62 転居してみた

 しかし確認を進めるうち、ツェーザルの表情が次第に焦燥の色を帯びてきていた。


「全部同じ、発酵不足のようだな。しかしそれにしても、イーストの絶対量が少ないんじゃないか。毎日出荷しているのに、こんなもので済むはずはないだろう」

「そうですかね」

「新しく作ったという日保ちのするイーストがない。それに、イーストと麹とかいうやつの元があるはずじゃないのか。何処にあるんだ?」

「さて」

「惚けてないで、教えなさい!」

「いや、そんな義理などないですよね」

「何だと!」

「要求されたのは、運び出しが認められた荷物以外を残す、ということだけです。別に、目録を作って何と何を譲り渡す、と決めたわけじゃない。ここに残っているもので、そちらが勝手に判断すればいいだけじゃないですか」

「何を!」


 眦を決して、ツェーザルは部下たちを見回した。


「探せ! イーストの元というやつがなければ、意味がない!」

「は」

「はい」


 三人が、とりどりに動き出す。

 部屋の隅々まで見て回り、床の土面に掘り返しの跡がないか、這い蹲って覗き込む。

 天井は屋根の裏まで吹抜けなので、何の隠しようもない。

 やがて何も見つからないと知ると、四人は捜索範囲を広げて、ばたばたと小屋中を捜し回り始めた。それも徒労に終わると、ツェーザルは改めてこちらを睨み返してきた。


「何処に隠した!」

「知りません」

「何――くそ――あ!」


 いきなり何か思い当たったようで、ツェーザルは駆け出した。

 衛兵も含めて全員、その跡を追う。

 一気に空き地を駆け抜けて、店長代理は並び待つ子どもたちの脇の荷車に飛びついていた。

 厚く積まれた布類を掴んで、捲り上げる。


「何か――何か――あ、何だ、これは!」


 捲った下から、片手に乗るほどの蓋付きの枡が四個、現れていた。

 仲間たちにとっては見慣れた、イーストと麹のいちばんの元が入ったものだ。

 それを掴み上げようとする男の眼前に、ぬっとサスキアが鞘ごとの剣を差し出し遮った。


「触るな。これは、持ち出しが認められた荷物だ」

「何を! インチキな、誤魔化しやがって」

「さっきも言ったでしょう」


 ようやく後ろに追いついて、声をかけた。

 血走った目が、噛みつきそうに振り返る。


「何を残して譲り渡す、と品目を決めたわけじゃない。こっちは持ち出していい、あちらは残す、と区別しただけです」

「いや、しかし――」

「さっき、こちらにあるものは持って立ち退いてもらう、と宣言しましたよね。商人の方が、一度明言したことを覆すなど、あり得ませんよね」

「何――」


 真っ赤な顔が、いきり立つ。

 そこへ、横手から声がかかった。


「ここにあるものは持っていけ、ということだ。俺も聞いたぞ」

「あたしもだよ」


 道端に、いつの間にか近寄ってきていたヨーナスとマチルデが、苦笑のような顔になっていた。

 何を、と怒鳴りかけたような様子に見えたツェーザルは、何とか思い留まったようだ。

 振り返った商人と目が合って、エッカルトも頷いてみせた。


「私も、確かに聞いたな」


 法に則ってことを行うという保証のために連れてきたのだろう、衛兵に宣言されて、何も言えなくなったようだ。

 ぐっとツェーザルは、息を飲み込んでいる。

 そちらは放置して、仲間たちの顔を見回す。


「じゃあみんな、行こう。急いで新しい場所を借りないと、今夜寝るところがない」

「おう」

「行こう行こう」


 憤懣やるかたない、という商人たちを残して。

 勇んで、ルーベンが荷車を引っ張り始める。

 こちらもいつもの袋を背負い、後ろから車を押して歩き出す。

 みんなもう吹っ切れた晴々した様子で、歩調を合わせていた。

 寝具の布に埋もれた蓋付きの枡は、大切に覆い直しておく。

 もともとは作業場に置いてあったものだが、もちろんさっき、壁越しに『収納』で移動したのだ。

 大きな桶などが消えたり移動したりしたら不思議に思われるだろうが、この小さな枡程度なら、「隙を見て隠した」という説明も通るだろう。

 正確には『収納』されたのは繁殖中のイースト菌を除いた小麦粉の加工品か、ということになる。小麦粉に触れているイーストは生物扱いで、『収納』できないと思われる。この後また、空気中から採集したイーストを入れて繁殖をやり直さなければならないだろう。

 布に包んで運ぶ際、ブルーノとルーベンは妙な感触に気づいていたようだが、目配せをすると何も言わなかった。不思議には思っているかもしれないが、この顛末が不快なはずはないので納得しているだろう。

 小屋から持ち出す際に布の中を調べられなかったのが幸いだったわけだが、もし開くように要求されたらその瞬間に消しておけばいいだけだ。布の中に入れていたのは仲間たちに対して「これだけは持ち出すことができた」と説明するのが目的なわけで、それが果たせなくても相手に渡さないのは決定だった。

 なお、残る作業場の桶類については、出荷直前のものを中心に二~三割程度見当をあらかじめ『収納』しておいた。これも生物の麹菌は置いてきたことになるのでこのままでは熟成は進まないことになるはずなのだが、まあつまり、嫌がらせ目的のようなものになる。

 全部、あるいは大部分を消してしまったら大騒ぎになって、ニールたちに疑問に思われるだろうが、この程度ならそこまでにならないだろう。

 まず桶の数などについて騒ぎ立てる以前に、ツェーザルたちのいちばんの目的はイーストの元のはずなので、関心はそちらに集中する。

 ニールたちが再びあの作業場を覗く機会はもうおそらくないはずだから、二~三割の桶の消失が問題になることはないだろう。

 一方、出荷直前の製品が消えているのだから、ヘラー商会がすぐにイーストとミソの販売を始めることはできない。残っているものをうまく熟成などしなければならないということになるが、ニールの記録がなければこちらにとっても未だに難しい話なのだ。


――まあおそらく、失敗に終わるだろうなあ。


 予想、というよりほぼ確信だ。

 何しろさっきツェーザルが順に桶の蓋を開けていた際、こっそりそこに雑多なカビの胞子を紛れ込ませておいた。気温も湿度も高いこの季節だ。たぶん一日二日で、あのミソもイーストもカビまみれになっていることだろう。

 この作業はさすがに壁越しには難しいので、さっき仲間たちを残して一人だけ連れられていったのを幸いに、実行したものだ。


――我ながら、意地が悪いとは思う。


 歩く間にも、日は暮れかかってきていた。

 イザーク商会の裏口からアムシェルを呼んで、会長との面談を頼んだ。他の子たちは土間で待たせてサスキアを護衛に残し、ブルーノと二人で事務用らしい部屋に上げられる。

 ヘラー商会に住処と製産物を奪われたという話をすると、ジョルジョは目を丸くした。


「何だと、そんな乱暴な話が?」

「イーストと麹の元の分だけは運び出すことができたのですが、明日からしばらくのこちらへ卸す製品はなくなったことになります。場所を移して、元から作り直すために日数をいただきたいと思います」

「何と――」


 ふつうならこれで、しばらく卸せなくなる分契約違反、ということになりかねないのだろうが。イザーク商会とのとり決めは「持ち込んだ量から買い取る」ということになっている。製品を持ち込めない場合は、その分取引量が減って双方が損をするという結果になるだけだ。

 つまり予定していた利益が丸ごと失われるわけで、会長としては怒りをそのまま競合商会へ向けることになる。


「ゲルハルトめ、利益を独り占めしようと謀ったわけか」

「考えてみると、王都に販売の目処が立って日保ちのするイーストができあがった今が奪いとるには最も好機なわけで、それを思えばもっと早く転居をしておくべきでした」

「そうなるな。私もそこまで気を回すべきだった」

「ただ、残されているイーストもミソももうしばらく温度管理などに気を払わないと、出荷できる品質にはなりません。ヘラー商会がその辺をやり損なう可能性もそこそこあると思います」

「ふうむ。おそらくのところ今後はうちの商会を弾き出して、アイディレク商会に恩を売ってイーストを卸すことで利益を寡占していくつもりだと思うのだが、そこを失敗したら、下手をすると三商会とも総崩れになってしまう。とにかくもハックくんにイーストの作り直しを急いでもらうことだな。うちからも人手を増員するので、何とか頑張ってもらいたい」

「はい、お願いします。何分にも発酵の時間などがかかるので、それ以上急ぐのは難しいのですが」

「そこは、承知している」


 そんな打ち合わせをして、かねてから候補として紹介を受け検討していた転居先に、とりあえずも移動することになった。

 賃貸料は安いのだが、かなり古い物件だ。木工業者の作業場として使われていたが、建物の老朽化と町の中央部から離れた不便さで、取り残されていたという。

 ただ我々にとっては、町の外れという位置どりに今までと大差はない。北の門への太い道を軸にして西側へほぼ対称の位置に移動する感覚で、イザーク商会や口入れ屋までの距離は多少増えるかといった程度だ。ナジャが日勤している料理屋までが少し遠くなるが、負担になるほどではない。

 老朽の点が他の人々には二の足を踏ませるようだが、これまでの小屋に比べるとかなりましだ。雨が降り始めると板間の中央部分しか無事な場所はなかったことを思えば、あちこち床が軋む程度は何のこともない。

 一階は作業用の土間と炊事場、物置、二階には寝室にできそうな大中小の部屋がある。子ども中心の十二人が寝泊まりするのに、とりあえず十分だろう。

 しかし何にせよ、しばらく空き家として放置されていたので、汚れ放題だ。

 賃貸契約手続きをイザーク商会に任せて、この日は二階の大部屋だけを掃除することにした。

 いつもより遅くなったが、なんとか夕食をとって就寝することができた。

 これまでより改善された一応まともな建物内なのだが、年長三人の不寝番は継続することにする。


「これ以上乱暴な行為をしかけてくるとは考えたくないが、向こうのいちばんの狙いはイーストの元で、それを手に入れるのに失敗したことになるんだからな。なりふり構わず強盗紛いを強行してくることも、絶対ないとは言えないと思う」

「うむ。小さい子たちもねぐらが変わって落ち着かないだろうしな」

「ああ、万全を期していこうぜ」


 そういう話をして、二階の階段口近くで見張り番をすることになった。

 この夜は窮屈なのを我慢して、全員が一部屋で寝ている。

 翌日はみんなで家中を掃除して、寝室は三部屋に分けることにしようと話し合った。部屋の大きさと人数の関係で、大部屋を女子、中を男子、小をサスキアとニールが使うことにする。


 夜が明けると、早いうちから全員で動き出した。

 炊事場と一階の主要部分の掃除をして、朝食をとる。

 料理屋のデルツには新しいイーストの入荷がないこととナジャの手伝いが休みになることを、イザーク商会から人を送って伝えてもらうことになっている。

 イザーク商会の荷物運びには行くことになっているが、他の仕事は休みにして新居の整備に集中する。

 居住部分を整えた後は、ブルーノに新しく桶などをまた作ってもらわないと、イーストとミソの製産を再始動できないのだ。

 この建物には井戸がないが、二百メートルほど離れたところに共同井戸があって、水を運んでくることができる。『鑑定』で確かめたところ、十分質のいい水であることが分かった。

 また敷地内に畑を作ることができたので、とりあえずニールが運んできた薬草の移植を果たした。

 そんな作業で、みんなてんやわんやで動き続けることになった。

 イザーク商会のジョルジョは今回の件について、ヘラー商会に探りを入れて事実調査をしたり、領主やアイディレク商会と連絡をとったりしているらしい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る