96 ひっくり返してみた

 何にせよ、相手の歩みがのろいというのは大助かりだ。

 考えながら、周囲を見回す。


――使用するのは、できるだけ元からあったものがいいだろう。


 少し離れた場所に鎮座していた岩を『収納』。トカゲたちの進行する先に取り出す。

 いくつか大岩を移動して左右を囲み、いちばん手前は一匹が余裕で通れるかという程度の幅を開けておく。

 ここまで観察していた限りで、やつらは岩を登ることは十分可能なようだが、平地が空いている限りあえてロッククライミングで遊ぶ趣味はないようだ。

 歩みの遅さもあって、特別仲間を押し退けて先陣を争うという功名心も窺えない。

 絶対確実とは言えないまでも、これであの隙間から一匹ずつ這い出してくるということが期待される。

 じりじり待って、ようやく先頭一匹の頭が岩の間から覗き出した。


「とりあえず、敵の攻撃範囲が知りたいな」


『収納』から男爵領主邸の武器庫でくすねた剣を一本取り出し、手に持つ。おそらく汎用の安物ではないかと思われる。

 トーシャを促し、剣を前に構えて慎重に近づいてみた。もちろん、『収納バリア』は発動しておく。

 それでも。


「馬鹿、近づきすぎだ!」


 いきなり、トーシャが剣を振るった。

 目にも留まらぬ速さで迫ってきた赤いものが、顔の数十センチ前で弾かれる。

 慌てて、二歩ほど後ろに飛び退いた。

 もちろん、飛んできたのは岩の間に顔を出したトカゲの舌だ。

 十分用心していたつもりだが、射程圏内に入ってしまったらしい。


「サンキュ。命拾いした」

「気をつけろよ。おそらくだがあの舌先の粘着が届いたら、もう助からないはずだ」

「ああ。目の前にしてみると、想像以上の速さだな。あれで粘着が強力だとしたら、持ち堪えられそうにない。やはり僕の腕じゃ、届く前に剣で払うのも無理だ」

「だろうな」

「今のこれくらいが、安全距離の限界か」


 確かにこれで、約三メートル距離の対峙となっている。

 相手がもし目も留まらぬ動きで距離を詰めてくるとなったらもっと警戒しなければならないが、その心配はないようだ。

 それでも、今の一瞬だけでも相当に恐怖が刻み込まれた気がする。


「悪い。この先も、今のような警護を頼む。うっかり射程圏内に入ったら、自力で抜け出せないだろうから」

「分かった。しかし、どうするんだ」


 じりじりと一匹が這い出してくる。

 見た目の醜怪さとあの舌の恐ろしさが相まって、何とも背筋に冷たい汗が伝う感覚だ。

 動きは遅いのに、その前進を止めることができない。

 もしこのまま立ちつくしていたら、時間の問題で危険領域に入ってしまう。

 もっと長い時間で考えたら、街一つが丸ごとそうした運命に曝されているわけだ。

 何とか、対処を練るしかない。

 見回す。が、近辺に適当なものは見つけられない。

 仕方なく、『収納』に在庫のものを使うことにする。

 長さ五メートルほどの頑丈な木の板を、目の前の魔物の横から腹の下に先を差し込む形で取り出す。

 同時に、その先から一メートル見当の下に、丸太を置く。

 つまりは、テコの原理を実験するシーソーもどきの設置だ。


「おお、これでひっくり返してみるのか」

「そうだ。トーシャはすぐに剣で攻撃する準備をしてくれ」

「分かった」


 相手の動きが遅いので、余裕で腹の下に板を差し込む形を作ることができる。

 しかしさすがにそのうち逃れられてしまうだろうから、急いで次の行動に移る。

『収納』から大岩を出してもいいのだが、ここはできるだけ人力で可能な方法を試したい。

 高さ一・五メートルほどになった板の手前端に、よいしょ、と跳び乗る。

 こちらの体重が六十五キロ余り、相手が二百五十キロ程度だとすると、支点までの距離4:1見当で間に合うだろう。

 ぐい、と板がしなり。


 ギエーーー。


 異様な声を上げながら、トカゲは横に転がった。

 目算通り見事に上下反転、いわゆる「へそ天」の格好になる。


――いや、トカゲに「へそ」はないか。


「頼んだ!」

「おう!」


 剣を構えたトーシャは、横手からその仰向けトカゲに駆け寄った。

 じたばたと四肢を蠢かせて、トカゲはなかなか体勢を戻せないようだ。

 それでも横から近づく敵に、しきりと長い舌と尾の攻撃をしかけようとする。

 かい潜って、トーシャはその腹部に剣を突き立てた。

 だが。


「畜生、ここも剣が通らねえ」

「何処もダメか?」

「試してみる」


 場所を変えて、何度も剣を突き立てる。

 トカゲの首は左右になら振れるようだが、仰向けから起こすという恰好はとれないらしい。

 つまり腹を跨ぐ形で乗ると、舌の攻撃は届かないようだ。

 思うさま、トーシャは剣で突くことができる。

 何度も、何度も。下腹へ、脇腹へ、胸元へ。

 そのうち。


「いけた!」


 トーシャが、快哉の声を挙げた。

 ずぶりと剣先が沈んだのは、喉元の辺りだ。


 ギエーーー。


 さらにトカゲは切羽詰まった声を絞り上げた。

 剣を抜くと、勢いよく血が噴き出した。

 ひとしきり四肢が痙攣し、やがて動きを止める。


「やったな」

「喉の辺り、わずかな箇所だけのようだ、剣が通るのは」

「そうか」


 もう少し細かく観察をしたいところだが、岩の隙間からは次のお客さんが顔を出してきている。

 急いで、板のテコの形を元に戻す。

 のそのそと這い出してくる次の獲物も、普通に前進して横腹を乗り上げる位置どりだ。

 十分板先に腹が乗ったのを確かめて、またこちら端に跳び乗った。

 首尾よく同様に、二匹目も仰向けにひっくり返る。

 今度はためらいなく、トーシャの剣は喉元に突き立てられた。


 ギエーーー。


 四肢が痙攣し、やがて動きが止まる。

 同様に三匹目を仕留めたところで、トーシャはわずかに顔を上げた。


「お、レベルアップした」

「そうか、よかった」

「最近の傾向だと、この種類でのアップはこれで終わりだと思う」

「そうか」


 四匹目が顔を覗かせているのを見て、少し考える。


「なら、次はこっちの剣でも止めが可能か、確かめてくれ」

「おう、分かった」


 見た目安物の汎用剣を、手渡す。

 同様に獲物が板先に乗るのを待って、ひっくり返す。

 すぐさま、剣が突き立てられ。

 神様謹製剣でなくとも喉元を突くのは可能、と確認された。

 さて、あとはどうするか、と振り返り。

「おお!」と驚愕の声が口をついた。

 狭く道を囲んだ両側の岩の上に、それぞれ一匹ずつ魔物が顔を覗かせてきたのだ。

 のんびりして見えるやつらの中にも、先を急ぐ意思の個体はいたらしい。


「さすがに、いつまでも一匹ずつ応対、とはさせてくれないか」

「そのようだな」


 見えてきているのは、岩の上に二匹、さっきからの岩の隙間に一匹、という現状だ。

 とりあえず上の二匹には頭上から直径二メートルほどの岩を落としてやると、醜怪な顔は消えた。

 こちらから石の踏み台を設置して、脇の岩に登ってみる。

 逆側にさらに登り始めていた個体が三匹いたので、それらも岩で落としてやる。

 見下ろすと、今落下した岩の下敷きになったのが数匹いるようだ。

 しかしこれもトーシャの話の通り、潰れた様子もなくもぞもぞと這い出してきている。確かに、この程度の岩では退治できないようだ。

 前方に目を向けると、トカゲの群れはますます数を増していた。未だに、向こうの岩陰からの登場が続いている。

 数える気も起きないが、見える範囲ですでに百匹は超えているのではないか。正直うんざりするというか、そのうじゃうじゃとした動きに虫酸が走る感覚だ。


「まだ増えてきているぞ」

「そうか」

「トーシャはとりあえず、その下の一匹を一人で始末できるか、やってみてくれ」

「分かった」


 下で隙間から這い出した一匹が、間もなくテコの端に到達するところだ。

 剣を手にしたまま、トーシャは板の逆端に寄っていく。

 それを確かめて、目を戻す。

 やはりまだ増兵は続き、大軍がゆっくりと押し寄せてきている。

 真下では三匹が、またこの岩肌を登り始めていた。

 岩の高さは三メートル以上あるが、ある程度登壁を許したら舌の攻撃がこちらまで届いてしまいそうだ。

 一匹ずつ岩で落とすのは、致命傷にもならないし、そろそろ面倒に思えてくる。


――次の策を試してみるか。


 岩肌に貼りついた一匹に向けて。

『取り出し』を指示する。


 ギエーーー。


 覿面。びくりと仰け反り、震え。そいつは仰向けに落下していった。

 次の獲物にも、同様の処理。続けて一匹、さらにもう一匹が落下していく。

 そうしていると、脇にトーシャが登ってきた。


「下のやつは始末した。テコでひっくり返して、喉を突いて止めを刺す。余裕で一人でできるな」

「よし。それならこれで、衛兵たちへの説明はできるな」

「説明って――他にまだ何かあるのか? ん、何だありゃ?」


 真下を覗き下ろして、トーシャは首を傾げていた。

 すでに三匹のトカゲが仰向けに落ちて、四肢の動きを止めている。


「いや。あのテコで一匹ずつなら何とか処理できるだろうが、この数だ。全滅までにどれだけ手間と時間がかかるか、気が遠くなるだろ」

「まあ、そうだが」

「別の方法でスピードアップを図りたいんだが、これは他人に説明ができない。衛兵たちが来たら、全部テコを使ったという説明にしたい。下でくたばっているやつもみんな喉を突いた痕を残しておく必要があるんで、協力してくれ」

「それは、造作もないが。別の方法って、何をするんだ」

「あの三匹は岩を登り始めたところで処理したんだが、地面のやつらにもできるか、まず試してみる。ちょっと、見ていてくれ」

「おう」

「その前に、今使っていた出口は塞いでおくか」


 さっきまでテコの端に誘導していた狭い通路を、岩を落として塞いでおく。

 先頭の三匹が仰向けに動きを失って、後続はようやくその死体を踏みつけようとしているところだ。

 これでやつらの進軍先は、この大岩を登るしかないことになる。

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