69 墜落させてみた
魔物の足元、崖っ縁の地面が崩壊したのだ。
がらがらと岩や土が崩れ、巨体がそこに呑まれていく。
たちまち、すべてが一体となって、谷底へと転がり落ちる。
「おおお!」
「やったーー!」
悲鳴が、歓声に変わった。
こちらでも向こう岸でも、兵士たちが躍り上がっている。
隣のトーシャも、興奮して肩を叩いてきた。
「凄え、やったぞ!」
「ああ」
もちろん、たまたまの偶然ではない。
崖っ縁への着弾にタイミングを合わせて、魔物の足元から崖へかけての地面下、深さ三メートルほどのうち、半分程度を網目状に消し去ってスカスカにしてやったのだ。
先日実現した方法、地中に土の紐を伝わせて、谷底まで潜ってまた上がり、向こうの地面まで届かせて。
投石の着弾に合わせたので、足元の地面が減ったことは誰にも目撃されていないはずだ。
ついでに念を入れて、もう一度。
一度崩れた崖の割れ目の周り、さらに数メートル分をスカスカにして崩壊させる。
墜落した魔物の上に、大きな岩が追い打ちをかけていった。
「凄え凄え!」
「これなら奴も、助からねえだろう」
満面の笑顔になって、兵士たちは拳を握っている。
どの顔も、土埃と煤まみれで真っ黒だ。
見守る谷底、やがて崩落が収まり、音が絶える。崩れ積み上がった岩の山だけが見えている。
しばらくの観察の後、小隊長は頷いた。
向こう岸の兵士たちに向けて、大声で呼びかける。
「おおい、そっちの被害はどうだ?」
「三人が負傷と火傷で、動けなくなっています!」
「そいつら抱えて、戻ってこれるかあ?」
「はい、直ちに!」
横幅数百メートル程度の谷を迂回して戻ってこられる道があるらしい。
頷いて、小隊長はこちら一同に向き直った。
「みんな、ご苦労。ここで奴を防ぐことができて、何よりだ」
「はい!」
全員が、安堵の表情だ。
指示を受けて、撤収の準備。投石機の片づけなどを始める。
「よかった」「よかった」と口々に同じ言葉が漏れてくる。
本当に、安堵一色しかないのだ。
あのままの攻防ではそのうちジリ貧、こちらの石が尽きて魔物の移動を許してしまう結果が目に見えていたのだから。
「これで、町が救われた」と誰かが言い、それに同意の声が返される。
やがて「おーーい」と遠くから声がしてきた。
横手の方、数名の兵士が近づいてきている。何人かは仲間に担がれて。
向こう岸から迂回して戻ってきた、先発隊の面々だ。
彼らの顔にも、晴々とした笑顔が見えている。
「よーし、少し休憩の後、戻ることにしよう」
小隊長の指示の元、全員が土の上に腰を下ろしていた。
それぞれの口に、大きな溜息が漏れる。
長々と息をつき、全身の力を抜き。
ほとんど放心を続けていると。
がらら。
遠く、異様な音が聞こえてきた。
みんなの耳に、届いたようだ。
とりどりに、辺りを見回す。
「何だ?」「何だ?」と声が交わされる。
そうしているうち。
がらら。
もう一度、同様の響きが聞こえてきた。
辺りを見回し。
怯えたようなみんなの顔が、一方向に揃った。
傾斜した崖に沿い、落ちきった、谷底。
そこに、異様なものが見えていた。
大きな岩が転がり、下から覗き出す。
遠目にも、醜怪な顔つき。
紛れもない、さっきまで暴れていた魔物の頭部だ。
「何だと?」
「生きていたのか?」
震える声が交わされ。
目の錯覚であればいい、という皆の願いも空しく。
さらに岩が転がり、のそのそと魔物は全身を這い出してきていた。
「信じられん」
「あの岩の下敷きになって、生きているだと?」
見る見るうちに全身を現し、魔物は改めて咆哮を上げた。
見た目、その声も含め、弱った様子は感じとれない。
ためらいなく移動を始め、こちらに向いてくる。
すぐに、小隊長が立ち上がった。
「皆、戦闘用意!」
「投石機準備せよ!」
寛ぎの姿勢から一転、みんなが動き出す。
見ると、魔物はすでにこちら側の斜面を這い登り始めていた。
向こうほど垂直に切り立っているわけではないとはいえ、かなりの急傾斜なのだが、苦労の様子もない。両手両足を使って、着実に登ってくる。
こちら、真上から大きな岩でも落としてやれば登頂を邪魔できそうだが。そんな岩は見当たらないし、あったとしても人力での移動は無理だろう。
『収納』で岩を落とすなり、這い登る地面を崩すなりもできるかもしれないが、さっきの落下と下敷きでも無傷のようなのだ。人前に『収納』を曝す危険を冒しても、せいぜい時間稼ぎ程度にしかならないことになる。
再び谷底に落として、さっきより深い穴に埋めてやればどうか。
しかしそれも、想像を超えた魔物の生命力に、何処まで有効か判断がつかない。どこまで深く埋めても、長い時間をかけてでも這い出してきそうな幻想が頭をよぎる。
そうしている間にも、投石と弓矢の攻撃が始まっていた。
しかしやはり、ほとんど効果はない。
何より、投石機は下向きには狙いがつけにくいようで、ほとんど命中していない。
「くそ!」と唸って、小隊長は背後を振り向いた。
後ろの林になった一帯から崖の縁まで、十メートル程度の空き地に、迎撃隊は集まっていることになる。
「このまま奴が登ってきたら、投石機と距離がとれない。あの火で焼かれたら、それでお終いだ。投石機は、林の向こうまで退け! 怪我人も移動させろ」
「はい!」
「残りの者は、弓矢と投石で奴を足止めだ。合図をしたら一斉に退却し、林の向こうで再び陣を張る、そのつもりでな」
「は!」
この狭い空き地での戦闘では、相手の火のブレスを避ける余裕がない。林に引火して燃え広がる危険もある、という判断だろう。
この崖を離れると、落下させて弱らせるという手段が使えないことになるが、もう諦めて向こうで決死の迎撃をする、という覚悟らしい。
そうしている間にも、崖縁からぬっと巨大な頭部が持ち上がってきた。
射かけられる矢やぶつけられる石に何ら怯む様子もなく、見る見るうちに巨体が伸し上がる。
その足が平地を踏みしめたときには、もう頭部は遙か見上げる高さになっていた。前世の都市部でなら三~四階建てのビル相当かというところかもしれないが、傍に比べるもののないこの平地では、さらに大きく見えてしまう。
ぐわあああ、と咆哮し。
開いた大きな口から、たちまち炎が噴き出した。
「わああ!」
「
一同は、左右に分かれて飛び退る。
家一軒くらいの広さの地面に、黒く焦げ跡が残る。
土の上にわずかな草程度しかないこの一帯では引火もないが、この先の林なら山火事に繋がる危険もあるかもしれない。
さらに、次の瞬間。
巨体が捻られて、風を巻きながら横薙ぎに襲ってくるものがあった。
都会の電柱よりも遙かに太い、魔物の尾だ。
ぶうん、と風音が響き上がり、逃げ遅れた兵士が腹を打たれて地面に転がる。
一面をなぎ払い、その尾が逆方向に戻り振られる。
「こなくそ!」
叫んで、トーシャが剣を抜いた。
際どく直撃を避けながら、鱗に覆われた太い尾の先を力任せに切り払う。
しかしたちまち撥ね返され、反動で剣士は土の上に転倒していた。
連続攻撃を避けて、転がりながら戻ってくる。
「くそ、傷一つつけられねえ」
「神様謹製の剣でも、ダメか」
石を投げつけながら、火炎放射と尾の横なぎに備え動く。
じりじりと後退して、一団はもう背後の林に入る直前まで追い詰められてきた。
口を一文字にしてから、小隊長は大きく手を振った。
「全団、退け! 林を抜けて、向こうの平地で迎え撃つ!」
「は!」
先に移動した投石機も向こうに落ち着いた頃合、という判断だろう。
兵士たちは一斉に向きを変え、林の中に飛び込んだ。木立の間を抜け、一散に先の平地を目指す。
巨大怪獣は、すぐに跡を追ってきた。
自分と同じ程度も高さのある木をばりばりとなぎ倒し、辺り構わず火炎ブレスを噴きつける。
すぐに延焼は始まらないが、低い位置に何度も炎が立ち上がった。
キーキーというけたたましい声と、慌ただしい足音。
周囲一面、ノウサギなどの獣が狂乱の態で逃げ回り始めていた。
火炎の直撃を受けて倒れる獣が、何匹も出始めている。
「急げ! 後ろを見ずに走れ!」
広さのある平地と違って、炎を避ける余裕がほとんどないのだ。
とにかく直撃が届かない距離を保って逃げ延びるしかない。
一瞬で丸焼きになったと思しきノウサギの二の舞は御免、と誰もが必死に足を急がせていた。
やがて、眼前に草地が開ける。
数十メートルの距離を保って、こちら向きに投石機が設置されている。
「来るぞ! 投石準備!」
逃走してきた一同は、そこで横に展開した。
大木をなぎ倒して出現する魔物に、たちまち投石機から弾が放たれる。
顔面に命中したそれは傷をつけることもできないようだが、一応追跡者の足を止める程度の効果はあったようだ。
続けて横手に広がった兵士たちから、弓矢と投石の攻撃が浴びせられる。
さっきよりも広い平地で、すぐには尾のなぎ払いも届かない。
正面の投石機、横手の小さな人間たち、何処へ向かって襲いかかろうか、魔物も瞬時迷う様子だ。
そこへ、続けて投石機からの投擲が放たれた。
再度、顔面に命中。
しかし魔物は、うるさそうに軽く首を振る程度の反応だ。
大きく息を吸い、口が開かれる。
先頭の兵士が、周りに呼ばわる。
「炎が来るぞ! 回避!」
「おお!」
ぶわあ、と音を立てて火炎が噴きつけられた。
首を大きく振りながらの噴き出しで、正面半径十数メートルの半円状に草地が焼け焦げていく。
前もって飛び退り、一同はその直撃を避けることができた。
しかしこれで、それ以上の接近が阻まれる。
投石機や弓矢はともかく、手での投石はようやく届くかどうか怪しい距離だ。駆け寄って投げつけすぐに駆け退る、言わばヒットアンドアウェイをくり返すしかなさそうだ。
それにしても、ほとんど相手に損傷は与えていない。
最初の戸惑いが消えたら、このままためらいなく前進を開始して何の不思議もなさそうだ。
つまるところ、ここでの足止めも時間の問題ということになる。
何にせよ、矢も石もほぼ傷一つ与えることができていないのだ。
魔物の全身は鱗に覆われている。あの鱗の固さに、矢も石も剣も通用しないと断じるしかない。
――このままではやはり、ジリ貧だ。
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