101 会談してみた 1
翌日の朝は、トーシャの下宿によって合流し、イザーク商会で会長に挨拶して同道することになった。
ここから領主邸まで二十分ほどの徒歩移動になる。
店の前でプラッツへ向けての貨物の準備をしている牛車を避けて、会長は荷物持ちの小僧一人とともに出てきた。
挨拶を済ませて歩き出すと、傍らで二頭の牛がのんびりと欠伸をしている。
昨日もこの牛たちが引く荷車に合わせて会長たちも徒歩で移動してきたという話を聞いていたので、素朴な疑問を向けてみた。
「会長さんはいつも、プラッツからの移動は牛車と一緒なんですか」
「そうだよ。荷物運搬の定期便があって、護衛もついているからね。言ってみればいつも、それに便乗する格好だ」
「馬に乗るなんてことはないんですか。それとか、馬に荷車を引かせるとか」
「商人が馬に乗るというのは、まずないよ。馬は兵士の乗物だし、あとはせいぜい農民が農耕馬を流用するぐらいだ」
「なるほど」
疑問というか、気になったのは。
プラッツやマックロートでも間の街道でも、ほとんど馬の通行を見ないのだ。
街道では、例の侯爵領兵の進軍で見た、それだけだった。
街中でも街道でもそれ以外、乗馬姿や馬車の通行をついぞ見たことがない。
唯一見たのが、例の男爵令嬢が乗っていたものだけだ。
プラッツで見なかったのは辺境のせいかと思っていたら、どうも全国的に同じようなものらしい。
訊いてみると、そもそも庶民対象の馬車というものの存在がないようなのだ。
荷物を運ぶに当たっては、牛の方が力があって量をこなせるし、人が一緒に歩く速度も合わせやすい。
もし馬に急がせる速度で車を引かせたら、振動で荷物を傷めかねない。人が乗った車を引くなど、人体が長時間耐えられないのが実態だ。豪華さを誇りたがる貴族が短距離用に用意することがある、という程度だとか。
荷物や人体に影響のない速度で馬を使うなど言わば贅沢で、牛の方がリーズナブルという判断になる。馬を一人乗りに使うのも、騎馬兵以外ではかなり特殊な非常時の選択になるようだ。
本当か嘘か会長さえ見たことがないらしいが、王都などのごく高貴な人々用に、牛二頭を並ばせた背に籠を乗せて人を運ぶという方法はあるのだとか。車を引くより振動が柔らかい、ということになるのか。
こういう情報を得ると、やはりどうしても前世の知識を連想してしまう。
当社調べの統計はないが、何となく中世が舞台のフィクションで、荷物や人の運搬に馬車が常用されていたという印象がある。
してみると、こちらの世界はあちらの標準より文化的に遅れているということになるのか。
少なくともおそらく、馬車の車体を作る技術が大きく遅れているということになりそうだ。
あちらの多くのフィクション内では「長く乗ると尻が痛くなる」などと愚痴りながらも何とか乗車はできているようだったし、町中の辻馬車や遠距離の定期便が普及しているというのが常だったと思うが。
こちらでは、短距離の乗車でもなかなか耐えがたい造りの車しかなく、我慢して使用するくらいなら採算が合わないという現実らしい。
この辺また、フィクションとばかり比べるのも妙な話なわけだが。
恥ずかしながら、前世の現実の中世に関するこの辺の知識がないので、仕方ないのだ。
欧米の馬車に関する知識と言えば、西部劇の駅馬車とかロンドンの辻馬車とか、映画で見たような見ないようなおぼろげなものしか浮かんでこない。そもそもあれ、古くても十八世紀かそこらで、もう中世とは言えない時代の話ではなかったか。
一方、日本に目を向けてみると。ますます知識も記憶も浮かんでこない。
室町時代や江戸時代に、馬車が使われていたか。テレビの時代劇で見た記憶もない。しかし、はっきりそんなものがなかったという断言ができる知識もない。
もし江戸時代の日本にそんなものがなくて、中世の西洋でばんばん活用されていたのだとすると、その種の技術で日本は大きく遅れていたのか、と勝手に想像されるばかりだ。確か幕府が人の移動に制限をかけていたとかいうことがあったようにかすかに記憶するので、もしかするとそんな事情も関係するのか。今となっては、その辺の真偽を確かめるすべもないのだが。
――まあしかし、どうでもいい考察、ということになる。
悪い癖で、また勝手にいろいろ連想を広げてしまうが。
こちらでは馬車がほぼ常用されていない、という事実を頭に刻めばそれで済むことだった。もしかすると、前世西洋よりそうした技術が遅れているのやら。
だからと言ってまたフィクションのように、知識チートを持ち出せる領域でもない。車輪のサスペンションとかそんなものを作り出せるような知識は、まったくもって持ち合わせていないのだ。
ともかくも要するにそうした現状で、この街中の移動も所要二十分間の徒歩、ということになるのだった。
隣のトーシャが逆側の会長に、乗馬を衛兵に教えてもらったという体験談を語っているのを聞くうち、正面先に石の壁が見えてきた。
「あそこが領主邸だよ」
「へええ、さすがに大きいですね」
領都の中央よりやや南寄りに広大な敷地を持つ領主邸は、館というよりほとんど城という
三階建てらしいその大建築の手前に張り出した部分が役所のような役割で、領民の陳情などを聞くのにも使われているらしい。
門番に名乗った後、案内されたのはそうした目的の平民相手の応接室らしく、テーブルを挟んだ両側に三人ずつ用の椅子が用意されてまだ余裕のある広さだった。
少し待たされて、二人の人物が入室してきた。
やや背は低いが貫禄のある丸みを帯びた体格の初老の男性が、家宰と思われる。随行する若い男は文官のようだ。
それぞれ名乗りを上げ、貴族相手の礼をとる。
初老の家宰は、エッケハルト・アーメントと名乗った。文官の名はカスパルだという。
向かい合って席に着き、主にこちら若僧たちに対してだろう「改まった場に慣れていないだろうことは承知している。ことさらに畏まった礼儀は求めぬぞ」と、家宰は気さくな口調で切り出す。
「とにかくも、わざわざ呼び立てて済まぬ。それも二件を同時に扱うなどこちらの都合で申し訳ないのだが、なかなか慌ただしい状況でな」
「承知しております」
代表して、ジョルジョ会長が答えた。
シュナーベル男爵領を奪還してまだ十日程度なのだから、落ち着かないのも無理のないところだろう。それも、侯爵領にとって思いがけない理解の及ばない事態つきで、困惑が続いているはずだ。
頷き、家宰は隣の文官から書類を受け取っている。
「まずは、トーシャとハックと申したな。魔物討伐に関する件だが」
「はい」
「領内に被害が出る前に討伐がなされたことについて、礼を申したい。兵たちからの報告に見る限り、百匹を超える魔物にあのまま接近を許していたら、大変な被害が出たことはまちがいないようだ」
「は」
とりあえず今回の討伐に対する報奨、と渡された袋の中身は二人に金貨五枚ずつだった。
魔物の種類や数の違いはあるが、男爵領でオオカミ魔物の際受け取った金額の十倍以上ということになる。
「魔物の皮などは素材として活用できる見込みです。そちらの価値が定まり次第、その対価の分が追って支払われることになります」と、文官が付け足した。
それにも頷き、家宰は機嫌よさげな顔を戻してきた。
「なかなかに有用な、武器や防具などの材料にできそうだということだ。この点でも、
「は、恐縮です」
トーシャとともに、軽く頭を下げる。
この辺の詳細はまだ一般民衆に知れ渡っていないので、隣の会長はやや目を丸くして興味深げに聞いていた。
「あとその他に、主にそちらのトーシャにということになるか、いくつか訊いておきたい。あちらのプラッツの衛兵などにも聞きとりをしているのだがまだ詳細はまとまらぬし、どうも其方が最も詳しいということになるようだな、これまでに北方から接近してきた魔物たちについては」
「ああ、はい、そういうことになると思います」
これまで遭遇した魔物たちについてトーシャに説明を求め、文官が記録をとっていく。
最初のガブリンと名づけられた魔物から、オオカミモドキ、北の山で遭遇したというネズミやイタチに似た外観のもの。
それぞれの特徴や対処法などを聞きとり、まとめていく作業だ。
どうもこれまで、この種の情報は男爵領で止められて、南方まで伝わっていなかったらしい。
続いてゴ○ラモドキの魔物の話になって、家宰は顔をしかめた。
「何ともそれは、難儀なものだな。投石機でも効果がないとは」
「はい、仰せの通りで」
「少なくともそいつだけは、その一匹で終わりであることを願いたいものだ」
「はい」
そのゴジ○以外については、対処法を周知した上で複数の兵でなら討伐も可能と思われる。
そういう判断で、家宰は文官に情報をまとめて関係各所に通達するように指示している。
また、もしかすると火山活動の影響で魔物の南進が始まっているのではないか、という推測についても真剣に記録させていた。
この件に関する第一人者として優遇したい、領に仕えぬかという家宰からの提案もあったが、トーシャは頭を下げた。
「ありがたいお話で恐縮ですが、俺はもっと南方まで魔物を調べて歩きたいという希望を持っています」
「そうか」やや顔をしかめて、家宰は頷いた。「我が領としては惜しい話だが、国としては助かることになるかもしれぬな。先ほどの火山の影響が事実なら、確かに南方の領などでも警戒せねばならぬ」
「はい」
「しかしまだ、当面最も警戒が必要なのは我が領だということにまちがいはなかろう。今回の魔物についてもまた現れぬという保障はないので、様子を見たい。其方はもうしばらく、ひと月程度はこの街に留まっていてくれぬか」
「は、承知いたしました」
「その後他領を巡るということであれば、紹介状なども手配しよう。これまでの経過も合わせて、王宮にも報告を入れておく」
「はい、ご配慮ありがとうございます」
そうしたやりとりも、逐一文官が記録しているようだ。
家宰が一通り納得したらしいのを窺って、ジョルジョ会長が口を開いた。
「真に恐れながら、お尋ねしてよろしいでしょうか」
「何だ」
「今のお話ですが、プラッツの北や東方面からの魔物の出没に、備えはされているのでしょうか」
「うむ、其方はプラッツに店を構えているのだから、気になるのも当然か。そちらは現状、東方の村近くに兵を常駐させ、監視を強めているところだ。怠りなく警戒していれば、先日のトカゲ魔物程度ならプラッツに接近する前に対処できるであろう。
問題は、もっと危険な魔物が出没した場合にプラッツの民の避難を間に合わせることができるかと、東方の村の民の安全を図れるかといったところなのだが。監視の兵のための砦を築いて人数を増やすことや村の者たちに移住を促すことなどを検討しているのだが、いろいろ障害もあるのでな」
「は。もっともかと存じます。ご配慮いただいているということで、心強い思いです」
「うむ。しばらくはいろいろと検討することになる」
「はい」
会長も、やや安堵の様子で頷いている。
この点はずっと気になっていたので、会長が口に出してくれたことで助かった。
グルック村やプラッツの知り合いたちの生命がかかっていることなので、どうにも意識しないでいられないのだ。
家宰が口にする「いろいろ障害もある」という言葉が、気がかりなところだが。
――おそらく第一は、資金面なんだろうな。
砦を築くにも、村民を移住させるにも、かなりの費用がかかってくるはずだ。
それなのにこの侯爵領にとって、奪還した地域に費やす予算の余裕は持てないでいると思われる。
何しろ、男爵領で蓄財していた金銭が一切消え失せているのだから。その点では、完全に当てが外れているに違いない。
――ううむ。
当事者としては、どうしても考え込んでしまう。
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