39 お節介してみた
元の径路を辿っていつもの工事現場に戻ると、もうトーシャが待っていた。
残った石ブロックとセメントを元の保管場所に戻し、作業結果を報告し合う。まちがいなく、一通り壁は三メートル余りの高さまで仕上がったことになる。
どれだけ時間がかかるか見当もつかなかったが、意外と早く済み、まだ夜中の三時かそこらといったところだ。
「朝になったら、工事関係者の連中、腰を抜かすだろうな」
「だろうね」
「いったい何が起こったのかと、大騒ぎになるんじゃないのか」
「親切な小人さんがお節介を焼いてくれたとか、思ってくれないかなあ」
「小人は無理があるだろう。ふつうに考えてこの作業、あのガブリンよりでかい図体じゃないと足場なしにできないぞ」
「だよなあ。まあとにかく、誰にも想像はつかないから、奇跡が起きたということで収まるしかないだろうね」
「そういうことだろうな」
ゆっくりと宿に戻る道を辿りながら、どこか力の入らない口調で言葉を交わす。
『収納』からの取り出し作業で体力は消耗しないとはいうものの、往復十キロ以上の徒歩移動と、とにかく人目につかないことだけ気を払った精神疲労で、今すぐベッドに倒れ込みたい気分だ。
「この件、あとはとにかく知らん顔でいいと思うんだけど、無視できない影響はさ」
「うん?」
「思いがけず工事が進捗してしまって、大勢の失業者が出てしまうことなんだよな」
「ああ、そういうことになるな」
頷くトーシャは、それほど実感がないようだが。
数日間現場で働いた中でそこそこ見慣れてきた何人かの顔を思い出すと、彼らの収入源を断つ結果になったことに申し訳ない気が募ってくる。
とはいえ、背に腹はかえられない、というか。これ以外仕方なかったのだ、という思いを新たにする。
あのオオカミモドキの群れが再び押し寄せてきたら、この高さの防壁なしに衛兵たちが対処するのはまず不可能なのだ。
どれほど幸運にうまくいったとしても、何頭かは町への侵入を許し、被害が出ることになってしまうだろう。
その辺を考えると、これで納得するしかない。
「僕自身、これで収入の元が一つ断たれるんだよな」
「そういうことになるか」
「それに、ノウサギ狩りの方も当てにならなくなる。工事で働いていた人が失業した分、狩りの方に流れてくることも考えられるんだ」
「そうなのか」
「まあそこまで覚悟の上で、仕方ないんだけどね」
「誰にも感謝されないお節介焼いて、その上自分の首を絞めてるんじゃ、世話ないな」
「まったくだね」
宿に着くなり、二人して言葉もなく寝床に倒れ込んでいた。
目を覚ましたのは、いつもよりかなり遅い頃合いだった。
窓から覗いた町の様子に、それほど変わったものは感じられない。
しかし簡単に朝食を済ませてトーシャと外に出ると、何処か行き交う人の足どりが慌ただしくなっているようだ。
道端に料理屋の主人が立って遠くを窺っている素振りなので、問いかけてみた。
「何かあったんですか」
「ああ、さっきまで、何だか壁の工事にとんでもないことが起きたって、役人やら口入れ屋の連中やらが走り回ってたんだけどね。またなんか、別の騒ぎが起きてるようなんだ」
「え――何か要領を得ませんけど。別の騒ぎって、緊急事態なんですかね」
「うん、分からないけど、あっち――」
デルツが指さすのは、北の方角だ。
目を凝らし、耳を澄ませる。と、遠く甲高い笛の音が聞こえる気がする。
「あれ、避難の合図ですか」
「かもしれないねえ」
「魔物か?」
剣の柄に手をかけて、トーシャが大股で歩き出した。
跡を追うと、大通り付近は昨日と同じような騒ぎになっていた。
北の方から、人々が避難してきている。逆向きに、衛兵が駆けていく。
おそらく、魔物の襲来だろう。
「どうする?」
「俺は現場に行ってみる。魔物から逃げないって決めたんだ」
「そうか。つき合うよ」
トーシャと話を交わして足を急がせる。
北の門には衛兵が集まって、打ち合わせをしているようだった。総勢、三十人くらいか。
こちらの姿を見て、昨日の小隊長が声をかけてきた。
「おお、トーシャ君だったか」
「魔物ですか」
「うん、昨日のと同じ、オオカミみたいなやつらしい。森の向こう端まで調べに行っていた者が、遠くから近づいてきている群れを見つけたと報告してきた。何しろ実際戦ったことのあるのは君だけだからね、手伝ってもらえるか」
「そのつもりで来た、す」
「頼む」
この人数で壁の外に出て、一斉に襲撃を食い止めるという心積もりらしい。
本来なら部外者が入るのは嫌がられそうなものだが、そんな余裕もないらしく集まった衛兵たちは小隊長の決定を受け入れているようだ。
促されて、トーシャが簡単に前日の感想を話す。
モリオオカミより二回りほど大きいこと。
人を餌認識して襲いかかってくること。
走る速度もオオカミ以上だろう。
跳躍の高さは二ヤータを超える場合がある。
真剣な顔で聞く兵士たちの様子は、さまざまだ。
見るからに好戦的な気を漲らせて、剣の柄を握り締めっぱなしの者。
冷静に話を聞き、問い返し、小隊長と細部を確認している者。
青ざめた顔で弓と剣を握り、落ち着きなく顔を見合わせている若い三名。
一息置いて、小隊長は一同を見回した。
「やつらはおそらく、森を出たら一気に疾走して襲いかかってくる。まずは弓で迎え撃つ。昨日確認したところではかなり表皮が厚く固いようだからな、できるだけ目を狙え。こちらでは、壁に背を寄せて剣で相手する。すぐ後ろが壁なら、やつらも速度を緩めるだろうからな。トーシャ君は一人で一匹を相手できたらしいが、彼はこの中でも剣の腕は上位だ。みんなは無理をせず、できるだけ複数で一匹に当たれ。特にお前ら――」
上司の目は、若い三人に向いた。
「三人で息を合わせて一匹に集中しろ。弓から剣に持ち替えるのが遅れたら、命取りだぞ、いいか」
「は、はい」
「どうしてこうなったものか分からないが、壁がこの高さまででき上がっているのは、幸運だ。一度身を躱して、相手が壁の前で止まったところに攻撃できる。そんな戦い方を想定しろ」
「はい」
大きく頷きはするが、三人は見るからに自信なさげだ。おそらく剣の腕も実戦経験も、他よりは乏しい若手なのだろう。
壁が魔物の進入を妨げるということは、同時に迎撃する彼らの逃げ場もないという意味でもある。そんなことも事前に申し渡されているのか、ほとんど決死の表情になっている。
「町の命運が、お前たちにかかっているのだ。領兵の誇りにかけて――」
「来たぞ!」
小隊長の檄は、外からの呼びかけに遮られた。
襲撃者の姿が森に見えたということだろう。もう余裕はない。
「行くぞ!」という号令で、全員が門から出ていった。
弓を持つ者は、すでに矢をつがえて準備万端だ。
兵たちが一人残らず外に出て、門の板戸は閉じられた。
直前に、若手三人が左方向に移動するのが見えた。
――この辺かな。
壁の内側、付近に人影はない。
剣士のトーシャは即刻受け入れられたが、同伴していた小僧はまるでそこにいないかのように終始無視されたままだ。まあ当然ここで石礫の助勢を必要とはしないだろうし、それ以上相手をする暇もない。
人目がないのを十分確認して、左手方向に移動し、壁に寄る。
高さ一・五メートルほどの箇所、ブロック一個を『収納』する。
覗くと、たちまち外の光景が目の前に開けた。壁の厚みがあるのであまり横方向は見えないが、すぐ右手で例の若手三人が弓を構えているのがわずかに確かめられる。
前方、森の木立を背景にして、もう茅色四つ足の群れがこちら向きに疾走を始めているのが見えた。
二十頭、は超えるようだ。三十頭近いといったところか。
草地を蹴って、見る見る、近づく。
一斉に、矢が射かけられる。
が、標的に命中してもほとんどそのまま弾かれているようだ。ようやく目を射貫かれて走行を止めたのが一頭、見えた程度。
「来るぞ、剣を構えろ!」
小隊長らしい号令が、響き渡った。
すぐ右手の若者が、指令通り弓を捨てて抜刀する。
しかし最近トーシャの構えだけを見ている目には、いかにも頼りなげなへっぴり腰に映ってしまう。
三人に向けて、二頭のオオカミモドキが殺到してくる。
牙の覗く口を半開きにした醜怪な面構えが、勢いよく接近する。
それでも壁を前にして、わずかに足どりは緩んだか。
タイミングを計る。
「うわあ!」と一人が悲鳴を上げる。
グワ!
飛びかかろうとした刹那、二頭がバランスを崩し、草深い地面に頭を突っ込みそうな格好で急停止した。
何が起きたか、分からなかっただろうが。
惑う暇もない。三人が、その二頭に襲いかかった。
その目に、剣を突き刺す。グワア、と魔物がのた打つ。
首に斬りつけた剣は、何度か撥ね返されたが。三人がかりのくり返しの刺撃で、次第に相手は動きを失っていった。
「大丈夫か!」
「そっちはどうだ!」
「そいつ、止めを入れろ!」
他の兵たちの姿は捉えられないが、悲痛な音声は聞こえない。むしろ勢いのついた指示が行き交っているところをみると、情勢は悪くないのだろう。
それから間もなく、殺気の籠もった声と気配は鎮まっていった。
「よし、こいつで最後だ」という呼ばわり。
「おおーー」という複数の
――もう、大丈夫か。
壁のブロックを戻し、その場を離れる。
住民が避難してひと気のない住宅地を抜け、宿へと戻った。
トーシャが帰ってきたのは、もう午近くなった頃だった。
オオカミ魔物は三十二頭が全滅。
衛兵側は数名が傷を負った程度で済んだ、ということだ。
トーシャは三頭を剣で屠った。
腕の立つ兵士数名が同じ程度、あとは一頭に二名でかかりながら何頭かを仕留めることができた、という結果らしい。
「心配されていた若い奴三人――といっても俺と同年代ぐらいだが――あいつらも、三人で二頭を仕留めたって喜んでいた」
「そう」
「しかしそれが、二頭とも目の前で躓くみたいに失速したから目を狙うのに間に合ったっていうんだが。もしかしてお前、何かやったのか?」
「ああ――まあね」
タイミングを計って足元に石ブロックを出してやると、二頭とも見事に躓いてくれた。
予想した通り『取り出し』は問題なくできる。その後の処理で『収納』で消すのは距離的にどうかと危ぶんでいたのだが、ぎりぎり可能だったようだ。
結果、石は草に隠れて見えるかどうか程度の大きさだし、出現していたのもわずかな間だったので、兵士たちの記憶には残らなかったのではないか。
「なるほどな。確かにあいつらも、相手が躓いたのは不思議がりながら、石があったとは気がついていないようだった」
「それなら、めでたしだな」
「ああ。山近くへ偵察に行った奴の報告でも、もうあの魔物の遠吠えは聞こえていないということだから、これで落ち着いたと言っていいのか、だな」
「安心するのは早いが、期待はできるかもね」
「あと、昨日魔物を狩った分と今日の加勢の分、報奨金が出るそうだ。夕方取りに来いと言われた」
「それはよかった」
一応一件落着、と思っていいのだろう。
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