58 いろいろ考えてみた
初めて完成品を持ち帰った燻製肉は、子どもたちにも好評だった。
肉屋のヤニスの話では、冬場ならひと月以上保管できるが、今の季節は賞味期限十日かそこらと思え、ということだ。
そこそこ量に余裕があったので、北の門番にも「いつも世話になっているお礼に、みんなで分けてください」と進呈しておいた。
夜、小さい子たちを寝かしつけた後の板の間で、その燻製肉を囓りながらブルーノやサスキアと今後のことを話し合った。
「この後寒くなる前に、どこか家を借りてここを出ることを考えるべきだと思う」
「うむ、そうだな。わたしもこの地の冬を経験したことはないが、相当厳しいと聞くからな」
提案すると、サスキアもすぐに同意した。
国内でも北端に近いこの地域では、少ない年でも冬期間の積雪が一メートルを超えるらしい。
日本の北海道、東北ほどではないにせよ、厳しい環境だ。まちがいなく、野宿を試みたら凍死という結果しか待っていないだろう。
今のこの小屋のように、修理をしても隙間風が吹き放題という住居で、無事新年を迎えられるという幸運は望めそうにない。
ブルーノも難しい顔で唸っている。
「確かにな。しかし俺たちみたいな孤児が家を借りるなど、できるのかな。何て言うんだ、保証人? とかいなけりゃ貸してもらえないんじゃないのか。それに、家賃とか大丈夫なのか」
「たぶん今なら、イザーク商会の会長が口を聞いてくれると思う。イーストとミソについては、当分これより売上げが減るということは考えられないからな。それなりの家賃分は捻出できるし、会長もそこは保証してくれるだろう。
まあ一人一部屋寝室を持つなんてのは贅沢だろうが、最低でもこの小屋のようなみんなで雑魚寝できる広間と作業部屋程度で、屋根と壁があって寒さをしのげる、という程度なら支払い可能内であるんじゃないか。もう少しランクを上げて、男女別の寝る場所を確保というのも、もしかするとあり得るかもしれない」
「そうか、それならありがたいな」
「とりあえず探してみなけりゃ分からないわけだが、商会と口入れ屋に相談してみようと思う」
「うん、それじゃ頼むぜ」
「まだ夏のうちは、焦らなくてもいいとは思うんだけどな。正直、ここだと家賃がかからなくて助かっているわけで」
「それはそうだな」
冗談めかして言うと、サスキアも笑い返してきた。
少し遠巻きにこのやりとりを聞いていた年中組の面々にも、表情に緩みが浮かぶ。
こんな話の流れで「雑魚寝」のようなことに触れると、性別年齢的に最も敏感に反応しそうなのはサスキアなわけだが、ほとんど気にした様子もない。いろいろな意味で、色気方面とは無縁の少女なのだ。
その次の年齢層になるナジャとマリヤナに至っては、小さな子たちやルーベン辺りともへたをすると取っ組み合いをしているくらいで、この小屋の中ではほぼ性差の意識は見られない。まあこれまで、そんなことを過剰に意識していたら生活してこれなかっただろうが。
一同の中にわずかに性別が持ち出されるのは、数日に一度程度裏の井戸端で水浴びをするときくらいのものだ。このときはさすがに、男女時間を分けてそれぞれ集団で行う。
なおこうしたとき例外になるのはサスキアとニールで、時間を別にして二人だけになっている。どうもニールの利き手が不自由なせいで、サスキアが介助することになっているらしい。
家を借りる件はイザーク商会と口入れ屋に相談していくつか候補を挙げてもらったが、検討段階のまま日が過ぎていた。やはり現状、夏の間はそれほど不自由がないので、急ぐ気になれないのだ。
暦は九の月に入っているのだが、まだ暑さは続いている。
それでも改めて確かめたところ、この世界では昼の時間が最も短い日が一の月の一の日となっているという。前世で言うところの、冬至だ。
そこから類推すると、天文学的に何処まで正確かはまったく分からないが、七の月の一の日辺りが夏至ということだろう。そうして、四の月の一の日が春分、十の月の一の日が秋分ということになりそうだ。
「暑さ寒さも彼岸まで」という日本の慣用句が何処まで通用するか定かではないが、こうしたあばら屋でも無理なく過ごせる暑さは九の月いっぱいと思っておくべきだろう。
また、この地域では例年、八の月の終わりから九の月の初め頃、「雨季」と呼んでもよさそうなほど雨が多くなるという。
御多分に洩れずこの年も、そこそこ降られる日が続いた。降り始めると三~四日続き、晴れの日が二日ほど入るというサイクルが半月以上くり返される。
しかし雨に降られても、仕事は休めない。いや正確には、外での仕事を休んでもイーストとミソの製産だけで生活はできるようになっているのだが、壁工事も荷物運びも料理屋手伝いもノウサギ狩りも、休むとどこかしらに迷惑をかけてしまうのだ。
そもそもここの人々に夏の間、雨だから仕事をしないという習慣はそれほどないらしい。天気の善し悪しにかかわらず、そうした雇われ仕事には出かけるのが通常のようだ。
雨の日には、わずかに防水の性質がある毛皮のポンチョのようなものを頭から被って外に出る。以前はそのようなもの、孤児たちには手に入れることができなかったが、最近は人数分揃えるようになった。
荷物運び組や料理屋のナジャなどは、それを被った格好で目的地まで走れば、それほど濡れそぼることはないらしい。
一方、壁工事の人足たちは開き直って、雨の中全身びしょ濡れの格好で作業を行うそうだ。どういう加減か知らないがこの時期、比較的雨の日は気温が高いようなので、それで身体を壊すという心配はないという。
それらに比べてやや微妙な対処になるのが、ノウサギ狩りの方だ。
これについては、肉屋と料理屋への義理で継続しているだけで、強制はないのでこちらの判断で何とでもなる。しかしこの町へ来た当初から世話になっていることに加えて、最近はミソの普及に内臓料理が欠かせないので、ますます休みづらくなっている。
ここでは、ニールの身体が弱いという事情があるので、雨の日は家に残すことにした。雨の中小さい子たちを料理屋に連れていくのもたいへんなので、小屋でその世話を見させるという都合もある。
もう一つ、荷車を使えるようになったので、一人でも大量のノウサギを運搬できるのだ。
つまりはニールの薬草採りを諦めるということを除けば、実質的に問題はない。
というわけで、雨の日には一人で北の森に出かけることになった。
実は誰にも話すことはできないがここで、単独行の方が都合がいい面白い事実がある。
狩りの間も往復時も、ほとんど雨に濡れる心配が要らないのだ。
「身体の周り十センチの地点で向かってくるものをすべて『収納』」という指示を続けていれば、一切外部から肌に触れてくるものはなくなり、濡れることがない。靴に染みてくる水分も絶えず『収納』していれば、まず不快感がない。
こうしていれば、濡れた木の葉が落ちてくるのも消すことができるのが確かめられた。もしかするとこれ、かなり強力なバリア機能として使えるのではないか。おそらく石礫などが飛んできてもすべて防げるはずだ。風や火などでも、さらにはおそらく銃弾が飛んできたとしても大丈夫だろう。
ただどうなっているか正確には分からないが酸欠は心配なので、空気の入れ換えだけは気にしておくことにする。
気をつけなければならないのは、生物を防ぐことはできない点だけだ。虫などの接近は許してしまうし、大型動物の肉弾攻撃は避けることができない。まあこれは、別に警戒するしかないだろう。
とにかくもこれで、ほぼ雨に関する対処は完璧になっていた。むしろ周囲から不自然に思われないように、芝居をしなければならないほどだ。
門を通過する少し前に『収納』を中止して、全身濡れそぼってみせる。これはその直後濡れ染みた水分を『収納』することで、すぐ快適さを取り戻すことができる。
さすがに狩りの後町に戻って肉屋に近づいたところからは、完全にこれをやめてびしょ濡れ状態になる。そのままいつものように料理屋や口入れ屋を回ってねぐらに戻り、全身下着から着替えることになる。
それにしたってわずかな時間の辛抱なのだから、高い気温の中でむしろ爽快なくらいだ。プールで一泳ぎしてきた後、のような。
「寒くないの?」とニールが心配してくれるのが、秘かに申し訳ない気になったりする。
話は少し戻るが、イーストとミソの製産販売を始めて、みんなの仕事量が増えた。同時に、仕事と遊びの時間の区別がはっきりされるようになった。
以前は食料が足りない日が頻繁にあり、腹が空かないように小屋の中でじっとしていることも多かったらしい。また不法居住のため外からの目を慮って、なるべく目立たないようにしていた、という事情もある。
それが最近では、仕事を終えた夕飯の前など、賑やかに走り回って遊ぶことも多くなった。
夕方は、荷運び組か狩り組かどちらか早く終わった方が帰り道で料理屋に寄り、年少三人を引きとってくる。
棲みついている空き地に戻ると、遊び時間だ。走り回る広さに事欠かないので、年中組と年少組が一緒になって喚声を上げての鬼ごっこになる。
見ていると、やはり最も体力と運動神経に秀でているのはルーベンのようだ。一方ニールは、年下の子にも体力的に負けて見えていることが多い。
ともかくも、ブルーノとサスキアがナジャを連れて帰ってくる頃には、みんなで泥だらけになっていることもたびたびだ。
「今日も雨。つまんないのお」
というわけで、雨季に入るとみんなの慾求不満が溜まってくるようになる。
特別な遊び道具はない。板の間も土間も、走り回るには狭い。
土間でルーベンが小さい子を相手にチャンバラごっこをするのが、せいぜいだ。
年少以上に、年中組の無聊への不満が募るように見えてきた。
考えて、遊び道具を用意してやることにする。
ルーベンに板の切れ端を削らせ、サイコロを作る。大きめの筆記用木の皮に木炭で線を引き、スゴロクを作ってみた。
それでしばらくは、みんなわいわいと楽しむことができるようになった。
しかし、これにはすぐに飽きが来る。
もう少し長く楽しめる遊具を、と考えた。
真っ先に思い浮かぶのはトランプだが、カード作成に相応しい紙も板も調達は難しい。
プラスチックに近いような硬めの紙はなさそうだし、あったとしても手が届かない価格だろう。
木の板をその用途に向けて薄くするのは、ブルーノにも難しいようだ。日本のどこぞの地方で使われているらしい「下の句かるた」のような厚めの札ならできそうだが、トランプとしては神経衰弱以外のゲームに向かないだろう。
何よりトランプの札は、裏から見て区別がつかないことが必須なのだ。木目のある板では、それもかなり難しい。
よって、トランプは断念。
カルタは、書き入れる内容が思いつかない。
次に思い浮かぶ、作成が容易そうなのは、リバースと囲碁だが。
実は、どちらもルールを知らない。
この辺も、日本人としての資質を欠いているということかもしれない。「リバースをやったことのない日本人がいるか?」と誰かに怒鳴られそうな気もするが、実際いるのだから、仕方ない。
五目並べなら知っているけど、そのためだけに盤と石を用意するというのも何かなあ、と思ってしまう。
ということで必然的に、残る一つについて、真剣に検討することになった。
当然というか、何というか。
将棋、だ。
これなら、小中学生のとき触った程度の経験はある。
盤は、それなりの板を用意して、その上に真っ直ぐの線が引ければ作れる。
駒も、かなり妥協すれば作成可能だろう。
形だけは、考えてみると五角形は譲れない。これ、向きをはっきりさせるために必須なんだ、と改めて納得してしまう。要するに丸や四角では、その条件を満たさない。三角なら文字の向きで何とかなるかもしれないが、さすがに元を知るものにとっては耐えがたい。
……やっぱり、五角なんだな。
ただ、文字については区別さえできればどうでもいいだろう。ここでの基礎文字をローマ字ふうに使って、「ou」「kin」「gin」「hisha」「kaku」という調子で書き入れることにした。
それこそ元日本人としては、風情のないこと泣きたくなるレベルだが、仕方ない。
これらをルーベンに木の板で二組作らせた。一組分の文字入れをして、もう一組はニールに真似して書き入れさせる。
ルールについては、先の奥深さに比べて基本は容易だという典型だ。ここの子どもたちにとっては経験のないほど複雑かもしれないが、それでも年少組も含めてすぐに覚えることはできた。
日本の子どもに比べても、先々の深淵に関する知識がまったくないため、取っ付きが容易いという事情はあると思われる。
そうして雨の夕方には、小屋の中に木の駒音が響き渡るようになった。
また話が変わるが。
イーストの増産と隣の領都への販売拡大に少しタイムラグが生じて、一時的に手元に在庫が残ることがあった。
不要分処理のためというわけでもないがこの機に、ご近所と以前野菜を分けてもらっていた農家に対して、イーストとミソを贈呈し、使い方の説明をして回ることにした。
当然ながら今評判の柔らかパンの素は歓迎され、ミソもかなり好評に受け入れられる。
ミソスープを口にして、マチルデ婆さんの笑い顔を初めて見ることができた。
まあとにかくもこのようにして、孤児たちの生活も安定してきていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます