19 肉を売ってみた

 いくつかの商店を通り過ぎて、人の数も減り始めたかという辺りで、見つけた。

 明らかにウサギを象ったと思われる図柄の、看板だ。

 あまり広くない戸口を全開にした店先に二人がけ程度の木の長椅子を設置して、頬から顎に髭を蓄えた小太りの男が、無聊そうに腰を下ろしている。

 覗き見える店の中にはほとんど何もなく、カウンターのような台が奥と手前を仕切っているだけのようだ。

 確信は持てないがこの髭男が店の者だろうと当てをつけて、近づいていく。

 ひょいと上げた男の視線は、こちらの顔より先に両手にぶら下げた獲物を捉えたようだ。たちまちそのドングリまなこがまん丸になる。


「お、お前、それ――」

「すみません、こちら、肉屋さんでしょうか」

「おう、そうだが」

「こちらでこれ、買い取ってもらえると聞いて来たんですが」

「おう」


 体型に似合わない機敏さで、男は腰を上げた。

 その目は、さっきから二羽のノウサギを捕捉したままだ。


「新鮮で毛皮にたいした傷もなさそうだな。喜んで買い取ろう。ここのところ、ノウサギの入荷が少ないんだ」

「それは、こっちにとっても好都合でした」

「中に持ってきてくれ。俺はこの店の主人で、ヤニスという」

「ハックといいます、よろしくお願いします。この町は初めてで、何も分からないもので」


 世間知らずを公言すると足元を見られるかもしれないという危惧もあったが、ここはぶっちゃけることにした。

 相手の方も最初から、見るからに明らかな若造に対して自分に不利になりそうな情報を隠そうとせず、腹を探るようなつもりはなさそうだと判断したのだ。


「入荷が少ないというのは、例の魔物のせいですか?」

「そうさ。ここしばらくそんな噂のせいで狩りをする奴が減っていたんだが、昨日から東と北の森へ入るのが禁止になって、まったく獲物が入ってこなくなっちまった」


 店の前で暇そうにしていたのは、そのせいらしい。


「ノウサギが獲れるのは、東と北の森だけなんですか」

「他にもあるが、少し遠いからな。うちに入ってくるのは東と北のやつばかりだ。お前さんも、これは東の森かい?」

「ええ。あっちの村から歩いて避難してきたので、その途中で」

「ふうん」


 カウンター台に置いた二羽を、ひっくり返しながら一通り観察する。

 その口から、低い唸り声が漏れた。


「頭が潰れている以外、まったく傷もないじゃないか。首の傷は、捕まえてから血抜きしたんだよな。お前さん、これどうやって狩ったんだ?」

「いや、何と言ったらいいか……」

「秘密かい。まあ人に教えたくない方法だというんなら、無理に聞かねえが」

「いや、説明しにくいし、信じてもらえるか心許ないんですよ。簡単に言えばただ、手ぶらで岩の前に立って誘き寄せて、身を避けたら勝手に頭を打ってのびてくれる、という」

「何だ、そりゃあ。そんな狩り方、聞いたことがないぞ。ノウサギってのはすばしこくて、なかなか仕留められないんだ」

「よっぽどタイミングがよかったんですかねえ。最初たまたま偶然うまくいったんで、もう一度試してみたら、また成功しました」

「何だ、そりゃ……」

「ふつうの狩り方は、弓矢か罠を使うかってところですか?」

「おう。それで、罠はかなり運がよくないと成功しないし、弓矢はよっぽど腕がよくないと当たらないのさ。とにかくすばしこい奴らだからな」

「こちらのやり方だと、けっこう成功しますよ。手ぶらでいるのを見せたら、向こうから突っ込んできますし」

「ほう……」


 店主の目が、ぎらと光って見えた。

 わざわざ自慢たらしく強調したのは、今後も狩ってくることができるぞという意味を伝えるためだ。

 入荷が少ない商品を今後も手に入れることができるというなら、少しは便宜を図ってもらえるかもしれない。


「一羽当たり、銀貨一枚と銅貨五十枚だ。それでいいか?」

「ああ、はい。すみません、不服というわけじゃなくただ確認したいんですけど、それは通常の価格ですか」

「ああ。口入れ屋に依頼を出して買い取るときも、獲ってきた奴に払われる最高額がこの値段だ。皮に傷が多かったり肉が傷んでいたりしたら、当然これより下がる。悪いが、口入れ屋との契約で、直接持ってきてもこれ以上は出せないのさ」

「なるほど、了解しました。ついでにすみません、教えてもらえますか。この二羽で銀貨三枚ですよね。これで宿に一泊することはできるものですか?」

「上等でない宿なら、一泊銀貨二~三枚だろうな。もっと粗末な木賃宿なら銀貨一枚かからないところもあるはずだ」

「へええ、そうですか。ありがとうございます」

「それから、ノウサギの解体を済ませて持ってくれば、皮と肉合わせて最大銀貨一枚と銅貨八十枚になる」

「そうなんですか。解体はやったことがないんですが」

「慣れれば簡単だぞ。見ていくか?」


 銀貨三枚を受けとって取り引き成立として、店主は二羽のウサギをぶら下げて奥へと招いてくれた。

 店先は商品も何も置かれずに殺風景だったが、考えてみれば当然で、冷蔵陳列設備のないところに生肉を並べておくはずもない。干し肉の在庫があるとしてもこの季節、もっと涼しい場所に保管するだろう。

 バックヤードに下がるとそこは、やや薄暗い作業場と貯蔵庫を兼ねた場所のようだった。中央に年季の入った木の作業台らしいものがどっしり据えられていて、店主はそこにノウサギを載せる。

 桶に水を用意し、大ぶりの鉄製らしい刃物が取り出されて、解体が始まった。

 皮の剥がし方に始まって、村でヨルクに見せてもらった手順とほぼ変わらない。ただ当然といえば当然だが、はるかに手際はいい。

 小太りの体型から窺い知れないほど鮮やかな捌きようで、店主の手でウサギはいくつかの肉の固まりに分けられていた。

 内臓のこいつとこいつは捨てる。残りの内臓は捨てても持ってきてもいいが、ほとんど買い上げの価格はつかない。そこらの料理屋に直接持っていった方が金になるだろう。あとで店の場所を教えてやる。

 そんな説明に、なるほど、と頷く。

 傷みやすい内臓は、小売店で売る時間のロスを取りたくないのだろう。

 一方皮については、肉屋でまとめて買い取って毛皮屋におろすらしい。


「この分けた固まりを、森によく生えているスースーという草の葉でくるんで持ってくれば、一丁上がりさ」

「スースー、ですか」

「そうだ。ほら、こんなやつだ。森の木の下によく生えている。こいつで包むと、少しは肉の鮮度が保つんだ」

「分かりました」


 見せてもらった葉の、形と名前を記憶する。

 おそらくのところ、現地で『鑑定』が教えてくれるだろう。


「今日は、口入れ屋の依頼を見て獲ってきたわけじゃないんだな? 俺はどっちでもいいが、口入れ屋を通した方がそっちには有利だと思うぞ。買い入れ額は変わらないが、あっちで実績が記録されることになって、後々役に立つはずさ」

「ああ、そうなんですね。これからそっちに登録に行こうと思っていました」

「口入れ屋には、常時依頼を出してあるからな。あっちで登録が済んでいるなら、獲物はここに直接持ってくれば、依頼達成の証明を出してやるさ」

「そういう仕組みなんですね、分かりました」

「無理強いはできないが、しょっちゅう持ってきてもらえると助かる。一度に何十羽も持ってこられても捌ききれねえが、毎日最低二~三羽は入荷しないことには、商売にならないんでな」

「分かりました。毎日必ずと約束はできませんが、できるだけやってみます」

「頼んだ」

「口入れ屋に登録して、午後からもう一度森に行ってみようと思います。今日の夕方とか、もう数羽持ち込んでも大丈夫ですか」

「おう、大助かりだ」


 血が滲み出てくる生肉はふつうの鞄や袋では運びにくいだろう、これをやるから使え、と使い古したような麻袋をくれる。

 何とも親切な気遣いだが、今回渡した獲物によほど満足したのだろう。

 礼を言って、肉屋を後にした。


――思った以上の、上首尾だったな。


 たまたま昨日の騒ぎで肉の入荷がなくて店主が好意的な対応になったらしいことを思うと、ある意味魔物に感謝すべきかもしれない。

 これで当分、最低限の稼ぎを続けることはできそうだ。

 一日ノウサギ二羽の猟果で、宿をとることはできるらしい。

 三羽から五羽程度持ち込めば、食事やその他を考えてもやや余裕が持てるか。

 できる限りは森に通おうと思うが、もしそれができなくても『収納』に十羽以上の在庫があるはずなので、日銭に困ることは当分ないだろう。

 しかし将来的なことを考えると、ずっとノウサギ獲りだけで生計を立てるということにもためらいがある。

 先日村でゲルトの話を聞いた印象では、狩りだけで稼ぐ人間はどうにも当てにならない「根無し草」めいた評価になるようだ。

 他人から信用を得にくい可能性があるし、そうでなくとも怪我や病気やその他の事情で簡単に収入が断たれてしまう。

 この後は口入れ屋で登録を行って、これ以外の仕事の状況も調べておこうと思うのだ。


 ぽつぽつ商店の並ぶ界隈を過ぎると、通行人に女性の姿が減ってきた。代わって、仕事中らしくせかせか歩く身形の調った男性、職探し中なのか生気の乏しいややうらぶれた服装の男が、ちらほらと行き交うようになる。

 衛兵が教えてくれたように、そんな通りの角に二階建ての大きな建物があった。見るからに職探し中らしい男が出てくる様子からして、ここが口入れ屋でまちがいないのだろう。

 さらに通りの先を見通すと、先へ進むにつれ大きめの建物が多くなっていくようだ。この辺りが庶民と裕福な商人、貴族の住居の分かれ目なのかもしれない。

 目の前の大きな建物を見直す。

 戸口の上に看板があり意味のとれない紋章と文字らしきものが書かれているが、読めないのでどうしようもない。個人的には早いうちに文字を覚えたい気があるが、ヨルクたちの話では町民も識字率は高くないようなので、すぐに不自由ということもなさそうだ。

 とにかくもここが目指す口入れ屋なのかどうかは、中に入って確認すればいいだろう。

 そう腹を決めて、大きな木の扉を押し開いた。

 よく小説ノベルなどで見る「冒険者ギルド」などというものに近い想像をしていたが、中の印象はかなり違った。

 見た目荒くれ者がたむろしているわけでもなく、依頼を書いた紙が壁に貼られているでもない。正面にいくつかカウンターらしきものがあって中で数名の男が事務作業をしているような様子が、少し想像に近いか。


――いや、違っていて当たり前。「ギルド」ではなく「口入れ屋」なんだから、という声もあるかもしれないけど。


 そもそも小説ノベルなどで、何の説明もなく「なんたらギルド」という名称がほぼ一律に登場するのが、不思議でならない。

 大方の設定は、神の力などで異世界の言葉を日本語に自動翻訳してくれているのだ。

 冒険者や商人などの仕事斡旋をしてくれる機関を、何故、元は明らかに英語ゆかりなのに現実の西洋には存在していない、おそらくゲームの中にしか存在していないだろう意味での「なんたらギルド」という呼び方で伝えてくるんだ? 自動翻訳しているなら、しかるべき意味が伝わる日本語になるはずではないか。

 こちらの場合、そういう翻訳機能で他の安直設定なら「ギルド」になるところを、日本語として意味の近い「口入れ屋」と伝えてきた、という可能性は大いにあり得ると思うのだ。


――まあしかしそんな、疑問をあげつらっている場合じゃなかった。


 とりあえずカウンターに近づいていくと、中から若い男が寄ってきた。

 日本人のさがで思わず頭を下げながら、訊ねかける。


「すみません、ここ、口入れ屋でまちがいないでしょうか」

「はい、そうですよ。お仕事の紹介を行っております」


 思いがけず、丁寧な口調の返答があった。日本でいう「お役所」の受付態度として、違和感がない。


「初めての方ですね。十四歳以上の方であれば、まず登録をしてもらって、ご希望を聞いて仕事の紹介をすることになります」

「はい、じゃあ、登録をお願いします」

「はい、少々お待ちください」


 カウンターの向こうに立ったまま、手元に必要物を揃えているようだ。

 てっきり申込書を渡されて自分で記入するのかと思ったが、そうではないらしい。係員が板のようなものを用意して、ペンで記入する態勢をとっている。

 紙ではないらしい。考えてみるとこの世界で、紙にお目にかかったことがない。まったく存在しないのか、希少で高価なのか。

 係員が自ら記入するらしいのは、正確を期すためか、庶民の識字率が低いためか。

 壁などに貼り紙の類いが見られないのも、おそらくそんなところが理由なのだろう。


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