第129話 婚約パーティは悲鳴から
「きゃー! なんですのあれは?!」
柔らかなピアノの音色が響き渡る会場。
そこで突然上がった悲鳴に、正装した紳士淑女は何事かと一人の令嬢に目を向けた。
おお! 早速引っかかった。
今はまだ、主役のお二人が入場する前の歓談時間。
余興ということで、マリオとしてピアノを弾いているところ。
二本の指の模型がピアノの周りをチョロチョロとしている絵面はホラーだ。
でも他の人には見えないはずなので、何食わぬ顔をして弾き続ける。
そんな中、私は一人の令嬢の動向に注意を向ける。
ジョアンヌ・ボスフェルト公爵令嬢。
赤みがかった金髪をふんわりとハーフアップにした姿は遠目に見ても庇護欲を掻き立てる可憐さだ。
ピアノを指差して取り乱しているのを、取り巻きらしき青年達が必死になだめている。
ここでブライアン達が顔色の悪い彼女に声をかけて休憩室へご案内、そこへ執事に扮したルー先生が贈り物が届いたと声をかける。
その贈り物が例の宝石箱ね。
すべては本日の主役であるテレシア様とウルバーノさんが入場するまでに決行しなければならない。
テレシア様とジョアンヌ様を引き合わせるつもりはないのだ。
視界の端にブライアン一行が動いたのが見えた。
同時にふわふわと浮遊していた二本の指が譜面台の前にコロンと転がった。
傀儡の術は一時休止ね。
さあ、私もこの曲を弾き終わったらみんなと合流しますか。
休憩室に待機しているベリーチェ達の様子も気になるし。
クラウドとシュガー、ベリーチェの三人が走り回って高価な花瓶なんか割ったら大変だものね。
ああ、でもあの子達のつぶらな瞳で見つめられたら怒れないよね。
すぐに許してしまう自信があるわ。
壊すなら、弁償できる範囲でお願いしたいものね。
「おい! そのピアノを弾くのを止めろ! ジョアンヌ様が気分を害してるじゃないか!」
へ?
私に向かっておっしゃっている?
ピアノを弾きながら考えに没頭していた私は、指を止めて声に向き直った。神経質そうな目の細い青年が眉間にシワを寄せながら私を睨みつけているではないか。
しかも彼の後ろには青い顔のジョアンヌ様。
慌てた様子でブライアンやシャノン達が足早にこちらに向かっているのも見える。
な、なにごと?
「えっと、この曲がなにか?」
「その辛気臭い曲で、ジョアンヌ様の気分が悪くなったと言っているんだ!」
辛気臭い曲って……。
パーティの前座で弾く一般的なセレナーデですけど?
気分が悪いのはこの二本の指のせいですよね?
誰も二本の指のことを口にしないことにきっとジョアンヌ様は混乱しているはず。
「はあ……。では明るいテンポの曲でも弾きましょう」
こうなったら、日本で誰もが知っているアニメソングをメドレーで弾いてやる。
突然、曲風がガラリと変わったことに興味深げな視線が集まる。
それと同時に、ブライアンが傀儡の術を再稼働した。
ピアノの上を浮遊していた指は段々とジョアンヌ様に近づいて行く。
「な、なんですの? これ? い、いや! あっちに行って!」
「ジョアンヌ様?!」
両手を振り回して叫ぶジョアンヌ様に取り巻きの青年達は戸惑っている。
「おい! その曲を止めろ!」
いや、だから、曲が問題じゃないんだってば。
「我がアルフォード家がお招きしたピアニストが何か?」
耳に心地よいアルトボイスに思わず手を止めて顔を上げると、そこには金髪のメガネ青年が立っていた。
誰?
我がアルフォード家って言った?
「兄上! 戻って来られたのですね」
あ、やっぱりブライアンのお兄さんね。
シャルル・アルフォード様。
滞在のご挨拶のときには不在だったから初めて見るけど、テレシア様に面差しが似ている。
確か、テレシア様の一つ上の21歳だっけ。
ブライアンの集中力が切れて二本の指が床に転がった。
すかさず、ダニエルがドレスの裾で隠す。
見事な連携プレーです。
「ブライアン、待たせたな。視察では大収穫だったよ」
視察?
アルフォード辺境伯の嫡男だからお仕事が大変なのね。
でも、妹の婚約パーティの日くらいはお休みしても良いのにね。
「お、おい! 俺たちを無視するな。これだから田舎者は嫌なんだ。ジョアンヌ様のエスコートでなければ、こんな田舎の辺境地に来るなんてごめんだったんだ」
この人馬鹿なの?
アルフォード領が田舎なんてどこ見て言ってるのかしら?
下手すると王都より活気があるのに。
それに、辺境地って田舎って意味じゃないからね。
私は椅子から立ち上がって細目青年をにらみつける。
「辺境地って言うのは国境沿いの重要な地って言う意味なんですよ。国を守護する軍事力の一つがこの地にあるという事をご存じないんですか?」
「な! お、お前、いま俺を馬鹿にしたのか?! ピアノを弾くしか能のない平民のくせに!」
「では、貴族のあなたはどんなすごいことができるんですか? 教えて下さい」
「お前! なに生意気な口を聞いているんだ!」
そう言いながら右手を振り上げた。
とっさに防御の体制をとったけど、あれ? 予想していた衝撃がこないぞ。
それもそのはず、その腕は黒服のジーク先生とエリアス先生に取り押さえられていた。
おう! いつの間に! 忍者か!
「なんだお前ら! は、離せ!」
「マリオに手を上げるとは、お前、死にたいのか?」
「ジークさん、僕にまかせて貰えれば証拠は残さず、この場にいた痕跡さえも消してみせるよ」
堂々と殺人予告をするジーク先生とエリアス先生。
「お、お前ら、使用人の分際で! これが招待客に対する態度なのか?!」
その言葉にシャルル様が私を庇うように前に立ちはだかった。
「招待客ね。君のような礼儀に欠ける者を招待した覚えはないんだが。我がアルフォード辺境伯家への侮辱罪に、正式な招待客であるピアニストへの恫喝及び暴行未遂。これ以上、大事な妹の婚約パーティで騒ぎを起こすなら警備隊に引き渡すとしよう」
「な、何言ってるんだ。俺はボスフェルト公爵令嬢であるジョアンヌ様のエスコート役だぞ。ボスフェルト公爵家に楯突くつもりか?!」
「ああ、そういえば、ジョアンヌ嬢、あなたがこの騒ぎの発端でしたね。曲がお気に召さなかったとか」
突然、話を振られて驚きの目を向けるジョアンヌ様。
物腰は丁寧だが、シャルル様の鋭い視線に慌てたように声を上げる。
「わ、
「ピアノの周り? 周りに、何が?」
「い、いえ、あの、何でもありませんわ」
「なんでも無いと? エスコートの青年をけしかけてパーティを台無しにするつもりなら、お帰り頂いても結構だが」
「この方はただ近くにいただけで
上目つかいでブルーグレーの瞳を潤ませるジョアンヌ様。
一方、細目青年は信じられないという目をジョアンヌ様に向ける。
「えっ? ジョアンヌ様、何を言っているんですか? 俺は、あなたの、」
「
連れの青年をバッサリと切り捨てるジョアンヌ様。
そして、この発言でシャルル様やブライアンだけではなく周りにいたアルフォード家の使用人一同が殺気立った。
ちょっと、わかるけど、ここは早くジョアンヌ様を休憩室に押し込めないと。
主役の二人が来ちゃうよ。
カラン、コロン!
そんなことを考えている矢先に会場入り口から鐘の音が響いた。
「ウルバーノ・ザケット様、テレシア・アルフォード様並びに、アルフォード辺境伯ご夫妻のご入場です!」
あっ、まずい、段取りが崩れちゃった。
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