13 一夜を過ごしてみた

「今日のうちは動かないで、大人しくしてなさい」ということで、夕食はお婆ちゃんが運んできてくれた。そのお尻にくっつくようにして、ユリアも顔を覗かせる。


「本当に、ありがとうございます」

「何も何も。若い子には物足りないかもしれんけどさあ」


 深皿一つに収まった一品だけだが、量はそこそこあった。

 何か穀物を煮込んだスープのようで、緑の葉物野菜と干し肉らしい小片が少量入っている。西洋料理の名前はそんなに知らないが、オートミールのリゾットで水分が倍以上になっている、という感覚だろうか。

 塩味はかすかに感じる程度だ。香辛料の類いは感じられない。おそらくどちらも、貴重品なのだろう。

 前の人生だと「こんなもの食えるか」と贅沢を言って放り出しそうな気もするが、今は空腹もあって、涙が出そうなほど美味に感じられた。

 とにかくも、人間らしい料理された食事は、この世界に来て初めてなのだ。塩味自体、昨日の昼食ということになるのか、あの川に落ちる直前のが初めてだったわけだし。

『収納』されている岩塩を取り出して入れればもっとこの料理の味も上がると思われるが、すでに裸に剥かれて何も所持品はないと知られている身で、そんなことをするわけにもいかない。

 とにかく、この貧しい一皿だけで、何にも代えがたいほど美味なのだ。

 この新しい人生の続く限り、「エディ婆ちゃんの一皿」は未来永劫忘れられない、という気がする。


 開けっ放しの戸の向こうで、家族三人も食事をしている。時おりユリアのはしゃぎ声と婆ちゃんの低い応答が聞こえる程度で、かなり静かな団欒だ。

 どうも今寝せられているこの小部屋は、それほど広くない屋内で外への出入口に近い脇の方、という位置づけらしい。こちらから見てすぐ右側が出入口、つまり玄関。おそらく左側奥に台所や家族の寝室などがあるのだろう。ここはふだん使わない物置か作業部屋、というところだろうか。

 食事が終わると、ユリアが一人で皿を片づけに来てくれた。

「ありがとう。お手伝いして、偉いね」と声をかけると、にっと笑い顔が返ってきた。


 外が少しずつ暗くなってきた。

 夕食の片づけが終わった頃合い、外から「ヨルク、いるかあ」と声がかかった。

 戸口から覗ける視界の右隅に戸が開き、ヨルクと同年代らしい男が顔を覗かせる。


「家に薬草あったんで、持ってきてやったぞ」

「おお、済まない」


 ヨルクが出てきて、一握りのものを受け取っている。

 男は首を伸ばし、こちらの小部屋を覗き込んできた。

 遠く目が合ったので、会釈を返しておく。


「目は覚めたみたいだな。怪我はどうなんだい」

「おお。切り傷はもう一日二日、これを貼っていれば塞がるだろう。足はもう少しかかりそうだな」

「そうか」


 どうも、この肩の傷に貼った薬草の葉の補充分を持ってきてくれたということのようだ。

「済みません」と頭を下げると、男は笑って手を振ってみせた。


「困ったときはお互い様だあ。大人しくして早く治すことだ」

「ありがとうございます」


 男が帰っていった後で、肩に貼られた葉を『鑑定』してみた。


【ハルクの葉。殺菌、消炎の作用がある。】


 と出た。もう少し詳しく問うと、この近辺の森で採取できるらしいことが分かる。

 動けるようになったら採取してきて返礼したい、と思う。

 ちなみに挫いた足の方は、ほぼそのまま放置で自然治癒を待つ格好だ。熱を持つようなら濡らした布を当てるのだそうな。

 そうしていると、戸口にヨルクが顔を出した。

 無造作に手に持った木の棒を突き出して、戸口脇に置く。


「立って歩くときに、使うといい。少しは楽だろう」

「ありがとうございます、何もかも」


 ただの一本棒だが、杖の用途に合うように削ってくれたらしい。

 さっそくにじり寄ってそれを支えに立ってみる。計ったようにちょうどいい長さだ。


「わあ、使いやすいです」

「無理はするなよ」

「ええ。でも、一つだけ」


 これだけはできれば自力でしたい、ということで、トイレの場所を訊く。

 外に専用の小屋があるということで、指さされた。

「教えてあげる」とユリアが立ってきたので、甘えることにする。


 杖を支えに片足けんけんで、宵闇が濃くなりかけている外に出た。

 ユリアが親切に指さしてくれたのは、家のすぐ脇に建てられた小屋だった。まあ特に教えられなくても迷いそうにはない。

 それでも大役を果たしたとばかりご機嫌に戻っていくユリアを見送り、簡易な板床に穴の開いた設備で用を足す。

 外に出て、ここにはそんな習慣はなさそうだがどうも現代日本人として落ち着かないので、『収納』から出した水で手を洗った。

 改めて、周囲を見回す。

 ヨルクの家は、かなり年季の入った木造平家建てだ。ざっと見た広さからして、今さっき見た居間と台所の他、二三部屋あるかどうかというところだろう。

 かなり暗くなってきて分かりにくいが、すぐ裏は畑らしい。あとは周囲どちらを見ても、ある程度先からは森になっているようだ。

 家のすぐ裏手、畑へ向かう途中に物置か何からしい今にも倒れそうな木の小屋がある。


――あの辺なら、違和感はないかな。


 とことことそちらへ寄り、木造小屋の裏を覗く。

 素速く『取り出し』すると同時に、杖で思い切り板壁を引っ叩く。

 がしん、と思いがけないほどの大音に少し狼狽しながら、急いで元の家先に戻った。

 すぐにヨルクが、その足元に続いてユリアが、顔を出してきた。


「何だ? 何か大きな音がしなかったか」

「ええ。あっち、あの物置ですか、その裏の方でした」

「あたし、見てくる」


 ばたばたと、ユリアが駆け出していく。

「おい、危ないことするなよ」と、その後ろをヨルクが覗き見守る。

 すぐに小屋の陰を覗いて、ユリアが喚声を上げた。


「えーーー、何これ? 父さん父さん、大変!」

「何だ?」

「ウサギが二匹、ひっくり返ってる」

「はあ? どういうことだ」

「動かない、死んでるみたい」

「はあ?」


 大股で歩み寄って、ヨルクも小屋の後ろを覗いた。

 危険はないと見て取って、そちらに屈み込んでいる。


「確かに死んでるな。まだ温かい、死んだばかりみたいだ」

「えーーー、どうしたっていうの?」

「別に他の獣がいたっていうわけじゃなさそうだ。勝手にこの壁にぶつかってくたばったとしか思えんな」

「えーー、そんなことってあるの?」

「俺もこんなの初めてだが、他に考えようもないさ。まあとにかく、ありがたい獲物だ。絞めて、明日からの食料にするさ」

「わーーい、お肉だお肉だ」


 父親が両手にノウサギをぶら下げ、娘はその脇で小躍りしている。

 苦笑のようなヨルクの顔に、笑いかけた。


「幸運に、食料が手に入ったわけですか」

「おお。ハックにも肉を食わしてやれるぞ。怪我の治りが早くなるかもしれねえ」

「それはありがたいですね」

「ノウサギが一度に二羽獲れるなんて、めったにないことだ」

「そんな、狩りにくいんですか、ノウサギって」

「ああ。無茶苦茶すばしっこくて、罠にもかからねえ。弓矢で狩るのも、なかなかうまくいかねえ。ひと月で二羽獲れたら上出来ってところだな」

「それはほんと、幸運でしたね」


 喜んでもらえて、嬉しい限りだ。

『収納』していた中で岩への衝突だけで死亡したノウサギがこの二羽だけだったので、ありったけを出したわけだが。

 少しはこれで、厄介になるお礼になりそうだ。

 と言っても、出所を明かすわけにはいかないので、こちらの自己満足にしかならないわけだけど。

 それにしても、ノウサギがそんなに狩りにくいものだとは知らなかった。『マチボーケ作戦』はかなり画期的だったようだ。


 その後はお婆ちゃんも交えて一家総出でノウサギの解体処理。

 邪魔にならない程度に横から見学して、効率的な毛皮のはぎとり方などを教えてもらった。

はいだ毛皮は裏側の脂肪や肉片を削りとって、水に漬けておく。これを後日特別な植物の汁に漬けて、なめしていくのだそうだ。数々の工程を経て、完成までひと月程度かかるのだとか。

 他に、内臓についても食べられる部分と捨てる部分を教わる。内臓は傷みやすいので、さっそく明日汁物にしようと話している。

 肉はいくつかの固まりに分ける。これだけの量があれば干し肉にするなどして、三人家族ならかなりしばらく食用にできる。

 しかしこうした臨時の収獲は村中で分ける習慣なので、まあ少し食生活が潤うか、程度になりそうだ。

 とりあえずの処理が終わると、もうすっかり夜も更けていた。

 獣脂を使った灯りは貴重なので、いつもはもう寝床に着いている頃合いらしい。家長の号令で、各々の部屋に引き上げることになった。ユリアはお婆ちゃんと一緒に寝ているようで、手を引かれていく。


 使わせてもらっている小部屋に戻り、寝床に入る。

 寝床とは言っても、布団と呼べるような立派なものはなく、ベッドと呼べるような形態もなしていない。木の板の上に藁らしいものを敷き詰め、粗末な布を上に乗せただけのものだ。

 現代人には到底安眠を得られそうにないものだが、前日までの石の上に毛布や毛皮を敷いただけという境遇に比べると、藁があるだけありがたい。

 それでも半日以上意識をなくしていた末なので、この夜は疲労や睡眠欲が少ない。結果なかなか寝つかれず、薄い布越しに藁のちくちくが気になって仕方なくなってきた。

 背に腹は代えられず、こっそり自前の毛布を取り出して下に敷くことになった。朝人目に触れる前に隠さなければいけないと、しっかり頭に刻んで。


 扉の向こうに人が動き出す気配で、目を覚ました。半開きの窓の外は、もうすっかり明るい。

 毛布を『収納』して外を覗くと、陽はまだ森の木陰から射している高さ、つまりは夜が明けて間もないところらしい。

 背後のがたがたという音に振り返ると、扉が少し開いて女の子が顔を覗かせていた。


「あ、お早う、ユリアちゃん」

「おはよ」


 板に半分顔を隠して、にっと笑う。

 昨夜少し一緒に行動をして、人見知りも薄れてきたようだ。


「顔洗い、いくでしょ?」

「ああ、うん。やり方教えてくれる?」

「うん。連れてってあげる」


 訊くと、毎朝川へ行って洗顔、水汲みなどをするのだそうだ。

 父親と祖母は、もうそちらへ行っているという。

 杖をついた片足けんけんで、少女に連れられて外に出た。

 川までは二百メートルほどの距離だった。

 ヨルクがお婆ちゃんと、一緒に大きな壷に水を汲んでいる。

 挨拶をして、ユリアと並んで少し下流で顔を洗った。とはいえ、水をすくった手で顔を擦り、口を濯ぐ程度だ。

 家長に水汲みの手伝いを申し出ると、「無理するな」と一蹴された。確かに今の足の状態では、手伝うと言っても邪魔になるだけだ。

 壷を担いだヨルクを先頭に、一家揃って家へ戻る。


 朝食の後で、ヨルクとユリアは連れ立って、他の家へノウサギ肉のお裾分けに出かけていった。

 こちらでは肩の傷に貼った薬草がはがれてしまったので、お婆ちゃんが貼り替えてくれた。


「もう傷も塞がりかけてるから、今日一日貼っておけば大丈夫さあ」

「どうも済みません。えと……この薬草って、貴重なものじゃないんですか」

「そこらの森の中に、ふつうに生えてるもんだよお。ただあんまり群れてないし、他の草の中で区別つかないから探すの苦労するさあ」

「じゃあ歩けるようになったら採ってきて、お返ししますね」

「歩く練習にはいいかもしれないねえ。でもそんな、慣れないと採れないと思うよお」


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