61 運び出してみた

「えーと、ここにあるものすべて?」

「そうだ。この土地と小屋の中にあるものすべて、こちらの所有物になる」

「すべてって、我々の持ち物などもですか?」

「当然だ。ここに置いてあるものはすべて該当する」


 目を瞠り。

 ふと、隣に目を移す。

 顔見知りの衛兵は、気の毒そうに顔をしかめていた。


「法律上、そういうことになる」

「すべてって――」

「まあさすがに、何もかも身ぐるみ剥ぐというのも気の毒な話だ。身の周りの生活に必要なものは、貯めている金を含めて持ち出すことを認めてやろう。衣類や食料などは、こちらの点検を受けて運び出しなさい」


 恩着せがましい口調で、ツェーザルはわずかに唇を曲げた。

 確かにいくら法に則っていると言っても、身寄りのない子どもたちから金や食料まで丸ごと強奪したとあっては、商会として人聞きが悪すぎる所業になるだろうが。

 それにしても。


――そういうことか。


 相手の魂胆が、ようやく読めた。

 狙いは、その他のもの、ということになる。

 つまりヘラー商会は、イーストとミソに関するものすべてを、こちらから奪おうと意図しているのだ。


 王都に向けて、パンの販売の目処が立った。

 このまま販路を広げて、莫大な利益が予想される。

 パンの素になるイーストの製造から独占できれば、そのすべての利益がヘラー商会ものになる、という算段だろう。

 本来なら、イーストの元を何処から得ているのか秘密にしているのだから、その情報なしにここまで思いきれるものではない。

 しかし先日商会長たちに対して、「元はカビのようなものだから際限なく繁殖させられる」と説明している。

 その情報から、現在製造過程にあるすべてを入手すれば繁殖の方法も見当をつけられるはずと判断して、この決行に至ったのだろう。


「こちらは暇ではないのでね。半時のうちに、身の周りのものを持ってこの敷地から出ていきなさい」

「勝手なことを――」

「待て、サスキア」


 剣に手をかけて前に出ようとする長身を、腕を広げて制した。

 その隣でブルーノも目を血走らせて、憤懣やるかたない様子だ。そちらも目で制して、首を振ってみせる。

 興奮を鎮めようと二人の肩を叩き、少し小屋の中へ下がって声を低めた。


「ここの法律で認められているというのなら、どうしようもないだろう」

「しかし――」

「それにしたって乱暴な話だぜ。領主様が配慮してくれているはずじゃなかったのか」

「領主様との口約束は、土地が売れるまでは黙認するという意味合いだ。売れてしまった以上、立ち退くしかない」

「しかし、あるものは置いていけって――」


 ブルーノは納得できないようだが。領の法律など詳しいことは知らないにせよ、これもおそらく仕方ないのだと思う。

 ふつうの土地売買や賃貸契約切替えなどなら、当然先住者の私有物の権利が侵害されることはないはずだ。しかしこちらは事実上これまで不法居住だったのだから、そんな権利が守られる法はないだろう。


「悔しくないのか、ハック。お前が作ったものが、奪われることになるんだろう」

「仕方ない」

「こんな仕打ち、領主様も承知の上なのか?」

「単なる土地の売買程度に、いちいち領主様の承認を待つなどということはないはずだぞ」


 二人の眼前に両手を広げて宥めていると、エッカルトがさらに寄ってきていた。暴力に訴えるようなら、衛兵として対応しなければならないということだろう。

 この衛兵の言う通り、おそらくよけいな横槍などが入らないうちに手早く売買交渉が進められたのだと思われる。

 ヘラー商会がイーストの独占を狙ってことを進めたのだとすると、領主や他の商会が気がつく前に迅速に済ませてしまいたいはずだ。

 現状こちらの製産活動が領の利益に貢献し始めていることを考えると、この件が事前に領主の耳に入れば何かしら考慮される可能性はあったかもしれない。しかしその前にふつうの慣例通りに役所の担当者との間で売買の手続きが済まされてしまえば、このような結果になるのだろう。


「くそ。いわゆる役所仕事か」


 まだ剣の柄に手を置いたまま、サスキアが唸りを漏らす。

 やや同情混じりふうながら、エッカルトは油断なくこちらを見据えているようだ。

 本人の自己申告でまちがいなければ、サスキアの剣の腕はこの衛兵にも負けない、おそらくここにいる全員を追い払うことができるのだろうと思われる。

 しかし相手が法に則っているということなら、それをやると領に対する反逆行為だ。この地に対する愛着がそれほどないとしても、そこまでするわけにはいかないだろう。


「先日聞いたところでは、イザーク商会の伝手で家を借りられそうだ。そちらに移ることにしよう」

「くそ――」


 サスキアはまだ唇を噛んでいるが。

 ブルーノは吹っ切るように、首を振った。


「分かった。みんな、身の周りのものを持って、外に出ろ」

「うん」

「分かった」


 不承不承、子どもたちは動き出す。

 全員、個人の持ち物などほとんどない。自分に宛がわれた衣類をまとめる程度だ。

 価値のあるものといえばサスキアの剣くらいのものだろうが、これはずっと本人の腰に下げられている。確認するまでもなく、置いてあるものとして没収される対象からは外れていることになる。

 そこは、幸運だったと言えるだろう。

 ――双方にとって。


――もし剣を奪われそうになったら、サスキアは絶対抵抗するだろうからな。相手の腕か首か、無事で済みそうにない。


 あとは、食料や鍋、食器類を女子たちが運び出す。

 ブルーノとルーベンと三人協力して、寝具にしている布類を全員分厚く重ねたものを、まとめて運搬した。

 ルーベンの妙に納得いかない表情を目で制して、敷地の外に出した荷車に載せる。

 運び出す戸口のところにツェーザルと護衛一人が立って、荷物を点検していた。大きな鍋などは蓋を取って中を改めるほどの、念の入れようだ。

 さらにはもう一人の店員と護衛を奥の土間の入口前に立たせて、板の間全体を見張らせている。

 そちらの土間がイーストとミソ製造の作業場になっているのをあらかじめ調べていて、狙いの製品が持ち出されないように警戒しているのだろう。

 その判断は、正しい。

 イーストとミソに関しては、製造途中のものも出荷間近のものも、すべてそちらの作業場の中だ。

 ただしこちらにとって最も大切なイーストと麹の製造記録は、ニールの手荷物に含まれていてすでに運び出されている。おそらくもともとそんなものの存在までは知られていないだろうから、奴らのターゲットになっていなかっただろう。

 それにしても。


――どうにも、業腹な話だよなあ。


 前にも確認したように、こちらにとって大切なのはまずみんなの無事、次いでニールが書いた記録、イーストと麹の元、熟成中の元種とミソ、の順番ということになる。

 上位の二つは何とか確保できているのだから、最悪は免れたと言えるかもしれない。

 その上で、苛つきが抑えられないのは。

 残るイーストやミソの現物も、やろうと思えば今すぐにも、壁越しに丸ごと『収納』してしまうことは可能なのだ。

 しかし、それができない。仲間たちへの説明が不可能なためだ。特にニールは、作業場の桶などの数を正確に把握している。もしもそこにあったはずの大きな桶類をすべて消してしまったら、いったいどう実行したものか、絶対疑問視されることになってしまう。

 これもまた、例の案件だ。実行は可能なのに、周囲への誤魔化しができない、という。

 どうにも何にせよ、やるせなさだけが残ってしまう。


――少しは、意趣返しもしておくか。


 荷物運び往復のどさくさに紛れてニールに囁きかけ、こっそり裏手へ回らせた。

 裏には、野菜や薬草類を植えた畑がある。そこでは、最近ようやく根づいた薬草の成長が見られ始めたところなのだ。うまくいった二株ほどを土ごと掘り出して袋に入れて持ち出せ、という指示だ。

 連中に気づかれずにニールが戻ってきたのを確認して、屋内の調理場に寄る。ここからは目が届かないが、壁越しに畑はほぼ十メートル以内の範囲だ。

 すぐに、どどど、と外から鈍い音声が伝わってきた。

『収納』していた土を、大量に畑の上に降らせたのだ。

 植えてあったのは丈の低い草類ばかりだから、まず完全にすべて埋もれてしまったと思う。

 丹誠込めていた子たちには気の毒だが、野菜も薬草もみすみすそのまま渡すくらいなら、土に返した方がましだと思うのだ。

 そうこうしているうちに、商人の声がかけられた。


「時間切れだ。みんな、敷地の外に出なさい」


 荷車に載せられるだけ載せて、残りの荷物は銘々手に持つか袋で背負った格好で、全員が空き地前の道路上に並ぶ。

 ツェーザルと護衛が寄ってきて、一同を見回した。


「それでは、これで運び出す荷物は全部だね」

「ああ」

「では、改めて確認するよ。こちらにあるものは、持って立ち退いてもらう。残り、こちらの敷地内にあるものはすべて我が商会のものだ」

「……分かった」


 揚々とした宣言に、苦虫を噛み潰した顔でブルーノが応える。

 ふん、と口角を曲げて、ツェーザルはこちらに目を移した。


「後でもめても面倒だ。ハックくんには残ったものの確認につき合ってもらえるかね」

「……分かりました」


 商会の四人に衛兵も伴って、小屋の中に戻る。

 土間への扉を護衛に開かせて、ツェーザルは抑えられない笑顔で中を覗き込んだ。

 土の床の上に、一抱えほどの桶がいくつも並んでいる。

 その蓋を開いて、覗き。ますます笑顔が広がる。


「これが、ミソだね。熟成中、というところか」

「そうですね」


 部下に命じて、次々と蓋を取らせる。

 桶の中は、すべて製造中のミソだ。ただしどれも、まだ出荷できるまでには間がある。

 若い店員とともに覗き込んで、店長代理は真剣な顔になっていた。


「ミソはうちの商会でまだ扱っていなかったからね。気をつけて扱いを検討しなければならない」

「そうですね。私はイザーク商会で商品を見せてもらいましたので、完成品の判断は何とかつけられると思います」

「うむ。毎日出荷しているのだから、完成間近のものもあるはずだが――」


 笑いを含んだ目を、こちらに流してきた。


「おそらくのところ、仕込みをした順番に並べているのだろうね。こっちが新しく見えるから、そちらが熟成の進んだものということかな。出荷はそちらから順に、ということになるんだろうね」

「ご自由に想像してください」

「ふふ。そうさせてもらうよ」


 気味が悪いほどの、ご機嫌顔だ。

 ふむふむ、と頷きながら見て回り。ツェーザルは奥の棚に置かれた両手に載せられるほどの木の箱数個に目を留めた。

 蓋を取ると、小麦の香りが漂い出す。


「こちらが、イーストか。小麦粉に混ぜた、先日初めてうちに入荷したときの『元種』とかいったものだな」

「ご自由に想像してください」

「これはこちらで商品として取り扱っていたものだからね、どういうものかは分かるさ。しかしまだ、発酵が足りないものかな」


 こちらも次々と、蓋を開けて中を確かめている。


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