第36話 俺の共同経営者には頭が上がらない ガイモン・キーリア視点
「あ、やっぱりここにいましたね」
そう声をかけてきたのはレオンだった。
ここはリシャール邸の裏庭にある工房。
俺はガイモン・キーリア。
このリシャール家のご令嬢であるマリアーナ・リシャール嬢の錬金術の講師兼共同経営者だ。
まあ、事業自体は、まだ起動していないがな。
「どうした? 俺になんか用か? もしかして義手に不具合が?」
「あ、いえ、右手に不具合はありません。むしろ義手だと忘れるぐらい馴染んでます。ちょっと眠れなくて窓の外見たらこの工房の灯りがついていたので。エールを持って来たんです。良かったらつきあって下さい」
「おう、そうかそれは嬉しい」
工房の片隅に設けられた簡易キッチンのテーブルセットに移動すると早速エールの瓶の蓋をあけコツンとぶつけ合い乾杯をする。
「そう言えば、こうしてレオンと二人で飲むのは初めてだな」
このリシャール邸に引っ越してきて二週間。
最初の一週間はマリアに付きっきりで錬金術を教え、次の週はレオンとメアリーの義肢のゴーレム化に成功し、今に至っている。
「そうですね。人の縁って不思議ですね。ガイモンさんが僕の義手の作成者じゃなかったらこうして一緒に飲むことはなかったし、マリア様がいなかったら右手が動くこともなかった。また右手が動いてヴァイオリンが弾けるようになるなんて」
そう言いながら右手を開いたり閉じたりするレオン。
その姿を見ながらふと、疑問に思ってたことが口をついた。
「そう言えば、レオンの右手は何で義手になったんだ? やっぱり事故で?」
その瞬間レオンの表情が苦しそうに歪んだ。
「わ、悪い。 話したく無ければ話さなくて良いんだ。忘れてくれ」
そう言う俺に向かってレオンは言った。
「いえ、これから長い時間マリア様と過ごすことになるガイモンさんには話そうと思っていたんで大丈夫です」
そう前置きをしてレオンから聞かされた話は衝撃的なものだった。
レオンは通っていた学園の寮から何者かに拉致されて気づい時には学園都市の外れにある使われていない民家の倉庫に寝かされていたという。
目隠しに猿轡をされて右手をナイフで刺されそのまま放置されていたところへ父親が助けに来てくれた。
不思議なことに刺された痛みはほとんどなかったらしい。
傷も浅く、街の治癒士に見せ、このまま治るかと見えたが違った。
治癒士の再度の診断により、どうやら右手を刺したナイフに魔物の毒が塗ってあった可能性が出てきた。
毒がそれ以上腕に回らないように手首の先を切断したという。
その後はもう何もやる気は起きず絶望のどん底にいたレオン。
そんな時レオンの両親が俺の所に来たのだ。
レオンは始終俯いていたので正直、印象が薄い。
無論レオンの方もその時は俺のことを認識していなかったというのが本音だ。
そんなレオンをどん底からすくい上げたのはマリアだ。
このリシャール伯爵家の令嬢だ。
すくい上げたのはレオンだけじゃない。
俺の妹のメアリーまでも明るい日差しの元に引き入れてくれた。
そんな感謝してもしきれないマリアの身の上話をレオンが語り始めた。
「僕を拉致した奴らはそれを脅しのネタにして、当時執事と侍女長をしていた両親をこの屋敷から追い出し、マリア様を殺害しようとしたんです」
想像もしなかった話に飲んでいたエールを喉に詰まらせた。
「さ、殺害?」
「そうです。睡眠薬で眠らせたマリア様を二階のバルコニーから落としたんです。それ以前にもマリア様を言葉の暴力で精神的に追い詰めて… 一年前に魔物に襲われて亡くなったマリア様の母上も奴らの仕組んだ事だったと聞きました。バルコニーから落とされたマリア様は2日間目が覚めなかったそうです。そして3日ぶりに目覚めたマリア様は記憶を無くしていました。今も記憶は戻ってないそうです」
なんてこった。
母親を目の前で魔物に殺され、それが悪党に仕組まれた惨劇だった上に自分まで殺されそうになったなんて…
そして記憶喪失か…
王都の外れにあった俺の店にマリアが来た時のことを思い出す。
あの時彼女はこう言ったんだ。
『分かります。何も悪くないメアリーさんの身に起こった悲劇に対する憤りも、そしてその元凶となったものへの嫌悪の気持ちも。全部分かります。でもこの先、そうやって誰かを恨み、拒否し続けるつもりですか? それでは物事は良い方向へは進みませんよ? 私達は今、生きているんです。この先にも人生が続いて行くんですよ?』
全部、全部、自分が経験したことだったのか。
それなのに…俺は彼女になんと言った?
「はあー 俺、ちっちゃい人間だな…マリアって今いくつだっけ?」
「えっと、確か僕の8歳下なので10歳ですね」
10歳…
妹のメアリーよりも2歳も下じゃねえか。
「俺、一生マリアに頭があがんないわ…」
そうつぶやいた俺にレオンも頷きながら口を開いた。
「僕もです。彼女は僕にとっての導きの女神なんです。ヴァイオリンを弾くときは彼女のことを想いながら弾くと優しい音色が出るんです。不思議ですよね」
導きの女神か…
それは、俺とメアリーにとってもだな…
それから、レオンは三ヶ月後に開催される王妃主催の音楽会にエントリーするために一旦学園に戻ること、そして改めて外出届を出してここに戻ってくるつもりだと話した。
「学園の方は大丈夫なのか? 結構休んでるんだろう?」
「ああ、それなら問題ないです。3年に進級してすぐに卒業の資格は取ったので。後は三ヶ月後の音楽会が卒業試験の代わりってことになります」
「へぇ、そりゃすごいな。じゃあ、その音楽会に向けて練習あるのみだな。頑張れよ」
俺も頑張んなきゃな。
マリアが俺に
あの
魔術杖から紡ぎ出される魔力を持った文字は七色に光り輝き彼女を照らす。
長いピンクゴールドの髪はふわりと宙を舞い、彼女の周りだけ神聖な空気をまとっていた。
彼女が命を吹き込んだ
そう言えば、魔術杖を買いに街に出かけたときには周りから『妖精姫』と言われていたな。
それを思い出してふっと笑いが漏れた。
「あ、なんか思い出し笑いしてますね?」
「ああ、悪い。前に街に出かけたとき、魔術杖屋でのことを思い出して。そこでは女神じゃなくて妖精姫と言われてたよ。ルーベルトは妖精姫を守る天上界の騎士ってことになってたな」
「へぇ、妖精姫とはよく言ったもんですね。。確かに見た目は可憐な花の妖精みたいですからね」
「そうだな。あの二人のそばにいると視線が気になるから早々に別行動にしたんだが、客たちのヒソヒソ話は耳に届いていたな。そのうちの何人かがマリアに声をかけようとしてたのをルーベルトが殺気と威圧で撃退してたけど、マリアは全然気がついてなかったな。って言うか、逆にルーベルトと一緒だから目立つと思ってたみたいだな」
「マリア様らしいですね。可憐な見た目と違ってしっかりとした思考に令嬢らしからぬ行動力。アンドレ様が言ってました。あの事件の後、マリア様は変わったって。甘やかしてやりたいのになぜか自分の方が甘えているような気がするって。そう言われてみると、マリア様が抱きついてきたアンドレ様の背中を優しくトントンやってる場面を良く目にしますよ」
その場面が容易に想像出来て二人でひとしきり笑いあった。
こうして心の底から笑えるようになったのもここに来てからだな。
妹のメアリーも昔のように屈託無い笑顔を見せることが多くなった。
この屋敷のみんなは俺達兄妹に良くしてくれる。
まあ、俺は最初のマリアに対する態度の悪さからランさんとマリア付きのナタリーからは睨まれることが多いがな。
メアリーは早くに両親が亡くなったこともあり、レオンの両親であるヘンリーさんとリンダさんに良く懐いている。
ヘンリーさんとリンダさんも女の子が欲しかったとあって本当の娘のようにメアリーを可愛がってくれている。
今は、ヘンリーさんやリンダさんの仕事の合間に勉強を教わり、来年の学園入学に備えているところだ。
そのメアリーは術師の育成に特化した学園に入学して将来は俺とマリアの手伝いをしたいと思っているようだ。
我が妹ながら頼もしい限りだ。
俺もちゃんと、
そう決意すると瓶に残っていたエールを一気に飲み干した。
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