第12話 初恋 ジークフィード視点

「マリナ!」

 俺は、目の前で静かに目を閉じる『界渡りの乙女』の名前を叫んだ。


 願いむなしく、『界渡りの乙女』いや、マリナは目を開けることはなかった。





 それは、黒髪に黒曜石のように神秘的な黒い瞳の綺麗な少女だった。


 彼女を発見したのは王都の外れにある摩訶の森。

 黒の騎士団に異界の亀裂発生の連絡が入り駆けつけた。


 この摩訶の森にはごく希に異世界からの『落ち人様』が現れる。


 異世界の知識と膨大な魔力をもつ彼等は神の使者として丁重に迎え入れなければならない。

 何故なら、彼等は国にとって有益な改革をもたらすと言われているからだ。


 他国では『落ち人様』は性別、年齢は多岐にわたるが、このシャーナス国ではなぜか、黒髪、黒目の女性しかいない。

 しかも十代の少女しかいないことから『界渡りの乙女』と呼ばれ聖巫女と同等の癒やしの力があると言われている。


 神殿にある魔素の大樹の力が込められた水晶が、異界の亀裂を感知したため、我々騎士団が駆けつけたのだ。

 この水晶が光ったのは124年ぶり。

 神殿では聖職者達が歓喜に震え、祈りをささげていた。


 だが…

 今回は間に合わなかった。


 恐らくこの心優しい少女は子犬を魔物から身を挺して守ったのだろう。


 俺の腕の中で子犬の事を心配しながら息を引き取った少女。


 ガラスの棺に横たわる彼女を見ながら交わした言葉を回想する。

 俺の赤い瞳を見て綺麗だと言って微笑んだあの優しい顔が忘れられない。


 俺のことを「ルビーの騎士様」と呼んだ澄んだ声が耳に残っている。


 子供の頃から忌み嫌われていたこの赤い瞳を見て綺麗だと言ってくれたのは後にも先にも彼女だけだ。


 俺の赤い瞳は『赤の賢者』と同じ色だ。


 そのため、俺の瞳を見た者は一様に驚き、ある者は畏怖の表情をある者は嫌悪の表情をする。


 トライアン侯爵家の次男の俺にあからさまに喧嘩を売るような馬鹿はいなかったが遠巻きに煙たがれるのは子供ながらに堪えた。


『赤の賢者』とは古代文字ルメーナ文字を解読し魔法陣の構築と錬成術の高性能化、魔道具の技術革新を成し得た賢者だ。


 だが天才故の孤独からか心を病みこの王都で大量殺戮を引き起こしたことでも知られている。


 それは今から約120年前の出来事だ。


 現在の国民の生活はこの賢者のおかげで成り立っているが、多くの血を流した衝撃の歴史もまた国民の心に強く刻まれ今も口伝えに語られている。


『赤の賢者』の赤とは瞳の色と流された血の色のことだ。

 賢者の名前は人々の恐怖心と共に埋もれていき、そして誰も口にしなくなった。


 俺の母は、自分の産んだ子が赤い目をしていたことを気に病み産後は床に伏せっていたという。

 赤い瞳と言うのはめずらしく、かと言ってまったくいないわけではないのが現状だ。

 実際、トライアン家の先祖には赤い瞳の者がいたという。


 その母が今では俺の一番の理解者であるのは父の存在が大きいだろう。


「産まれてきた子は親を選ぶことができない。ましてや自分の目の色などこの子のせいではない。二人でこの子を愛していこう。どんな困難にも立ち向かえるように育てよう。それが私達、親の役目だ」

 その父の言葉に母は我にかえったという。


 当時、王城で左大臣をしていた父は俺を兄とともに様々な人の集まりに連れ出した。


 子供の頃は嫌な思いをしたこともたくさんあったが、それをはねのける強い心を父から、悪意ある言葉に対抗するすべを母から、真実ほんとうの友人の選び方を兄から教わった。


 兄も俺のことで心無い悪意に晒されたであろうが、そんなことは何でもないことだと笑っていた。


 今は幸せな結婚をして両親とともにトライアン侯爵領の次期当主として領地経営を学んでいる。


 良くも悪くも俺の瞳を見ての反応とその後の言動で人を見抜く力はついたはずだ。


 そんな俺の瞳を綺麗だと言ってくれたマリナの最後の願いを叶えてあげたい。


 いや、絶対に叶えるんだ。


 亡くなる前に名乗ってくれた「マリナ アキモト」という名前は俺の胸の奥にソッとしまってある。


 20年間生きてきて生まれて初めて愛おしいと感じた少女の名前だ。

 これから先も誰にも言うつもりはない。

 この感情は自分でも説明出来ない。

 たった一時だけの会話。

 あの一瞬で囚われた俺の心。


 マリナの魂のオーラが、優しい心の波動が、俺の冷めた心を暖かく包み込んだんだ。


 この先、こんなに愛おしいと思える女性に巡り会えることが出来のだろうか?


 もし、お互いに同じ世界の同じ時間に生まれ変わったとしたら、きっとまた君に惹きつけられるだろう。


 今日もマリナのガラスの棺の上で故人を守るようにお座りをしている白い子犬に話しかける。


「おい、まだお前の気に入った飼い主は現れないのかい? この前紹介したモースナイト子爵令嬢はダメだったのかい?」


「バウ!」まるでそうだと言わんばかりに首を縦に振る子犬。


 たまに本当に言葉が通じているのではないかと思うときがある。


「俺がお前を飼えたら良かったんだがな。あいにく騎士団の寮は動物禁止でな。すまんな」そう言って頭を撫でると分かっていると言わんばかりに「ワン!」と鳴いた。


 その反応に思わず笑顔になりながらガラスの棺に横たわるマリナに目を向ける。


 まるでただ眠っているだけのように美しい顔だ。


 この子犬の飼い主が見つかれば、マリナは王家の墓地に埋葬される。


 飼い主が早く見つかると良いと想う反面、見つからないで欲しいとも想う。


 俺は複雑な感情を振り切るように神殿を後にした。





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