20 口入れ屋に登録してみた

「私は受付担当します、ラザルスと申します。お名前をお聞かせください」

「ハックといいます」


 少なくとも庶民には、苗字のようなものは存在しないのだろう。そういう認識の元、短く答える。


「性別は」

「男」

「年齢は」

「十七歳、くらいだと思います」


 淡々と事務的に質問をしていた相手の顔が、少し訝しげになった。

 それを見て、簡単に説明をしておく。

 グルック村で倒れていたところを助けられたこと。

 それ以前の記憶がないこと。

 今回の魔物騒動で、村から徒歩で避難してきたこと。


「なるほど。それでは、出身地はグルック村にしておきますか」

「えーと、それって何か、村に迷惑をかけるようなことになる可能性はないですか。僕が何かしたことに対して、連帯責任をとらされるとか」

「出身地の記録は形式的なものですから。そんな面倒事になった例はありませんよ」

「でしたら、はい、それでいいです」


 ついでの世間話の調子で話してくれたところによると、グルック村や周辺の村民たちは、魔物の姿がないという報告を聞いて少し前に村へ帰っていったということだ。

 こちらが肉屋で用を足していた間のことになるらしい。

 なお調査隊の報告で、残してきていた年寄りたちの無事も確認されたそうだ。とりあえず一安心と言える。

 そんな話を挟みながら、手続きは続く。


「何か得意なことはありますか」

「特にありません」

「体力は? 強い、普通、弱い」

「ふつうだと思います」

「はい、では以上で登録します。少しの間、そちらでお待ちください」


 入口横の木のベンチを指し示されて、そちらへ向かう。

 何とも、簡単な登録らしい。まあそれこそ小説ノベルなどのようにスキルとかレベルとかがある世界じゃないはずだから、こんなものなのだろう。

 登録事項で何か有利不利があるとしたら、最後の「得意なこと」と「体力」だろうか。それこそ文字の読み書きや計算ができるとか、剣が使えるとかだったら、有利になる仕事があるのかもしれない。


――文字さえ読めるようになれば、計算力もそんなに人に負けない気がするんだけど。


 まあその辺は、今後の課題だろう。

「得意なこと」と言えば『収納』と『鑑定』を公表できるならかなりのアドバンテージだろうけど、そうするわけにもいかない。

 二十分ほど待たされて、ラザルスは戻ってきた。


「登録が終了しました。こちら、登録証です」


 ちょっとした手帳サイズくらいの、木の板を渡される。

 表面にインクで文字が書かれ、右下の方に押されている焼き印は、表の看板にあった紋章と同じもののようだ。


「済みません、文字が読めないんですけど、これ何が書かれているんですか」

「本人の名前と発行年月日だけですよ」


 中央近くに大きめに書かれているのが「ハック」という名前を表す文字だという。

 その右上に書かれているのが「王国暦三百二十八年七の月二十一日」を表す数字らしい。

 どちらも今後に役立つだろうから、覚えておこうと思う。

 登録が終わったので、これで仕事の紹介を受けることができるようだが。

 当然ながら、商店の荷物運び、農家や大工の手伝い、などといった主な仕事は朝早くに人員確保が済んでいる。最近大人数が動員されている町の壁建設作業も同様で、毎朝六時にこの建物前で追加募集の手続きが行われるので、その気があったら明日以降来てみるといい、と説明される。

 本日すぐに紹介できるのは、それこそ肉屋からの依頼のノウサギ猟や薬草採取といった常時依頼程度だという。

 そこまで聞いて、肉屋と話をしているので今日はノウサギ猟に行ってみる、と告げる。

 それならば、と大きな板に描かれた地図を出して、東の森へ行く近道を教えてくれた。朝通ってきた門よりは南寄りに辿るようで、現在壁建設をしている作業場の近くを通るらしい。

 さらに追加情報として、その道筋近くに日雇作業者が主に利用する宿屋がいくつかあるという。

 その他いろいろ説明を請い、親切にしてくれた係員に礼を言って、その場を辞した。


――なかなか、いい情報をもらえた。


 さっき見せてもらった地図によると、朝歩いてきた街道はほぼ町の中央部を東西に貫いて、南北に二等分している形のようだ。

 今いるこの地点は中央よりやや東寄りの商業地区で、このまま西へ進むと領主邸と役人や兵士などの住む地域に入り、その先はまた農地が多くなって町を抜ける。

 南西向きに一日ほど歩くと、男爵領を出て隣の侯爵領に入る。その先もいくつかの爵領を通った後、徒歩十日ほどで国王の住まう王都に至るということらしい。

 国の中央部が南西方向にある、ということは逆に見ると、この男爵領は国の北東の端付近に位置するらしい。ラザルスの大雑把な説明では、ここから数十キロもいかない北部から東部にかけて山岳地帯が続いていて、要するにこの領地は辺境と呼んでまちがいない地域のようだ。

 その辺が詳しく分かる地図を入手したいところだが、ラザルスの話では、そういったものは公共の機関しか所有していないという。町の地図だけでも口入れ屋などのようなところにしかなく、複写は禁じられているということだ。

 軍事的安全面などを考慮して、正確な地図情報のようなものは貴族だけで秘匿している、というのが一つ。加えてやはり、前世で考えるような紙が存在していないというのも、大きな理由になっているようだ。

 紙に近いものでいえば、かなり高級なところで獣の皮から作られたものが使われている。いわゆる羊皮紙の類いと思えばいいのだろう。あとは特殊な樹皮を薄く剥がしたものが、獣の皮よりはやや安価だが高級なものとしてそこそこ流通している。その他の記録伝達用途に使われるものは、さっきの口入れ屋にあったようにもう少し標準的な木の板と木の皮を使ったものがふつうらしい。

 もしかするとこの世界で製紙業の創始を志せば莫大な利益を得ることができるのかもしれないが、生憎そんなご都合主義的な知識は持ち合わせていない。


――残念無念、だ。


 とにかくも話を戻すと、町の中では当面こちらの、口入れ屋より東側地域を行動範囲としていて、何とかなりそうだ。

 ラザルスが教えてくれた宿屋も、肉屋のヤニスがノウサギの内臓を売るといいと店名を紹介してくれた料理屋も、こちらにあるらしい。

 とはいえ、そういった店の類いも数は少ない。肉屋も青果店などについても、見た限り一業種一店舗程度しかないのではないか。

 町の中央部を除くとかなりの面積が農地になっているようで、そういった農作業に従事している相当数の住民は、ほぼ自給自足に近い生活をしているのではないかという気がする。

 門の衛兵の話では、一応宿屋は複数あるということのようだが、やはりそれにしたって多くの選択の余地はないのではないかと思われる。

 なお、口入れ屋とは通りを挟んだ斜め向かいにある小作りな建物には、開いた戸口の中に剣を提げた兵士らしい男が立ったり座ったりして数人見えている。領兵隊と呼ばれる組織の者で、町の警備に携わっているそうだ。

 要するに、交番詰めの警官のようなものだろう。日本の交番のように細やかな機能をしているかは甚だ疑問だが、とにかく町で何か問題が起きたらここに通報すればいいのだという。

 このような領兵隊の詰所は、領主邸の近くとここと、町中に二箇所あるのだという。


 そんなことを思い返しながらほぼ二十分程度歩いた見当で、畑の向こうに森が見えてきた。

 同時に、少し右側方向に城壁建設中と覚しき作業現場が覗けてくる。遠目に、数十人規模の人間が蠢いているらしく思われる。

 口入れ屋で聞いた限りでもやはり、ノウサギ猟だけで生活の安定はあまり望めそうにない。手っ取り早いところではしばらくあの工事作業に加わるのがよいのではないか、ということだった。

 今日明日くらいにもう少し情報を収集して、その案も前向きに考えたいと思う。

 とりあえず今は真っ直ぐ森の方向へ進むと、街道にあったものよりはやや小さい門のようなものが設置され、衛兵らしい人が一人立っていた。

 近づくと、「外へ出るのか?」と尋ねられる。


「はい、森にノウサギ猟に行きたいと思います」

「まだ完全に、魔物がいなくなったと決まったわけではない。獣たちも落ち着きがないようだ。気をつけて行ってこいよ」

「はい、ありがとうございます」

「しかしお前、弓も持っていないようだが、それで狩りなどできるのか?」

「まあ、これで。前にも何とかなったので」

「本当かあ。まあ、好きにすればいいが」


 ヨルクにもらった杖代わりの棒を持ち上げてみせると、苦笑で首を傾げられた。

 あちらの門番たちと同様、親切な応対だ。まあ特にこちらの門番は、こうして森への出入りに危険がないように警戒するのが任務ということなのだろう。

 会釈をしてそこを抜けていこうとすると、遠く町の中から鐘の音が聞こえてきた。のんびりと間を置いて、二回。


「えーと、これ、時を報せる鐘でしょうか」

「ああ、知らないってことはお前、よそ者か。二つ鐘だから、十四時だ。十八時までには戻ってくるようにしろよ。日が暮れたら、何があるか分からない」

「分かりました」


 どうも、ともう一度頭を下げて歩き出す。

 物知らず丸出しの質問をしたので、ますます親切に説明してくれたようだ。

 鐘の遠さからすると、おそらく町の中央部の教会か何かで、一時ごとに鳴らしているものなのではないかと思われる。時刻の呼び方は二十四時制だが、鐘は十二時制らしい。二十何回も悠長に鐘を数えていられないだろうから、当然の決め事だろう。

 さっき町に入ったのは、十二時過ぎだっただろうか。今までの間に十三時の鐘は聞いていたことになるのだろうが、一回だけの音なら肉屋か口入れ屋で会話中で気に留めなかったということか。


 門の外に出るとすぐ茂り放題の草原で、獣道とほとんど変わらない程度のものが数百メートル先からの森に続いている。

 あまり多くの人の往き来がないらしい様子からも、ノウサギ獲りの人気がないことが窺える。その他、森での採集関係のことをする者はかなり限られているようだ。

 木が密集した中に入ると、かなり奥の方から落ち着きのない小動物の蠢きが聞こえてきた。『鑑定』を向けると、結構ひっきりなしにノウサギを示す光のちらつきが草の合間を行き来するのが見える。昨日も今朝もそうだったが、門番の言う通り魔物の接近が影響している、異常な状態なのだろうか。

 これが魔物のせいだとすると、感謝すべきなのかもしれない。

 山中を歩いているときは、ノウサギがこちらを攻撃してくるのを待って『マチボーケ作戦』を発動していたわけだが、これほど頻繁に行き来しているようなら、そんな待ちの態勢もいらない。十メートル程度以内なら、ターゲットがどちらを向いていようが、とにかく進行方向を見極めてすぐ鼻先に岩を出現させる、それだけで仕留めることができるのだ。

 一時も経たない見当で、四羽を狩ることができた。狩るたびにその場で血抜きをして『収納』。次を探しているところで小さな川を見つけたので、そこでまとめて解体をすることにした。

 肉屋の主人の言う通り、スースーの葉もすぐに見つかる。

 教えられた手順で解体処理、葉に包んで終了だ。もらった麻袋に詰め込み、キリがいいのでこれで引き上げることにする。


 門に戻ると、衛兵に目を丸くされた。

 明らかに大量の獲物が入った、血の滲む袋を背負っているのだ。


「こんな短時間で、そんなに狩ってきたのか? まだ一時かそこらだぞ」

「かなりいっぱい、跳び回っていましたよ。ふだんはこんなにいないんですか? やっぱり異常なんですかね」

「そうなんだろうなあ」


 徒歩二十分程度の道のりを、のんびり戻る。

 途中、肉屋に紹介された料理屋でノウサギの内臓を売り払った。あらかじめ聞いていた通りの安さで、四羽分で銅貨五十枚にもならないが、まあただ捨てるよりはましと言える。

 日雇労働者相手らしい料理屋はかなりうらぶれた外観で、供する品数も少ないようだ。その中でも内臓料理は、味はともかく栄養価は高いので人気があるらしい。材料が尽きかけていたところなので助かった、とデルツという店主に感謝された。

 同様に残りの肉を肉屋に持ち込むと、ヤニスに大喜びされた。初対面のときの無愛想さとは段違いの応対だ。


「本当にこんなに狩れるんだな。お前さん、狩りの天才なんじゃないのか?」

「大げさですよ。でも門番の人とも話したんですが、やっぱり今は魔物の気配が近づいたのでノウサギなんかの動きが活発みたいなんです。もう少しして落ち着いたら、こんなに獲れないかもしれない」

「なるほどなあ。まあ、また獲れるようなら頼むわ」


 約束通り一羽当たり銀貨一枚と銅貨八十枚、締めて銀貨七枚と銅貨二十枚を払ってくれた。これで今夜の宿代は余裕のはずだ。

 口入れ屋への依頼達成証明になる板を渡してくれたが、提出は明日以降でも大丈夫らしい。かなり日も傾いてきていることだし、今日はこのまま宿を確保しようと思う。


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