91 街を歩いてみた

 さらに三日が過ぎ。

 ジョルジョ会長が近日中にマックロートに出てくると決まった、という連絡を受けた。

 またイザーク商会に紹介の労を執ってもらい、この日からブルーノとルーベンが少し離れた木工工房に見習いとして通うことになった。

 朝から出かけていった二人は、陽がかなり傾いた頃合い、西方向から戻ってきた。作業していた庭先から遠く見通すと、年輩の男が同行している。

 四十代くらいと思われるずんぐりした髭面の男は、工房の親方ゴットリープと名乗った。

 比較的近所ということで、新しい見習い弟子の生活環境を見に来たという。

 また、ここの建物に馴染みがあり、どう使われているか見たいという気もあったそうだ。

 特別なもてなしなどは不要と言われて、ブルーノと二人で庭先の立ち話に付き合うことになった。


「本当に、子どもたちばかりで作業しているんだなあ」

「はい」

「ここは以前、俺の兄弟子が木工所として使っていたんだ。数年前に身体を壊して引っ越していったんだが。こんな変わったものを作る作業場になるとは思わなかった」


 土間に並べられたミソの桶を覗いて、しきりと頷いている。

 ブルーノが作った桶のできを見て、「最低限使い物になるというとこか」と苦笑する。


「もう少し合わせ目の甘さをなくさんと、長くは使えんぞ」

「はい」


 ブルーノは年齢的にも「ある程度使える。少し鍛えれば間もなく見習いを卒業できる」というレベルと認められて、受け入れられたということだ。

 ルーベンに関しては、完全に初歩の見習いからのスタートだ。

 そんなことを少し話して、親方は世間話の口ぶりになっていた。


「お前さんたち、北のプラッツから移動してきたっちゅうことだな」

「そうです」

「北の方は最近、危ない話が多いっちゅうじゃないか。何度も魔物に襲われたとか。そいつら、こっちまで来るってことはないのかい」

「そうですね」頷いて、応える。「かなり北東の山の中では落ち着かなくなっているみたいです。ただプラッツには北や東に向けて防壁ができ上がっているので、そういうのが降りてきてもとりあえずはそこで抑えられるはずです。あちらも同じ侯爵領になったので、今後は万が一の場合も情報が伝わりやすくなったんじゃないでしょうか」

「だといいんだがなあ。最近はまた、ここの西の山の方も怪しくなっているっちゅうことだし」


 ここに引っ越して以来、商会の人たちからも近所の住民からも、似たような反応を受けていた。

 元男爵領が侯爵領に組み入れられた件については、大きな話題になっているものの、興奮して喜び合うというほどではない。領都の住人にとって別に利益があるわけでもない、ということらしい。

 それよりも、ここのところ噂を聞く魔物の動向の方が気にかかる、ということのようだ。プラッツ近辺が弱体化して、そちらの防御が疎かになったりはしないのか。


「商会の方から聞こえてくる限りでは、こちらの領主様もその辺は気にかけていらっしゃるようですよ。プラッツを越えて魔物の侵攻を許したら、領全体に被害が広がりかねないわけですから。その辺は考えられていると思われます」

「そうだといいんだがなあ」

「それにしても、西の山の方の話は誰に訊いてもはっきりしないんですが。何か確証のある目撃でもあったんでしょうか」

「分からんなあ。とにかく何か不気味なものを見つけた者がいるっちゅう噂だ」

「何か、はっきりしませんね」


 もしかすると、領主近辺や衛兵の辺りで情報を抑えて、住民たちに過剰な混乱が広まらないようにしているのかもしれない。

 プラッツでは衛兵に顔見知りがいたことと、魔物退治に実績を上げたことから、比較的他の住人より情報が入ってきやすかったわけだが。こちらではまだそうした知り合いも少なく、気をつけていないと危険通報などにも取り残されかねないところだ。

 この短い期間で知り合った人に訊ねてみても、魔物を実際に見た経験のある者は誰一人いない。プラッツの町に阻まれて、現時点でこちらまでは姿を現していないということだろう。


――いや、考えてみると。


 プラッツの町民でも、魔物と間近に対面したという者はほぼいない。衛兵の十数名がせいぜいで、他の人たちは少数が遠目に目撃したというだけだったはずだ。

 トーシャと二人、こちらが特殊だったというだけに過ぎない。

 その辺はともかく、西の山に目撃されたというのが事実でこの街に近づいてきたとしたら、かなりのパニックを呼ぶことになりそうだ。


「じゃあ、また明日な」

「よろしく、お願いします」


 親方が片手を挙げながら背を向け、ブルーノが頭を下げている。

 新弟子の住まい状況に納得してもらえたようで、ブルーノとルーベンは恙なく修行に入ることができるようだ。

 こちらでもこの日のイーストとミソの作業が終わり、四人のイザーク商会職員が帰っていく。

 イースト作製の移譲を念頭に、製品化の最終工程を優先して手伝わせながら要領を教えているところだ。

 素から発酵培養を始める部分を見せるのは、正式に移譲契約を済ませてからということになる。

 こちらの作業が終わって、中間年齢層の子どもたちで夕食の支度が始まっていた。

 食事をしながら、ルーベンがご機嫌で仲間たちに木工所の話をしていた。


「ブルーノが親方に、筋がいいって褒められたんだよ」

「ほう、それはよかった」

「筋がいいって言っても、見習いに入ったばかりのずぶの素人に比べりゃってことだ。同じ年齢の見習いを終わった奴らとじゃ、比べものにもならねえ」


 感心するサスキアに、ブルーノは肩をすくめてみせる。

 そちらに、笑いかけてやった。


「それでも、見込みがあるっていう親方の判断なんだろう。これからの励みになるんじゃないか」

「まあ、そうだが。しかし先輩見習いの話じゃ、親方が優しいのは初日だけだってさ。明日からは容赦なく厳しくされるそうだ」

「それこそ、望むところなんだろう。ブルーノの目標は、早々に同年代の奴らに追いつけ追い越せだってことで」

「まあな。しばらくは率先して雑用を任されるのが、まず始まりだろうが」

「頑張って、ブルーノ。ルーベンもね」


 横から、マリヤナが拳を握って声をかけた。

 ナジャや他の女の子たちも表情を揃えて頷いている。


「マリヤナたちも、いい修業先が見つかるといいな」

「うん」


 ブルーノが仲間たちを気遣う。

 女の子たちの見習い修業先として服職業関係の候補はいくつかあるようで、商会や口入れ屋に問い合わせて探してもらっているところだ。

 それほど慌てることもないので、評判などを確かめて確実なところを見つけようとみんなで話し合っている。

 ということで、女子四人はまだ当分家の中と作業場の仕事をしてもらうことになっていた。

 そんな確認をして、少し考える。


「四人に家にいてもらえる間に、俺は明日辺りから少し周辺の様子を見て回ることにするかな」

「出歩いても大丈夫かハック、まだ完全に安全だとは言えないのではないか」

「イーストの権利をイザーク商会に譲るまでは確かに狙われる危険が消えたとは言えないだろうが、まずあり得ないさ。プラッツのあの二商会と違って、こちらにはまだイーストの実態や開発者の正体を知る者はほとんどいない。製作拠点がマックロートに移ったなどというのも、この数日のことで知る由もない。鼻の利く商会でもせいぜいイザーク商会の動きを見て、ようやく調査を始めたというところだろう」

「そうか」

「それにサスキアも知っているだろう、俺の索敵能力の高さは」

「まあ、そうだな」

「本当にいろいろな意味で危険がないことが確かめられたら、ニールを連れて森に行くことも考えたい。そのときは、サスキアも同行してくれ」

「うむ。森なら、気をつけるのは動物関係に絞られるだろうからな」

「そういうことだ」


 翌日、ブルーノとルーベンが出かけるのを見送り、商会職員が出てきて作業が順調に進むのを確かめる。

 庭先では小さな子たちを遊ばせながら、サスキアが作業場に目を配っていた。

 なおこのところサスキアは護衛兵士めいた恰好をやめて、女性として違和感のないロングスカートの服装になっている。

 先日も打ち合わせた、傍目から目立たないようにするためだ。とは言っても、スカートは落ち着かないしいざというときの動きに差し支えると言って、下には七分丈のズボンを穿いているらしいが。

 常時帯剣もやめて、代わりに庭や屋内の数箇所に木刀に使える棒を置いている。

 つまりは目立たないようにしながら、ニールとその他の子たちの警備に気を配っているということだ。

 毎日早朝の人目の少ない時間帯に、庭で素振りを続けている。これにはルーベンが付き合っているらしい。

 また昨日からサスキアの手により、ルーベンとニール、マティアスの頭が改めて五分刈りに、ブルーノも短髪に調えられていた。ブルーノ、ルーベンの初出勤に合わせた身嗜みだ。

 住居も落ち着き、皆の見た目も街に合わせて小綺麗に変わってきている。

 そんなようやく見慣れてきた女性姿のサスキアに、声をかけた。


「じゃあ出かけてくるので、あとを頼む」

「任せておけ」


 外は、秋晴れといった空模様だ。十月も中旬になっているがまだ肌寒さもなく、この日は半袖でも歩けそうな気温に思える。

 プラッツは冬の寒さも降雪もなかなかだと聞いたが、おそらく百キロも離れていないこちらマックロートはそれほどでもない、雪も年に数回降る程度という話だ。どうも、地形や山との位置関係の差らしい。

 その意味でも、この移動は正解だったかもしれない。

 この日の分のイーストを届けてユルゲン支店長と立ち話をしたところ、商会長の到着は二日後になるという。

 ずっとついてくれていた二人の用心棒がこちらを送り届けた後一度プラッツに戻っていたが、また会長を護衛してくるらしい。


「会長はすぐにも君と話したいと思うので、そのつもりでいてほしい」

「分かりました」


 それから口入れ屋に回り、顔馴染みになった職員と話す。

 女の子たちの希望する服飾関係の修業先は、今いくつかの店に当たりをつけて可否を探ってくれているという。

 常時募集ではないし見習い希望者が増える春先とも外れているので、改めての調査に手間がかかるのだそうだ。

 手間に礼を告げながら、世間話も交わした。

 男爵領奪還の報は、そろそろこちらの人々の口にも上らなくなっている。普通の町民にとって、自分たちの生活への影響はたいしてないということらしい。

 また西の山での魔物の噂も、こちら街の中央付近ではさほど広がっていない。

 昨日の親方の関心度と比べると、西門近く限定で囁かれている噂なのかもしれない。


 その後、商店街を一回りした。

 こちらへ来るのは二度目だが、やはりプラッツと比べて段違いの賑わいだ。

 その並ぶ店の一軒、イザーク商会と契約しているパンの販売店は、変わらず盛況らしい。朝の行列販売がようやく一段落したところだと、顔馴染みになった店員が笑っている。

 今はまだこの一軒だが、早急に領都内数箇所に同様の店を増やしたい、と支店長が言っていた。今回会長と話して、即実現する予定だという。

 次に、その近くの料理屋へ寄った。

 煮物と汁物料理が中心の店と聞いたので、一昨日訪ねてミソを売り込んでいたものだ。

 そのときは見本を受け取って、数日考えさせてくれ、という返事だったが。

 無愛想だった店主が、この日はうって変わった笑顔で迎えてくれた。


「ぜひこれは、取り引きさせてくれ。汁物だけでなく、煮物の新メニューも作れそうだ」

「それは、よかったです」


 熱心に身を乗り出してくる店主と、契約を交わす。

 他の場所に数件、兄弟弟子が開いている同様の店があるので紹介しておく、という話に、ぜひよろしくと返しておく。


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