第50話 女神の涙は見たくない ルーベルト視点

「ほい、ルーベルト、エールだ。飲むだろう?」

 そう言ってオレに瓶を差し出したのはガイモンだ。


 このリシャール邸の裏庭に建てられたらマリア様とガイモンの工房。


 夕食の後、ちょっと飲もうと言うことで、工房の一角のダイニングに来ていた。


「これはつまみだ。さっきメアリーが作ってくれた」


「あら、メアリーちゃんはお料理が上手ね。ビガンセのソテーにサラダ、ネーグのリング揚げね。どれも美味しそうね」


「なあ、それ、やめて良いぞ」


「それってなあに?」


「その、女言葉だよ。お前、れっきとした男だろ? バレてんだよ。なんで、女言葉なんて使ってるんだ? 別にオトコに興味なんてないくせに」


「はあ~バレてたか。なかなか様になってたと思ったのにな。まあ、ベリーチェには一発でバレたけどな。いろいろあってこの女言葉がここで雇われた条件だったから仕方ないんだ」


 ガイモンにバレたついでに今までのオレの経歴を洗いざらい話して聞かせた。


 仕えたお屋敷の女主人の興味を引かないように気をつけていた事、それが仇となりそっち系の男と一悶着あり、前の職を辞めたこと。

 そこへ、元の上司であるリシャール伯爵からマリア様の護衛と魔法の講師の住み込みの仕事依頼が来たこと。


「何でもこの屋敷に得体の知れない女性を呼ぶわけには行かない、そうかと言って若い男性も不可と言うことで、ちょうど仕事を辞めたオレのところに来たらしい。その時に女言葉の方が都合が良いと言われたんだ」


「なるほどな。まあ、マリアにはバレてないからそのままで良いが、俺の前では普通で構わないぞ。それにしても今日は参ったな…デリック・ビートンのやつ…」


「ああ、そうだな。マリア様の前で、あんなこと言うなんてな。

 今にも泣きそうな顔であいつに言い返す様子に胸が痛くなったよ」


「そうだな。確かにあれには胸が詰まった。俺とメアリーにとってマリアは導きの女神なんだ。もうマリアを傷つけることは許さない」


「導きの女神か…分かる気がする。これでもオレはマリア様の護衛だからな。心までも守ってあげたい。だが、今日は夕飯も食べずに部屋に籠もっているみたいだ。ナタリーが困ってたよ」


「そうか…まあ、今日はこのままそっとしておくのが良さそうだな」


 それから飲みながら二時間ほど取り留めのない話をしてそれぞれの部屋に戻った。


 部屋に戻ったオレはシャワーを浴びてベットに寝転んだ。

 だがなかなか寝付けない。


 これは一度起きて眠くなるのを待つか。


 厚めのローブを羽織り、部屋の一角に備え付けのソファに腰掛けた。


「コン、コン」


 そこにノックの音。

 いや違うな。

 これはノックの音ではなく…

 ベリーチェの声だ。


「ベリーチェ、ノックはドアを叩くんもんだよ。言葉で言うもんじゃないんだよ。どうした? こんな夜中に、シュガーまで一緒に」


 ドアを開けながら問いかける。


「ルーちゃん、こんばはでしゅ。ベリーチェ、ノックちてもおとがでないんでしゅ。だから、コンコンなんでしゅ」


 ああ、なるほど。

 確かにぬいぐるみの手ではね。

 納得だ。


 ベリーチェの目線に合わせ、しゃがみこみながら話しを聞く。


「マリア、かえってこないでしゅ。いっちょにさがちてくだしゃい」


「え?! 帰ってこない? こんな夜中にどこに行ったんだ?」


「わからないでしゅ。ちょっと、いってくるって。ベリーチェとシュガー、まってたんでしゅ。かえってこないんでしゅ」


「わかった! 行こう!」


 素早く服を着替え、念のために剣も装備するとベリーチェとシュガーを伴って部屋を出た。


 この屋敷でマリア様の行くところと言えば、図書室と工房ぐらいだろう。


 まずは、屋敷の三階にある図書室だな。

 家人が寝静まっている廊下を足音を立てることなく進む。


 図書室のドアをそっと開けると思ったより音が響いてドキリとした。


「マリア、いないでしゅ」

 ベリーチェの一言に頷いて、図書室を後にした。


 あとは工房か。

 いや、待てよ。

 まさか腹が減って厨房でつまみ食いしてるんじゃあ?

 仮にも伯爵家のご令嬢がそんな事はしないだろうと思ってもあの飢えた子ライオンが相手では悲しいかな疑ってしまう。


「ベリーチェ、工房に行く前にちょっと、厨房に寄っていこう」


「ちゅうぼう? ルーちゃん、おなかしゅいたでしゅか?」


「いや、オレじゃない。マリアがいるかもしれないからだ」


「マリア、おなかしゅいてる?」


「ああ、いつもな」


 一階にある厨房を覗くと真っ暗だった。

 どうやら誰もいないようだ。


 少し残念に思いながら工房へと向かう。

 実を言うと、オレはマリア様のあの食べっぷりが結構気に入ってる。

 本人には、令嬢らしくないと文句を言っているが美味しそうに食べるあの顔が何とも言えず可愛いのだ。


 食べている時のマリア様を想像しているうちに工房に着いた。


 外から見ると灯りもなく暗いままだが、はたしてマリア様は居るだろうか?

 シュガーの背中にちゃっかり乗って移動していたベリーチェと顔を見合わせて頷きあう。

 よし、入るか。

 ん? 何やら物音がする?

 入り口から音のする方に静かに進むと商談用の応接エリアのソファに人影を発見した。


 いた!


 窓からの月明かりに照らされソファの上で膝を抱えてうずくまっている姿に言いようのない感情が押し寄せる。


 時折、クスン、クスンと鼻をすする音がする。


 泣いているのか?

 ああもう! こんな夜中にこんなところで独りで泣いてるなんて。


 いてもたってもいられず、駆け寄って抱きしめた。

「マリア様!」


「きゃっ! え?! ルー先生? あ、ベリーチェとシュガーまで…」


 驚くマリア様に自分のローブでくるむように抱き寄せると恥ずかしそうに俯きながら呟いた。


「あったかい…」


「こんな所で独りで泣くな。泣きたいときはオレの胸を貸してやるから、いつでも言え」


「え? あ、あの怒ってます?」


「なんでそうなるんだ? 怒ってる訳じゃないよ」


「で、でもその言葉使い…ルー先生は怒ってるときは男言葉になるんですよね?」


 あ! まずい…とっさのことで素の自分を晒してしまった。


「や、これは、その、怒ってる時と、女の子を慰めるときは男言葉になるんだよ。その方が格好いいだろ?」


「ふふふ、なんですかそれ」


「だから今は男言葉で良いんだよ」


「女言葉でも男言葉でもどっちも格好いいですよ。ルー先生はルー先生ですもの」


「そうか。で、なんで泣いていたんだ?」


 そう聞いたオレに腕の中から潤んだ瞳で見上げてきた。

 吸い込まれそうなほど綺麗な緑色の瞳に不覚にもドキリとしたことは内緒だ。


「なんか、眠れなくて…昼間のデリックさんの言葉を考えちゃって…救える人がいたら救うなんて結局私のエゴなんですね。デリックさんは本当に死んでも良いと思ってるのかな? 生きたくても死んでいく人もいるのに…神様は意地悪です」


 そう言いながらポロポロと涙を流すマリア様。

 抱き上げて膝に乗せ、服の袖で涙を拭ってやる。


「マリア様は何も悪くないよ。人の気持ちはね、複雑なんだ。そしていろんな場面や経験でコロコロと変わるんだよ。デリックさんの今日の言葉も数年後は変わっているかもしれない。だから、マリア様は自分の思った通りの道を進むと良い。オレはいつでもマリア様の味方だ」


 オレの言葉を聞いて頷きながらマリア様が口を開いた。


「ありがとうございます。ちょっと、元気になりました。ルー先生、前から言おうと思ってたんですけど、私に様はつけなくて良いですよ。マリアと呼んで下さい。私の先生ですもの」


 涙で潤んだ瞳で儚げに微笑むマリアから一瞬目が離せなくなる。

 無理やり視線を外して胸にギュッと抱きしめながら呟いた。


「わかったよ。ありがとう…」


 しばらく胸に抱きしめながら頭を撫でていると、規則正しい寝息が聞こえてきた。


 寝たか…


「ベリーチェ、シュガー、部屋に戻るぞ」


 ずっと大人しくしていたベリーチェとシュガーにそう声をかけるとオレはマリアを横抱きにして部屋へと歩き出した。



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