第47話 魔物図鑑を見ておけば良かった


「大変です!」


 ドアを開けるなりそう叫んだ受付嬢。


「カトリナ、どうした? そんなにあわてて」


「デリックさんが魔物に襲われて大怪我して戻ってきました! すぐに下へ来て下さい!」


「何だと?! すぐに行く! ゲルマン、行くぞ! ああ、済まない君達はもう帰っても構わない。悪いが見送りは出来ない。こっちの階段を降りると裏口から出ることができるぞ」


 ルキーノさんはそう言うとゲルマンさんと共に部屋を出て行った。


 残された私達はお互いに顔を見合わせた。


「誰かが大怪我をしたみたいですね?」


「デリックって言ってたわね。もしかしてA級冒険者のデリック・ビートンかしら?」


「ルーベルトの知り合いなのか?」


「知り合いじゃないけど、王都では結構有名な冒険者よ。30歳くらいのナイスガイよ。確かS級に昇格するのも目前って噂だったけど、その大怪我でどうなるかしらね?」


 A級の冒険者か。

 大怪我っていったいどれほどの怪我なんだろう?

 これは見に行くっきゃない。

 私で役に立つことがあるかもしれない。


「さあ、下に行きましょう! あ、ベリーチェは下についたら動いちゃダメよ? 普通のぬいぐるみのふりをしていてね」


 私の一言でガイモンさんもルー先生も「そうくると思った」とため息をつきながら腰を上げた。




 わお! なにこのカオス状態?!

 私達が一階につくとざっと15人ほどの冒険者達が右往左往する中、怒号が飛び交っていた。


「おい! 治癒師はまだか?!」


「今、ゲルマンさんが迎えに行ってる!」


「いや、この大怪我じゃ治癒師じゃ無理だ! 医師を呼べ!」


「医師はギルマスのルキーノさんが馬車で迎えに行った!」


「取りあえず、少しでも治癒の力のある奴いないか?!」


「どうしたら良いんだ? 出血が止まらないぞ!」


 人だかりの隙間からソッとのぞき込むとギルドの受付前の床にどうやら怪我人が寝かされているようだ。


 床はその人の腕から流れた血で真っ赤に染まっている。

 腕を魔物に食いちぎられた?


 やばいな。早く出血を止めないと。

 それにこんな石畳の床に直に寝かせているのも良くない。

 大量出血で体温が奪われるのを加速するだけだ。


 私は大人達の隙間に無理やり体をねじ込み前に出た。


「誰か、毛布と清潔な布をたくさん持ってきて下さい!」

 突然の私の乱入に一瞬その場が静まり返った。


「おい、なんだ、ガキ、邪魔だどけ!」

 肩を押されて突き飛ばされた。


 くっそー!

 負けてたまるか!


「邪魔なのはあなた達です! 騒ぐことしか出来ないでくの坊はこの場からサッサと出て行きなさい!」


「何だと?! あ! お前、さっきいた頭の弱いガキじゃねえか! お前みたいな馬鹿の方が役立たずなんだよ! サッサとどきやがれ!」


 周りの冒険者達もそうだそうだと声を上げる。

 そんな中、男が振り上げた手をルー先生がバシッと掴んだ。


「おい! オレの大切なお嬢様に何無礼なこと言ってくれてんの?」

 そう言って掴んだ手を後ろにねじ伏せながら蹴りを入れ遠くに弾き飛ばした。

 わお、ルー先生が男言葉だ。

 なんだか、新鮮。


 周りを見ると、ガイモンさんも最初に私を突き飛ばした男を相手に応戦していた。

 おお、ガイモンさんも意外と強い。


 そうこうしている間に受付のお姉さんが毛布と布を持ってきた。


 良かった。


「床に毛布を敷いて、怪我人をその上に寝かせて下さい!」


 そう叫んだ私を大人達は睨みつけながら棒立ち状態。

 ちょっと、なんで誰も動かないの?


「あなた達、この人を助けたいんですか? それとも死なせたいんですか? どっちなの?! 今、私の言うことを聞かなければ確実にこの人は死にますよ!」


 私の怒鳴り声にハッとしたように2人の若い男が動いてくれた。

 毛布に怪我人を寝かせている最中に先程の男が近づいてきた。


「おい! ガキ! 俺は許可していねぇぞ! お前なんかにこんな大怪我を治せるわけない! あっちに行ってろ!」


 もう、しつこいな。


「じゃあ、あなたがこの人を救えるんですか? さっきから大声を出すだけで何も行動してないじゃないですか。なにも出来ないなら邪魔しないで下さい。言っときますけど、私は光属性持ちです」


 そう一気に言い捨てるとワンピースの裾が血に染まるのもいとわず怪我人の元に跪き怪我の具合を見る。


 私は怪我をしていない左肩を叩きながら耳元で声をかけた。


「大丈夫ですか? お名前は言えますか?」


「デ、デリック…ビートン……だ」


 よし、意識はある、脈は少し弱いけど大丈夫だろう。

 まずは上半身のシャツを脱がせ、ズボンのベルトも緩めて楽にする。



 目に付く大きな怪我は腕の食いちぎられた傷口と腹部の打撲傷だ。


 私には光属性もあると確信している。

 その能力を自己都合で隠しておきたいなんて言ってる場合ではない。


 この世に命よりも大切なものなんてないんだ。


 腕の方は右手の肘と手首の間の肉が食いちぎられている状態だ。

 さすがに治癒魔法でも欠損した肉までは修復できないだろうな。

 ごっそりと肉を持って行かれているのを見ると傷が塞がってもこの腕が動くかどうか…

 その判断は医師に任せよう。


 カントさんの薔薇を復活させたように手をかざし、傷口の出血が止まるように念じる。


 すると突然、仰向けに寝かせていたビートンさんが横を向きながら咳き込んだ。

 その拍子に口から血を吐いた。


 とっさに指を口に入れて喉を詰まらせないように全部吐き出させる。

 これは腹部の打撲傷が原因か?

 広範囲で赤黒く痣になっている。

 内臓破裂?

 まずいなほっとくと死に至る。

 だんだんと顔色も悪なる。

 ショック状態になりかかってる?

 これは内臓のダメージを修復するのが最優先だ。


 ひとまず、腕を心臓よりも上にし、止血の処置をする。


「ガイモンさん! ちょっとここをこの布で押さえていて下さい」

 そうガイモンさんに声をかけて布を渡す。


「お、おう。こうか?」


「そうです。傷口を圧迫して下さい。ルー先生は布が血で染まったら新しい物をガイモンさんに渡して下さい」


「わかったわ」


 こんな所で前世の知識が役に立つなんてね。

 前世では医療機器の会社と言うこともあり、それなりに知識はあるのだ。まあ、医療従事者には及ばないが。


 さあ、今度は内臓の傷だ。

 手をかざし、傷ついた臓器が修復するように魔力を込める。

 不思議なことに込めた魔力が重く反発を感じる部分があった。

 恐らくその部分が傷ついている場所なんだろう。

 手のひらに重く感じた反発感がふっと軽くなるのが修復完了の合図のようだ。


 見る見る打撲の痣が消えていく。

 眉をひそめる素振りが無くなったので痛みも消えて楽になったようだ。


 穏やかになった顔を改めて見る。

 よし、顔色も良くなってきた。

 良く日に焼けた浅黒い肌に太い眉、私の周りの綺麗系のイケメンとは系統が違うイケメンだ。


 さぁ、次は腕の方だ。

 ガイモンさんとルー先生の協力で止血も出来た。


 それにしてもいったい、何の魔物にやられたんだろう?

 毒とかは大丈夫だろうか?


「この人が何の魔物にやられたか知ってる人はいますか?」


 私の問いかけに冒険者達は一斉にひとりの男の子に視線を向けた。

 見たところ15、6歳のほっそりとした男の子だ。


「君、知ってるの?」


「あ、あの、あの、俺、こんなことになるなんて、ど、どうしよう…どうしよう…」


「どうしようと思うんだったら質問に答えて! 魔物の名前は?!」


「ハ、ハイゴルグです」


 ハイゴルグか。


 あ、名前聞いてもわからないや。

 私ったら、魔物図鑑見たこと無かった。

 なんか、怒鳴りつけて聞きだしといて分からないなんてカッコ悪いな。

 こんな事なら魔物図鑑、見ておけば良かった。


 そうだ、ベリーチェ!

 魔物図鑑、見てないかな?

 受付のカウンターにちょこんと座りぬいぐるみ化したベリーチェは当然こちらを見ない。


 ああ、ベリーチェったら、言いつけを守るとっても良い子だわ。

 育て方が良かったんだね。


 でもお願い! 今はこっち見て~

 おーい! ベリーチェ!


「マリア、少し周りを気にした方が良いぞ」

 ガイモンさんの言葉にハッとする。


 怒鳴ったと思ったらクマのぬいぐるみに向けて手を振り始めた私を怪訝な顔をしてみる冒険者達。


 ま、まずい、またしても頭の弱い子認定を受けてしまう。


「あーえっと、ハイゴルグね。んーそいつの牙には毒はあったかしら?」


 さも独り言のようにつぶやいて周りの反応を窺うと受付のお姉さんが冊子を捲りながら声をあげた。


「ハイゴルグは毒を持ってません。ただ、唾液に骨を脆くする作用があるらしく噛まれると骨折しやすくなるようです」


 ナイス、お姉さん!


 骨を脆くする作用ね。

 それって獲物を骨までガリガリと食べるためか?

 イヤだな、骨も残らないなんて。


 では魔法で出した水に魔物の唾液の浄化と患部の細菌感染を防ぐために除菌の力も混ぜ、傷口を洗いましょうか。



 傷口を綺麗に洗い、骨が見えている箇所を保護するのに人工皮膚をイメージして空気の膜で覆いその上から包帯を巻いた。


 床に広がった血痕や手伝ってくれたことで汚れてしまったガイモンさんとルー先生も浄化魔法で一気にクリーニング。

 もちろん、私もね。


 まるで先程の惨状が嘘のように綺麗になった現場に皆さん言葉も出ないようだ。


 ビートンさんは受付奥の対談用のソファに移され、暖かい毛布にくるまれて今は軽い寝息を立てている。


 後は医師が来るのを待つばかりだ。

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