第83話 赤の賢者の研究ノート

 ああ……とてつもなく眠い。

 カナコさんの日記、結局全部読んでしまった。

 そして日本語で書かれた日記をこの国の文字で書き直す作業も……。

 もちろん全部は無理なので途中まで。

 ほぼ完徹状態……。


「あら、マリアったら眠そうね。ジークさんもエリアスも、もう学園に行ったわよ。ガイモンさんはギルドから伝達蝶が届いて出かける用意をするって。ほらマリアも早くしないと遅刻するわよ」


 のろのろと朝食を食べているとルー先生がそう言いながら急かす。

 ランが心配そうな顔で私の前に紅茶を置いたのを見て私は笑顔でお礼を言った。


 朝食はいつもガイモンさんが使っている部屋と私の部屋の間にある二十畳ほどの控えの間に用意されている。

 ここでリシャール邸から一時的に引っ越してきた来た私達は朝食を取っているのだ。

 竜の里親になってからはゴッドさんも一緒。

 お二人はすでに食べ終わっていてゴッドさんは私の巾着袋からリュウちゃんを取り出して何やらチェックしているようだ。

 もらった時は野球ボール大だったリュウちゃんは今やバレーボール大に成長した。

 ずっしりとした重みを感じるたびに愛おしさが増すのが不思議だ。

 お腹の中で赤ちゃんを育てる妊婦さんもこんな感じなんだろうか?


 ベリーチェとシュガーはそんなゴッドさんを興味深くみつめている。

 やがてチェックが終わりゴッドさんがリュック型の巾着袋を私に差し出した。

 それをルー先生が受け取り、リュックが前に来るように私の両腕に紐を通す。


「はい、準備完了よ。じゃあ行きましょう」

 そう言って立ち上がるルー先生にゴッドさんが声をかけた。


「なあ、ルーベルト。前から言おうと思ってたんだが、お前はどうして女言葉なんか使っている?」


 ん? どうしてだって?

 あら、ゴットさんは知らないのかしら?

 ルー先生が男言葉になる時は怒っているときだって。


「ゴッドさん、ルー先生は今怒ってないからこれで良いんです」


「ん? どういうことだ?」


「あー! ほら行くわよ!」


 ルー先生のその一言で私達は立ち上がり歩き出す。


「怒るとか怒らないとかで変わるわけ無いだろ。お前騎士団にいたときは普段から男言葉だったよな?」


「きゃー! 大変、遅刻しちゃうわ。ほら! さっさと馬車に乗るわよ」


 ん? 男言葉だった?

 うーん?

 なんだか眠すぎて思考能力低下中。

 ゴッドさんの言ってる意味が分からん。

 ひとまず、馬車の中で一眠りしますかね。




 ***************




「これ、マリアが訳したのかい? っていうか、この手記読むことが出来たってことか?」


「あ、はい。カナコさんの日記は全部読み終わったのですが、翻訳をノートに書きだす作業が全部は終わってません」


 部活動のために魔術科の教室に集合した私達。

 早速、カナコさんの日記を訳してノートに書き留めたものをエリアス先生に手渡した。

 今まで誰にも読めなかった文字が読めたことについては、私の『全世界言語読解』のスキル発動ということで納得してもらった。

 そしてこの日記を書いた女性は赤の賢者の奥様で『界渡りの乙女』だったということも伝えた。


「ほう、今日は朝から眠そうにしていたのはこれが原因か。マリア、お前は昨日いったい何時に寝たんだ?」


 ギクッ!

 しまった。

 ゴッドさんがいたんだった。


「えっと、何時だったかな? 忘れちゃいました」と、言うか寝てないからね。


「まさか、寝ていないなんてことはないだろうな?」


 ゴットさんの凄みのある低い声に思わずシャノンの後ろに隠れた。


「まあまあ、ゴットさん。落ち着いてください。ちょっと夜更かししたぐらいでそんなに責めるのはかわいそうです。マリアだってさすがに今日は早く寝ると思いますよ。母竜に必要な栄養は一生懸命とってますから許してあげてください」


 おお! さすが、シャノン!


「そうですわ、ゴットさん。ゲンコツステーキ二人前お食べになるご令嬢なんてマリアぐらいですもの。多少の睡眠不足くらいは目をつぶって差し上げてください」


 リリー! ありがとう!


「ゲンコツステーキを二人前……それはすごいです。ゴットさんはマリアに何を求めているのでしょう?」


 ドリー、ゴットさんは私に立派な竜になってほしいようです。

 そんな会話を聞いていたエリアス先生は苦笑しながら口を開いた。


「マリア、無理をしなくて良いよ。マリアのこの翻訳で研究が一気に進むのは助かるけど、そのためにマリアが倒れたら大変だ」


 優しいエリアス先生の言葉に、とりあえずゴットさんには今日は早く寝ることを約束してこの場を納得してもらった。


 それからはみんなでエリアス先生からお借りした研究ノートを読んでの感想を言い合った。


 エリアス先生が持っていた四人の日記は書かれた時期が違っている。

 カナコさんはこちらの世界に落ちてからの数年間、赤の賢者はカナコさんと結婚してからの数年間だ。

 カナコさんが病に伏してからは書くのをやめている。

 弟子の少年は赤の賢者が亡くなってから書き始めている。

 侍女の女性も赤の賢者が亡くなってからの生活の様子を書き溜めていた。


 カナコさんが亡くなってほどなくすると赤の賢者が俗話で知られている事件を起こして亡くなっている。

 その後は赤の賢者とカナコさんの間に出来た女の子「フルール」と弟子の少年、「マーカス」を侍女の女性サリーナとそのご主人コナンダイスが自分達の子供として引き取った。


 当然「フルール」と「マーカス」は赤の賢者の姓である「ジャクソン」は名乗っていない。

 エリアス先生は知っているだろうか? 赤の賢者の名前を。


「あのエリアス先生、赤の賢者の名前を知っていますか?」


「赤の賢者の名前か……。それが調べてもわからないんだ。どんな文献にも載っていないからね。一説によると赤の賢者の名前はその当時の国王命令で秘匿とされたというがそれも今となってはわからないな。王城の図書室の王家関連の書物には載っているかも知れないが……」


 ああ、それは一般人立ち入り禁止のSエリアですね。

 なるほど、赤の賢者の名前は国王が隠したのか。

 なんのために?


「赤の賢者の名前は『ブラッドフォード・ジャクソン』です。カナコさんの日記に書いてありました」


「ブラッドフォード・ジャクソン……」


 エリアス先生はその名前を小さな声で何度も繰り返し呟いた後、ようやく顔を上げて私を見た。


「マリア、これはすごい発見だよ。ありがとう。本当にありがとう」


 エリアス先生の目が潤んでいるように見えるのは気のせいだろうか?


「それにしてもエリアス先生の一族の赤の賢者に対する思いはすごいんですね。実際に赤の賢者の奥様が埋葬されたお墓まで調べに行ってしまうなんて」


 シャノンの言葉に私は驚いて声をあげた。


「え? そうなの? カナコさんのお墓まで探し当てたの?」


「そうみたいね。弟子のマーカスさんが日記にお墓の場所を書いてあるのを見てその場所に行ってみたって研究ノートにまとめてあったわ。でもお墓はなかったみたい。当時のことを知っているお年寄りに聞き込みをして墓荒らしにあったことを突き止めたって書いてあったわ。遺体が掘り起こされていて無くなっていたって当時は大変な騒ぎになったようね」


 なにそれこわっ!

 墓荒らしめ、遺体から貴金属類を盗むなんて悪い奴らだ。罰が当たるぞ。

 しかも遺体までもっていくなんて。

 ブラッドフォードさんは、さぞ激おこだったろうな。

 最愛のカナコさんが亡くなって、墓まで荒らされるなんて。


「私が気になったのは、赤の賢者の娘と弟子の少年が婚姻を結んだことですわ。彼らの年の差は十歳。マーカスさんはフルールさんを溺愛していたようですが、なんだか二人は世間に葬られた赤の賢者の存在を忘れないように行動したような気がしますわ」


 リリーのその言葉にエリアス先生が頷いた。


「僕もそう思うよ。きっと二人はそうすることで赤の賢者の血筋を守ろうとしたんじゃないかな」


 血筋を守るか……。

 そう考えたところで何かが胸に引っ掛かった。

 なんだろう?


「あ、あの、私はサリーナさんが『亡くなった旦那様の遺体は騎士団が彫刻棺に納棺して王城へと運んで行った』と日記に書いてあったのが気になりました。これっておかしくないですか?」

 

 騎士団が王城に運んだ?

 彫刻棺って一般的な棺より高級なんだよね?

 確か俗話だと王都の住人を殺戮した後は自分の首を切って自殺したんだよね?

 そんないわくつきの遺体を王城の墓地に埋葬なんてするだろうか?

 しかも後でそのことを調べると『赤の賢者を王城の墓地に埋葬した事実はない』と墓守に言われたそうだ。


 ドリーの話にその場にいたみんなが首をひねった。

 いったい、赤の賢者の俗話はどこまでが真実なんだろう?

 それとも全部が偽りの話なのか?

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