第67話 もう後戻りはできない

 ユア・スレイヴのリハーサルが始まる。4人はジャージ姿で、まだ衣装を着ていない。


「立ち位置確認します。7割くらいの力で踊ってください」


 舞台の下から高橋くんが叫んだ。


 ヴォイドははたから見てもわかるほどかちこちに緊張していた。実際に本番と同じ舞台に立ってあがってしまったのだろう。

 足を絡ませてヴォイドが転ぶ。スタッフたちがため息をつき、曲が止まった。


「す、すみません」


 慌てて立ち上がろうとしたヴォイドがまた足を滑らせて転んだ。

 「床、滑りますか?」と高橋くんがメガホンで尋ねる。ヴォイドは首をぶんぶん横に振った。


「しょうがないね、ほら、つかまれ」


 ヴォイドの隣にいたイエロー・パンサーが手を差し出した。


「ごめん、足を引っ張って」


 ヴォイドが謝ると、イエロー・パンサーは黄色い目を三日月の形にしてほほ笑んだ。


「大丈夫だよ、全部すぐ終わるから」


 首をかしげるヴォイドから目を逸らせて、イエロー・パンサーが「すいませーん、もう一回頭からお願いします」と大声で言った。





 本番30分前。舞台裏は不安げな空気に包まれていた。


 本番が近いからではない。ついさっき、ゲーム炎上系YouCuberの下高井戸しもたかいどが動画を出したのだ。

 18時から眷カノのミヤビタウンでアイドルのお披露目があることを伝えたうえで、「運営さん見てますか、アイドル企画は必ず失敗します」と下高井戸は宣言した。


 30分前にもかかわらず、客席にはすでにちらほら人の姿があり、高橋くんは客の整理に追われている。


「ああ、どうしましょう」


 運営の氏家が頭を抱えた。


「普通に本番を行えばいいでしょう」


 そう言った梔子くちなし様を氏家はきっとにらむ。


「そういうわけにはいきません。何か妨害が入るかもしれないし、万が一お客さんに被害があったら……」


「あったら、なんなんだい?」


 イエロー・パンサーが尋ねる。


「ここは仮想空間ゲームだ。仮に刃物を持ち込んだ客がいても、現実リアルで誰かが死ぬことはない。まあ、ゲームの世界だから全員何かしらの刃物は持っているけどね」


「そうですけど……」


 氏家はまだ心配なようだ。

 そのとき、先ほどのハンチングをかぶったアクション監督が駆け寄ってきて、氏家に何かをささやいた。


「ええ、アクション俳優が事故にあった⁉」


「はい、メインのふたりがです。このままでは演目が披露できません」


 前座は役者が欠員。肝心のアイドルのお披露目はYouCuberから失敗予告を受ける。

 もうだめだ。頭を抱えてしゃがみ込む氏家。


 そのときだった。


「私がなんとかするにゃ!」


 思わぬ方向から声がする。声の主は忠政だった。


「なんとかって……」


「私とコジちゃんは殺陣たてができるにゃ! きっと役に立って見せるにゃ!」


 ほれ、おぬしも何か言え。小声で忠政に言われて、仕方なく小次郎も手を丸める。


「た、殺陣たてするにゃん」


「そんな機能ありましたっけ」


 首をかしげる氏家に忠政が畳みかける。


「私とコジちゃんは殺陣たての練習風景をよく見ていたにゃ! 動きはだいたい把握済みにゃ」


「おお、それはありがたい」


 アクション監督が声を上げた。


「この際上手でも下手でも構いません。氏家チーフ、このふたりを貸してください」


 監督がハンチングを脱いで禿げ頭を下げる。


「ええ、まあいいですけど、でも……」


「そうと決まれば練習にゃ! 監督、『天下丸』を渡すにゃ!」


 兄上、と言って、小次郎は忠政を端の方へ引っ張っていった。


「安請け合いはやめてくれ」


「安請け合いついでにお願いじゃ。わしはおぬしほど殺陣たてが得意ではない。補助を頼んだぞ」


 あきれる小次郎に、監督が「鬼首切」を模したゲーム武器を渡す。


 長さは本物の「鬼首切」より若干長い。重量は軽めだ。本物よりも装飾が多く、ヴォイドのような中二病の人が好みそうな形状をしている。


 舞台裏で武器を振り回すわけにもいかないので、練習はなし。ぶっつけ本番だ。


 本番まであと5分。リハーサルのときとは違い、客席側からがやがやと話し声がする。話し声は舞台裏の人間をより一層緊張させる。


 本番まで4分。3分。2分……。時計が18時を打った。舞台の始まりだ。


 氏家が舞台に上がり、挨拶と「名刀男子~百花繚乱のイケメンたち~」コラボ、そして「ユア・スレイヴ」の紹介をする。前座の殺陣たてが始まった。


 アクション俳優たちが、コラボの新武器を持って登壇し、演技を始めた。


 舞台袖の右側に立った忠政が、左側に立った小次郎に目くばせをする。

 行くぞ。


 小次郎はうなずくと、フードを深くかぶって舞台上に飛び出した。


 一瞬見えた客席には150人ほどの人が入っていた。女性が多い。

 客の整理を担当していた運営の高橋くんが、小次郎と忠政の姿を見てぎょっとしたように目を丸くする。


 周囲のスタントマンたちは、刺し違えて全員倒れこんだ。

 舞台上に立つのは小次郎と忠政のふたりだけとなった。


「我こそは三毛国さんけのくに領主忠政」


 唐突に忠政が叫び、「天下丸」を抜いて小次郎に向けた。


「蛮族小次郎よ、手合わせ願おう!」


 なるほど。小次郎はにやりと笑った。

 忠政も粋なことをする。


「一騎打ちか……面白い。俺は八つ裂きの小次郎。市川忠政……いや、兄上よ」


 小次郎は「鬼首切」を大上段に構えた。


「その首頂戴いたす!」


 ふたりは同時に前へ踏み出し、刃を重ねた。





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