57 献上してみた

 金髪男のいつもながら豪放な口ぶりに促され、向かいの椅子に着く。

 やや愉快そうにこちらの顔を一瞥してから、領主は横に目を向けた。


「アイディレク商会、ヘラー商会の会長は知っておろうな。イザーク商会から話のあった品、かなり影響力が大きそうなので、この二人も立ち合うことになった」

「は。承りました」


 紹介によると、丸く太った男がアイディレク商会会長のマグヌース、痩せて長身の男がヘラー商会会長のゲルハルトというらしい。


「そこの小僧、ハックだったな」

「は。このような場の礼儀は弁えませんので、ご無礼――」

「よい。用件の品は、新しいパンと聞く。お前が考案したということだが、まちがいないか」

「はい」

「ふむ。最初イザーク商会から申し出があった際にはそれほどに思っていなかったのだが、突如昨日から町で評判を呼んでいると聞いた。衛兵の報告では、夕刻からの売り出しでたちまち売り切れて、手に入らなかったという。それほどのものなら、捨て置くわけにいかぬのでな」


 ジョルジョが持参したパンを給仕のような人が受け取って、運び出していった。間もなくそれが、小さく切られて皿に載せた形で戻ってくる。

 それぞれ前に置かれたそれを、領主と二人の商会長はまじまじと覗き込んだ。


「これが、新しいパンか」

「確かに、見たことのない膨らみ方をしているようですな」

「何ですか、この切断面は。穴だらけではないですか」


 口々に初見の感想を述べて。

 手に取って驚き、一口して目が大きく瞠られる。ほとんど、前日のジョルジョの反応をリピート再生したかのようだ。


「むうう」

「何と」

「確かに、信じられない柔らかさだ」


 しばしの硬直の後、ゆっくり咀嚼、呑み込まれる。

 唸りながら、領主は何度も首を頷かせた。


「このようなパン、王宮にもないはずだ」

「そうでございますか」

「私も全国あちこち巡ったことはありますが、これほどのものは出会ったことがありませぬ」


 貴族の頷きに、商会長たちも追従している。

 何度も頷き合い、三人の視線がこちらに戻された。


「これは、特別な材料で作っているわけか」

「はい。こちらのハックが考案した特殊な素材を混ぜて、焼いたものです」

「今は、あそこの料理屋でだけ売り出しているということだな」

「はい。その素材の製産がもっと安定すれば、パンの販売量も増やせますし、その素材そのものを売り出して家庭などでもこのようなパンを焼くことができるはずです」

「ふうむ」


 領主の問いかけに、ジョルジョが答える。

 聞きながら、脇からマグヌースが身を乗り出してきた。


「ということは、そちらのハックとやらからその素材を仕入れられればよいのですな。どうだ、こちらに卸す量まで製産はできぬものか」

「申し訳ありませんが、直ちに量を増やすというわけにはいきません。徐々に増産を進めるということになりますが、その辺り、イザーク商会さんに協力していただくことになっています。卸す量の配分などは、そちらで相談していただければと」

「ううむ」


 丸顔の商会長の目が、じろりとジョルジョに向けられた。

 隣の痩せぎすの男も、領主とジョルジョの顔を見比べている。


「領主様、このパンは領地内でも他領に対しても、大きな販売益が見込めるものと存じます。特に他領や王領に向けては、我らの商会の方が取引実績がございます。ここは、領主様の裁量で――」

「これは貴賤を問わぬ食にかかわるものになるだろうからな。一つや二つの商会で抱えきれぬ規模になるのではないか。ここで販売の取り合いをするより、協力して広げることを考えた方がいいと思うぞ。まずイザーク商会の先見を認めた上で、三人で協議せよ」

「は」


 いわゆる鶴の一声で、三商会協力の上ことを進めることになった。

 あちら二人がやや不満げなのは、おそらくこれまで領地規模の商売に関しては二商会で独占してきた経緯があるのだろう。

 何処か引っかかりを残しながらもざっと大まかなとり決めをして、あとは後日詳しく契約をしようという話になっている。

 大雑把なところとして、イーストについてはまずイザーク商会がまとめて仕入れ、そこから他に卸す。ただこの新商品の喧伝はかなり協力して行わなければならないので、当初のイザーク商会のとる手数料は通常よりかなり低く抑える。

 従来からの得意分野に合わせて、プラッツ町内の販売は東側をイザーク商会、西側をアイディレク商会が担当し、ヘラー商会は主に他領向けに専念する。アイディレク商会もイザーク商会も外向けの販路はそれぞれ築いているが、この点ではヘラー商会が最も先んじているらしい。

 この内諾に従って、互いの販路を食い合うような真似は原則行わない。

 この点は普通なら承諾できるものではないが、今回に限ってはこの新しいパンという商品、まちがいなく何処の地に出しても売れるという確信が持てる。極言すれば外向けに無限に販売拡大が見込めるのだから、三商会ともそれに専念することになるだろう。

 という具合で、三人の商会主は意外なほど友好的な態度でとり決めを交わしているのだった。

 ただ、一つ問題があるのは。

 ジョルジョが一同に説明してくれていた。


「気をつけなければならないのは、このイースト、日保ちがしないらしいのです」

「ほう、どのくらいなら保つのですか」

「この真夏の時期なら、二日が限界と思われます。焼き上がったパンも、二三日で固くなってしまいます。焼き直せば食べることはできますが」


 ゲルハルトの問いに、こちらから答える。

 うーむ、とマグヌースも唸っている。


「ということは、そのイーストを運ぶのは、早馬を使っても隣の領都マックロート辺りが限界ということか」

「マックロートでパンを焼いてさらに運搬したとして、さらにその隣の領内まで、ということになりそうだな」

「王都までには、早馬でも六日程度かかる。その日保ちの点を改善しないと、王都での普及は難しいか」

「その点、今研究中ですので。もうしばらくお待ちいただきたいと思います」


 商会主三人に答えると、仕方ない、という表情の頷きが返ってきた。

 領主も真剣な顔で頷きかけている。


「他領や王都辺りで利益を上げてこちらに還元してもらいたいというのは、大きな念願だからな。協力して当たってもらいたい。その研究というもの、ハックも急いでくれ」

「畏まりました」


 そういう確認で、領主邸を辞することになった。

 その足でイザーク商会へ戻る。この件での契約を結ぶことにするのだ。とにかくもジョルジョにとって、イーストを自分の商会でまとめて仕入れることを確定しないことには気が休まらないところなのだろう。

 慌ただしい契約になるので、取引価格は当初のものだけでまだ確定させず、後日見直しをかけることにする。

 加えて主張したのは、取引量にノルマをつけないということだった。極端に言えば、こちらが持ち込んだ量から買い取ることにしてもらいたい。

 そういう申し出に、ジョルジョは難しい顔になった。


「理由を訊いてもいいでしょうか」

「イーストはまだ製産が安定せず、気象条件や偶然の要因に大きく影響を受けるのです。これだけの量を必ず納品するようにと決められても、守れる自信はまだありません」

「そうなのですか……」


 商会側の注文に合わせた納入の方が価格は高く設定できるのだが、と言われたが、そこは譲らないことにした。

 対する会長の懸念は、ひとえに他の取引先に商品を流されることのようだ。

 その心配を払拭するために、「一年間はイザーク商会以外に販売しない」という一文を明記することにした。

 文章化した契約書を子細に読み込んでいると、会長に感心された。


「それほどしっかり読む人は、珍しいですな」

「そうなんですか? 契約書にしっかり目を通すのは、常識と思いましたが」

「商人なら当然ですがね。それ以外なら、口頭でのやりとりで納得して終わることが多いものです」

「へええ」


 しっかり読む、とは言ってもやはりこちらは素人なので、何か文章的に罠をしかけられても回避できる自信があるわけではない。

 そもそも考えてみると、この国の法律にしても十分理解できていないのだ。

 結局はこの商会長を信じるしかない部分は残る。


 デルツの店のパンと内臓煮込みは、数日も経たないうちに町中に知れ渡るほどの評判となっていた。

 特にパンについては、販売三日目には朝昼夕に大行列ができるほどの買い手殺到となり、交通整理に衛兵が出動する騒ぎになった。

 しかしそれも、その夜を徹してデルツがアイディレク商会とヘラー商会の職員に指導を行い、翌日から両商会での販売が始められたため、少し緩和を見る。

 先に決めた通り町の西地区では主にアイディレク商会が広く販売を行い、ヘラー商会は得意客の役人などに向けての配達販売を行いながら、イーストを隣の領都マックロートに運搬してパンの製造販売を開始した。

 イザーク商会とアイディレク商会もマックロートに販路を持つが、この点ではヘラー商会が優位に立つ。こちらでもパンは評判を呼び、それこそ約束通り三商会で互いの食い合いをする必要もないほど順調に売上げを伸ばしていた。


 一方ミソの方は、デルツの店の料理が売上げ好調の上、イザーク商会で販売を始めた分がそこそこ順調に売れているが、爆発的というほどにはならない。

 まあ負け惜しみではないが、こちらはイーストほどすぐに生産量を増やすというわけにもいかないので、これでよしとしていいだろう。


 というわけで、半月も経たないうちにイーストとミソは孤児たちの目一杯の作業で製産する出荷量になっていた。

 これに合わせて各自の給金と全体の生活費への入金が増額され、こちらの生活はかなり明るくなってきた。

 ブルーノとサスキアの壁工事、ルーベンたちの荷物運び、ナジャの料理屋手伝い、ニールと二人のノウサギ狩りと薬草採取は続いているが、それらみんな余裕を持った楽しみのようになっていた。

 なお、イーストと麹の元の部分の製造要領については、ほぼニール以外に見せていない。そのニールにしても、本当にもともとこれらが何処から手に入れてきたものなのかは、知らされていない。……というか、こちらとしても説明のしようがない。

 どうもこの国に特許制度のようなものは存在していないようで、もしもイーストや麹の入手法を商会などに知られたら、こちらの収入は断たれることになりかねない。要注意、と警戒しているところだ。

 したがって他の子どもたちに任せる作業は主にイーストからの元種作りとミソの仕込み部分で、製産をさらに広げるためには近い将来ここについてはイザーク商会に委ねてもいいのではないかと考えている。

 その前に実現したいのはイーストの使用可能期間を長くすることで、元の菌だけを集めたものを固めたり乾燥させたり、いろいろ試行を続けている。


 また一方、ヤニス肉店の知り合いのところから、壊れた荷車を譲り受けることができた。

 幸い車輪部分はまだ使える状態なので、ブルーノとルーベンに荷台の作成作業をしてもらい、新しい荷車の完成を見た。

 長さ約一・六メートル、幅一・二メートルといったところで、前世に見たリヤカーより一~二周り小さい印象だが、狩りの際のノウサギ運搬には十分だ。

 ニールに後ろを押させてごろごろ移動し、門番たちにも笑って出入りを認められる習慣になった。


「うん、これぐらいは載せて大丈夫のようだな」

「ん」


 荷車使用の初日には、限界近くを知りたくてノウサギを十羽まで狩って搭載してみた。いつもの二倍近い量だが、車体的にはまだ余裕があるようだ。

 実は、デルツの店の料理が好評なので、内臓の卸し量を増やしてくれるように頼まれていたのだ。さすがに十羽分は多すぎかもしれないが、持っていってみようと思う。

 また肉屋の方も買い上げ量としては過剰だろうが、ある程度は干し肉や燻製への加工に回すということになっている。このついでに一部の肉は売らずに加工だけしてもらって、こちらの保存食料にすることを考えている。

 まあ 真夏の今頃は保存にも限界がある気がするが、この先秋冬に向けて備える試行の一環だ。


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