104 預けてみた
翌朝、ブルーノとルーベンを送り出した後、女子四人を連れて家を出た。
目的地である裁縫の店「ハイデ縫製工房」は、パン屋や料理屋のある商店街を抜けて南西の端の方にある。
道すがらにある口入れ屋に寄ると、何度も応対してくれていた若い男の職員が受け付けにいた。紹介された裁縫修業先を訪ねると言うと、奥に断りを入れてすぐに外へ出てくる。
「では、行きましょう。この道の向こうなんで」
「いいんですか、一緒に行ってもらって?」
「若い君たちだけをただ行かせたのでは、無責任だからね」
「そんなものなんですか」
先に立って歩く職員に肩を並べる。女の子たちは、すぐ後に続いてきた。
職員がこうして同行してくれるのは、確かにありがたい。
しかし何度か口入れ屋に行っていて周囲を見た限りでは、職の紹介後は本人に任せてそれきりという倣いのように見えていた。
若い者だけだから、というのはまあ理由になっているようでもあるが。
「もしかして、領のお偉方から何か通達がありましたか」
「ん?」
若い職員は、軽く片眉を持ち上げていた。
しかしかすかな狼狽は一瞬で、すぐに愛想のいい笑顔を続けている。
「移入してくる若い人材は領や街にとって貴重だからね、大切にするようにという方針だ」
「そうなんですか、ありがたいです」
元からそういう方針が出ているのかどうかまでは、分からないが。
昨日会った家宰辺りから「ハックなる者とその周辺に便宜を計らえ」という指示が出ていたとして、何ら不思議はない気がする。
個人として、領にとってそこそこ益のある人材と認定されたか。
それ以上に大きな理由は、イザーク商会との関わりだろう。
イーストの譲渡を終えて、やや可能性は薄まったが。それでもまだ、強い関わりは残っている。
もしも孤児たちがこの領を捨ててさらに移住することになったら、イザーク商会もそれを追って拠点を移すことが十分考えられるだろう。
北方面用の工場はマックロートに残すとしても、さらに南に拠点を置いた後店を分けることに同意しなければ、この領は大きな税収を失うことになる。
そういった予想通りに話が進むとは必ずしも言えないにしても、とにかくも領としてはこの孤児たちの生活安定に配慮しておいて損はないという判断になりそうだ。
口入れ屋の職員一人の腰を軽くする指示をするくらい、お安いご用ということになるだろう。
その職員は半分後ろの子たちの方も見ながら、陽気に説明した。
「ハックくんには昨日も説明したけどね、これから行く裁縫工房のハイデマリーという婆さんは、愛想は悪いけど腕は一流だ。最初とっつきが悪いのを我慢してもらえば、まちがいなくいい修行はできるはずだから」
「は、はい」
「前にとった弟子については指導に熱心なあまり厳しくしすぎたということがあったらしいが、そこは反省しているし、こちらからも十分配慮するように要望を入れているから、同じくり返しはないはずだ。そこは安心してほしい」
「はい」
昨日も伝えてきた注意事項をほぼ寸分変わらずまたくり返すことからして、口入れ屋側にも懸念が残っているという表れの気もするが。
こちらはそんな言い返しをする余裕もなく四人とも緊張で顔が強ばった様子で、少し外での対応に慣れているナジャが小声で返事する程度になっている。
苦笑する職員の案内に従って道は商店街を抜け、やや住宅の密集した地域に入った。
ほとんど周りの住宅と区別のつかない石造りの平屋の前で足を止め、木造の扉をノックする。
見ると扉の上、申し訳程度に「ハイデ縫製工房」の小さな看板が貼りつけられている。
「はあい」と、まだ張りのある女性の声が返ってきた。
「まあよく来たね、待っていたよ」
縦横ともに大柄な中年に差しかかったかという外見の女性は、店主の娘だという名乗りをした。
招き入れられた板の間はそのまま工房のようで、四人並ぶと窮屈な幅に何とか置いた椅子に女の子たちは座らされる。
店主の娘がその前に座を占め、職員と二人、その脇に控えることになった。
こちら手前の奥の間への入口に座る初老の女性が、店主のハイデマリーらしい。そのまた奥手に男が一人座って縫い物らしい作業をしているのは、娘の夫だろう。
揃った人々について、口入れ屋職員が一通り紹介をした。
本日はとりあえずお試しで、四人には簡単に作業をしてもらい、修行の場として申し分ないか確かめてもらうことにする。
そういう説明を受けて、娘は見習いたちの緊張を解すように笑いかけた。
「とりあえずもあらかじめ聞いた通りの娘さんたちで、安心したよ。まずはあんたたちの裁縫の腕前を見せてもらおうね。あと断っておくけど実際来てもらうようになったら、見習い修行というのは裁縫だけでなくて、掃除や片づけ、洗濯なんかもやってもらうから、そのつもりでいておくれよ」
「ああ、はい」固い表情のまま、マリヤナが応えた。「掃除や洗濯も料理も、十人以上で一緒に暮らしてていつも協力してみんなでやっているから、慣れています」
「ほう、そうなのかい。それじゃ、裁縫工房の特殊なところだけ教えれば、大丈夫かねえ。掃除や洗濯も、え、料理も?」
「はい、あの、特別なことはできませんけど、好きです」
「そうなのかい。じゃあ、修行の妨げにならない程度にそっちも手伝ってもらえれば、助かるよ」
「あ、はい」
「見習いとしては、そんなところの手伝いもして当然だね。特に洗濯や掃除は、裁縫仕事につきもののことだろうし」職員が頷いて口を入れる。「前の見習いがお嬢様育ちで、そういったところに馴染まなくて苦労したらしいけど」
「そうなんですよお」
娘がやや苦い笑いを返し、奥では母親が怒ったような顔で頷いている。
その辺に、悪い思い出があるということらしい。
その他大雑把な決め事として。この辺は受け入れる工房によっても多少差があるものらしいが。
この後、見習い修行は半年を目処に進める。今日が十の月の十七の日だから、来年三の月末まで、ということにしておこう。
一応その時点で、双方がその後の方針を相談して決める。
裁縫の腕前がものになりそうということなら、そのまま見習いの雇用を続ける申し出ということになる。才能不足という判断なら、そこで終了とするかもしれない。
一方弟子の側としても、雇用の提案を受けるかどうかは原則自由裁量だ。別に法律などでの拘束はない。
ただやはり慣習としては、雇用する方もされる方もその時点で明白な理由なしに拒否することはまずあり得ない。そんなことをしたら将来的に業界内での信用を失う事案だ。
それこそ法律などでの縛りはないにせよ、長年この国内で続いている見習いの制度は、広くそうした信用に支えられてきているものだという。
つまりまず今の時点でこの見習い修行を受け入れるということは、双方ともに将来にわたって雇用関係を継続する意思があるという確認の上になるわけだ。
そんなことを、一通り確認する。
その上で娘は、半ば以上こちら向きに話を続けた。
要するに、仲介する職員と、保護者たる年長者に向けて。
「来年頃を目処に三四人程度若い働き手を入れて、この工房も広く改築することを考えていますのさ。今までは婆さんの腕前で高額の固定客も呼べていたけど、あたしや亭主の腕ではそれも望めないんでね。婆さんもいつまで続けられるか分からないんだから、今のうちに方針変更を考えていくってわけさね。もっと広く、低額の製品も受け入れていくように」
「なるほどね」
「だからこの子たちには、ものになるようならずっと続けてもらいたいってわけですさね」
「事情は分かりました」
こちらから返答すると、四人もとりどりに頷いている。
娘も頷き返して、椅子の上に姿勢を正した。
「じゃあお互い納得したということで、試しに仕事を始めてもらおうかね」
「はい」
「ああ――」
頷き合って動き出そうとしているところへ、思い出して手元の鞄を探った。
掌に載るほどの壷を取り出して、娘に手渡す。
「お世話になる挨拶として、お持ちしました。つまらない物ですが」
「何ですかね、これは」
「ご存知かどうか。イーストというものなんですが」
「ああ、聞いたことあるね。柔らかいパンを作る素って言ったか」
「ええ、それです」
「評判になっているパンは、一度買って試したんだけどね。驚くくらい柔らかくておいしかった。こういうものをいただいてありがたいんだけど、しかし、どう使っていいんだか分からないさね」
確かに、多くの町民はそういう認識だと思う。
パンそのものの売り上げは好調だが、イーストはまだそれほど販売量を伸ばしていない。
使い方の情報が伝わっていないせいだ。
プラッツでは最初期にイーストを使ったパンの焼き方講座を開いて人々に伝えたのだが、こちらマックロートではまだその機会がなく、人口が多いこともあってイザーク商会側で現在計画を練っている段階だった。
「こっちの四人は使い方を十分承知していますので、試しに作らせてみてください」
「おお、そうなんかね。じゃああんたたち、後で頼むよ」
「はい」
「分かりました」
マリヤナが頷き、ナジャは声を弾ませる。
四人ともにパン焼き作業には慣れているが、特にナジャにとっては得意分野なのでアピールのチャンスという受けとめなのだろう。
女の子たちの緊張がわずかに緩んだ印象のところへ、ハイデマリーが進み出てきて指導開始を告げ、また空気が引き締まる。
「じゃあ試しに、直線縫いをしてもらうか。用意しな」
「は、はい」
「ほらお前、背筋を伸ばしな。姿勢をよくしないと、長く続かないよ」
「はい――」
ぶっきら棒だが、指示すべきところはちゃんとしているようだ。
時おり言葉がきつくなりかけ、娘に睨まれて言い直していたりする。
奥の娘の夫はさっきから一言も発しないで一定の調子で縫い物を続けているが、ちらちらとこちらの様子も観察しているらしい。
とりあえず問題なく、作業は続いていくのではないかと思われる。
「夕方また迎えに来る」と言い残して、こちらは口入れ屋職員とともにその場を辞すことになった。
「わざわざどうも、ありがとうございました」
「いやいや、これも職務のうちだ」
道の辻で、職員に礼を言って別れた。
彼とは逆に、街の外れの方に歩を進めてみる。
しばらく小さめの住宅が続いた後は、次第に畑が多くなってきた。
十の月の半ばを過ぎた頃なのでほとんど収穫は済んでいるようだが、まだ何かわずかに残っているのか、あちらこちらに作業をする人影が見えている。
収穫を済ませて雑然とした様子の畑地の合間に綺麗に耕されて生育を待つかのような土色が続くのは、秋蒔き小麦か何かだろうか。
そんな耕作地の脇を歩き続けて大きめの道に当たり、右折して進むと防壁に門が構えられているのが見えてきた。何度か出入りした西の門からはかなり南向きに回った位置だ。まだ昼前の太陽の向きと見比べて、南西の位置どりかと思う。
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