第三章 恋愛編

第122話 君は誰?

 リシャール邸に帰って来て一週間がたった。


 帰ってきて早々に王城に呼び出された時はドキリとしたが、王城魔導師団と青の騎士団を動かす事態になったので致し方ない。


 陛下との謁見という名の事情聴取では、驚く事実が判明。

 エミリ・クルスさんは何と、三百年前の王妃様だったらしい。

 お伽話として語られる『死者蘇生の禁術の狂王』の妻がエミリさんだという。


 国王は界渡りの乙女であるエミリさんを、とっても愛していたってことね。

 自分の世界に帰りたいと思っていたエミリさんを、どう思っていたんだろう?

 死者蘇生の術を試すほど執着していたなら、絶対に阻止するよね。

 あの魔術研究所が閉鎖されたのは、国王の差し金だろうか?

 今となっては、想像することしか出来ないけどね。


 生活魔道具に関する魔法陣は日々開発されているのに、転移に関する魔法陣は開発されるどころか、研究もされていないのは、三百年前の国王の意向が反映されているんじゃないかな?


 当時、エミリさんが魔術研究所を設立し、転移の魔法陣を研究することに国王が良い顔をしなかった。

 それがそのまま王家の意向とされて、今に至ったというところかな。


 今回のことで、現代文字で正確に位置情報を書き込んだ上にルメーナ文字をさらに構築させれば、遠い距離も少ない魔力で転移できるのが証明済みだ。

 それこそ、王都から北部の辺境地まで軽く飛べるのだ。

 防衛会議のたびに、何日も騎乗して王都入りするなんて時間の無駄だ。

 防衛の観点からみても、転移出来たほうが何かと安心だと思う。

 まあ、その独自の見解も一応、陛下には言ってみたけどね。

 あとは、陛下と重臣たちが決めることなのでお任せしましょう。


 転移の魔法陣で見知らぬ土地に飛ばされるという体験をしたが、今となっては旅行に行って帰って来たような感覚だ。

 だから、メアリーちゃんや、エイベル君、ガイモンさんからの謝罪なんて受け付けません。

 代わりに、土産話をたっぷりと聞いてもらっちゃいましたよ。

 最初の苦労も、おおむね楽しい思い出に塗り替えられちゃってるからね。


 ただ、最後のテレシア様の誕生パーティーの記憶がないんだよね……。

 お兄様とエリアス先生とダンスを交互にしてその後の記憶がプッツリと途絶えている。

 気が付いた時には、使わせてもらっていた客間のベットに寝ていた状態だったのだ。

 アンドレお兄様に問いただしても、真っ赤な顔をするだけで詳しいことは教えてくれない。

 ただ、リシャール邸に帰ったら二人で話す時間を作って欲しいと言われた。

 でもね、なんだか、アンドレお兄様も忙しそうでその時間が取れないんだよね。

 だって、四日前からリシャール伯爵領に出向いている状態だから。

 リシャドール社製の樹脂車輪とサスペンションの売れ行きが全領に広がり、工場の拡大なんかで駆けずり回っているようだ。


 私の新学期前の長期休暇はあと、五日。

 アンドレお兄様は、一足お先に学院の寮へ向かうので一緒にいられるのはあと三日というところか。


 この世界に転移してずっと一緒にいたのに寂しくなるな……。

 そんなことを考えていたら、眠れなくなってしまった。

 自室のバルコニーに出て大きな満月を見上げながらため息をつく。


「マリア? 眠れないのかい?」


 ん? 突然かけられた声に向き直ると、隣の部屋のバルコニーにアンドレお兄様がいた。


「アンドレお兄様! 帰ってたんですね。ごめんなさい。気が付かなくて」


「いや良いんだ。本当は明日の予定だったんだ。もし、眠れないなら少し話をしないか?」


「あ、はい!」


 ナイスタイミング! 今日こそ、アルフォード家のパーティーで何があったのか聞き出しましょう。


「じゃあ、上に何か羽織っておいで。そうだな、母上の部屋で話そうか」




 ***************




「懐かしいな。このピアノ。母上の弾くピアノの音色が好きだったよ。ほら隣に座って」


 そう言いながら、グランドピアノの長椅子をすすめるアンドレお兄様。

 少し寂しそうな横顔に胸が詰まる。 

 母親が亡くなった時、アンドレお兄様は確か、十三歳だったはず。

 思春期真っ只中だ。


「君の弾くピアノも好きだよ。優しくて、力強い」


「……ありがとうございます」


「あ、ほら、敬語はダメって言ったでしょ」


「え? う、うん」


「母上の葬儀の後、僕は現実を受け止められなくて学園の寮に引きこもって勉学に逃げたんだ。そのせいでマリアにはずいぶんと淋しい思いをさせた。ひどい兄だよな」


「そ、そんなことは……」


 いや、あるのか?

『兄に会えなくて淋しい』と綴られた日記を思い出す。


「いいんだ。はっきりと言ってくれて。現実を受け止めようとすればするほど、母上と瓜二つのマリアに会うのが怖かった。そんな時、マリアがバルコニーから転落して目を覚まさないと連絡が来たんだ。あの時は気が動転してどうやってこの屋敷に帰って来たのか記憶がないくらいだよ」


 そう言いながら、優しい音色を奏で始めた。

 あら、アンドレお兄様もピアノが弾けるんだ。


「僕が弾けるのはこの曲だけなんだ。君みたいに才能がないんだ」


「とっても、上手だったわ。それに、私は才能なんてないし」


「君が目覚めて、この部屋でピアノを弾いただろ。防音の結界を起動しなかったから屋敷中に響き渡ってたよ。その時に君の才能を感じたんだ。優しい音色だったな」


 防音の結界か。

 あの頃は、そんな物があるなんて知らなかったからね。


「君が覚えていないと言っていたアルフォード家のパーティーの話をしようか。あの時、僕が君に質問したんだよ。どうしてあの転移の魔法陣に足を乗せたのかって。だって、君はあの魔法陣を正確に読み取ることができただろう? 普通の人は『界を渡る魔法陣』なんて恐ろしくて近寄らないよ」


「あ……」


「そうしたら、泣きだしてさ。『お兄様とお父様を幸せにするって決めたのにごめんなさい』って。参ったよ。記憶を無くした君を今度は兄として守らなきゃと思ってたんだ。だから、いつも君を見ていた。いや、目が離せなかったんだ」


 アンドレお兄様?

 さっきから、私のことを『マリア』と呼ばないのは、なぜ?


「そして、いろんな顔を見せてくれる君に……どんどん惹かれていった」


 ……え?


「君は……誰? 本当の事を教えて欲しい」


「な、なに言って……」


 心臓が痛いくらいにドクドクと音を立てる。


「君はマリアじゃない。僕のマリアはもうこの世にいない。そうなんだろう?」


 知ってる……の?


「何を聞いても驚かない。君のことも責めたりしないよ。真実が知りたいだけだ」


 頭の中が真っ白で、上手く言葉が出てこない。


「そ、それは……」


 真剣な眼差しで私を見るアンドレお兄様に、これ以上嘘はつけない。

 意を決して私は口を開いた。


「私は……マリアーナ・リシャールではありません」




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