103 譲渡してみた

「ふうん」聞いて、サスキアが唸った。「何となくそれだけ聞いたところでは、いい話かどうか分からんな。腕はいいが、商売上手ではない、か。店の経営が怪しいとかいうことになるのか」

「口入れ屋職員の内輪話では、そこまで酷い経営じゃないらしい。固定客はついているので、売り上げは安定している。腕は見込まれているので、大きな店からの依頼も流れてくる。仕事内容に好き嫌いを言わなければ、そうした店からの下請けは絶えずあるらしい」

「ふうむ。案ずるほどではないということか」

「どうも現状では母親の腕に依存しているところが大きいが、娘夫婦の意向では、将来的にそういう特化した注文に頼らず手広く一般客の相手も大きな店からの下請けも受けていけるようにしたい。そのため弟子をとって人手を増やしたい、ということらしいな」

「なるほど」

「しかし要注意の情報として、そうした事情でこの春見習いを二名ほど入れたが、ひと月持たず逃げ出した、とか。どうもその母親の教え方が厳しかったようだ」

「何だと」

「ただ口入れ屋の話では、別に意地悪とかそういうわけではない、純粋に厳しかっただけ。そこそこ大店おおだなの娘たちだったのでそういうのに慣れていなくて耐えられなかったんだろう、ということだ。今回受け入れを検討しているに当たってはその件を反省して母親も考慮するつもりだというし、娘も緩衝に気を払うと言っているそうだ」

「ふうむ」

「まあ実際に会ってみなければ分からないが、こちらの四人なら大丈夫な気もするぞ。そうした大店の娘などに根性では負けないだろう。四人一緒だし、あの二ヶ月少し前までの生活に戻りたくない、という気があれば頑張れるんじゃないか」

「そうだね」マリヤナが苦笑いで頷いた。「あの頃を思えば、たいていのことは我慢できるよ」


 だねだね、と残りの三人も頷き合っている。

 少し前にナジャが「ずっと年長者に頼るばかりでやってきたけど、これからは自分の力で生活できるようになりたい」と言っていた。それはこの四人共通の思いのようだ。


「あと少し特殊な条件なんだが、工房の広さや人手の関係で、四人一緒に修行させることはできないということなんだ」

「え、そうなの?」

「みんな一緒にってお願いしていたのに」


 レナーテとビルギットが、口々に声を上げた。

 それを手で制して、続ける。


「いや、四人ばらばらになるってことじゃない。二人ずつ一日交替で修行に通うって形の提案だ」

「二人ずつ?」

「交替?」

「ああ。一度に二人なら、自分たちの仕事のかたわらしっかり見てやれるって話だ。できれば少し経験のある者とそれより慣れない者の二人一組が望ましいと。そしてその日工房に来られない二人には、修行の課題がてら簡単な内職の仕事を与える。つまり、一日置きに工房で修行と家で内職のくり返しって感じだな。見習い修行はこちらから保証金を払って原則無給だが、内職の方はわずかだがこなした分の手当が支払われる、ということだ」

「へええ」


 ナジャが、マリヤナと顔を見合わせている。


「内職でお手当が出るっていうのは、助かるかな」

「そうだね」

「その点では、悪い話じゃなさそうだな」サスキアも頷いている。「成果を急ぐより、しっかり技術が身につくようにと考えているってことらしい。今は四人とも、独り立ちを急ぐよりしっかりした手に職をつけたい希望なのだろう?」

「だね」

「なら、ここまでの条件はいいか?」四人の顔を見回して、確認する。「以上は口入れ屋の人から聞いた話で、店の人に会ってみないと実際のところは分からない部分もあるだろう。問題なければ明日、俺が付き添って四人と店に話を聞きに行くことにする」

「うん」

「分かった、お願い」


 ナジャとマリヤナが答え、レナーテとビルギットはうんうんと頷きを返してきた。


「正式には、ブルーノにも話をしてみんなで納得して、ということにしよう」

「そうだな」


 サスキアとも頷き合って、相談を終えた。

 この日は、なかなか忙しく用事が詰まっている。午後からはジョルジョ会長が三名の職員を伴って訪ねてきた。

 イースト譲渡の契約に従って、最初からすべての製産過程を説明するのだ。

 具体的には、これまで秘匿してきたイーストの元から実際に使う種を増やす手順を説明することになる。その後の工程は、これまで通ってきていた職員がもう十分慣れている。

 イーストの元に原則毎日小麦粉を加え、繁殖が絶えないようにする。その増えた分から、製産に使う量を出していく。


「このいちばんの元を、決して絶やさないようにしてください」

「それをダメにしたら、復元不可能ということかね」

「すでに製産に回した種から復元を試みることもできるでしょうが、同じ品質を保てる保障はありません。僕もやってみたことがないので。しかし将来的なことを考えると、今のうちからいろいろな方法を試していった方がいいかとは思います」

「そうだな。専門に研究する人材を配置することを考えよう」

「本当にその元の部分が全滅してしまったら、まったく最初からやり直すしかなくなることになります。具体的には小麦粉などを保管している周辺からそれらしき物質を集めて、根気よく培養と実験、観察を繰り返して見極める、という感じですね」

「何だか、気が遠くなる話だな」

「しかし万が一のことや、今後の品質向上などを考えて、そうした手順の研究も進めていってもいいかもしれませんね」

「なるほどな」


 会長と専従する予定の職員に一通り説明し、すべての資材の譲渡を終える。

 別工場でミソの製産を始めるための麹も、桶に入れて梱包されている。麹についてはまだ当分、こちらの作業場で元の繁殖をしたものの販売を続けることになっている。

 ずっとここに通っていた職員たちは派遣を終了、明日からはそれぞれの工場に分かれて指導役になる予定だ。

 そこそこ子どもたちと親しくなった彼らは、笑顔で別れを惜しんでいた。


「これで一段落、だな。ニールもみんなも、これまでご苦労さん」

「うん」


 一行を見送り、ここのところ特に派遣職員への指導に励んでくれていた仲間を、労う。

 今後はこの作業場での労務が激減して、安心して女の子たちを修行に出すことができる。

 夕方木工工房から帰ってきたブルーノに裁縫見習いの件を説明すると、何度も質問を返した末、頷いていた。


「分かった。みんなが納得しているなら、そういうことでハックに頼むぜ。こいつらを連れていって、よく話を聞いてきてくれ」

「ああ」


 ルーベンも、工房でやっと道具を持たせてもらえるようになった、と楽しそうに話している。

 女の子たちは今後の修行に思いを馳せて、生き生きと話し合っている。

 そうした家の中の明るさに、小さな三人もすっかり陽気な動きになっていた。

 夕食後、子どもたちの遊ぶ様子を眺めながら、すぐ横に座るサスキアと向こう隣のニールに話しかけた。


「みんなの裁縫修行が予定通りに決まったら、この家に常時二人が内職で残ることになる。あの子たちの様子を見ていてもらえるだろうから、こっちは森とかへ出かける時間も作れそうだな」

「ああ、十分に安全を確認して、だな」

「うん」


 サスキアにとっては当然ニールの安泰が最優先だろうが、外に出る話題になると目が輝きを増す印象になる。

 ここしばらく家にこもりきりの生活で、体育系体質の少女としては鬱屈が溜まっているのだろう。


「これで、あいつらの修業先が問題なく決まれば、とりあえず万万歳だな」笑って、ブルーノが話しかけてきた。「この街へ来てから何もかもうまく動いているみたいで、何だか怖いぐらいだぜ」

「ああ。みな、ハックのお陰だな」

「みんなの頑張りのせいだよ」


 またも互いの褒め合いが勝手に盛り上がりそうで、苦笑を見交わしていた。

 囲炉裏の火を前にして胡座の足を組み直し、ブルーノが機嫌のよい顔を振り向けてきた。


「この際、確認しておきたいんだけどさ、みんなが見習い修行を始めて収入がほとんどなくなって、本当に生活費は大丈夫なのか。ハック一人に負担をかけることになったりしてないか」

「そこはまちがいなく、心配ない。これまでみんなで稼いで生活費として貯めていた分と、今後イーストの権利で入ってくる分を合わせて、贅沢を言わなければ不自由なく暮らしていけるはずだ。会計はニールに任せているが、そうだよな?」

「うん。試算の結果で、問題ない」

「その他に、今後もミソの販売分からもそこに加えていけるしな。ニールとサスキアの給与もそこから余裕で出せるはずだ」

「だいたいのところはこの前も聞いたわけだが、何だか話がうますぎる感じで、信じられないんだよな。本当に、ハックが損をしているなんてことはないんだな?」

「おお。イーストの権利収入は、ここの生活費に入れる分より俺の懐に入る方が多い。みんなのお陰で、ウハウハだ」

「マジかよ」

「みんなニールが帳簿に記録しているから、疑わしければそっちを見せてもらってくれ」

「まあ、信じるけどな。ニール、その辺おかしなことがあったら、サスキアと俺に教えてくれよ」

「うん」

「しかし本当に、信じるけど信じられないぜ。イーストで、そんな大きな収入になるのか」

「現状よりも、まちがいなくこの先増えていくことになるぞ。一度、そこの商店街を見に行ってみろ。今までになかった直接のパンの販売だけで、大盛況だ。その上にイーストだけの販売があって、それがよその町から王都にまで広がっていっている」

「だよね、凄いよね」


 ナジャが、はしゃいだ声を入れてきた。

 小さな子たちを寝かしつけるのをレナーテとビルギットに任せて、マリヤナとともに囲炉裏端に戻ってきたところだ。

 数日前に女の子四人で街中を歩いてきたという経験から、また興奮気味の話を繰り返す。


「パンを買うのに、長ーい行列ができているんだから。プラッツよりも何倍も人数が集まっているの」

「ああ、聞いたぜ。凄え話だよな」

「ほんと、凄いんだよ」


 ナジャはずっとプラッツのデルツの店でパン作りを手伝っていたので、この辺の感想も実感がこもっているのだった。

「ね、ね」とマリヤナの相鎚を促して、またこちらに興奮の顔を向き直ってくる。


「ここしばらくばたばたしてハックに言ってなかったけどさ、教えてもらった料理屋も、覗かせてもらったの。何だか凄い、ミソの料理をいろいろ試しているんだって、元気いっぱいだった」

「そうか、こないだ言ってたものな。ミソもそんなに評判って、凄いもんだぜ、ほんとに」

「ありがたい話だよな」


 重ねられるブルーノの感嘆に、頷き返す。

 何やらまるで酒に酔った親父のように、ブルーノはしきりと首を頷かせていた。


「じゃああとは本当に、こいつらの修業先が問題ないか、だな。本当にハック、よろしく頼むぜ」

「ああ、了解だ。何だか口入れ屋の方も妙に親切でな、この件について丁寧に説明してくれるし、初めて店に行くときは職員が同行してくれるそうだ」

「本当か、それは」サスキアが、わずかに目を丸くした。「親切なのはいいが、何か気味が悪いな。孤児たちに対してこんなに気を遣ってくれるなど、今までなかった話だ」

「本当だぜ。そんなに親切な土地柄なのか、この領は」

「まあ、いろいろあるんだろう」


 笑い返すと、ブルーノとサスキアは半信半疑の顔で首を傾げている。

 その二人を安心させるために、続けた。


「とにかく明日話を聞きに行くに当たっては、何処かで足をすくわれたりすることのないように、俺が気をつけておくことにする。とりあえず明日はお互いにお試しの日ということにして、あちらとしては四人まとめて一日預かって裁縫の腕前を見る、こちらとしては向こうの人となりなどを確認する、ということになっている。四人にとって何か不安があるとか納得いかない点があったら、そこでお断りするのも自由だ、ということだ。そのつもりでみんな、卑屈になる必要はないから、じっくり相手を見てやるつもりでいればいい」

「うん、分かった」

「明日は一日、こっちはサスキアとニールに任せていいか? 俺は四人をその店に連れていって、信頼できるようなら一日預けて、その間また今後のためにあちこちを見て回ることにしたい」

「うむ、承知した」


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