第6話 後悔先に立たず アンドレ視点

 その連絡は僕が寮の自室で今日の授業の課題をやっているときに入った。


 妹がバルコニーから転落し意識不明だと。


 寮館長が早く支度をしてリシャール邸に急げとわめき立てるが僕の頭の中は真っ白のままで旨く思考が働かない。


 妹が、マリアーナが意識不明?

 嘘だ! 誰か嘘だと言ってくれ!


 あまりのショックにもうどうやって王都のリシャール邸まで駆けつけたのか記憶に無いくらいだ。


 医師の話だと体の怪我は軽傷とのこと。

 目が覚めない原因が医師にも不明だという。


 いったい何だって転落なんてしたんだ?

 父上や使用人達の話によると、転落の瞬間は誰も見ていないらしい。


 マリア付きの侍女は一体何をしていたんだ。

 このままマリアが目覚めなかったらどうやって罪を償ってもらおうか。


 もし僕の可愛いマリアが死ぬような事になったら、末代まで呪ってやる。


 マリア付きの侍女もその時はマリアにひとりにして欲しいと言われて席を外していたという。


 きっと何か興味を引くものに気を取られてうっかり落ちてしまったのだろうという結論がでた。


 実際、マリアは夢中になると周りが見えなくなるところがあるのだ。


 リシャール領にいた頃はかなりお転婆で小鳥を追いかけて木に登り、下りられなくなったり、蝶々を追いかけて池に落ちたりと、何かと周囲を慌てさせていた。


 目が覚めたら兄としてガツンと叱ってやらねば。


 早く、早く、目が覚めてくれ!

 お願いだ。

 神様。僕から妹を奪わないでくれ。


 思えば、母親が亡くなった時はその喪失感を埋めるためにひたすら勉学に没頭した。


 そして母親に生き写しのマリアに会うのが怖かった。

 妹の姿を見たら僕の脆い心が崩壊する。

 そう思って今までこの屋敷に足を向けるのを避けていた。


 でも、母親に続けて愛する妹まで失ったら僕はきっと壊れてしまう。

 今まで妹に会いに来なかったことを自分で自分を責め続けるに違いない。


 マリアが目を覚ましたら学園の寮は引き払おう。

 この屋敷から学園に通うことにしよう。


 できる限りマリアのそばにいよう。

 そして、今まで離れていた分デロデロに甘やかすんだ。

 だから早く目を覚ましてくれ。



 マリアが目を覚ましたのは転落事故から三日後だった。

 とにかく目を覚ましたことに安堵した。


 目を覚ましたマリアは記憶を無くし、声が出せなくなっていた。

 良いんだ。記憶なんて無くたって。

 声は時間が解決してくれる。

 そこにいてくれるのなら、どんな君でも良いんだ。


 母親に似た可愛いらしい瞳に見つめられると言い知れぬ安堵感と胸の奥からあふれてくる愛おしい感情に胸が詰まる。


 目を覚ましてから、ようやく普通食が食べられるようになって夕食を一緒にとった。


 ピンクのドレスを着たマリアーナは花の妖精のように可愛い。

 どうしてこんなにも愛おしい存在と離れていられたのだろうか。


 思えば、マリアーナが産まれたとき、あまりにも可愛くて、愛おしくて、毎日寝顔を見て過ごしたんだ。


 歩けるようになるといつも僕の後をチョコチョコと付いてくるのが嬉しかった。


 父上に怒られて気持ちが沈んでいる僕に自分のおやつを分けてくれる優しいマリア。


 わざと怖い話をしてからかったあと、涙目で僕のベッドに潜り込んできた可愛いマリア。


 舌っ足らずの可愛い声で「おにいちゃま」と言いながら嬉しそうに僕に飛びつくマリア。


 今更ながら思い出すマリアと過ごした時間。




 僕の向かいのテーブルにセッティングされたカトラリーを見て一瞬眉を寄せたマリア。


 そしてマリアのために用意されたそれをまるっと無視して何と僕の隣の席に座った。


 その行動に胸が苦しくなる。

 毎日、父上は帰りが遅い。

 だとすると、この広い食堂にマリアはいつも1人で座っていたのだと思い知ったからだ。


 僕の残したブロッコリーをマリアはせっせと僕の口に運ぶ。

 もちろん、食べたさ。

 これはマリアに対する僕の罪滅ぼしなんだ。

 今までほっといてごめん。

 ひとりにしてごめん。

 寂しい思いをさせてごめん。

 これからはずっとそばにいて君を傷つけるすべてのものから守ってあげるよ。


 そんな僕の頭をにっこりと笑って撫でてくれるマリア。

 ああ、マリアの笑顔が可愛すぎる。


「マリア、マリアも嫌いな人参を食べられるようになってえらいぞ」


 僕はそう言ってマリアの頭を撫でた。

 嬉しそうに笑うマリアに心の中で何度もごめんと言いながら。

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