第82話 カナコさんの日記

 ただいま、夜中の一時。


 赤の賢者の奥様が日本人だと確信した後、私はエリアス先生からカナコさんの日記をお借りしてきた。


 しかし何気に私は忙しい。

 第一側妃のディアーヌ様のお茶会でフェリシー王女の喘息の治療をしてから一週間に二回ほどフェリシー様の様子を見に行っている。

 今では『マリアお姉様』と呼ばれるまでになり、第二側妃のアシュリー様からも歓迎されている。


 その用事が無い時はガイモンさんと竜舎へ行ったりと、学園から帰って来てもゆっくりしている暇はない。

 竜のラウルともすっかり仲良しになり、あとは翼に適した素材を決めれば義翼作成に取りかかれる。

 それはガイモンさんが冒険者ギルドのルキーノさんに相談している最中だ。


 そんなこんなで、カナコさんの日記を読む作業にとりかかれないでいた。

 今日はどうしても読み進めたくて夜中になってしまったのだ。

 寝る必要のないベリーチェとともにソファに座り竜玉を抱えながらカナコさんの日記を開く。


 予想していた通り、カナコさんは界渡りの乙女だった。

 名前は『設楽加奈子したらかなこ

 この世界に転移したときは相当取り乱していたようだ。

 実年齢は30歳。

 やはりこの世界に落とされた瞬間、十代の少女に若返ったようだ。

 最初の一週間は部屋にこもって泣いていたようだが、もともと活発な女性だったのだろう魔法に魅せられて魔導師団に出入りするようになる。

 そこで出会ったのが赤の賢者。

 赤の賢者は魔導師団の団長だった。

 名前をブラッドフォード・ジャクソン。

 緑の髪に赤い瞳の美丈夫で当時29歳。

 カナコさんと赤の賢者は一目で恋に落ちたようだ。

『ルビーのように綺麗な赤い瞳に捕らわれた』と書かれている。


 そう言えば、私も初めてジーク先生の瞳を見たときにルビーのように綺麗だと思ったな。

 あの時の慈しむようなジーク先生の表情を思い出して胸がギュッと締め付けられた。


「マリア、だれかがくるでしゅ」

 突然のベリーチェの声にハッとした。


 え? こんな夜中に誰?


 とっさに部屋の明かりを消してベリーチェを抱きしめる。

 私とベリーチェに挟まれて巾着袋の中で竜玉がフルルと身震いした。

 リュウちゃん、ちょっと我慢してね。リュウちゃんとは竜玉の名前ね。

 安易な名前と言うこと無かれ。

 ちゃんと産まれたら最高にかっこいい名前を付けてあげるつもりなのだ。

 それまでの仮の呼び名だ。

 ベリーチェと一緒にじっと息を殺して気配を探る。


 探索のスキルを発動して気配が消えたのを確認するとホッと息をついた。


 何だったんだろう?


「ゴッドしゃんでしゅね。魔力の波長でわかるでしゅ。マリアが夜更かししてないかみにきたんでしゅよ。ここのところまいにちきましゅ」


 なんと! ゴッドさんがストーカー化してる。

 まあ、彼の場合ストーカー対象は竜玉だけどね。

 夜更かししてるのがバレたら母竜としての心得をこんこんとお説教されそうだ。

 気をつけよう。


 その後は明かりが部屋の外に漏れないようにベッドでベリーチェと一緒に布団をかぶり日記を読んだ。

 なんだか人様の日記を読むときはいつもこのスタイルだな。

 まあ、他人の日記を読むなんてそうそう無いことだけどね。

 むしろ読んではいけない。


 カナコさんの日記の続きには順調にブラッドフォードさんとの交際が綴られていた。

 そんなある日、その当時の第三王子の婚約者候補として名前が挙がる。

 第三王子は18歳、名前はマウリッツ王子。

 ブラッドフォードさんは魔術の才能があるマウリッツ王子を可愛がっていて所謂、師匠と弟子のような関係だったようだ。

 そして婚約者候補となった事から、カナコさんとブラッドフォードさんとの関係に亀裂が入り始める。

 一方的にブラッドフォードさんに避けられて傷ついていたようだ。


 ああ、なる程。

 カナコさんは実年齢は30歳だけど、見た目は17歳前後だものね。

 これは29歳のブラッドフォードさんが勝手に自分はカナコさんに釣り合わないと思っちゃったパターンか。

 でも実年齢30歳のカナコさんは18歳のマウリッツ王子は恋愛対象には見れなかっただろうね。


 そこでカナコさんはブラッドフォードさんに実年齢を告白して迫ったらしい。


 おお! すごいぞ、カナコさん。


 そして18歳のマウリッツ王子もカナコさんのことを本気で好きだったようだ。

 こちらも実年齢を告白して恋愛対象としては見れないことを伝えたがマウリッツ王子は引かなかったようだ。


 カナコさん、モテモテだ。

 結局、三角関係の行方は、自分の息子を選ばなかったことに腹を立てた王妃様がカナコさんを王城から追い出したことで決着がついた。

 それにより、ブラッドフォードさんは魔導師団長を辞職しカナコさんと城下で暮らし始めた。

 その後、マウリッツ王子は海向こうにある帝国に親善大使として派遣された。

 気になるのはマウリッツ王子のカナコさんへの執着具合だ。


 カナコさんの日記で綴られているマウリッツ王子の奇行はちょっと怖い。

 ある日の朝食でカナコさんが使用したティーカップを大事に自分の部屋の飾り棚にしまっていたり、ブラシについたカナコさんの髪の毛を欲しがったり。

 変態ストーカーのようだ。

 前世で私の出したゴミ袋が荒らされた事件を思い出して何とも言えない気分になる。


 それから幸せな結婚生活が続き、一年後にブラッドフォードさんは自分に似ているという理由で孤児だった10歳の少年を引き取り弟子にしている。

 それとほぼ同時期にカナコさんは子供を出産。

 黒髪に赤い目の女の子、名前をフルール。

 フルールが5歳になるころにカナコさんは何かの病気になったようだ。

 最近体調が思わしくないと書かれている日からは日記の更新がゆっくりになる。


 そんな中、王妃様からの手紙を受け取った事が書いてあった。

『久しぶりに王妃様からの手紙が届き嬉しい』と。

 手紙にはカナコさんの体調を気遣う文面とマウリッツ王子が5年間の親善大使の任務を終えて帰国する旨が書かれていたようだ。

 マウリッツ王子が帰国するにあたってのカナコさんの不安な心情が『私に構わないでくれるだろうか?』という一文で読み取れた。


 王妃様の怒りを買って王城を追い出されたのに手紙のやり取りをしていたの?

 もしかして王妃様は自分の息子の変態気質に気づいていたのではないだろうか?

 それで怒っているふりをしてカナコさんを息子のそばから遠ざけた?

 今となっては推測の域を出ないが…


 それにしてもカナコさんはなんの病気だったんだろう?


「マリア、どうしてブラッドフォードしゃんは赤の賢者ってよばれるでしゅか?」


 ベリーチェの問いかけに現実に引き戻された。


「どうしてって、赤の賢者は赤い目の色と大量殺戮で赤い血をたくさん流したから…」


「ちがうでしゅ。ブラッドフォードという名前があるでしゅ。みんな、なんで名前でよばないでしゅ?」


 名前があるのに名前で呼ばない?

 そう言えば、ルメーナ文字の辞書の奥付にも『監修赤の賢者』と記されていた。

 記載するなら『監修ブラッドフォード・ジャクソン』が正解だよね。

 だって『赤の賢者』というのは異名、所謂二つ名だ。

 何でだろう?

 そう言えば赤の賢者の名前を口にしているのを聞いたことがない。


 誰も赤の賢者の名前を知らない?


 誰かが故意に『ブラッドフォード・ジャクソン』の名前を隠した?

 なんのために?


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