83 決闘してみた 4

 全速力で、駆け出す。

 回れ右して、後方へ。


「な、何だ?」


 背中の向こうで、ハインリヒの狼狽声が上がった。


「貴様、尋常に立ち合わぬ気か!」


 全速力で、二十メートルほど走り。

 くるりと相手に向き直った。


「どうぞ、ここまでおいで、ということで」

「何だと?」


 憤怒に顔を赤らめて、ハインリヒは駆け出してきた。

 右手の剣を斜め下に構えたまま、それなりに格好のついた走法だ。

 当然館の護りや戦場などでも、抜刀で敵を走って追う経験はあるのだろう。


「そこ動くな、斬り捨ててくれる!」


 抜き身を手に、形相険しく走り来る。

 間が縮まり。

 半分、十メートル程度になったところで。

 また回れ右、後方へ駆け出した。


「な、何だ、貴様」


 また間隔二十メートルになった見当で、向き直る。


「どうぞ、ここまでおいで。来ないと、剣は届きませんよ」

「何だ貴様――尋常に勝負せよ!」

「足も自分の技能のうちなので、悪しからず」

「貴様――!」


 ますます顔を真っ赤にして、追い縋ってくる。

 それを平然と待ち受け。

 間隔十メートル見当で走り出し、二十メートル見当で立ち止まる。

 それをくり返すのだ。

 何しろこちらは神様保証、「短距離走と長距離走で高校の県大会に出場できるレベル」の脚力を有している。短い二度目の人生で確かめた限り、スタミナも長距離走に必要な程度ついていることが分かっている。

 いろいろ身体を鍛えているだろうが、まちがいなく陸上競技向けに特化した鍛錬はしていない、兵士の人たちに負ける気はしない。


「くそ、くそ――」

「頑張って。もう少しで追いつきますよ」


 揶揄の声をかけ、常時十~二十メートルの間隔を保って、訓練場をぐるぐる回っていく。


「くそ、卑怯な――尋常に――」

「何でも卑怯呼ばわりですね。さっきのとり決めに反していないはずですが」


 卑怯とか公平でないとか言ったら、領内一の剣の腕前という人が一方的に「武器は剣を用いる」と決めて押しつける方が、よっぽどだと思う。

 その上でこちらは「道具を用いなければ剣以外の技能を使うのは構わない」と了解を取っているのだ。走るという技能を使って、何の問題もないだろう。


「くそ、くそ――」

「頑張ってーー」


 走っては止まり、止まっては走り。

 ぐるぐる回って、まもなく場内を二周する。概算、走行距離六百メートルといったところか。

 当然ながら観客の兵士たちは、「卑怯者」「真面目に立ち合え」とかまびすしい。

 立ち合い人は何処か呆然としたまま、くるくる向きを変えてこちらを目で追っている。

 やがて徐々に、傍目明らかなほどに、隊長の足どりは弱まってきた。


――そんな必死に、追わなくてもいいのに。


 と思うのだが、兵士にとって逃げる敵に追い縋らずに済ますのは堪えがたいことなのだろう。

 冷静に考えれば、一定の距離で立ち止まったまま持久戦に持ち込む、という選択もあるはずなのだ。そうして相手の隙を突き、距離を縮めて討ちとる。

 しかしそれも、こちらの想定に入っていた。

 持久戦なら、それでもいい。制限時間なし、なのだ。いくらでも待とう。おそらくいくら走っても止まっても、スタミナは負けない。

 その上でさらに長時間の持久戦になっても、まちがいなく利はこちらにある。

 相手は知らないことだが、人に知られないまま飲食も排泄もすることができるのだ。

 対して、相手は。尾籠な話だが、おそらく最初に行き詰まるのは排泄だろう。

 周囲の草地に入ったら、反則負けなのだ。

 果たしてこの隊長に、領主やその娘や部下たちが見守る中で、立ち小便をする度胸があるか。

 諸々を考えて、持久戦でこちらが負ける要素はない。

 おそらくこのルールのもとこの方法で、どの兵士にも敗北する可能性はほぼない。

 実を言うとさっきのエルンストとの対戦でも、最初の石礫が効果なしに終わったら、この形に持ち込もうと想定していたのだ。

 要は今目の前にいるハインリヒが「使う場所はこの訓練場全体」と決めた瞬間、この勝ちの目が現出したことになる。

 あとは何処かの国の相撲もどきのように「がっぷり四つに組み合った形で始める」とでもルールが加わらない限り、まずこの結果は変わらない。

 まあ、飛道具や魔法などが使われるなら、話は別だが。

 ついでにもう一つ、こちらに奥の手がある。


「くそ、くそ――」


 見る見る、相手の足どりは重くなり。

 間隔十メートル近くに寄ったところで、


「この野郎!」


 いきなり、手にした剣を投げつけてきた。

 十メートル先への投剣という技能、自棄糞なのか勝算があってのことなのか、分からない。

 しかしこちらは、勝負中常時『収納バリア』を発動している。万万が一、何処からか別の兵が弓矢攻撃をしてきたとしても対応できるように、と。

 目の前約五十センチの位置で飛んできた剣は消え。短剣を振るいながら同じ位置にその剣を取り出す。

『収納』した物体は運動を失うから、剣はその真下に落下。動体視力の優れた観客にも、短刀で打ち落としたとしか見えないだろう。


「くそ――」


 一声唸って。

 ハインリヒはその場に膝をつくや、伏し倒れていた。

 見ると、ひいひいひいと息をつまらせ、顔がすっかり土気色だ。

 しばらく、待ち。

 やがてゆっくり、注意深く近づく。

 さっきのエルンストよりは、死にそうなふりで罠にかけようという気になる可能性はありそうだ。

 しかし近づいても、隊長殿はもうまともに身体を動かせなくなっているらしい。

 明らかに息も絶え絶え、ほとんど意識を失っているかのようだ。

 その首に短剣を近づけ、構え。

 立ち合い人に声をかけた。


「まだ息はありますが、『参った』を言う気はないようです。この場合、首を斬って息の根を止めるべきですか」


 嫌味な問いかけだが、仕方ないだろう。

 二度目の決闘になっても、勝負を決するルールに変更はされていないのだから。


「あ、いや――」喘ぐような口に、言葉が漏れた。「その必要は――いや、しかし――」


 そこそこ威厳のある第一隊長の顔が狼狽に歪み、しきりと客席を見回していた。

 二周半したところなので、現在地はかなり客席と離れてしまっている。

 何処まで状況が分かっているか知らないが、兵士たちからは「卑怯者」「卑怯者」の連呼が続いている。

 まあ気持ちは分からないでもないが。

 プロの兵士なら、正確に状況を把握した上で判断を下してほしい、と思ってしまう。

 何が起きて、どういう結果に終わったのか。皆さん、理解しているのだろうか。


――正直、本当の真実を把握している者は、一人もいないだろうけど。


 ちゃんと観察していれば、誰がどう見ても、ハインリヒのスタミナ切れだ。どうしたって、他の解釈のしようはない。

 しかし実際は。

 走り出した、直後からだ。

 相手が十メートルの距離に追い付いた瞬間、その顔の前から十メートル先まで、空気に含まれる酸素量を三分の一に減らしておいた。

 それを延々くり返していたのだ。

 要は低酸素症とかそんなことになるのだろうが、見た目、少しスタミナ切れが早く訪れたというようにしか解釈され得ないだろう。

 ハインリヒの様子を覗き込んできた第一隊長が、遠くに呼びかけた。


「おい、救護班、急げ!」

「はい!」


 観客席から、二名の兵士が駆け出してくる。

 姿勢を楽にして背や胸をさすっているうち、呼吸は次第に落ち着いてきたようだ。


「もう大丈夫のようです」

「極度の体力消耗による、息切れのようなものではないかと」

「そうか」


 救護兵の報告に、立ち合い人は苦い顔で頷いた。

 まだ肩での息が続く同僚を見下ろして、嘆息する。


「つまりはお主、鍛え方が足りないということではないか。上に立つようになって、鍛錬を怠っていたのではないか」

「いや――ぜい、ぜい……」


 救護兵に遅れて恐る恐るのように寄ってきていた他の兵たちが遠巻きに取り囲み、顔を見合わせ囁き合っている。


「体力切れだって……」

「町民に、体力で負けたってことか」

「しかしそれにしたってあの町人、あの闘い方はないぜ」

「そうだ、尋常に立ち合わないって、卑怯極まりない」

「しかし、体力尽きるってのは……」

「どうすんだよ、これ」


 立ち合い人から勝敗決定の宣言はされていないが、一方が倒れて救護の世話になっているのだから、誰がどう見ても結果は明らかだろう。

 問題は、もう一方の行為がルールに反していないかどうかというだけだろうが。

 やはり脳筋たちの集団心理は、ルール違反を論理的に指摘することなく、「卑怯」という決めつけだけに落ち着いていきそうだ。


――もう、勝手にしろ。


 やるかたなく、傍らに立つ人の横顔に視線を固定する。

 とりあえずはまず、立ち合い人がどう判定を下すかだ。

 取り巻く兵士たちの目も、同じ方向に向いてきたようだ。

 気がついてか、第一隊長はきょときょと視線を泳がせて落ち着きなくなっていた。

 その顔の向きがやがて、観客席のベンチの方へ収束していく。

 そこでは、領主が苦り切った顔で首を振っていた、が。

 救いを求めるように他の群衆の目もそちらに集まっていき、無視できなくなったようだ。

 ぐいと顔を上げ、「この決闘、無効とする!」と声を張り上げた。


「そこなハックと申す町人の闘いぶり、卑怯としか見なせぬ。この勝負はなかったものとせよ」

「そ、そうだ」


 力を得たように、立ち合い人が睨みつけてきた。

「そうだ、卑怯だ」と、兵士たちの視線もこちらに戻ってくる。


「貴様の卑怯な闘いぶり、認めることはできぬ」

「何処が卑怯なのか、教えていただけますか」

「剣での闘いと定めたところ、一合もさせず逃げ出したのだ。卑怯に決まっているでないか」

「剣の闘いで相手の攻撃を避けるのは、認められていないのですか」

「避けるにしても、限度があろう。相手に背を向けて全速で逃げ出すなどあり得ぬ」

「本当に逃げるだけなら、そのまま走り続けますよね。何度も足を止めて相手に向き直ったことから、闘いを続ける意思が見えるはずですが」

「そんなものは、詭弁に過ぎぬわ!」

「相手の疲労を誘うという戦法は、兵士の闘いであり得ないことなのですか」

「それが、卑怯極まりないわ」

「兵士が戦場で、先に疲労させられて敗れた場合、相手が卑怯だから仕方ないという評価になるわけですか」

「今はこの、決闘の話をしているのだ」

「最初に、道具を用いなければ剣以外の技能を使うのは構わないという確認をして、ベルンハルト隊長閣下はそれをお認めになりましたよね」

「うるさいうるさいうるさい!」


 第一隊長、両手を振って怒鳴り出した。

 相当に威厳のある外見をしているのだから、せめて「うるさい」は一語で周囲を黙らせる力を込めればいいと思うのだが。


「とにかくも領主閣下の決定だ! この決闘は無効である」


――領主の鶴の一声でこの決定はもう翻らないのだろうから、せめてこの立ち合い人、もう少しは格好をつける努力をすればいいものを。


「うるさいうるさいうるさい」では、いい年をしたおっさん駄々っ子の金切り声にしか聞こえない。

 これでちゃんと部下はついてくるのだろうか、と他人事ながら気になってしまうところだ。

 などとまた現実逃避気味に思っていると。

 離れた観客席から、領主の爆弾発言が投げかけられた。


「その町民、領主への侮辱罪で裁きにかける。ただちに投獄せよ」


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