第88話 牢
「おい、起きろ小次郎」
忠政に肩をゆすられて、小次郎ははっと目を覚ました。
後頭部がずきずき痛む。体を起こすと、鉄格子のはまった牢のような部屋にいることがわかった。
「どうやら罠にはめられたようじゃ」
「ああ」
小次郎は周囲を見回した。
4畳半ほどの何もない部屋。壁は打ちっぱなしの無機質なコンクリートで、壁の一面が鉄格子のはまった鉄扉になっている。鉄扉とは反対側の壁の高いところにも鉄格子がはめられており、そこから外の光がわずかに差し込んでいる。
背伸びして鉄格子の隙間から鉄扉の外を覗こうとしたが、暗くてよく見えない。
「あの船頭に眠らされてここに連れ込まれたのか」
「おそらくそうじゃ。ポシェットも武器も奪われてしまった」
「壁抜けバグで外に出られないだろうか」
壁に触れようとすると、緑の障壁で手が弾かれる。
「無駄じゃよ。どうやら、この部屋には公式の壁抜けバグ修正パッチが適用されているようでの。一通り試してみたが、すり抜けられそうな場所はなかった」
「公式の、だと。ではここは運営が用意した場所だということか?」
「しかし、そうも思えん。運営がわしらをこんな場所に閉じ込めるいわれはないからの」
小次郎は考えた。
そもそもここはどこだろうか。誰がどのような目的でここへ自分を閉じ込めたのだろうか。
「抜け出すことはできないのか」
「ああ、現時点では無理そうじゃ。とにかく、座して待つ。そうするしかなさそうじゃの」
たしかに、おとなしく様子を見るのが得策かもしれない。
しかし、ただ座っているというのは小次郎の性に合わなかった。
「兄上、肩車をしてくれ」
「肩車じゃと? わしが、おぬしにか?」
「ああ。あの格子のはまった窓から外を確認したい」
なんでわしが……。忠政はぶつぶつ言いながらも、しゃがんで小次郎を担ぎ上げてくれる。
「兄上、もう少し右だ。ああ、そこで止まってくれ」
肩車されてもなお、窓は小次郎の顔より上にある。
小次郎は腕を伸ばして鉄格子を掴むと、懸垂の要領でぐいっと体を引き上げた。
鉄格子の間から海が見えた。いや、あれは湖だろうか。渡し船が浮かんでいる。
天井に頭がつくほど体を持ち上げると、外に広場があるのが見えた。ちらほらとプレーヤーの姿が見える。
この牢は2階か3階にあるらしく、地面まではそれなりの距離があった。
「小次郎、何かわかったか?」
「いや。だが、湖が見えた。ここは湖のほとりの『マイマイザカの街』か『ライアーの街』のどちらかだろう」
「ふむ、少なくともヴォイドとの待ち合わせ場所からはそう離れていないということか」
小次郎は鉄格子から手を離して床に飛び降りた。
「とにかくわしらのできることは、何か事が起こるまで待つことじゃ。おぬしも諦めよ」
「いや」
小次郎は首を振った。
「まだできることはある」
「なんじゃと?」
「俺は最後まであがきたい」
そう言って小次郎は、窓のある側の壁を両手でどしどし叩くと、大声を出した。
「誰か! 聞こえないか! 囚われているんだ! 助けてくれ!」
「小次郎! 大声を出すのは得策ではない。誰が待ち受けてるかわからぬ」
「待っていられるか。兄上も叫べ。誰か! 助けてくれ!」
何事だ、と牢の前にどかどか人が集まってきた。
ほらいわんこっちゃない、と忠政がつぶやく。
鉄格子が開いて、小次郎の大声を止めるべくプレーヤーが数人なだれ込んできた。相手にとびかかる小次郎の頭を、ひとりのプレーヤーが棒で殴りつける。
小次郎の視界は再び暗転した。
◇
なんだか長い夢を見ていた気がする。
全身を縄でぐるぐる巻きにされて、村の道中を連行されながら小次郎はぼんやりと考えた。
「なあ、俺は猫耳の生えた女じゃなかったっけか」
縄の端を握っている下級侍に声をかけると、「なんだ、気でも狂ったか」と小ばかにしたような返事が返ってきた。
そうだ、俺は市川忠政の影武者小次郎だ。
市川家と朝廷は長い間戦争をしていた。朝廷の家臣である
小次郎は道端で倒れている老人を発見した。どうしたのかと尋ねると、その老人は近くの村の村民で、山菜取りに来たところ急に腹が痛くなって動けなくなってしまったという。
小次郎はそれを哀れに思い、軍の指揮を別の者に任せて数人の部下とともに老人を村に送り届けた。
ところが、その村は敵方西条厄重の駐屯地であった。
小次郎が市川方の武人であることが知られると、部下は隙を突かれて村民に殺され、彼はただちにとらえられ、縄をかけられた。
そうして今に至る。
小次郎は兄忠政の影武者として軍に出ていたので、敵もこちらを忠政と勘違いしていることだろう。
ここは忠政としてふるまうべきだ。捕虜になるにしても、殺されるにしても。
村の集会所の庭に小次郎は連行された。
頭をぐいと押さえつけられてひざまずきながらも顔を上げると、集会所の広間から敵将西条厄重がこちらを見ていた。
「市川忠政、いや、市川忠政の影武者よ」
西条厄重が低い声で言った。
ばれている。小次郎が本物の忠政でないことが。
やはりこのまま殺されるのか。こうべを垂れて唇を噛んだとき、西条厄重の口から意外な言葉が飛び出した。
「市川の名を捨て、俺の配下につく気はないか?」
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