第93話 噂の恋愛小説 ① 

この回は視点が変わります。

マリアーナ→カタリナ(新登場)




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「マリアお嬢様……大変申し上げにくいのですが、これでは恋愛小説の要素が微塵も見当たりません。なんですか、この『カナコの目には運動をしたあとのように大粒の汗のような涙が溢れた』って? まったくもって意味不明です。そもそも、大粒の汗のような涙を流す乙女はおりませんから」


 うっ、『申し上げにくい』と言いながら容赦なく申し上げているではないか。


 リシャール邸の図書室の勉強机で執筆活動中の私にランの鋭い指摘が入る。

 乙女の流す涙ってどんなさ。

 中身が乙女ではない私には未知の世界だぞ。


「あ、ですが、カナコさんがこの串焼きを召し上がる描写はさすがです。あまりにも美味しそうで私も食べてみたくなりました。ここまで食べ物を見事に表現できるのはマリアお嬢様ならではだと思います」


 これは、褒められているのだろうか?

 首を傾げる私に、右隣に座っているルー先生が笑いながら言う。


「そうよね。だけど、この串焼きを食べてカナコさんが涙するなんていったいどういう場面なわけ?」


「あまりのおいしさに感動してる場面に決まってるじゃないですか。カナコさんはもともと塩派なんです。でもタレの串焼きを口にしてその美味しさに涙が出るほど感動したんですよ」


「それ、ほぼ実体験ね。そのカナコさんが塩派というのはどこから来たのよ?」


「私の勘です」


「勘? もう、だいたい書いてある文章の半分以上が食べ物なんてもはや小説とも言えなわね」


 なんと!


「これは、くいしんぼうのきろくでしゅね」


 左隣からのべリーチェの容赦のない一言が飛んできた。

 ううっ。


「こ、これは、試しに書いてみただけです。『赤の賢者の真実』はちゃんとした作家に依頼するつもりですから」


「「それが良いわね」でしゅ」」


 ぐぐっ。

 わかっていたさ、私に文才がないことぐらい。

 ああ、全世界言語読解のスキルがあるなら文章力にも反映して欲しかった。

 陛下から小説は任せると言われて焦ったが、恋愛小説作家に依頼すれば万事解決だと思い至って良かった。

 そう心の中で呟きながら、膝の上に乗せたクラウドをギュッと抱きしめた。


「きゅう。きゅう」

 可愛い。

 キラキラの大きな瞳で見上げるクラウドは、相変わらず体長60センチのままだ。

 体長80センチのべリーチェよりも一回りほど小さい。

 つい先日行われた生後12日目の定期検診に訪れたゴットさんも一向に大きくならないことに首を傾げていたが、健康状態はすこぶる良好なのでとりあえず様子見ということで落ちついた。


 そんなクラウドに癒されているところに、ナタリーがシュガーとともに図書室へと入ってきた。


「マリアお嬢様。何冊か参考になる恋愛小説を買ってまいりました。どれも若いお嬢さんの間で人気のようです」


 そう言ってナタリーは三冊の本を私に差し出した。


「あら? ナタリーが手に持っているのは何? もしかして原稿?」


「あ、こちらですか? 本屋を出たときにぶつかった女の子が落としていったんです。慌てて追いかけたんですけど、間に合いませんでした。でもこれ、小説のようなんですが主人公がなんだかマリアお嬢様とルーベルトさんを連想させるんですよね」


 私とルー先生を連想?

 ナタリーのその言葉でその紙の束をめくると、一緒に隣で見ていたルー先生があんぐりと口を開けた。


 その小説はある国の公爵令嬢とその護衛兼従者である青年の身分差の恋愛物だった。

 物語の令嬢の年齢は16歳、青年の年齢は19歳。


『馬車から降りるマーガレットにレナウドは手を差し出した。ピンクゴールドの長い髪がサラリと頬に落ちる。レナウドは優しい手つきでマーガレットの髪をそっと耳にかけながら学生鞄を手渡した』


 ん? これって私の登校時の光景?

 しかも、べリーチェとシュガーまで姿を変えて登場しているではないか。

 べリーチェは『ベアラビット』という大きなウサギのぬいぐるみで、シュガーは『雪豹』という白い豹として書かれている。


 ふむ……登校時の描写がここまで詳しいなんてこの小説の著者はイントラス学園の学生の可能性大。


 公爵令嬢と護衛の青年の切ない恋愛模様が丁寧に書かれているではないか。

 そのモデルが私とルー先生というのがなんとも遺憾だが、それを差し引いてもプロ顔負けの出来だ。


 見つけた! 『赤の賢者の真実』を託すべく作家!

 原稿の最後のページを見ると『カタリナ・グラント』とサインがあった。


 ちょうど、謹慎期間が解けて明日には学園に登校出来る。

 さっそくこの作家を捕まえるぞ。




 ***************




「お、おい! カタリナ嬢、お前にお客さんだぞ」


 教室の入り口から私の名前を呼ぶ男子の声にビクッと肩が揺れた。

 お客さん?

 そういえば、さっきから廊下が騒がしいわね。

 またリズモンドが私をからかう為に隣のクラスから来ただけでしょ。

 あいにく、傷心の私は俺様な幼馴染の相手なんてごめんです。

 机に臥せって聞こえないふりを決め込む。


 周りの喧騒に耳をふさぎながら先日の出来事を思い起こした。

 出版社に持ちこんだ小説の原稿をけなされ、おまけに一晩付き合ったら出版を考えても良いなんて!

 しかも、あまりのショックに原稿をどこかに落としてきたなんて何たる失態。

 それもこれも、あの変態編集者のせいだ。××がもげてしまえ!


 はっ、私としたことがはしたない。


 末端の男爵家とは言え、うちは300年も続く由緒正しい家柄。

 たとえ、借金苦にあえいでいたとしても、品位を失ってはいけないわね。


 ああ、でもこのままだと借金のかたに、大切なお姉様があの色ボケ爺の後妻にされてしまう。

 なんとかしなきゃ……。

 やっぱり、当初の計画通り私がこの学園でお金持ちの伴侶を探すしかない?

 でもね……本を読むしか能のない私に高貴な殿方を落とす手管などあるはずもない。

 見目だって可もなく不可もなく、褒めてくれるのは身内だけ。

 あ、なんだか益々落ち込んでいくわ。


「か、カタリナ様、顔をお上げになって、お客様が……」


 私の隣の席から響く女の子の切羽詰まった声に、ノロノロと顔を上げながら口を開いた。


「もう、なんなの、リズモンド! 今はあなたにかまっている暇はないわよ! って、えっ? 妖精姫?!」


 あまりの驚きに椅子からずり落ちそうになり、すんでのところで踏ん張りながら立ち上がった。


 てっきり、隣のクラスから幼馴染のリズモンドが来たのかと思ったら、なぜか私の目の前には妖精姫が!

 えっ? なんで? ここ三年生のクラスよね?


 妖精姫……本当の名は、マリアーナ・リシャール様。

 この国の王城騎士団総団長、リシャール伯爵家のご令嬢だ。

 今年度このイントラス学園に入学した、もっとも有名な一年生。

 サラサラのピンクゴールドの長髪に、長いまつ毛に縁どられた深い緑色の瞳。

 小さいながらもぷっくりとした唇は、まるで瑞々しいサクランボのようにプルンプルンだ。

 同じ人間とは思えない可憐さだ。

 まさしく、妖精界の姫君。

 うっわ、顔ちっさ!

 まるでお人形のように完璧な美貌が、恥ずかしそうに微笑みながら私を見ているではないか。


「あの、あなたがカタリナ・グラント様でしょうか? 私、マリアーナ・リシャールと申します。突然、お教室まで押しかけてしまい申し訳ありません。今日の放課後、少しお時間を頂きたいのですがよろしいでしょうか?」


 そう言って首を傾げながら上目遣いで私の目をのぞき込むマリアーナ様。

 美少女の儚げな微笑みなのに、なんだかとても圧を感じるのは気のせいかしら?

 それに、マリアーナ様がお手にお持ちになっているのって、私が無くした小説の原稿ですよね?

 これって拒否権はあるのでしょうか?

 私は背中に冷たい汗が伝わるのを感じながらこくこくと頷いた。




 ***************




「おい、聞いたぞ、一年のマリアーナ・リシャール嬢がお前を訪ねて来たらしいな。お前、いったい何しでかしたんだよ?」


 お昼休憩の学食でそう私に問いかけたのは、俺様な幼馴染みのリズモンド。


 ゴルボーン男爵家の三男。代々、優秀な騎士を輩出して王家の覚えもめでたい名家だ。


 同じ男爵家でも借金苦のうちとは大違いだ。


「な、なにもしてないわよ。ただ、放課後に時間をくれと言われただけよ」


「だから、カタリナに話があるってことだろ? なんの話かわからないのか?」


「えっと……たぶん私の小説のことかなっと……。なくした私の原稿をお持ちだったのよね」


「それって、もしかしてマリアーナ嬢をモデルにした例のやつか? まずいな。それ、絶対お怒りだろう」


 お、お怒り?


「自分の知らないところで自分のことを書かれているなんてあまり気分の良いものじゃないだろ?」


「で、でも、あの小説はマリアーナ様とわからないように設定は公爵令嬢だし、お歳も16歳にしてあるし……」


「いや、マリアーナ嬢を知っている人ならどう考えてもわかるだろう。 カタリナの読書部でもそれで盛り上がってるって言ってたじゃないか」


 うっ!

 か、返す言葉が見つかりません。


「まあ、呼び出しを無視するわけにもいかないからな。これ以上怒らせないように気をつけろよ」


 リズモンドのとどめの一言に打ちのめされ、放課後なんて来なければ良いのにと思いながらそっとため息をついた。


















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