたい、という。

 ルーベンが留守番をしてくれそうなので、こちら三人はもう一度森へ行こう、とサスキアと話す。ノウサギを数羽狩って、この家に残す食料用と、肉屋に持ち込んで干し肉と交換してもらい、旅先の携行食としたい。

 もちろん干し肉は金を出せば買えるのだが、前に肉屋と話したとき、狩った肉を持ち込んでくれたら助かる、売る分も割安にすると言われていたものだ。

 その程度準備を終えれば、明後日には出立できるだろうか。

 そういう打ち合わせをして、就寝することにした。


 翌日、女子三人は縫製工房へ出勤。三の月を三日残してまだ見習いの身分だが、打ち合わせ以降毎日三人で店に行くことになっている。

 ブルーノは予定通り、ナジャと小さな子たちを連れて料理屋に出かけた。少し様子を見たらすぐ戻ってくると言って、留守番をルーベンに任せている。

 こちら三人は、旅立ちの準備を進める。

 サスキアとニールは、部屋のものを整理している。持参するものは最低限の衣類程度で今夜荷造りをする予定だが、その前にいらないものを分類始末するという。

 二階に上がっていくと、「ハック、ちょっと」とニールに呼ばれた。


「どうした」

「これ、どうしようか」


 二人の部屋を覗くと、座ったニールの前に板と木の皮が積み上がっていた。

 ずっといろいろな製産を続けてきて、その際の製造記録を残させていたものだ。

 移動した先で同じような製産を続けるなら、役に立つ資料となるだろう。

 しかし見ての通り、そこそこ嵩張る。徒歩の旅に際しては、けっこうな荷物だ。これが紙であればたいしたこともないのだろうが、手の届く記録用品がこんなものしかなかったので。

 もちろん『収納』してしまえば何のこともないのだが、まだ彼女たちにそこまで明かすつもりはない。


「俺が預かろう。中身を取捨して減らすか、あるいはイザーク商会に頼んで何かのついでにヘルツフェルトに送ってもらう、などということもできるかもしれない」

「分かった」


 とりあえず後刻こっそり『収納』しておくことにする。

 束を受け取り、片づいた部屋を見回した。

 寝台の他には衣類を収納している一抱えに余るかというほどの木箱があるばかりで、サスキアがその蓋を閉じたところだ。


「すっかり片づいたか」

「もともとたいした持ち物もないしな。絶対手放せないのは、わたしの剣くらいのものだ」

「まあ、そうだな。俺なんかは片づけるほどのものもない。ひとまとめにしている着替えを、いつもの背負い袋に突っ込む程度だ」

「だろうな。こちらもあとは今夜、背負い袋に衣類を詰めて完了だ」


 背負って運べる範囲で必要な着替えを所持し、あとはマリヤナに預けるという。

 残った女子たちでお下がりとして使えるものを選んだり、古布に下ろすものを決めたりする、という打ち合わせになっている。


「そうすると、あと残るのは食料だな。王都に向かう街道沿いなら二三日ごと程度にそれなりの町があるので途中で補給はできるようだから、最初の三日程度分、干し肉と携行食を用意していく」

「そのために、肉屋に持ち込むノウサギを狩るんだったな。こちらはもう準備できているぞ」

「よし、出かけるか。俺もこの資料を部屋に置いて、と」


 板の束を抱え直し、立ち上がろうとして。

 少し気になって、尋ね返した。


「そう言えばこの記録、ニールがしっかりやってくれて助かったけどさ。ニールはこういう勉強をしていたのか。数値の整理なども見事なものだし、商会では職員よりしっかりしていると言われたそうだが」

「家庭教師に、習った」

「王女や貴族子女って、そんな勉強もするのか」

「ニールの場合は、特殊だ。どうも王太子や第二王子の近辺からの指示らしく、基本の読み書き計算の指導が終わった後、ふつうの貴族子女が学習するような地理や歴史のような指導はしなくていいから、文官しか必要としないレベルの帳簿記帳のような学習をさせろ、ということだったようだ」

「何でそんな特殊なことになる」

「想像だがな。王太子たちの心積もりでは、将来にわたって第四王女を公にするつもりはないし、何処かへ嫁に出すなども考えない。言わば一生、王宮の奥で飼い殺しにするつもりだったのだろう。それが基本教育が終わった辺りで、この王女は読み書き計算に秀でているらしい、という報告を受けた。そこで、ただの飼い殺しではなく文官の職務が勤まるようにさせよう、ということになったのではないか。王宮の奥の部屋に軟禁状態で、帳簿づけなど机上でできる作業をさせる。文官一人分の給与が節約できる、という発想ではないかと思う」

「何ともはや、だな」

「まあニールは、そんなことでも勉強ができるのには喜んでいたがな」

「ここで役に立って、よかった」

「不幸中の幸い、ということになるか」


 男子部屋に入り、忘れないうちに、と資料は『収納』する。

 いつもの袋を背負い、準備はそれだけだ。

 ルーベンに留守を頼んで、三人で外に出た。

 この日はいつもより多めにノウサギを持ち帰るつもりなので、荷車を引いていくことにした。どこか楽しげに、同じように袋を背負ったニールが車体の後ろを押してくる。

 サスキアは久しぶりに剣を腰に帯びた護衛の身なりで、颯爽と張り切った様子だ。

 いつもの西門に行くと、顔見知りの門番が話しかけてきた。


「やあお前、トーシャの知り合いだったな。聞いているか?」

「聞いてるって、何でしょう」

「いや昨夜さ、領主邸に外から火を点けられるって騒ぎがあったんだが。今日の朝早くに南西門を通ったトーシャが、門番に妙なこと書いた板を渡して、メーベルト商会会長宅の蔵の地下を調べろって言ってったんだと。板には放火犯の自白が書かれていて、蔵の地下にはそれを書いたツァグロセク侯爵領の領兵一味が拘束されていてってことで、大騒ぎさ」

「へええ。トーシャが仲間たちと街を出るってのは聞いていましたが、そんなことが」

「まあ大事件が一件落着ってことで、助かったわけだが。トーシャがさっさと出ていっちまったんで、どうやって捕まえたのかという詳細は分からず仕舞いだ」

「それでも本当に、放火犯が捕まったのならよかったですね」

「まったくだ」


 門番と笑い合って、街の外に出る。

 荷車の脇を歩きながら、サスキアが苦笑を向けてきた。


「そんな大捕物をしたことになるのか、トーシャ殿とハックは」

「本当に、他では言わないでくれよ。トーシャの仲間の若い奴らがその犯行に巻き込まれかけてたんで、取り調べされたくないんだ」

「なるほど、そんな事情か。とにかくその隣の領とはいざこざが絶えないらしいから、一味を一網打尽ということなら本当に大助かりなのだろうな、こちらの領では」

「だろうな」


 あちらの三人が無事この街を出たということで、まず一安心だ。

 あとは、こちらの準備に集中できる。

 森の入口に荷車を置いて、奥へと進む。

 見つけたものからノウサギを狩り、サスキアとニールに解体を任せて同時進行で狩りを続けた。

 そういう能率的な態勢をとったので、短時間で六羽を仕留めることができた。


「こんなものでいいかな」


 二人に声をかけ、後始末をして撤収にかかった。


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